十和田市現代美術館再訪

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 9月1日から5日まで十和田しに帰省し、9月3日に久しぶりに十和田市現代美術館を訪れました(私は2010年、2013年、2019年に同館を見学している)。
 今回の帰省は、コロナ禍のため4年ぶり、96歳になる母と会うのが主目的でした。母は11年前、85歳の時に全身の感染症のため、生命は助かりましたがあっという間に完全失明し、その後ずうっと妹が面倒をみています。2年近く前から認知症になって、今は過去の記憶はほとんど失い、現在の記憶も1分と持たない感じで、長時間同じようなことを繰返し話していました。ただ、身体は元気で、自力で歩きますし、トイレは手引きで行き、食事も自分で食べます。全体におだやかで、まわりの人たちからは「仏さまみたい」とか言われているそうです。
 十和田市現代美術館は、相変わらずにぎわっていました(若い人たちも多く、中国人の団体もいた)。常設の展示と企画展を、家内と義姉の3人で1時間ほどざっと見学しました。とくに企画展がよかったです。常設の展示については以前の記録(十和田市現代美術館)で書いていますが、一部新しい展示もありましたので、常設もふくめて書いてにます。
 官庁街から美術館に入る入口の所で、巨大な、一面花におおわれた馬のオブジェ「フラワー・ホース」(チェ・ジョンファ、韓国。2008年制作)が迎えてくれました。大きいので触れられるのは、後脚(大きな蹄もあった)や尻尾、お腹の下あたりまでですが、伸び上がるように上げた前脚、そこからさらに上に続く頭部は5m以上の高さになっているようです。表面には、バラやひまわりなど多種の色とりどりの花々がちりばめられています。
 館内では独立した部屋に各作品が展示されています。まず初めに、「スタンディング・ウーマン」(ロン・ミュエク、オーストラリア。2008年制作)。高さ 4mくらいもある大きな老女性像で、とてもリアル、皮膚や血管、さらに顔まで、なにか生きているかとさえ感じさせるほどで、ちょっと気持ちわるそう?。続いて、「水の記憶(塩田千春。2021年制作)は、新しい作品。細長い木の船の回りに赤い糸が張り巡らされ、船をネットのようなものでふわあっと包むようになっているようです。この船は、十和田湖にあったものだとか。船に乗って移動することは生と死の境界にふれているようなもの、また赤い糸の何重にもなった網は、作品解説によれば「時間と記憶を運ぶ船をこの場所に繋ぎとめてい」るとか。時間の流れの中での生と死の境界を示唆している作品なのかも知れません。(十和田湖は、数十万年前からの火山活動でできたカルデラ湖で、何回も大規模な噴火を繰り返し、その度に十和田火山の周辺数十キロが火砕流におおわれた。最近では10世紀に大規模な火砕流を伴う大噴火があったが、歴史資料には残っていないようだ。)。
 錯視を利用したと思われる作品がありました。「ロケーション(5)」(ハンス・オプ・デ・ビーク、ベルギー。2004 / 2008年制作)は、部屋に入ると暗く、夜のような感じだそうです。レストランかカフェを模しているようで、小さなテーブルと椅子が置かれていて、実際に椅子に座ってみました。そうすると、大きな窓ガラスの向こうに、どこまでも続く高速道路の夜景のような像が見えるそうです。実際には高速道路の奥行きは11mしかないのに、だそうです。それは、手前から奥に向かう斜面上に何本も並んでいる街頭のようなものが、一番手前のは高さ4mなのに、どんどん小さくなっていって、一番向こうのは40cmしかないとのこと、つまり遠近法をうまく利用して、不思議な感覚をあたえているからのようです。「光の橋」(アナ・ラウラ・アラエズ、スペイン。2008年制作)は、断面が六角形の光に包まれたガラスのトンネルで、中に入って通り抜けられるようになっています。六角形のトンネルの長さは7mくらいですが、5個ほどの六角形を手前から奥に向かって小さなものから大きなもの(1辺が1mくらいのものから2m弱くらいのもの)まで順に連ねた構造になっていて、どこまでも続き広がっているように見えるとか。これも錯視を用いたものでしょう。
 独特のにおいを感じる作品もありました。「ザンプランド」(栗林隆、2008年制作。ザンプランドはドイツ語で湿地帯の意)は、アザラシが覗き見ている天井裏を別の所から来館者が覗くというしかけになっていて、私もはしごを上って天井裏に胸から上を入れてみました。そうすると、なんと天井裏一面に水が3cmくらいの深さで満されていて、両手をその中に入れてみました。あまりきれいな水ではなさそうで、湿気のあるほこりっぽいようなにおいもします。手の先にはコケのようなものもあるらしいです。「闇というもの」(マリール・ノイデッカー、ドイツ。2008年制作)は、暗い展示室全体に森が再現されています。この部屋に入ると、独特の匂と空気の冷たさで、まるで異空間に入り込んだ感じ。そこに木々が林立する森が再現されていて、ちょっと木の根やその周りの土に触れてみましたが、ジオラマだと言われないと分からないほど本物ぽかったです(湿り気がないところは本物と違っている)。ゆっくりと森の周りを歩いて行くと、子漏れ日のように光が差し込んでいる所もあるとのこと。全体に静寂を感じさせる作品でした。
 空間のひろがりを感じる作品もありました。「オン・クラウズ(エア - ポート- シティ)」(トマス・サラセーノ、アルゼンチン。2008年制作)は、空中に多数の大きなバルーンが積み重なり浮遊しているような作品のようです。はしごがあって、それを数段上ると、回りには多数の直径60〜70cmくらいの風船が積み重なった空間の中に入り込みます。体をちょっとあずけてみるとふわふわした感じ。空や雲の中での浮遊感を表わした作品のように感じましたが、もしこの作品が一種の未来的な建築のようなのをあらわしているとすれば、また別の印象になりそうです。「コーズ・アンド・エフェクト」(スゥ・ドーホー、韓国。2008年制作)は、展示室の高い天井から多数の人型(スタッフの方によれば10万体もあるとか)が連なったものが放射状に釣り下がり、それらが照明の光でシャンデリアのように輝いているようです。色合も、中心が濃い赤、周りにいくにしたがって、オレンジから透明まで変化しているとのこと。それぞれの人型は10センチ余の小さなプラスチックのような感じのもので、それらが互いに肩車をするようにつながっています。私たちはこの無数の人型の中に入り通り過ぎながら、人型とともに回りの人たちも見ることになります。
 新しい作品もありました。「PixCell-Deer#52」(名和晃平。2018年制作)は、大きなシカの剥製の表面全体を、多数の小さな透明の球粒で覆った作品だとのこと。現物を見るのではなく、透明の球粒のレンズを通して見る作品で、例えばシカの毛などが本物とは異なったように見えているようです。「PixCell」という言葉は、Pixel(画素)とCell(細胞、粒、器)を掛け合わせた造語だとのこと。私たちは今は原物そのものよりも、細かい無数のPixelからなる画像を見ているわけで、その見え方にフォーカスした作品なのでしょうか。「建物―ブエノスアイレス」(レアンドロ・エルリッヒ、アルゼンチン。2012/2021年制作)は、作品の中で来館者がいろいろな動きをすると、その変形された映像を別の来館者が見て驚くというような作品です。舞台のような建物の上で来館者が動いたりポーズをしたりすると、鏡を通してそれが垂直方向の像に返還されて、重力とは無関係にふだんでは有りえないようなびっくりするような映像になり、それを見ている回りの人たちも驚きます(実際に義姉が舞台の上でいろいろ動き、周囲の人たちが驚きの声を上げていた)。
 
