ーー(1) ★「マイライフ」 (1993・アメリカ) |
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アメリカ映画というと、特撮を駆使した派手なアクション映画という印象が強いですが、地味ながら、しっとりした雰囲気をもつ映画も、もちろんたくさん作られています。 この「マイライフ」、実は最初、知人に紹介されたとき、正に日本人向きの映画だと思ったものです。 ロサンゼルスのある広告会社につとめて成功し、仕事もお金も恵まれたボブ。結婚もして、もうじき子供も生まれると言う、正に人生の絶頂にある時、突然、癌の疑いがあることを宣告されます。 もちろんショックを受けますが、やがてボブは、生まれてくる子供のために、自分が生きていた証(あかし)を残そうと、ビデオカメラでいろいろなことを記録し始めます。 一方、ボブには故郷デトロイト州を出てきた時に、両親との間にわだかまりをもって出てきているという過去があります。小さい時、友達にサーカスに行くと自慢したのに、父親は忙しいからと約束をすっぽかし、それから父親不信になっていたのです。今ではほとんど連絡もとらず、もう何年も帰郷していません。そんな故郷への悪口も散々ビデオに向かって話すボブでした。 さて、ボブは、いよいよ本格的に余命何ヶ月と宣告されます。ショックを受け、ふらふらと、たまたま紹介してもらった、中国の気功師の診療所を訪れます。その気功師は、体を治療しながらも、実はボブの真の病根は、心の中にあることを告げます。 自らふたをしてきた、故郷へのわだかまりこそが本当の病気だというわけです。 一方、一人で黙々とビデオを撮っていたことが妻にばれます。妻は何で自分に心を開いて相談してくれなかったかとボブをなじります。ボブの両親が、二人の結婚以来、ずっとロスへ来てくれないことへも不満をぶちまけます。そんな時、故郷から弟の結婚式の知らせが届き、二人は何年ぶりに帰郷します。 故郷では、病気であることを隠して、それなりに楽しく過ごすボブたちでしたが、やはり父親とはうまくいきません。父親には「お前は私たちをいつも見下して、そして家を捨てた。」と言われ、またケンカ同然にロスへ帰ってきてしまうのでした。 やがて、ひょっとして会うことができないかとさえ思っていた、待望のボブの赤ちゃんが生まれます。もちろん、ボブは大喜び、一緒にビデオに写ったり、オモチャをいっぱい買ってきたりします。しばらく幸せな日々が続きました。 しかし、何か月かして、脳へも腫瘍が転移し、とうとうボブは倒れてしまいます。入院はせず、プロのホスピス(看護婦+リハビリ+カウンセラー)を頼んで、在宅で闘病を続けます。 病気の進行の中で、もう2階には上がれず、一階の居間で寝ているボブ。しかし夜中にも不安で、小さい頃に、仕事で出かける父に「さみしい」と訴える夢を見ます。次の日、実家に電話し、病気であることを明かし、「俺が悪かった」と謝るボブ。 びっくりして故郷から両親と弟がやってきました。飛行機嫌いの母も飛行機に乗って来て「どうして言ってくれなかったの」と泣き崩れました。父とも黙って見つめあい心が通うのを感じるのでした。 家族の介護も受けながらのある朝、「ちょっと庭に出てごらん」と、皆に言われて庭に出てみると、何とそこには本物のサーカスが!皆がボブの子供の時の夢をかなえてくれたのです。もう何のわだかまりもなく、心が晴れていくのを感じるボブ。 何日か後、妻に「永遠に愛してる」と言って息をひきとるボブ。最後の瞬間ジェットコースターに乗って万歳をしながら光の中に入っていく光景を見ながら・・・。 実はこのジェットコースターがもうひとつのキーワードになっていて、ストーリーの中でも小さい頃ジェットコースターが苦手だったことや、病気がわかってからも再度苦手なことに挑戦しようと、わざわざジェットコースターに乗りに行くエピソードがはさまれます。そして、死んでいくことも決して怖いことではなく、ちょうどジェットコースターの上で万歳をするようなものだと示しているのです。 何年か後、ビデオをつないだTVの画面の中で、子供にお話を読んでいるボブの姿が映っています。子供は「パパ!パパ!」と呼びかけるのでした。 ビデオで自分の半生を振り返ろうとしたり、家族・親戚との軋轢。病気に対する不安と孤独。そのような感情は、一見現代的でありながらも、国や時代を超えて共通のものを感じます。 またこの映画では「中国の気功師」という位置付けでしたが、見方を変えれば科学万能への懐疑として「東洋の叡智」の象徴として登場しているような気がするのは、「我田引水」にすぎるでしょうか? 死は確かに「一度きり」のものであり、どのように悟ったつもりでいても自分の死は恐ろしいものです。しかし先の気功師はボブに対していいました。「体の病気はいずれとめることはできないかもしれない。でも本当の毒はあなたの心の中にあるのではないか?」と。 逆にいえば、自分の心の毒を自覚したとき、肉体的な「死」を乗り越える、きっかけを手にするのかもしれないのでしょう。そして生と死ははっきり分断されるものではなく、同一線上でちょっと勇気をもって乗り越えていくもの。ちょうどジェットコースターの上で万歳をするように。 こんな映画の脚本が、日本でできていても決して不思議でないような気がするのは私だけでしょうか? |