住職つれづれ日誌2005年9月・10月・11月・12月
  ※下に行くほど日程がさかのぼります。
2005年

12月28日(水)

■今週月曜日、26日からやっと「おてらハウス」の年末休業に入った。思えば10月の落成式から門信徒作品展、いやもっと言えば工事の準備に入った春から半年以上、工事打ち合わせやプレオープン企画、そして12月からの営業開始と嵐のような日々を過ごしてきたように思う。やっと一息入れられる状況になった。

住職もさることながら、支配人として坊守・美也子の疲労も大抵でなかったろう。(詳しくは10月末以来2ヶ月ぶりに更新された「美也子のハッピートーク」を参照。疲労以外にも思わぬ?事故もあり、現在休業中とはいえ・・。)


年賀状用に撮影したが没になったスナップ


■ここ1週間ほど、夜になると必ず見ていたのがNHK・BSで再放送していた「チャングムの誓い」。前からやっていたのは知っていたが、実はあまり興味をもっていなかった。ところが今回の再放送で、たまたま一度見始めると次々と起こるストーリー展開の妙に魅せられてやめられなくなるほどだった。

実質はシリーズ後半の、チャングムが料理から医学に専門を移し、母や師の仇をうとうと再び宮廷に登るようになるとろこからだったが、次々と起こる敵の陰謀や罠を、持ち前の聡明さと性格で乗り切っていくところで、昔の宮廷を追われた経緯もおおよそ理解できた。

何より韓国の俳優陣の演技力、特に目の表現力にもびっくりした。中でも本来悪役の女官長を演じた女優さんはすごかった。(何でも韓国でも主役をくうほどの人気で、先日日本にも来たそうだが・・。)


ペ・ヨンジュンを始め、いわゆる韓流ドラマというものには、今までさして興味をもっていなかったのだが、演技や脚本など始め、やはり侮りがたいと改めて思い知っているところ。

ちなみに何度もどんでん返しをくりかえしながら、いよいよ明日、再放送版も最終回を迎えるようである。是非見なければ・・。


12月14日(水)

●またまた日程があいてしまった。実は先週12月6日から「おてらハウス」を本格?オープンしたのだが、これが思った以上に大変。

ギャラリー部門は曲がりなりにも何度かの経験を重ねてきていたが、カフェ部門の準備がなかなか進まず、カップや備品などのグッズから机・椅子をどうするか?コーヒーの煎れ方まで、あーでもないこーでもないと迷って、あちこち見て廻っていた。

結局、1階吹き抜け部分は、床暖房も入っていることだし、しばらくは座卓や座布団で床に座るスタイルにして様子を見ることにした。

●そして、いざ開店となったわけだが、前の晩遅くまで最初のギャラリー作家さんの搬入に付き合い、深夜1時半ごろまで準備していたので、カフェ部門の練習ができないままオープンとなってしまい、心もとなかったが、大雨で、これでお客が来ないと内心安心してしまった。

ところが(当たり前のことだが)、毎日ほとんどお客が来ないと、それはそれで精神的に大変。段々とカフェコーナーのシステムは、美也子さんが毎日入る中で確立していったのだが、肝心のお客さんが少ないので、試すチャンスが少ないまま。

そんなこんなで1週間目は過ぎ去り、今週は前から計画していた小島祐一さんという作家さんのインドネパール素描展(おてらハウスサイト参照)を開催始めた。

1日目、2日目は今のところ来場者は少なく、少しでも多くの人に個展を見ていただきたいと地域にDMをポスティングしたりもした。

●とにかく新しいことを華々しく始めたのは良かったが、なかなか軌道にのるまでが大変。また1日の決まった時間を確実にそこに誰かがいるというのも大変なことだと改めて実感しているところ・・。さあ、これからどうなるか?

