「みやこのハッピートーク」    

                             DEC. 2005

★年末に降り返ってー@

◆京都にも雪交じりの冷たい雨が降った12月6日、おてらハウスがオープンしました。10月末の報恩講法要と落成記念門信徒作品展、11月の「ひらけ、ごま!」障害者アート展、そして今月の開店準備にいたる約3ヶ月、「全力投球」という言葉がぴったり合う状態でした。4社の新聞に掲載していただき、ラジオ番組にもゲスト出演、寺院情報誌の取材を受けるなど「支配人」としての自覚も出てきて・・・「ギャラリー&カフェ」という未知の世界に一歩進んだ感じです。

◆しばらくギャラリーのほうに力を入れてきて、「さあ、カフェの始まりだ」ということになってから、かなりあたふたと「テーブルはどうしよう、カップ類は、コーヒーは・・・」と買いまわりました。開店前夜まで搬入と展示を手伝いながらの準備でした。

開店初日、ドキドキしながらてコーヒーをいれたりカウンターの中で落ち着かず、ずっと緊張していました。お客様は知人のほか、「新聞で・DMをみて・・・・・」と立ち寄ってくださった方々もあり、本当にうれしいことでした。


たまたま取材に来られた女性記者さんを迎えて

◆1週目のみやたやすのぶさんの個展で、夜にはご本人も来られてのオープニングパーティーをしました。あまり宣伝しなかったこともあって来店者は少なかったのですが、この作品展が終わるころにはカフェのほうもだんだん慣れてきました。

一時的にバーカウンターに変

◆2週目の「僕の西遊記 小島祐一素描展」ではDMをあちこちのギャラリーに置かせていただいたことや作家の小島さんのお知り合いも来られて、お客さんが増え、後半はすっかりカフェらしくなってきました。

作家の小島さんと奥さんは毎日ギャラリーにつめて、絵の説明など応対に忙しくされていました。しかし作家さんも私も慣れない6日間でもうぐったり・・・。

◆10月から12月にかけては、お寺の用事もあり、またコンピューターのトラブル、車の故障?など、公私ともどもあわただしい日々で、いつも何かと掛け持ちしながら進んできた気がします。すでに来春の「花まつり」のことなども始まっていて、年末の「温泉旅行」を楽しみにこの忙しさを乗り切っていこうとしていたのですが・・・・・!!

(やっと年末を迎えられと思っていた美也子の身に何が起きたか・・続きは続編で・・・。)

「年末に降り返ってーその2」

◆開店して3週目、「午前中には帰ってくるわね」とお店を住職にお願いして朝出発し、用事をすませて、次は実家に頼まれた、某病院に立ち寄って書類をもらってくること・・・少し待たされたものの看護師さんはメチャクチャフレンドリーで、用事を頼まれただけの私にも親切でした。

「私が時々お世話になるあの病院とはえらい違いや」などと思いながら最近新しくなった診察室周辺をボーと見ていると、「あれ?」、ドアの横に貼られている「主任」の名前にたしかに見覚えがある・・・「***さんや」、高校時代に仲良くしていた彼女は看護学校に進んだ・・・「わぁー、なつかしい・・・」声をかけようと思いましたが、とても忙しそうでちょっと無理でした。

◆しばらく待っていると私の担当の看護師さんが書類を持ってきてくださり、頼まれた仕事も無事終りました。書類を手渡されたとき封筒にピンク色のメモ用紙がついていて、「わかっておられるでしょうが、・・・・・」と説明され、最後に「くれぐれもまちがわないで下さいね」と言われました。

「はい、わかりました。そのように伝えます、お世話になりました。」と挨拶をして外へ出ました。時計をみるとまだ11時になっていない・・・朝から2つも仕事をこなしてまだお昼になってないなんて・・・てきぱきと行動した自分を褒めながら歩き、コーヒーの店を見つけては「要チェック!」などとひとりごとを言いながら帰路につきました。

なんだか今日の私はあれこれと目に入ってしまい注意散漫やなあ・・・この不安が的中してしまったのです。

◆最寄の地下鉄の駅に着いた頃から、先ほど某病院でもらった書類についていたピンク色のメモ用紙が気になり始めたのです。丁寧に説明も受けたし自分で何度も読み返したので内容は理解できているのに、何故かまた読みたくなったのです。

切符を買って改札に入り、私はその書類を鞄から取り出しました。そして歩きながらピンク色のメモを読み始めました。下り階段を1段ずつ降りながらメモを何度も読み、私の意識はそのピンク色のメモに集中してました。ほんのわずかに身体が浮き「1段とばした」と思った瞬間、斜めに左足をつき激しい痛みが走りました

周囲の人々には少しよろけただけに見えたのでしょう、誰も私に気もとめませんでした。頭の中がグルグル回り始め冷や汗が出てきて吐き気をもよおし始めました。「ヤバイ!」という気持ちだけが私の中にあふれてきて、それでもなんとかホームのベンチまでたどりつきました。

パニックに陥ったまま、足をかばいながら地下鉄に乗って四条に到着し家まで歩いて帰ってきました。その時足の甲がかなり腫れていることがわかっていましたが、翌日、近所の外科に通院すると、まさか「靭帯断裂」の診断。「年末の忙しい時に」と抵抗したものの説得されて膝下から固定されてしまい、松葉杖を渡されました。

「骨折よりやっかいですよ」という先生の一言がいつまでも頭に残っています。どこからともなく「ようケガするねえ・・・」という声が聞こえてきそうです。「疲れがたまっていたのね」と周りからは心配されてはいるものの1週間ほどは「自己嫌悪」状態で落ち込み、楽しみにしていた温泉にもいけず私のかわりに動いてくれている住職に申し訳ない気持ちでいっぱいです。


25日までのおてらハウスの営業もなんとか終えて、あちこちの片付けや整理などをしようと思っていたのですが、今年は動きが止まったまま終わりそうです。おかげでテレビ三昧・・・BSや教育テレビに熱中する日々を過ごしています。

大事業を起こした今年、こんな結末が待っているとは・・・新しい年がきたら「足慣らし」をしながら10日からの営業にむけてがんばります。
その頃にはきっと良くなっているはず・・・
  


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