現在、近江八幡で開催されている
「ボーダレス・エリア近江八幡芸術祭『ちかくのたび』」展に20点近く出品しています。また、10月5日にはワークショップも行いました。以下に、私の鑑賞記録と、ワークショップの内容を書きます。
この展覧会は、参加作家は10数人、会場も、ボーダレス・アートミュージアム NO-MA、および近隣の空き町屋など、近江八幡市内の6会場で行われる大規模なものです。会期は、2019年9月21日から11月24日まで、約2ヶ月間です。
「ちかくのたび」という展覧会のタイトルには、「近く」と「知覚」が含意されているようで、近江八幡の旧市街地を巡りながら、人間の多様な知覚を通して様々なアートにふれ、多様な価値観にも気付いてほしいということのようです。
私の作品は、奥村家住宅という、昭和の初めころに建てられた町家に展示されています。
まず、入ってすぐの畳の部屋に、以下の15点が、各作品ごとに設けられた台の上に展示されています。展示台の高さは触って鑑賞するのにちょうどよさそうでしたが、隣りの台との幅が狭くて、1つの作品を触っている時に隣りの作品に手が当たってしまいそう。不安定な作品もありますし、見えない方が触る時は、それぞれの作品を直接手に取って触ってもらったほうが安心して触ってもらえそうです。
ドラム缶U 破裂しそう
ドラム缶V:爆発!
飛び立つ
なつかしのバック宙
落ちる
鳥のように
なかよし
囚われの身
迎える
手ひらく
花バースト
花はどこから
祈る
考える手
観る手(これは、床の間のようになっているスペースに、1点だけライトアップされて展示されていました。)
また、この部屋からスロープを少し降りて右側の部屋に入ると、縦・横・高さとも40cmほどの四角い箱の中に、以下の3点がそれぞれ入っています。箱の側面には径が10cm余の穴が開いていて、そこから手を入れて触察できるようになっています。箱の反対側の面は大きく開いていて、そちらからは自由に見たり触ったりもできるようになっています。この展示方法は、多感覚的でなかなかいいように思いました。
太ったキリン
つかむ
飛行機
(以上の私の作品の写真はすべて、
木彫作品紹介で見られます。)
奥村家住宅には、私の作品とともに、佐々木卓也さんと米田文さんの作品も展示されています。いずれも陶の作品で自由に触ることができます。
佐々木さんの作品は、奥の部屋に、20点近くはあったでしょうか、所狭しと展示されています。多くは女性の像で、胡坐をかくように両膝を広げるような姿勢で、左肘を内側に曲げて右に伸ばした左手先で右肘の内側を触れているポーズが多かったです(右肘の内側に顔を寄せているようなのもあった)。表情はいろいろなようですが、私には触ってもよく分かりませんでした。別のコーナーには、『百歳の老人100人』というタイトルの作品群があり、台の上に本当に100人の様々な人の顔・姿が並んでいました(この作品は、写真家小野庄一の『百歳王』にインスピレーションを得て制作されたものだそうです)。また、猿?の顔がたくさんある作品もありました。
米田さんの作品は奥村家の庭に10数点展示されています。庭に降りて触ってみました。いずれも、作品の表面いっぱいに小さな浮き出しの渦巻が無数と言えるほど施されています。渦巻は、径が1cm前後から2cmにも満たない小さなものですが、どれもがとてもきれいです。作品は、大きな器のようなもの、小さなカップのようなのがたくさんくっついて、大きな器のようなものや動物のようにも思えるものなどいろいろありますが、そのどれにも表面は渦巻で覆われています。なかなか触りごたえのある作品でした。
さらに、奥村家住宅の蔵に向かう土間のような所に、平野智之さんの「美保さんシリーズ」が並んでいました。これは、点字でも書かれた文章と、それに対応したレリーフが、物語風に全部で15点くらい並んでいるものです。最初のあたりには新幹線の車両があり、美保さんは電車の博物館に行って入ろうとし(改札ロボットがあった)、なんか考え事をしていて(この考え事をしているレリーフはよく分かった)、弁当を買って食べているのですが、そのころには透明人間になっていて(身体がなくて、スカートだけとか、持っている箸と弁当?だけのレリーフがあった)、最後には元の美保さんに戻っていました。けっこう面白い作品でした。