しかし今回の作品展の質の高さは折紙つきなので、是非来場いただきたいと思っています。


11月24日(木)

●実に3週間以上ぶり。とにかく昨日までの「おてらハウス」プレ・オープン企画の「ひらけ、ごま!」展を終えるまで、とうていこのサイトを更新する余裕がなかった。

6日間、とりあえず天気には恵まれて、無事終了することができた。当初思ったより来客数が少なく感じていたが、初日50名、土日各50名、月・火曜25〜30名、最終日は何と90名近くの方に来場いただき、合計300名超の来場者数になった。

最初の3日間は昼・夜と本堂で演劇の公演があり、また境内ではテントを張って「オープン・カフェ」を出してもらったりした。

また、読売、毎日新聞は早めに取材に来てくれ、なかなか来てもらえなかった京都新聞も何とか最終日の朝刊に間に合い、22日の夜には「三条ラジオカフェ」というミニFM局に生出演してと、それなりにエキサイティングな日々だった。

しかし疲れた。接客には慣れているつもりだったが、さすがに6日間の間、演劇やカフェの方など、全体に気を配りながら、かつギャラリーに来ていただく知人や取材に対応をしてということが、こんなに疲れることとは思わなかった。

美也子ともどもへとへとになって夜になると倒れるように寝ていた、そんな日々であった。しかし大勢の方に支えてもらい、何とかプレ企画を成功させることができ感無量。また最終日のクロージング・パーティーには、作家さんの家族ともども参加していただき、有意義な一時を過ごす事ができた。

門前に演劇の受付や授産製品売り場を並び、さながら大学の文化祭?
ギャラリー内部。吹き抜けに原色の長いさをり織りが映える。
最多出品してくれた渡辺あふる君とご家族。あふる君は6日間会場に詰めてくれて作品の解説をしてくれた。
陽だまりの境内では知らない人同士の会話が弾む。
カフェ部門を担当してくれた大木庵の竹内さんと優さん。寒い中ご苦労様でした。
飛び入りでオカリナを演奏してくれた土屋さん。居合わせた人たちも聞きほれた。
最終日、クロージングパーティーで挨拶する美也子支配人。今回着物姿も多かった。
夜、作品の一つである行灯に火がともる。幻想的なシーンだった。

 

11月1日(火)

●10月29日に報恩講とギャラリー落成法要を勤め、、平行して新ギャラリーで門信徒作品展を開催した。あいにくの雨の中だったが、檀家さんや地域の人たちが、2日間で延べ100人ほどの方においでいただいた。

落成記念講演はギャラリーの設計師で、大阪の西本願寺派のお寺の坊守でもある、寺本ベティーナさんにお願いした。浄土真宗の教義のお話しと、具体的な建築設計の経過や大事にしてきたことなどを上手にまとめて話してもらった。

落成法要で散華する住職。
記念法話(講演)するベティーナさん。
奮闘するシルバーパワー?準備にかけつけていただいた世話人さんたち。


続きに交代でギャラリーと作品展の見学をしてもらったが、皆さん建物のすばらしさもさることながら、集まった作品の質の高さを賞賛されていた。

実際、出品者30人以上、平面作品(絵画、写真、軸など)40点以上、置物作品(陶芸、クラフトなど)70点以上という、ちょっとした市民文化祭典なみの作品が集まり、中にはプロ級の作品からお孫さんが書かれた絵まであり、本当に幅広かった。
おてらハウスへの道参照)

●これに向けて、各作品の搬入と搬出、当日の段取り、記念品や弁当の手配と、てんてこまいの忙しさで、毎日のように来客があった。前日と当日は世話人さんたちが手分けして設営や作業を手伝っていただいて何とか開催できたと思っている。

日曜日が終わって、美也子ともども気が抜けたようにしばらくボーっとしていた。さあ今度は18日からの一般向けプレオープニングと12月からの本格オープンに向けての準備が始まる。


10月18日(火)

●おてらハウスの建築がほとんど出来あがり、先日一応引渡しを受けた。ただ、まだ色々中の細かい部分や表の看板の工事などを追加でお願いしているので、完全にできあがったという感じではない。また平行して建物の周りの庭の工事に植木屋さんに入ってもらっているので、依然毎日何かの作業が続いている状態だ。
「おてらハウスへの道」参照)

 それでもこの間、色々な見学や打ち合わせにおてらハウスの空間を使う機会が増えてきて、特に1階の古い建具のガラスを通して庭を見ながら座っていると、本当にほっこりする。

是非、カフェ開店後はお客さんに味わってほしい空間だが、あまり居心地がよすぎて回転が悪くなると?営業的にはどうかなと思ったりもして・・・。

●また、月末の報恩講兼ギャラリー落成式に向けての準備などにも追われる毎日。今回ほとんど60名近くの参詣者が来られる予定で、未だかってない人数で本堂に入りきれるかなどと心配もしている。

