「16年間毎日のように自分で足を揉んでいると・・・」
真三子おばあちゃんには1年前から携帯電話が通じなくなっていました。それまでは3ヶ月毎に施設に面会に行って様子を見ていましたのでちょっと心配ではありましたが、携帯が通じないと足が遠のいて面会に行っていませんでした。先日あっという間に1年が過ぎているのに気づいて、「まだお元氣だろうなあ」と思いながら施設に電話して取り次いでもらいました。しかし、返ってきた答えは「そんな人知りません」という答えでした。「あ!認知症になっている」と思いましたのでその日の午後早速施設に出かけてみました。施設の職員に「認知症が進んでいますか?」と聞くと「いいえ、しっかりされていますよ」とのこと。実際、部屋を訪ねるとテレビで相撲中継をご覧になっていて、名前を呼ぶとすぐに振り向かれて、気づかれました。聞くと「森田さんから電話」ということだったので「そんな人知らない」と答えただけとのことでした。
このおばあちゃんとの出会いはもう16年前の1990年に遡ります。松崎さんという方が足もみの同好会を町内に作られて熱心に足もみ健康法の普及活動をされていました。その会におばあちゃんも参加されていました。主催者の松崎さんは2年前に亡くなりましたが、その当時もう80歳に近いくらいの年齢で、物事に大変前向きで積極的な方でした。足もみ健康法がいいということを何処かで聞き、勉強しようと思って実際に台湾まで行かれましたが、目的の所が見つからず東京に帰ってきたというエピソードの方でした。八丁堀で私たちが足もみ健康センターを始めたころに同好会をつくられて、自宅近くの公民館に集まって14・5人で輪になって自分の足をもんでおられました。私は週に一回お手伝いで指導に伺っていました。それが縁で真三子おばあちゃんとも縁ができました。生来首こりがひどく、頭痛にも悩まされていました。週に一回の集まりには毎週参加し、頭痛がひどい時は八丁堀のセンターにもよく訪ねて来られました。その当時のメンバーは60〜70歳代の方がほとんどでしたが、もう今では80歳過ぎて90歳近くになられています。4・5年前までは私の治療室に足もみに来られてましたが、現在は殆どの方と連絡が取れなくなってしまいました。
 真三子おばあちゃんも3年前から介護施設にお世話になるようになりました。施設では認知症の老人が多く健常者はめったに入所されません。おばあちゃんは施設でお世話になるような状態ではないのですが、首が痛いことをあまりに訴えていたら、息子さんの家の近くにあるこの施設に入所手続きをされて「籠の鳥になってしまった」と言われていました。こんなケースはこれからも増えることでしょう。自由に一人では外出できない規則があり、散歩もままならない様子です。
3ヶ月毎の見舞いに行くとその不満や首こりや入れ歯のことなどがいつも話題になりました。その都度足もみの反射区のポイントや簡単にできるストレッチングや運動を指導して帰ってきました。
そして先日の1年ぶりに伺い、予想に反して(とても良いことですが)大変お元気で驚きました。悩みだった首の痛みをあまり感じないとのことです。半年ほど前から回診して来るドクターが注射をしてくださり、それでとても楽になったとのことです。足は毎日もんでいるとのことです。愛用の桐のさんかくの棒は手の当たる部分が磨り減って変形して三角ではなく五画形のようになっています。次回行ったときは新しいさんかくをお持ちしようと思っています。また毎日廊下を歩いたり、階段を昇り降りしたり、部屋で壁に背を付けてスクワットもしているとのことです。どうりで1年前より顔の色つやもよく体全体に元氣が現れている訳です。ことし88歳になり施設でお祝いをしてもらった時の写真もありました。
外出は、週に2回デイケアーセンターに入所者全員で出かけ、今は色絵を楽しみにされています。以前はこのデイケアーセンターへのお出掛けをとても苦手にされて休み勝ちだったことを思うと、精神的に「籠の鳥」の精神状態から抜け出て良い按配になられたのではないでしょうか。一時は施設で不自由されていることに胸が痛みましたが、現在は今の環境をそれなりに楽しんでいらっしゃる様子が伺えました。16年もの間足もみを自分の1日の行事の一つとして続けいらっしゃることに敬服します。お元氣でどうぞ。
myweb1119004.jpg
「足もみが再び楽しくなってきた」
足健ぷらざひたち  橋本ひろみ
今年で足もみ健康法の指導に従事して10年目に入りました。足もみ健康法と出会った頃は、足をもませてもらうことが発見と驚きと感動の連続で、また喜ばれて、楽しい日々でした。しかしだんだん疲れが溜まってきて、楽しさが消え苦痛になってきました。5年目くらいには足を見ると嫌気がさすこともありました。特に、もんだ後に(私の方が)すごく疲れがでて、次に来る人の足を考えただけででも呼吸が苦しくなってきて、逃げ出したく思うようになってしまいました。
その当時は、その不調について、よく理解できなかったので大変困惑してどうしたら抜け出られるのか、いろいろ悩んだり、良いと思うことをあれこれ試してもがきました。が、なかなか思うように解決策が見つからず7年目くらいがピークとなりました。8年目くらいからやっと自分の調子を取り戻してきて体が楽になってきて、再び足をもまてもらうことに意欲が感じられるようになってきました。
myweb1119003.jpg
myweb1119002.jpg
myweb1119001.jpg
page3
折田 充