奥村家住宅のすぐ近くの岡田家住宅の敷地に、久保寛子さんの「やさしい手」という大きな作品が展示されていました。空から大きな手(右手)が地上に向って差し伸べられているような感じです。大きいため、指から下くらいしか触れませんが、高さ4mほどあるとか。幅は1mくらいで、ふわあっと少し曲がった状態で人差指から小指までが並び、人差指と向かい合わせで親指が少し開いてあります。中指の先が地面の上5cmくらいまで伸び、その間に直径5cmくらいの金属性の円柱が入って、固定されているようです。作品の表面全体はブルーシートに覆われていて、手触りはよいです(中には堅い骨組みがあります)。なにか、天から地上に助けがやってくるというような感じがしました。
NO-MAでは、波の音と変わりゆく風景など、映像と音を組み合せた作品などが展示されていました。また、まちや倶楽部では、ダイナミックな映像を壁面に映したり、アニメのようにも見えるとかいう絵なども展示されていました。
NO-MAから5分ほど歩いて、かわらミュージアムと隣接して寺本邸があり、そこには、谷澤紗和子さん(陶や切り紙の作家)と藤野可織さん(芥川賞作家)のコラボ作品が2点展示されていて、これは私にはとても好ましく感じました。(かわらミュージアムにも立ち寄ってみましたが、かわら用の粘土を使ったいろいろな作品に触れることができ、また体験工房もあって制作もできます。)
『無名』という作品は、谷澤さんの多数の陶人形?に藤野さんの文が添えられているようです(私は文のほうはほとんど覚えていません)。この陶の人形?がなんとも変っていました。真ん中がふくらんだ人の身体が2つに裂けていて、中は空洞になっています。そして、もしかして、この空洞から出てきたかもと思われるような小さな胎児らしきものもあります。また、人形の顔の、口や目などが深い穴で表わされているのですが、その穴は2枚貝の貝殻を入れて作っているとのこと、そう言われてみると、内側に深く落ち込んだ内面の形や筋模様を触ってこれは貝だと納得でした。貝を入れる方向も縦や横、斜めなど様々、また開き方も様々で、いろんな表現になっていました。
『信仰』という作品では、藤野さんが書いた物語をヒントにして、谷澤さんが大きな切り紙の作品を制作しています(横4m近く、縦3m近くある巨大な作品で、和紙を使っているそうです)。切り紙には触れられないので、藤野さんの文章を読んでもらって、私も想像をふくらませてみました。切り紙は、大きな神の両手が広がり、その手の回りや神のお腹付近などにさらに何重にも人(神)が描かれているらしく、ちょっと私は曼荼羅風のイメージを浮かべてみました(壺のようなものとか、背景には植物の蔓のようなのも見えるとか)。
寺本邸には、さらに藤岡祐機さんの、紙を髪の毛ほどにも細く切った作品がありました。はさみで、平行に糸か髪の毛ほどに細く切るのはたいへん難しい作業のように思いますが、それが延々と繰り返された作品で、遠くから見ると布のようにも見え、さらにその紙を重ねたものは、ふんわりとした綿?のようにも見えるとか。制作風景の映像も流れていて、はさみでかなり早いスピードで切っている音も聞こえていました。
◆ワークショップ「手でみるカタチの世界」
10月5日、まちや倶楽部で、「ちかくのたび」アーティストと一緒に創作体験の1つとして、「手でみるカタチの世界」をしました。案内には以下のように書かれています。
「全盲の作家である小原二三夫さんは、これまでに多くの彫刻を制作してこられました。小原さんから、視覚に頼らない世界を捉え、形づくる経験についてお話しいただき、公開制作をしていただいたあと、一緒に創作体験をします。」
午後1時から2時半までと、午後3時から4時半までの2回行いました。定員は各回10名でしたが、1回目は17名、2回目は12名の参加でした。
初めの30分は、私が木彫を始めるようになったきっかけと自己紹介、次の30分は、私がどのようにして木彫をしているのか、実例・実演をふくめて説明する、そして最後の30分で、参加者の皆さんに紙粘土を使ってそれぞれにカタチを作ってもらうというスケジュールで行いました。