先週末、その式典や作品展に向けての打ち合わせの世話人会を開いた。やはり皆さん、今回の人数や本堂とギャラリーの動線、あるいは雨の日の対策などを心配されて、色々と貴重な意見をいただいた。

●今週末には叔父の満中陰(四十九日)をうちで開催するので、その準備も平行し、美也子ともどもやるべき課題を表にして壁に貼って毎日チェックをしている。

●またまた平行して、11月の一般オープニングに向けての準備も着々?。色々大変な事もあったが、ようやくDMも完成し、知的な障害をもたれた人たちの作品展の展示方法などの検討も始めている。まだなかなかそこまで気が廻らないが・・。

●町内会の方も、家の前の道路工事の件も何とか結論が出せ、国勢調査の提出も終わり、そして人がおらずほとんどの競技に出ずっぱりだった地域の「スポーツフェスティバル」も終わることができた。本当にこの9月から10月のかけて、精神的にも肉体的にもハードな日々だった。

良く生き延びてきたなー。まだこれからが本番だが。

10月6日(木)


●この2週間ばかり、いよいよ色々な企画が押し迫ってきたせいか、超忙しい日々だった。建築関係の最終打ち合わせ、オープニング展覧会関係会議に加えて、町内会で前の道路のカラー舗装化について、なかなか意見がまとまらず、大学の先生のアドバイスを聞くことも含め、何度かの会議を持つことになった。

合間をぬって例の国勢調査の用紙を配布したり回収したりにまわったりするのだが、マンションなど何度行っても会えない人もいて、これはこれで疲れる。聞くと5年前の調査の時より格段に回収率が落ちているそうだが、身をもって実感している。

●体が本調子でないところで、またいろいろ神経を使うこともあって、肩や首が硬くなったり、夜眠れないようになったりもした。

それで先週末、たまたま知人に誘われ、その方のご主人がやっておられる鍼灸治療院に通わせてもらい、鍼(はり)をうってもらった。盲学校にいた関係で、鍼を受けるのは初めてではないが、やや緊張も。すぐに効いてきたというわけではないが、少なくともその夜は良く寝られて、何となく安心感が持てた。

鍼灸や漢方は即効性はないが、長い目で体の体質を改善し、耐久力をつける目的でするものらしいが、これに味をしめて、月に何度かでも通わせていただこうかと思っているところだ。

●昨日4日には、滋賀県の亡き母の実家である明照寺へ、永代経のお説教に寄せてもらった。これもプレッシャーの一つだったが、午前1席、午後2席の法話を何とか終えることができた。

小さい頃から夏休みや正月などに、良く遊びに寄せてもらっていたお寺で、自分がお説教をすることになり、懐かしいような緊張するような不思議な気分だった。また昨年作った自作紙芝居などを上演させてもらい、後で住職である従兄弟たちからアドバイスをもらったりして、貴重な時間を過ごすことができた。


ついに専門家に製作を依頼していたおてらハウスのサイトが、昨夜アップされた。まだ若干の微調整はあると思うが、とりあえずこれで皆さんに見ていただける。よろしければ是非!!  
     おてらハウスHP (www.oterahouse.com)



9月22日(木)

●世間的には連休と連休が続く間の日程になるらしいが、お彼岸でもあり、あまり祝日に関係ない商売柄、今ひとつ実感がない。

●ギャラリー工事や、オープン企画に向けての動きも少しずつ進みつつあるが、その合間をぬって、今年は町内会長や自治連合会役員としての役目も結構ある。

19日の敬老の日は、地域の「長寿祝賀会」のイベントのお手伝い。大したことはしていないが、イベント中の音響調整などをちょこちょこっとさせてもらっていた。50代、60代の人が中心になって、70代、80代の方々を接待されていたが、中にはどちらになるのか微妙な人もいたりして・・。

●それから、今年は5年に一度の国勢調査の年だが、ぼちぼち調査にかかる準備をしなければならない。本山の学生寮や町内にあるマンションに思ったよりもたくさんの人が住んでいることがわかり、あわてて区役所に資料の追加分を取りに行ったりしているところ。

