鳥取ミニ旅:さじアストロパークその他

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 10月24日から家内と一緒に鳥取に行き、24日午後はさじアストロパーク、25日午前に青谷かみじち史跡公園、午後に井手ヶ浜、26日午前に白兎神社と白兎海岸に行きました。以下その簡単なまとめです。(青谷上寺地史跡公園については、青谷かみじち史跡公園見学を参照。)
 
 24日、大阪駅9時26分発の特急スーパーはくとに乗り、智頭駅で因美線の鳥取行に乗り換え、12時過ぎに用瀬(もちがせ)駅で下車、そこからあらかじめ予約していた共助交通バス「さじ未来号」に乗り、20分余でさじアストロパークに到着しました(用瀬からさじアストロパークまでタクシーを使うと7000円くらいにもなるが、私たちが利用した共助交通バスは1人なんと200円でした!)。
 さじアストロパークは、30年前、1994年に当時の佐治村(2004年に青谷町など7町村とともに鳥取市に編入合併)につくられた公開天文台です。(鳥取県は、鳥取市をふくめどの市町村からでも天の川をはじめ満天の星が見えるとかで、星取県を名乗っているとか。)公開天文台としては当時日本最大の口径103cm反射望遠鏡(今は8番目?)があり、晴れていればほぼ毎日観望会を行うほか、プラネタリウムや展示物、さらに宿泊施設もあり、星の観察にはよい施設のようです。また、これまでに20個以上の小惑星も発見しているそうです。
 私たちはまず午後2時からのプラネタリウム投影に参加しました。前半では、まずその日のその地域での夕方の星空が映し出され、また夏の大三角(こと座のベガ、わし座のアルタイル、はくちょう座のデネブ)などについての解説がありました。後半は、「チコちゃんに叱られる!2」という番組が投影されました。NHKが製作した番組?のようで、国立天文台の公報担当で有名な縣秀彦さんも解説しておられました。星座のかたちが過去・現在・未来と時間とともに変わるなどについての投影もありましたが、私が興味を持ったのは、宇宙の中での地球の位置をどのようにして示すかということです。例えば郵便物を送るのに住所を書いておけばその宛先に確実に届きますが、それと同様に宇宙の中での地球の住所を考えてみようとするものでした。地球の住所は、
ラニアケア超銀河団 おとめ座超銀河団 おとめ座銀河団 局所銀河群 天の川銀河 オリオン腕 太陽系第3惑星 地球
となるようです。ラニアケアという言葉は初めて聞きました。ラニアケア Laniakea は、ハワイ語で、 lani は「天(heaven)」、 akea は「広々とした、果てしない(spacious, immeasurable)」を意味するそうです。
 私たちの宇宙(光で観測できる宇宙)は、大規模構造としては、ボイドと呼ばれる銀河がほとんどない領域と、それを取り巻く膜のような面(グレートウォール)に無数の銀河・銀河団・超銀河団が連なり、このようなまとまりが石鹸の泡のように多数接したようになっていて、ラニアケア超銀河団もそのような超銀河団の一つということになります。
 ラニアケア超銀河団は2014年にハワイ州立大学のタリーらにより提唱されたもので、約 5億光年の範囲に約10万個の銀河が含まれ、おとめ座超銀河団などの超銀河団をはじめ多くの銀河団が重力の中心グレート・アトラクター(うみへび座・ケンタウルス座超銀河団)に影響を受けているらしいです。おとめ座超銀河団は、約 1億光年の範囲に約 100の銀河群と銀河団を含みます。おとめ座銀河団は、地球から 5千万光年ほどの距離にあって、中心部には巨大質量の楕円銀河 M87があり、天の川銀河を含む局所銀河群はおとめ座銀河団に引かれていて将来合体するだろうと考えられています。局所銀河群は、約 1千万光年の範囲にアンドロメダ銀河をはじめ少なくとも 47の銀河が含まれています。天の川銀河は、約 10万光年の範囲に 2千億~4千億の恒星が含まれています。オリオン腕は、いて腕とペルセウス腕の間にある小さめ(直径 3500光年)の渦状腕で、太陽系は現在このオリオン腕を通過しているとのことです。
通過している渦状腕です。
 