●木彫を始めるようになったきっかけと自己紹介
木彫を本格的に始めたのは、2014年初めから。きっかけは、神奈川県藤沢市在住の彫刻家・緕R賀行先生との出会いです。緕R先生は、愛知県常滑市出身、父君は陶彫家、瀬戸窯業高校を卒業と同時に、木彫家の澤田政廣氏に弟子入りし、10年ほど内弟子として修行された方です。
先生はもう25年以上も前から「手で触れて見る彫刻展」など、見える・見えないに関わらず、だれでもすべての作品を鑑賞できる展覧会を続けておられます。私は、2012年末の「点字毎日」紙上で初めて先生がこのような展覧会をされていることを知り、さっそく藤沢市で開催されている「緕R賀行と土曜会 手で触れて見る彫刻展」に行きました。その時は先生は不在でしたが、先生の作品数点と土曜会の方々の多彩な作品を鑑賞できました。
翌年末にも藤沢の土曜会展に出かけ、初めて先生にお会いすることができました。その時、持参していた小さなペンギンの木彫を先生に見ていただいたところ、「たいしたもんじゃないか」と褒めていただき、さらに「材料の木はいくらでもある、送るからやってみないか、そして来年のこの彫刻展に出してみれば」とお声をかけていただきました。
ペンギンの写真はこちら
この小さなペンギン、もう15年ほど前、バードカービング展で松の丸太を荒く彫り出したようなペンギンを触って、これならば私にも彫れるのではないかと思い、触った印象だけから彫ってみたものです。当時、私は一度もペンギンに触ったことはないし、ペンギンのイメージもあまりないまま彫ったのですが、皆さんに見てもらうと意外にも好評で、しばしば鞄の中に入れて持ち歩いていました。
私は、1951年生まれ。小さいころからほとんど見えませんでした。はっきり記憶があるのは光の明暗くらいで、色の区別や物の形などについて視覚的な記憶はありません(目の前に大きな物があると、なにか陰のようなのを感じたりはした)。
6歳で盲学校に入るまでの田舎の生活の印象はとても明るいもので、近所の子どもたちとただ遊んで過ごしていました。しばしば見えないということで残酷なことがあったり、一人ぼっちになることもあったが、よく遊んでいました。とくに、崖を這い上がったり下りたり、小さな木に上ったりなど、上下の運動をなどをしたことは、空間感覚を養うのに少し役立ったかもしれません。また、大工さんの仕事場に入り込んで、いろいろな工具に触ったりなどもしました。
盲学校に入ってからの印象は、とても暗いものです。半分野生児のような私は、まったく適応できず、とにかくおとなしくただ1人で過ごすことも多く、たまには問題行動も起こしていました。それでも、中学生になって、少しは良いこともありました。それは、美術と理科系の授業です。
中学のとき、1年間だけ非常勤の高齢の先生が担当した美術(教科名は技術家庭だったような気がします)の授業で、初めて美のようなものにふれたように思います。その先生は見えない人たちに接するのはたぶん初めてで、先生の授業の特徴は、美術以外の事も含め、授業時間中に生徒が何をしてもよいということで、試行錯誤の何でもありのその授業に私はどんどん吸い寄せられていきました。先生の作った女の横顔の石膏像を触って、きれいにカールした髪の毛一本一本など、そのリアルな表現に感動したり、先生の描いた油絵を触って丁寧に説明してもらったりしました(こちらのほうは、あまりよくは理解できなかった)。また、初めは石鹸で、次には木でちょっと彫刻らしきことをしたり、粘土を校外に取りに行って(実際はほとんど泥でしたが)、板で骨組みをつくり、それに粘土を塗りつけて、表面をエナメルで仕上げて、なんとか人の像を作ったりしました。
さらに、絵を描いてみようということになって、まず、紙に絵の具を適当に垂らして紙を二つ折りにして開いて、それが何に見えるか先生に言ってもらったりしました。それでは物足りなくなって、先生に点で輪郭線を描いてもらって、その点線に沿って先生に言われた色を塗ったりして絵を描いてみました。その絵は、手前に田んぼや道が広がり、その向こうに少し雪を頂いた山が見え、山の上には雲が浮かんでいるような絵でした。この絵を触って、私は、ほぼ水平に広がっている田んぼの上に、垂直方向にあるはずの山をこれまた同じ水平な面に続けて描くのに驚きました(私だったら、山の手前で紙を上向きに折るのに、と思った)。また、この時に遠近法の話も聞いて驚きました。
