12月2日午前、民博で開催されていた特別展「舟と人類―アジア・オセアニアの海の暮らし」をMMPの方々の案内で見学しました。いろいろな船とともに、船に関連した暮らしや文化も紹介されていて、けっこう面白かったです。
ヒトと船との最初期の関わりでは、5万年くらい前のホモ・サピエンスのサフルランド(現在のオーストラリア、ニューギニア、タスマニアなどを合わせた大陸)への渡海がよく知られていますが、インドネシア東部のフローレス島(アジア大陸と一度もつながったことはない)で見つかったフローレス原人も海を渡ったヒトと言えます。ただ、近くの島までなら、ヒトに限らずゾウやネズミなどの哺乳類も少しは泳ぐし漂着してその島で進化することもあり、フローレス原人も木ないし筏のようなもので漂着したのかも知れません。(ジャワ原人のジャワ島は、大陸と何回かつながっていたことがあるので、ジャワ原人は陸続きの時に移動したのだろう)。
以下、順に紹介します。(一部の舟・船の形については、上から見た図と横から見た図の立体コピー図が用意されていて参考になりました。)
第1章は「古代から受け継がれてきた舟たち」。ホモ・サピエンスが海・川・湖といった水上を移動するのに用いた初期の船として、4種が紹介されています。
筏:木や竹を組合せたもので、もっとも手軽だと思います。展示されていたのは、オーストラリア クイーンズランド州のもので、幅1mくらい、長さ4mくらいで、木の幹や板あるいは竹を束ね組み合わせたようなものだとのこと。私も小学4、5年のころ近所の子供たちと木をロープや針金でつなぎ合わせて筏にし近くの川下りをしたことがあります。筏は手軽でもっとも原始的な水上移動手段と言えるでしょう。5万年前のホモ・サピエンスのサフルランドへの移動にはたして筏のようなのが使われたのでしょうか?
あし(葦)舟:葦など水に浮く草を束ねてつくった舟。展示されていたのは、ボリビアのチチカカ湖(ペルーとボリビア両国にまたがる大きな湖で、4000m近いアンデス山中の高地にある)で使われていた舟。トトラというカヤツリグサ科の植物を束ねてつくったもので、「バルサ」と呼ばれるそうです。長さ4m弱、幅80cmほどで、両端をぎゅっと束ねて上に反り返った形になっていました。このバルサで、湖上を移動し漁労もしていました。さらに、チチカカ湖に暮らす人たちは、このトトラを乾燥させて幾重にも積み重ねて大きな浮き島(ウロス島と言う)をつくり、住居をはじめ生活に必要な多くのものをトトラでつくって暮らしていたそうです。
インドの丸木舟:展示されていたのは、西ベンガル州で使われていたもので、ヤシ科の植物をまるごと刳りぬいた「ドルガ」と呼ばれる丸木舟。長さ4mくらい、幅80cmくらいで、全体の形状はラーメンのレンゲスプーンのようなかたちで、人は太いほうに立つそうです。この舟で、水田の水路に網や筌(うけ)を設置したり、苗を運んだりなどするそうです。
牛皮舟:展示されていたのは、中国 チベット自治区の水牛の皮を使ってつくられたもの。長さ3.5mですが、上から見た図は等脚台形(長辺が1.9m、短辺が1.2m)で、船とは思えないような形です。骨組みは丸太でつくり、それに水牛の皮を張っているそうです。川や湖を渡る時に使用し、使わない時は畳んで持ち運びもできたとか。何の動物の皮を張るかは地域によっていろいろで、ウシ、ウマ、ヒツジ、ヤギ、ヤク、ラクダ、トナカイ、クジラ、アザラシなどが使われたそうです。
第2章は「日本における古代の舟」。弥生時代から古墳時代ころにかけて日本でつくられていた準構造船が紹介されています。準構造船は、丸木舟を基本とし発展させたものです。大きな丸木舟の両側に舷側用の板を継ぎ足し、またその前後に大きな竪板をはさんで船首と船尾部分を継ぎ足すような構造になっています。展示されていたのは、船形埴環と準構造船の一部と思われる出土品です。私は鳥取の青谷かみじち遺跡で、長さ7~8mくらいはある復元した準構造船に触ったことがあります(
青谷かみじち史跡公園見学)。
第3章は「北方圏の舟」。樹皮製や皮製の舟が紹介されていました。
アイヌの樹皮舟:北海道アイヌが主に使っていたのは、川や湖で使う丸木舟と、海上で使うイタオマチプと呼ばれる、丸木舟を船底にしその上に板材を縄で綴じ付けて舷側としたものです(上の準構造船とちょっと似ているのかも)。展示されているのは、ヤラチプと呼ばれる樹皮舟で、大きな木が手に入らない時に、カバなどの木の皮を使ってつくられたもので、森や山の中を移動する時には簡単に作れ持ち運びにも便利だったと思います。
