住職「ややマジ感話」
 
    (9) 「同時多発テロから1年が過ぎて」
                       
      2002.9.11

2001年9月11日の「アメリカ同時多発テロ」から1年が過ぎた。
それぞれ、いろいろなところで、追悼の行事や、関連行事なども行われることだろう。

私も確か昨年の9月のテロ直後に、この「ややまじ感話」に文章を書き入れた。
「恨みをもって恨みに報いれば永遠に憎悪の連鎖が続く」というような文章だったと思う。
基本的に今もそれが間違っているとは思わないが、若干、思いのニュアンスが変わってきているところがある。

この1年で、いろいろな人がいろいろな場面で発言をされてきた。
坂本龍一氏が編集した「非戦」などにも、各界の人たちがそれぞれ、基本的には「反戦」の立場から発言されているし、インターネットやメールなどでもいろいろな情報が流れていた。

その他、いろいろな団体が催す集会や会合にも出席させていただいたこともある。
「反戦」「報復反対」の立場の会が多かったと思うが。

基本的にはそれらの立場に賛成なのだが、一方で、例えば本当に自分がテロの犠牲者の家族などの気持ちに、どこまで同調していたかというと、おぼつかない気持ちにもなるのだった。

しょせん他人事で、いろいろ言っても頭の中でしか考えていないのではないかということだ。
最初の映像があまりにも「映画的」過ぎたということもあるかもしれないが、遠くアメリカで起こった事件という印象はぬぐえなかった。

例えばこれが日本で「阪神淡路大震災」のような災害が、もし他国の「テロリスト」によって人為的に起こされ、その犯人達が明らかに近隣の「某国」に逃げ込んでかくまわれたとしよう。あるいは日本を飛び越した某国のミサイル。あれに核兵器が積まれて、国内に落とされていたとしたら・・。

日本国民の感情としては「これは戦争だ!」という気持ちになることも、十分考えられよう。どこまで「反戦」「平和」などと言っていられるだろうか?

そう考えた時、本当に自分の身に起こったときにも、同じようにいえる自信がないと、えらそうにいう資格もないような気さえするのだ。
これは個人のレベルでは「死刑反対」の活動などにも言えることだが・・。
いやもっと身近な例でいえば、いきなり街中で自分が殴りつけられた時、必要以上の反撃をしてしまわないと言いきれるだろうか?

「他人事」にどこまで同調できるか難しい問題だと思うが、少なくともまず被害者、そして家族の人の気持ちに同調しようと努力すること。これはほとんど「想像力」の能力が試されるだろう。
その上で、一緒に悲しんでいけること。時には「同非」の涙が流せること。
これがなくて、どんな高邁な理想や理論をもってしても、しょせん相手の耳には響かないだろう。

そのうえで、「それでもやはり報復はがまんしよう!」という、高い境地に立つことができれば、それはそれでもちろんすばらしいことだと思う。

もちろん「反戦」の立場でいろいろ活動されている方たちの多くは、そういう高い立場に立てた人も多いだろし、頭だけで考えているというつもりはない。

また、客観的にはアメリカの石油戦略が裏にあるとかもいわれるし、アフガニスタン人の無実の人が犠牲になっている。だからとりあえず「反戦」に異議は無い。
しかし、自分自身については考えた時、ともすればそういう反省もある。

TVドラマでも放映された「聖徳太子」では、結局太子の教えに従って、その子孫等は甘んじて敵に殺されていった。
そこまでの覚悟があってこそ、真の「反戦」といえるのかもしれない。
わかっていることは、今の私には無理だということだけ・・。

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