数学では、物の位置を座標を使って表すことを学んでよかったです。とくに、3次元の空間を、3つの数字の組み合せで表現できることを覚え、3つの数字の組み合せで具体的にどの位置なのかをいろいろ想像する練習をしました。また、放物線などグラフを表す式に数字を入れて、どんな曲線になるのか想像したりもしました。理科では、授業ではほとんどしませんでしたが、凸レンズや凹レンズでどのように物が見えるのか、いろいろ光の線を引いて考えてみました(なんとか理解できたように思っても、むなしい作業でした)。こうして、光によって物がどのように見えるのか、見えるとはどういうことなのかなどについて、いろいろ考えるようにもなりました。
また、中学3年の終りころ、理科の先生が『数式を使わない物理学入門――アインシュタイン以後の自然探求』(猪木正文著、光文社、1963年)という本を、授業時間に読んでくれました。この本で、原子や宇宙、量子論や相対論にとても興味を持つようになりました。これらの世界はいずれにしても直接には目には見えない世界で、私も頭の中で自由にイメージし想像し、なにかそこには美しさのようなのがあるように感じました。その後、原子や宇宙の世界ばかりでなく、結晶や植物など自然の中にこそ美があるのではと思うようにもなりました。。
●どのようにして木彫をしているのか。
まず初めに、アンモナイトのレリーフを彫る場合について説明します。
@正方形の板に、点字用紙を切って、上面にアンモナイトの外の輪郭線を張り、また側面にレリーフの底面の高さに合わせて紙を張る。
@の写真
Aアンモナイトの外形に沿って、レリーフの底面まで彫り取る。
Aの写真
Bアンモナイトの外形の内側に、螺旋状に線を彫る。
Bの写真
Cアンモナイトの螺旋状の面に横筋をたくさん入れる。
Cの写真
アンモナイトの化石のレプリカだけでは面白くないので、生きているアンモナイトにはあったはずの目や口、脚を想像して作ってみたのが、
生きているアンモナイト。(アンモナイトの化石の部分は、上のレリーフの方法で作り、目や口や脚は、まったく想像で作っている。)
実際に作っている作品ではレリーフは少なくて、ほとんどは立体です。緕R先生に木彫の材料をお願いする時には、すでに作品の完成像がだいたい頭の中にあり(もちろん初めはぼんやりしたイメージで、それを時間をかけてより明確なはっきりした像にしてゆきます)、それにちょうど合った大きさの直方体とか円柱を、縦・横・高さ、あるいは直径と高さの数字を言ってお願いします。
材料が届くと、その頭の中の形を目指してただ彫っていくというのが基本です。実際のやり方はいろいろですが、一番大切にしているのが全体のバランスです。ですから、送られてきた材料のどのあたりに、イメージしている形のどの部分が対応するのか、指や物差しを使って全体と部分の割合を測ったりしながら彫刻刀を入れていきます。そして自分の頭の中のイメージにどうやって近付けていくか、その都度触って確認しながら考え、それからまた彫るということを繰り返します。
具体例として、「じじょっこぼり」と「風:なびく・ゆらぐ」を見てもらいました。
「じじょっこぼり」(十和田の方言で、肩車のこと)は、下の子どもと上の子どもの身体全体の比率や頭部の比率を考え、高さ30cm、幅10cm、厚さ8.5cmの角柱の材料をお願いしました。材料が届くと、とくに上の子どもの足の位置をどの辺にするか慎重に考えて手がかりの線を入れました(上の子どもの足先はやや下を向いているので、それも考慮して、最初考えていたおおまかな全体像よりもわずかに下のラインに線を入れた)。
写真はこちら
「風:なびく・ゆらぐ」は、風で少し螺旋状になった曲面がなびいたりゆらいだりする様子を表現できないかと思って考えたものです。1つの円柱に螺旋状に深い切り込みを入れて、2つの部分に切り離してセット作品にしてみようと思い、どのくらいの直径だったら手持ちの彫刻刀でなんとか切り離すことができるだろうかを考え、直径9cm、高さ26cmの円柱をお願いしました。たいへん苦労しましたが、ほぼ最初の考え通り2つに切り離して作品にすることができました。