カナダ ケベック州の樹皮製カヌー:アメリカ大陸では、樹皮舟は北米から南米まで広く使われていたそうです。展示されているのは、シラカバの皮の舟で、長さ4.5m、幅85cm(両端がすうっととがっている)。主に櫂で漕いで進むとのこと。
グリーンランドのアザラシ皮製のカヤック:カヤックは、北米やグリーンランドなど極北の地域で使われていた小さな舟で、流木などを組合わせて枠にし、それにアザラシなど動物の皮を包むように張ってつくっているとのこと。開口部は上面の人が入る所だけで、そこに座って木の櫂で漕ぎ進み、アザラシやセイウチなどの海獣漁をしたり、近くの島に移動したりしたそうです(多くは1人用)。展示されていたのはアザラシの皮製で、長さ5m余、幅50cm余で細長く、両端は鋭くとがった形でした。
第4章は「南洋圏の舟」。もっとも活発にかつ広範囲に舟を用いていたのは南洋の人たち。古くは5万年くらい前のサフルランドへの渡海があり、さらに3000年くらい前にはオーストロネシア語族集団が台湾から東南アジア島嶼部、そして1000年くらい前までにはハワイ、イースター島、ニュージーランドに至るオセアニアのほぼ全域へと渡海し移住しました。こうした渡海に用いられ、また現在も南太平洋からインド洋にかけて使用されているいろいろなアウトリガー式カヌーが展示されていました。
2025年は、本館オセアニア展示場に展示されているシングルアウトリガー式カヌーのチェチェメニ号が、1975年にミクロネシアのサタワル島から1ヶ月半ほどかけて沖縄までの航海に成功してから50周年の年です。チェチェメニ号に関する映像や資料が展示されているとのこと、私はチェチェメニ号の模型に触りました(チェチェメニ号について詳しくは
民博で学ぶ―オセアニアと朝鮮―)。
以下の6艘のアウトリガー式カヌーが展示されていました。
サタワル島のシングルアウトリガー式の帆走カヌー:長さ5.3m、幅0.7m、浮木まで2.4m
西サモアのカツオ釣り用手漕ぎカヌー:長さ4.9m、幅0.3m、浮木まで0.7m
台湾 蘭嶼のタタラ:長さ3.9m、幅0.8m。浮木までの距離の記載はないが、上と同様シングルアウトリガー式カヌーだとのこと。蘭嶼は、台湾の南端から東方60km余にある島で、先住民のヤミ人が暮らしているとのこと。タタラは、トビウオをはじめとする漁労に使われ、船首と船尾がとがって高くなり、そこをはじめ船体には多くの彫刻や装飾が見えているそうです。
マダガスカルのアウトリガー式カヌー:長さ4.7m、幅0.5m、浮木まで0.8m。マダガスカル南西部の海岸部で暮らすヴェズの人たちの舟で、漁労や水上交通に用いるとのこと。
パプアニューギニアのクラカヌー:長さ10.8m、幅0.9m。浮木までの距離は書かれていないが、シングルアウトリガー式で、外洋も航海できる大きなカヌーのようです(船首などに装飾も見えるとか)。ニューギニア島の東に点在するトロブリアンド諸島などの島々(マッシム地域と呼ばれる)を回るクラ交易で用いられます。クラ交易についてはマリノフスキーの研究が有名で、私も大学時代に勉強しました。クラ交易では、時計回りに赤い貝の首飾り(ソウラバ)と反時計回りに白い貝の腕輪(ムワリ)が島々の間を儀礼的に回り、また生活に必需品の交易も行われます。
スリランカのシングル・アウトリガー式カヌー:長さ6.5m、幅0.2m、浮木まで3m。なんとも細長いカヌーで、アウトリガーがないとすぐにひっくり返りそう。舟の前と後ろが同形で、帆の位置を前から後ろに動かして方向を転換できるとのこと。またココヤシの繊維でできたロープで船の部分を縫い合わせたり、アウトリガーを縛ったりしていて、チェチェメニ号などミクロネシアのカヌーと似ているところがあるそうです。
マレーシア サバ州のサマの「レパ」と呼ばれる家船も展示されているとのこと。実物は8m以上ある大きなものですが、一部朽ちてしまったのでしょうか、その半分くらいの部分が展示されているそうです。海洋民サマ(他の民族からはバジャウと呼ばれる)の人たちの中には、1950年代頃まで海に浮かぶ家船を一生の住まいとしている人たちがいました(サンゴ礁に高床式の住居を設けて暮らす人たちもいた)。この家船には、草で編んだ屋根がかかり、調理用具から衣服、生活用品一式がそろっているそうです。(参考として、MMPの方が製作したという、インドネシア・マドゥーラ島の家舟の模型に触りました。長さ20cm余の舟の中に、10cm余の細長い三角屋根の家がすっぽりおさまっていました。)