 プラネタリウム投影の後、少し展示を見学しました。私のお目当ての隕石は、展示しているものはケースに入っていて触れませんでしたが、担当の方がシホテアリン隕石(鉄隕石の 1種)を持ってきて触ることができました。シホテアリン隕石は、1947年にロシアのウラジオストクの北東440km付近に無数の隕石雨となって落下したもの。長径が10cm余の、やや細長く平たくした卵のような形で、重さは1.5kgくらいだそうです。表面には焼けただれたようなざらざらがあり、また片面には凹凸が連なっていて、これはレグマグリプト(親指で押したような跡)かもと思いました。また、表面には長い線が平行に数本走っていて、これについては隕石が分裂する時にできたものかも知れないということでした。展示されていたものには、火星由来とされるザガミ隕石(1962年にアルジェリアに落下。細かい砂のようなのが全体で39.7g、その中の針先ほどの大きさの0.02gが顕微鏡で見られるようになっているとか)、ギベオン隕石(ナミビアで発見されたもの。展示されていたのは 630gで、ウィドマンシュテッテン構造を示す筋模様がよく見えているらしい)などです。
 その他に、日本の H2Aとアメリカのサターン・ロケットの25分の1の模型が展示されていて、ちょっと触りました。 H2Aは、本体(液体燃料ロケット)は全長約 2m、直径約 20cmで、長さ 1m余の補助ロケット(たぶんブースタと呼ばれる固体ロケット)が左右に2本、前後に2本ついていますが、左右のものは直径 10cm弱で、前後のものよりも太かったです。サターンは、H2Aのほぼ2倍の大きさだということです。また、惑星や月での重さを体験するコーナーもありました(木星は地球の2.37倍。重さは各天体での重力に比例)。

 *帰りには、時間があったので、用瀬駅周辺をちょっと散策してみました。用瀬は智頭街道の宿場町で、因州和紙や佐治石(緑泥石や緑簾石などの緑色の鉱物を含む緑色片岩のようです)で有名だとか。毎年旧暦の3月3日に行われる流しびな(和紙製の雛を桟瓦に乗せて流すとか)で雛を流すという小川沿いに歩いて行くと、無名庵というその日オープンの、大きな町屋のような建物を改装したカフェがあったり。用瀬駅は大正8年の開業当時の古い駅者ですが、きれいに整備されているようで、当時のままの出札窓口があったり、開業当時の駅や周辺などの写真、さらに昭和15年ころの「出征兵士送りの様子」の写真もありました。
 