写真はこちら
続いて、公開のミニ実演です。と言っても、短い時間ですし、作品を作る時の手がかりとなる線を入れてみるくらいです。
参加者の皆さんに、なにか、身の回りの小物など作ってほしいものはないかたずね、またNO-MAのスタッフの方にも人形やフィギュアなど用意してもらって、その中からモデルを選んで、それに合いそうな適当な大きさの材料の木片を選び、それに実際に彫刻刀で最初の手がかりとなる輪郭線を彫ってみました。1回目は、NO-MAの方が用意していた恐竜のフィギュアの中のプテラノドン(翼竜で、前脚の上腕から前腕、3つに分かれたかぎづめ、そして、羽ではなく、後脚から胴・前脚にかけて広がる皮膜が特徴)、2回目は、参加者のKさん(東近江市にある西堀榮三郎記念探検の殿堂のスタッフ)が持って来た3Dプリンタで製作した建物模型をモデルにしてやってみました。皆さん彫刻刀を使っている指先をじいっと見ているようで、とても静かでした。短い時間で深くも考えずにしたのでうまく行ったとはいえませんが、それなりの手がかりの線にはなったようです。(これらは持ち帰って、それぞれ完成させるつもりです。)
●紙粘土を使った創作体験
この創作体験のポイントは、なによりも、うまく作らないこと、うまく作ろうとしないことです。(もともとうまく作れる人もいますし、美術の基礎教育を受けてうまく作ってしまう人もいますが、そういう人たちもできるだけうまく作ろうとしてほしくないということです。)
実物や模型、見えている形をそのまま忠実にかたちにするのでなく、形はおおまかでいいので、それぞれ特徴や強調して表現したいところをいくつか選んで、作品にする。そうすれば、その人なりの、ちょっと変わった作品になる、ということです。(これは、私のやり方でもある。)また、どうしても創作は苦手という方には、和菓子の大きな木型を3点用意しました。これに粘土を押し当てれば、簡単に形が作れます(型の凹の形を触って、できあがりの凸の形をできるだけイメージしてほしいという意図はあった)。
わずか30分の短い時間でしたが、皆さんいろいろな作品を作っていました。会場にいた盲導犬をモデルにしてそっくりの姿を作った方、自分の手を見ながら自分の手を作った方、恐竜のフィギュアを参考に作った方、分厚くてとてもきれいなバウムクウヘンを作った方、河童のようなのを作った方、粘土紐で籠を作りその中に猫を2匹入れている方、ただひたすら粘土を握って紐にしてテーブルの上に限りなくうねうねを作り続けている方など、皆さんそれぞれに熱心に楽しんでいる様子でした。私よりはずっとうまいなあと思う作品もかなりありました。ただ、あまり考えている時間がなかったためでしょう、私の当初の意図はかならずしも十分に反映していたとは言えなさそうです。
*今回のワークショップの模様について、参加してくださった探検の殿堂のKさんがとても詳しいい記事を書いてくださっています。
探検の殿堂3Dプリントモデルと小原二三夫さん また、探検の殿堂の模型のその後についても書いてくださっています。
木彫・探検の殿堂
最後に、皆さんのアンケートからいくつか感想を紹介します。
・実際に創作の様子が拝見できて、とてもよく作品を理解できました。
・久しぶりの紙粘土細工。とても楽しかったです。自分でも家で紙粘土を買ってきて作ってみようと思います。
・小原さんの木工のお話は興味深く粘土による創作では童心に返り、あっという間の時間でした。
・小原さんのワークショップとても楽しかったです。展示作品もあたたかく、骨太でチャーミングでファンになりました。ありがとうございました。
・田と山の風景について話されていて、今までそんなこと考えたことがなかったので... (これにたいして、「折らないのに山に見えるのはなぜか?小学生の頃同じことを思ったことがあります。折った方が山らしくなると思ったのです。」という感想もありました。)
今回のワークショップ、皆さん大いに楽しんでいただけたようですし、また私にとってもとても参考になりました。ありがとうございました。
[追記1]沖島でのワークショップに参加