*「家船」は「えぶね」と読むとのこと。調べてみると、日本でも昭和前半期まで、長崎県の海岸部から五島列島にかけて、また瀬戸内海の一部でも、生涯家船に住み漁労で生活していた人たち(海上漂泊漁民)がいたそうです。
第5章は「日本の舟とその世界」。ここでは、日本で使われていた4種の舟が展示されていました。島根県の中海で主にアカガイを採るときに使われていたそりこ舟(名前は、舳先に波よけのツラ板が立っていて反っているように見えることに由来)、沖縄のサバニと呼ばれる小型船(本体は細長くて、櫂あるいは小さな帆を使って高速で進めるらしい)、沖縄県のタンク舟(米軍のジュラルミン製の燃料用タンクを作りかえたもの)、新潟県佐渡島小木海岸のたらい舟(直径150cmくらいもある大きな木の桶のようなもの)。このたらい舟について調べてみると、1802年の佐渡小木地震で小木海岸付近が隆起して地形が複雑化し、多くの岩礁や小さな入江が入り組む地帯となり、漁場は豊かになったものの、それまでの舟では不便で、小回りが利き安定もよい大きな桶が用いられるようになったそうです。
第6章は「舟を造る・飾る」。ここには、舟をつくるための道具や材料が展示されているようでした。私は手斧に触りました。長さ40cm弱の木の柄に長さ15?cm余ほどの石斧が直角に縄のようなもので縛りつけられています。この手斧を使って、丸太から舟を削り彫るワークショップが何度か行われていたそうです。石斧ばかりでなく貝斧(シャコガイ製)も展示されているそうです。
第7章は「模型にみる舟の多様な世界」。多くの舟の模型が展示されているようですが、どれも触れないので、ここは素通りしました。
第8章は「漕ぐ・踊る ー 多様な櫂たち」。装飾や彫刻の施されたものもふくめ、多くの櫂が展示されているようでした。またここには「舟や漁具に触ろう―ユニヴァーサル展示コーナー(触れるコーナー)」が設けられていて、いろいろな物に触り確かめることができました。
まず、長さ150cm前後で、少しずつ大きさの異なる櫂3本に触りました。一端から中央部付近までは直径3cm弱の柄になっていて、それから次第に左右に広がって他端は幅10cm余の平たい大きな箆のような形になっており、羽あるいはブレードと呼ばれるこの部分で水を掻きます。壁面にはきれいに装飾された櫂も展示されているとのこと、その中のニュージーランドのマオリの人たちの、テコテコが装飾された櫂の立体コピー図(装飾部分は櫂の羽の根元部)に触りました。口を長くべろうっと突き出していて、これは敵を威嚇するしぐさだそうです。また目などには貝がはめ込まれているようです(民博の常設のオセアニアに展示されている、マオリの高床の小さな建物パータカにもテコテコが浮き彫りされていた)。
数cmから10cm余の石斧もたくさんありました。その中には、刃先だけでなく全面がつるつるに磨かれているものも多く、それらは実用というよりも儀礼用に使われていたのかも知れません(私は南山大学人類学博物館で、パプアニューギニアの長さ40cmくらいもある大きな儀礼用の石斧に触ったことがある)。また、10cmくらいの貝斧(シャコガイ製で、ずっしりとした感じ)もありました。
上のグリーランドのカヤックの材料だったアザラシの皮に触りました。20cm四方くらいの大きさで、厚さは3mmくらいはあり、ざらついたとてもしっかりしたものでした。また、タパという樹皮布にも触りました。10cm余四方くらいの大きさで、アザラシの皮よりはだいぶ薄く、細かく走る繊維のようなのを感じました。タパの素材としては、クワ科のカジノキなどの樹皮が用いられ、木槌でたたいて薄く伸ばしたものだそうです。また、タパにはそれぞれ文様が描かれており、その1つを立体コピー図で触りました(あまりよくは分かりませんでしたが、大きな4枚の花びらのようなもの、その回りに5弁の花のようなもの、その他幾何学的な平行に走る斜線やいくつもの円など)。
いろいろな形式のカヌーの模型もありました。片側にだけアウトリガーのあるシングルアウトリガーカヌー、本体の両側にアウトリガーがあるダブルアウトリガーカヌー、アウトリガーのないカヌー、2つの同じ大きさのカヌーが平行に並びその間を横木でつないだダブルカヌーです。