その上、ちょうど今年度は、うちの前の道路をカラー舗装化する工事の年に当たり、その説明会や話し合いを持ったりしている。場合によっては、前の道路が一方通行になるかもしれないということもあり、その意思統一が難しい。


ギャラリーオープンに向けての準備も、ここへ来て急速に進みつつある。先日はプロジェクトのメンバーが朝から、新ギャラリーを使って展覧会のDM(ダイレクトメール)の写真用の撮影に来てくれたり(おてらハウスへの道参照)、またギャラリー専用のWEBサイトの作成を知人のWEBデザイナーに依頼して、徐々にできつつあるところだ。

おそらく10月には最初のイメージがアップできると思う。さすがにプロの作るサイトはシックでかっこいい。お楽しみに!


9月12日(月)


●前回ここに書いた直後の、先週の月曜日午前に、入院中の叔父(父の末弟)が病院で亡くなった。住職は甥ではあるが本家の跡取りでもあり、また葬儀などの導師を勤める立場でもあるので、何かと関わりが大きい。

まず式場は生家でもあり、長年住み慣れていた大善院でするということになったのだが、ちょうど台風14号が来る直前で、諸般の準備を考えると、一日延ばしで葬儀社のホールでやるのがベターであろうという判断で、水曜日通夜、木曜日葬儀という段取りになった。

その間、月曜と火曜の二晩はうちでご遺体を預からせていただいた。正にお寺ならではのことだろう。

葬儀当日は、もう京都は天気も良くなり、ホールで葬儀、その後斎場から帰ってきての「還骨・初七日法要」をまたうちの本堂で勤めさせてもらった。

都合丸4日間、美也子さん大活躍の日々だった。

五人兄弟の末っ子、若い頃は家族共々寺院の境内に住んでいたこともあり、住職も何かと教えてもらったりすることが多かった叔父だった。8ヶ月間介護し続けた叔母と従姉妹も急にさみしくなることだろう。

●土曜日は久しぶりの「写経会」。実に丸四年間続けたが、このあたりでしきり直し、また来年から新しい形で再開させたいとこの9月をもって一旦終了とした。

この4年間で多い人は35,6回も通って来られた方もおられる。全般に女性の方が続けてこられたみたいだった。正信偈の軸に挑戦されてきた方達は、表装して10月末の新ギャラリー落慶記念「門信徒作品展」に出品いただく予定をしている。

9月4日(日)

●すでに9月になって4日目。しかし全然秋らしい気配もなく、まだまだの残暑にうだっている今日このごろ。

おまけに、まだ夏風邪の余韻を引いているようで、少し無理をすると体がだるくなって、風邪をぶりかえしそうになる。

●9月1日は防災の日で、町内会長や自治連の役員も兼ねているので、仕方なく?市の「防災訓練」に参加。近くの小学校で簡単なレクチャーなどの後、東本願寺まで歩いて、消防署の一斉放水などを見学。迫力もあり、見るだけだったので楽だったが、わずか20分ほど歩くだけでも、湿度も関わって体がだるかった。

●実は先月末、正月依頼入院していて、ここ2ヶ月間意識不明の叔父の容態がまた悪くなったと聞き、病院へかけつけたが、何とか数値の上では盛り返したようだった。

付き添っている叔母と従姉妹がかなり憔悴しきっていた。人工呼吸や心臓の薬で数値上は保っているのだが・・。

●かと思うと、先日のお葬式を勤めた檀家さんは、叔父とほぼ同じ年代の満74歳の男性で、元気に朝食を摂られた後、2階の寝室で少し休まれている間に亡くなられたそうだ。あまりの急なことに奥さん始め、親族の方も気持ちの整理がつきかねておられるようだった。

誰しも自分で決められない人生の在り様を考えさせられた。親鸞聖人風に言うと「平生業成」の大切さということになるだろうか?(珍しく僧侶的発言!)

先の男性は、会社の役員を退職された後、趣味で絵や写真をされていて、見せていただくと本当にプロと見まがうばかりの作品だった。しばらく連絡がとれてなくて生前にお会いする機会もないままだったが、おそらく色々お話しすることができたろうにと残念だった。

さっそく、ご遺族には、10月末のギャラリー落慶法要を兼ねた作品展への出品も承知いただいた。



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