10月26日午後、今回の展覧会の関連イベントの1つ「ちかくのたびin沖島 『ちょっと琵琶湖の島まで』」に参加しました。1時半ころ近江八幡駅に集合(そこで探検の殿堂のKさんとお会いして探検の殿堂の建物の模型を渡す)、参加者10人ほどとNO-MAのスタッフやボランティア数名とともにマイクロバスに乗車、20分ほどで港(堀切新港)へ着きました。そこで、このイベントの講師でありこの展覧会の出展者でもある久保寛子さんと合流し、沖島への定期船に乗ります。船には私たちのほかに、荷物を多くかかえた高齢者も多いようです。船のエンジン音や、かすかに聞こえる水音を聞きながら、10分余で沖島に到着です。
沖島は琵琶湖最大の島で、周囲7キロ弱、面積1.5平方キロメートル余、淡水湖の島では日本で唯一の有人島だそうです(淡水湖の有人島は世界でも珍しく、4島だとか)。人口は現在240人ほど、2000年には483人だったので、20年弱で半減、高齢者(と言っても、皆さん元気そうな様子だとか)が多く、島の未来があやぶまれますが、離島振興法の対策実施地域に加えられ、定住促進事業も行われ、若い女性の移住者もいるという記事もあります。島内にはまだ幼稚園や小学校もあり、小学校の生徒数は島外からの通学者もふくめて10人余です。島内には車が1台もなく、すべて徒歩か自転車あるいは三輪車。主産業は漁業で、かなり高齢の元気な人が小舟を操っている姿も見えるとか。また民家のすぐ近くには、たぶん自家用だと思いますが畑もよく見え作付けされているようです。なにかむかしの漁村の風景、このような生活は続いてほしいものです。
ワークショップでは、久保寛子さんの指導で各自粘土でアート作品を作ります。まず初めに、作品の飾りになるような材料を探すために、湖岸に出て小さな石や貝など適当に探します。台風や大雨のせいもあったのでしょうか、湖岸には大きな石ばかりがごろごろし、また、かなり擦り減った瓦もたくさんありました。さらにゴミ、とくにプラスチック類のゴミもとても多かったことが気になりました。大きな石やゴミをかきわけて小さな石を数個拾ったくらいで、貝はまったく見つけられませんでした。湖岸から会場にもどる途中で、サルスベリ?の小さな緑色の実を手に入れました。
会場では床にシートを敷いて、その場で各自作業です。久保さんがあらかじめ、粘土作品の骨組みないし枠のようなのを作られていて、それに各自粘土をくっつけて行きます。骨組みないし枠は、高さ幅とも20cm弱くらい、厚さ7〜8cmくらいの発泡スチロールの胴部と、その上の直径10cmくらいの頭部になる輪からできています。この枠全体に粘土をまんべんなく強く押し付けてくっつけます。そして、各自、表面の形や模様、さらに拾ってきた石や瓦や貝や木片などもくっつけて、独自の作品にしてゆきます。
完成したら、各自の作品を並べ、皆さんで鑑賞です。私も久保さんの案内で全員の作品を触りました。本当に個性的というか、どの作品も特徴があり面白かったです。私の作品は、その中ではいちばんシンプルだったような気がします(頭部の輪の後ろに、お椀形の顔のようなのを立て、その顔に緑のサルスベリの実を2つ、目としてくっつけている)。なお、すぐ近くには、学生のグループが作ったという、木製のしっかりしたオブジェがあって、これもなかなかよかったです。
今回の沖島でのワークショップ、沖島のおだやかな雰囲気をたのしみ、沖島にもう1度行ってみたいと思うほど、したしみを持ちました。
[追記2]かわら美術館
11月9日土曜日、近くに住んでおられる高齢の全盲のMさんという女性の方とそのガイドヘルパーさん(たぶん同行援護)、それに私の3人で近江八幡に行きました。「ちかくの旅」展の触って鑑賞できる奥村家の作品を中心に私は説明役で一緒に回り、さらに、かわら美術館を訪れ、一緒に見学し創作体験もしました。天気もよく楽しい1日でした。