第9章は「漁撈と舟―漁具に見る機能と造形美」。ここでは、魚などの特性に合わせていろいろに工夫された漁具が展示されています。いろいろな釣針や釣具、筌や網などが展示されているようです。釣針では、真珠貝やアワビの殻で餌となる魚に似せて作ったカツオ釣り用の疑似餌針や、ネズミの形をまねたタコ釣り用疑似餌針、釣具では、頭が魚で体は人間の姿の50cmくらいもある彫刻部分が海面にぷかぷか浮いて、それに向かってトビウオが寄ってきたときに針にかかる仕掛けのトビウオ用釣り具などが展示されているとのこと。
ちょっと面白いと思ったのは、ソロモン諸島で行われているココヤシ殻を使ったサメ釣り漁の映像が流れていて、時々ガラガラという音がします。舟に取り付けられたココヤシの殻がぶつかり合ってガラガラと音を立て、サメには魚が群れている音に聞こえるようで、そこにサメが集まってきて捕獲されているようです。
第10章は「交易と舟 ― 島じまをまわる宝たち」。ここでは、クラ交易で贈り物として交換される貝製品をはじめとする品々が展示されているようです。例えば、バギと呼ばれる首飾り型貝貨は、ウミギクガイを研磨して赤いビーズを削り出してそれを連ねて作ったもので、とてもきれいなようです。また、大小2個の土器が展示されているとのこと、オセアニア地域ではよい粘土があまりないので土器も大切な贈り物になったようです。
舟によって運ばれる大きな樹皮布(タパ)も展示されていました(横85cm、縦47cm、73g)。アジアやオセアニアの島々では広く樹皮布が作られていて、その材料は多くはカジノキですが、カジノキのDNA分析で興味深い事実が明らかになったとのことです。アジア・オセアニアの各地に分布するカジノキは、特定の雌株のクローンで、無性生殖ではなく、人為的な挿木によって広範囲の島々に広がったということです。舟で移動する人々とともに、樹皮布の材料でもあるカジノキが、各島に移植されたと考えられます。
第11章は「あの世とこの世をつなぐ舟」。舟はこの世とあの世、現世と来世をつなぐものとしても考えられることがあり、ここでは、アジアやオセアニア各地に見られる葬送儀礼に関連する舟の模型や、洞窟や古墳の壁画に描かれる舟のモチーフなどが紹介されています(日本でも舟形の木棺や石棺はいくつも見つかっており、例えば近くの東奈良遺跡では、弥生後期ころの方形周溝墓から、丸木舟や田舟を転用したと思われる組み合わせ式の舟形木棺の痕跡が見つかっているとのこと)。
インドネシアの霊船と日本の精霊船(いずれも模型)が展示されています。インドネシアの霊船は、木製で、船首と船尾が竜の形をしており、数人の人と遺体のようなのが見えるとのこと。日本の精霊船は、藁で編んだ船で、帆は白い薄い布で、舟尾にバトミントンの羽のようなものが立ててあるとのこと。
壁には、東南アジアの古代から残る洞窟壁画や日本の古墳の壁画の写真も展示されていて、その一部は立体コピー図で触ることができました。
インドネシア スラウェシ州ムナ島のメタンドゥ洞窟の壁画では、弧状の大きな舟の両端に鳥がとまっています。舟の中には棺(口の狭い壺あるいは袋のようなものが横に倒れている形)があり、そこからジグザグの稲妻が3本上に伸びています。その右側には太陽が描かれ、放射状に光を放っています。稲妻は天と地をつなぐもの、あるいは舟の進路を示すものと考えられているのでしょうか。
福岡県うきは市の珍敷塚(めずらしづか)古墳の壁画は、立体コピー図はありませんでしたが、葬送儀礼を思わせる舟がよく描かれているようです(詳しくは
珍敷塚古墳の壁画)。
大阪府柏原市の高井田横穴墓群ではいくつもの線刻壁画が見つかっており、その中には船が描かれたものもあって、その中の1つが立体コピー図になっていました。船は両端が直角に曲がった箱のような形(ゴンドラ形)で、船の中央には長い棒のようなもの(旗か槍?)を持った人が大きく描かれています。長い上着を腰の上あたりで帯のようなので締め、膝あたりでぎゅっと締めたようなズボンを着けています。この人の前には櫂で漕いでいる人、後ろには楕円形の錨を下に垂らして持っている人が小さく描かれています。これだけでは何のための船なのかよく分かりませんが、回りのいくつかの壁画と合わせて考えると、この船は死者を送るためのものと考えてよさそうだということです。
以上、特別展の内容は文化や信仰まで含め多岐にわたっており、なかなか1回の見学では把握するのは難しかったです。それでも、MMPの方々の説明とともに、立体コピー図も用意していただき、具体的にイメージしながら見学できました。また、さらに深めて調べたり考えたりする手がかりもいくつかあり、もう少し楽しみたいと思っています。
(2025年12月22日)