 25日は、午前に青谷かみじち史跡公園に行った後、海岸までは 1kmくらいだろうということで、歩いて行ってみることにしました。できれば井手ヶ浜という鳴り砂で知られた浜に出られればと、少し迷いながら 20分ほど歩いて海岸に着きました。でもその辺は岩場がいようで砂浜は見えないとのこと、近くにサーフィンをしている方がおられて、その方に砂浜への行き方を教えてもらってようやく井手ヶ浜に到着しました。早速裸足になって砂浜を歩いてみます。「グググ」と足が砂の中にめり込んでいくような感じで、音が出そうな気はしますが聞こえてはきません。砂に触ってみると、そんなに細かな砂ではなくて粒のそろった砂のようです。説明では、石英質の粒のそろったきれいな砂で、ごみや泥などが少しでも混じっていると鳴らないようです。岸まで行って足を海水につけ、ちょっと海水をなめたり…、波を感じ海音を聴いてゆっくりしました。
 26日は、朝8時過ぎ鳥取駅からバスに乗り、30分弱で白兎神社前に到着。(鳥取駅を出て間もなく、バスは湖山池という大きな池の周辺を走っているようでした。湖山池は、面積 7平方キロメートルくらいもある日本最大の池だとか。以前は日本海の湾だったそうですが、湖山砂丘が発達することによりできた潟湖だとのことで、青谷上寺地遺跡周辺も弥生のころには潟湖だったことが思い合わされます。)バスを降りた所は道の駅はくとで、そこから早速白兎神社へ。参道には多くのうさぎの像たちが並んでいます。立ったり座ったり、耳を立てたり寝かしたり、中には後脚を大きく跳ね上げて波をぴょんと飛び越えるような姿など、いろいろなポーズの兎がいました。また境内では「因幡の白兎」のお話が何度も繰り返し流されていましたし、毛皮を剥かれて苦しんでいた兎がガマの穂に包まって痛みを和らげたという言い伝えにちなんででしょう、ガマも植えられていました。(因幡の白兎のお話は、例えばいなばのしろうさぎなどで聴くことができます。)
 その後、すぐ近くの白兎海岸へ。眺望が開け、気多岬からゆるやかに弧状に海岸線が伸び白い砂が広がりきれいなようです。海にはいくつか岩場も見えるとか(この岩礁が神話ではワニザメになぞらえられ、隠岐島に流されたうさぎが因幡国の気多岬まできたことになっているようだ)。浜辺には親子連れなども訪れのんびりと遊んでいました。私も早速裸足になり、ちょっとこわがりながら、砂浜を海に向って歩いて行って、寄せては帰える波を膝下くらいまでしばらく感じていました。砂浜は井手ヶ浜よりもだいぶ広く、浸食されてきれいになった貝殻たちを拾ったり、のんびり過ごしました。
 
 鳥取駅周辺にも、触って面白い像がありました。因幡の白兎の砂の像と麒麟獅子舞の石像です。
因幡の白兎の砂像:右端の砂板に、「因幡の白兎」というタイトルと大国主命?が掘りこまれていて、その左に波間からまっすぐ上に15cmほど頭を出したサメが30cmほどの間隔で3匹並んでいます(サメは少し口を開け、上顎には歯が並んでいた)。そして一番左端には、30cmくらいの兎が、まるで皮を剥かれて赤裸にされた痛みにこらえるかのように、右手を右目に当て左手で膝辺を押えています。砂像は、手触りはざらざらしていますが、けっこうしっかりしていて軽く触ったくらいでは崩れるようなことはまったくありません。たぶん水でしっかり湿らせながら固めてつくっていったのでしょう(小さいころした砂遊びを思い出す)。実は、砂の美術館にも行ってみたいと思っていましたが、フランスの建物や景観の展示が行われていてとくに土曜・日曜はとても込んでいるということで行くのを取りやめました。それでも、規模はまったく違いますが砂像をちょっと体感できました。
麒麟獅子舞の石像:獅子舞と言えば私は獅子頭を着けて1人でするものだと思っていましたが、意外にもこの獅子舞は2人が組になって一緒にするものでした!高さ1.5mくらい、横幅2.5m近くもある大きなもの(たぶん等身大)。前の人は獅子頭を着け布のようなのをまとっています(足先は外に出ている)。獅子頭のには耳とともに角もあり(この角が麒麟の特徴だと思う)、目は閉じぎみ、鼻の孔は上向き、口は半開きですが、口は顎の関節近くまで入り込んでいて、ぱかぱか開け閉めができるようになっていると思います。後ろの人は腰を屈めたような姿勢で、顔だけを外に出し、その顔の前に前の人に向かって斜め下に伸びた棒があります(この棒で前の人に合図のようなのを出して一緒に動くのでしょうか?)。麒麟獅子舞は、現在でも鳥取県東部から兵庫県北西部の一部で春秋の神社の例祭などで行われているそうです。
 
(2024年11月23日)