NO-MAは11時から開館ですが、11時前には到着したので、まず岡田家住宅の敷地に展示されている久保寛子さんの「やさしい手」に触りました。それから開館と同時にNO-MAに行き、私はそこでこの展覧会の図録を買いました(図録は出展者には2部ずつ送られてきましたが、とてもきれいなようなのでもう1部購入したわけです)。その後奥村家住宅に行って、まず私の作品を1点1点触ってもらいながらその背景などもふくめ説明しました。Mさんはとても想像力ゆたかな方で、触ってすぐに全体像をつかんでいるようでした。後で、各作品の印象が手に残っているようだ、と言っておられました。また当日奥村家住宅に詰めておられたボランティアの方も一緒に私の説明を聴いていて、次の当番の時に役立てますと言っていました。ボランティアの方からは、荒れていた奥村家住宅を15年ほど前からどのようにして整備し、展示もできる町屋として手入れし管理しているのかなどについてもお話しをうかがいました。
その後、奥村家に展示されている他の作品も順に鑑賞しました。平野智之さんのレリーフの「美保さんシリーズ」は、私よりも触ってよく分かっているような印象でした(Mさんは見えていた時はよく絵を描いていたとのこと、人物や全体の構図は触ってすっと頭に浮かんでくるようです)。
12時過ぎに鑑賞を終え、ゆっくり昼食をとり、5分余歩いて、1時半過ぎにかわらミュージアムに到着、まず体験工房に行って、八幡瓦焼きの創作体験をお願いしました。ちょうど前の方が終わったところで、私たち3人はすぐ始めることができました(個人は予約できなくて、ときには順番待ちになることもあるとか)。まず、いろいろな作品例を触りました。型を使ったいろいろな鬼瓦や十二支の動物たち、人の横顔などがあり、また自由に作ったいろいろな箸置きなどもありました。私は鬼瓦、Mさんはねずみ、ガイドヘルパーのHさんは犬にすることにしました。鬼瓦とねずみは型を使いますが、犬は初めから型を使わず自由な制作。鬼瓦は石膏の型に粘土を強く押し付ければいいのですが、ねずみは2つに分かれた石膏の型に粘土を押し付け、それぞれ中を空洞にしてくっつけるというちょっと難しそうな方法のようです。
鬼瓦は、型に強く押し付けたあと、型からはずすのですが、これは指導の先生の方にしてもらいました。これで外形はできます。私は、この外形に、口と目の穴を開け、また、余った粘土を使って、頭に角4本(真ん中の2本は先が3つに、両側の2本は先が2つに別れている)、両耳、口に小さな歯を並べました。(仕上げは先生にしてもらう。)3人とも、ほぼ1時間くらいで終了、これを焼いて 1ヶ月余して届くとのこと、3人で鑑賞会をしようかと言っています。
この体験に使う瓦粘土は、今は八幡ではほとんど瓦粘土はとっていないので、三州瓦の産地(愛知県の西三河)から取り寄せているとか。プロパンガスを使って焼くので、表面に炭素の粒がついて黒くなり、いぶし瓦になるそうです。
その後、本館と道具展示室を見学しました。本館では一部の展示品は触れられて、本瓦(丸瓦と平瓦)、桟瓦、いろいろな鬼瓦や、大きな蓮華文のある瓦などに触れました。また、各瓦の組み合せ方や、瓦屋根の下地にも触りました(下地には、板の上に杉の木の皮のようなのが乗っていた)。また、鬼瓦では、奈良時代までは角がなく(なんかやさしい感じがした)、角が付けられるようになったのは平安時代以降のことだとか。瓦粘土についての説明も読んでもらいました。焼物に使う粘土は粒径が1000分の1mm前後の良質のものですが、瓦粘土は粒径が100分の1mmくらいのものでよいそうです(低質の粘土といったところでしょうか)。さらに、出来上がりがより堅くなるように、砂などより大きな粒も混ぜているそうです。体験で使用した粘土も、ふつうの粘土に比べてかなり硬い感じがしました。
道具展示室では、この辺で以前使われていた瓦生産のためのいろいろなものが展示されています。面白かったのは、きれいな蓮華文のような文様のある大きな軒丸瓦の木の型で、平べったい樽の底にきれいな文様が描かれているようで、触ってとてもきれいでした。ほかにも、瓦に付けるいろいろな模様の木の型、破砕器(たぶん要らなくなった瓦を粉々にしてリサイクルするためのもの)、圧搾機(水平の大きなハンドルを回すとねじのある棒が回って下に下がっていく。木の型などに粘土を押し付けるためのものか?)、瓦などを運ぶ車(2mくらいの長さで、前に2本の棒があり、その間に入って引っ張るようになっている)などありました。どれもざらざらに錆びているなど、年代を感じさせるものでした。今回のかわらミュージアムの見学、とても実感できてよかったです。
(2019年10月16日、11月5日、11月12日更新)