 続いて、企画展も見学しました。劉建華(リュウ ジェンホァ)の「中空を注ぐ(Fluid voids)」です。劉健華は1962年中国江西省吉安で生まれ、陶磁器で有名な江西省景徳鎮で育ち、磁器工房での職人時代を経て大学で彫刻を学んだとか。現在は上海を拠点に活動し、磁器をはじめいろいろな素材を使って立体作品やインスタレーションを各地で発表しているようです。企画展のタイトル「中空を注ぐ」の意味合いはよくは分かりませんが、現代社会の一面でもある空虚さや無意味さと関連しているようです。
 今回の劉の企画展は磁器中心の作品6点でした。展示会場に入ると、まず「遺棄(Discard)」という作品。展示室の床一面に、靴や靴下、ペットボトルや食器類、テレビやタイヤなど、身の回りの品々が割れた状態でたくさん散らかっているとか(これらの品々は、劉や家族、友人が使用したものから型を取り制作されたものだとのこと)。これはなんだ、と驚くような作品です。企画展のパンフレットによると、劉が育った磁器の産地景徳鎮では、名品だけを流通させるために、焼成された作品の多くがたたき割られて捨てられ、蓄積されていたそうです。これは、プラスティックなど土に還らない素材を使い、処分できないまま放置しておく現代社会のあり様ともつながるものです。
 この散らかって展示されている「遺棄」の中心付近に、「塔器(Porcelain Tower)」が展示されています。白い柱のような塔に棚のようなのがつくられ、その上に磁器のオブジェが並んでいるようです。そのオブジェは、器の口や首など器全体の一部のようで、また逆さになっているものもあるとか。器の一部から、見えていない全体を想像させようとしているのかも。
 別の展示室に入ると、かなり暗い部屋に作品が浮いたような状態で展示されているとのこと。「儚い日常(Regular/FRAGILE)」。白っぽい枕の上に、骸骨(頭部)が正面を向いて乗っています。枕は皺がよっていて、磁器ですが軟かそうな感じがするとか。その上の白っぽい骸骨は、いわば強制的に私たちの目を死に向けさせるようです。上海など華やかな社会と表裏一体の、暗くて脆い死に向かう世界を連想させます。
 また別の展示室には、「白紙(Blank Paper)」と「兆候(Trace)」が展示されています。「白紙」は、かなり大判の白い細長い紙のように見えますが、磁器だとのこと。紙には折れたような皺があり、角がめくれあがっているとのこと。磁器で紙をつくるという発想自体面白いですし、さらにその紙に使われたような痕跡があるというのも面白いですね。「兆候」は、展示室の壁に黒い丸い塊?のようなのが並んでいて、墨汁や雨垂れのような液体が天井から流れ落ちてくるように見えるとか。これは、なんだかよく意味が分かりませんでした。
 展示室をつなぐ通路の壁には、「水中倒影」という作品が展示されています。高層ビルなど建物らしきオブジェがたくさん入り組むように並んでおり、企画展チラシによれば、水に反射したようにも見える歪んだ建物は、元々の形を保てず、今にも溶けて崩れていきそうに見えるとか。1990年代以降、上海など中国の各都市では同じような新しいビルが林立するようになり、伝統的な生活から切り離されて、なんだかよく分からないまま新しい?生活空間に迷い込んでしまったような感覚をあらわした作品なのかも知れません。
 
 今回の十和田市現代美術館見学では、思いもかけず企画展がよかったです。中国、現代社会、そしてその中でのアートのことなど、考えさせられました。
 
(2023年10月2日)