シネマ青色青光 ーー(3)

 
★「ナンナーク」 
(1999・タイ)

これはタイの伝説を映画化したと言われる「究極の愛の物語」です。

19世紀、タイ郊外の水辺の村で暮らす、若い夫婦マークナーク。ナークはマークの子を宿し、幸せの絶頂にいましたが、マークはタイの内戦に兵士として赴くことになり、二人に別れが訪れます。

マークは戦場で仲間を失い、自らも瀕死の重傷を負って寺院で手当てを受けます。同じ頃、ナークも嵐の晩に激しい陣痛に襲われていました。

数ヵ月後、傷を治してしばらく寺院で働いていたマークも、申し出て故郷に帰ってきます。途中の村が荒れていることに不安がよぎりますが、懐かしい水辺の我が家が見えたとき、そこには愛しい妻ナーク赤ん坊の姿がありました。

親子3人水入らずの生活が続き、マークは幸せを感じますが、なぜか村人たちはこの家に近づこうとしません。

そのうち、マークは友人から「お前は幽霊と暮らしている」と信じがたい言葉を聞かされます。マークは信じず、ナークからも「村人たちからいわれのない中傷を受けてきた」と聞き、怒りを覚えますが、やがて真実を知らされる時がやってきます。


実はナークは、やはり難産で嵐の日に赤ん坊と一緒に死んでいたのでした。しかし、夫を思う気持ちから幽霊としてこの世に残り、マークの帰りを待ちわびていたのでした。

幽霊を撃退しようとする村人たちは、家に火をつけますが、逆にナークの怒りに遭い殺されます。なおも荒れ狂うナークでしたが、かってマークが世話になっていた寺院の大僧正が、このままでは二人とも幸せになれないとナークを諭します。

ナークは大僧正の言葉を受け入れ、自らの愛と哀しみを「約束の石」に封印して、やすらかに涅槃に入るのでした。

愛する人と一緒に暮らしたい。これは正に人間としてのあたりまえの願いといっても過言ではないでしょう。しかし現実には、様々な事情がその当たり前のことさえかなえさせてくれないことが起こります。

幽霊というのは、そういう人間のかなえられない願望の象徴として存在するのかもしれません。しかし、仏教ではそれを「我執」(がしゅう)と呼びます。人間としての自らの欲望は、それがささやかなものであっても自分自身に固執するところから始まるとするのです。

しかし一方、そういう「我執」が最後まで捨てられないのも人間の普通の姿かもしれません。大僧正は、決して幽霊を頭ごなしに退散させようとはしませんでした。

ただ道理を説き、その「我執」をより高い次元に昇華させることを手伝われたのでした。だからこそ、怒りに荒れたナークの心をも静めることができたのだと思えます。

愛と哀しみが封印された「約束の石」は、永遠なるもの、人間を超えたものの象徴として輝き続けるのでしょう。

                           
END


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