♣♣♣ 自作俳句 ♣♣♣

「自作俳句」の頁として,写真つきで色々アップしていくつもりです。

 

故郷の高岡市,万葉の里‐道の駅から程近い小矢部川(おやべがわ,天平時代には射水川(いみずがわ)と呼ばれていた)の土手で詠んだ俳句です。

 

野アザミも天平の香や道の駅

 

この土手の向こうに小矢部川が流れています。自然が豊富です。その小矢部川の向こう山際に古道があり,大伴家持が通ったと言われてます。万葉の里‐道の駅から,ここへ来て,古道の辺りを眺めながら小矢部川の土手をウォーキングしてみるのも楽しいです。四季折々の風情が味わえます。雲が西から東へと流れていました。

小矢部川の支流である岸渡川(がんどがわ)で詠んだ俳句です。

 

涼風や千歳の流れ国府へと

 

天平時代には,小矢部川に注ぐ多くの川が運河として利用されていました。岸渡川はその一つです。この川の向こうで小矢部川と合流し,伏木の越中国府へと流れて行きます。遠方に見える山は,二上山(ふたがみやま)で,その向こうに越中国府がありました。

延久元年に越後守に任ぜられた橘為仲が,次のように記録を残しています。 越後の守にて下り侍りしに,射水といふ所を渡りて,上津(じょうづ,現在の福野町上津)といふ所にとどまりたるに,松虫の鳴きしかば,

我ならぬ 人は越路と 思へども 誰がためにか 松虫の鳴く

越中国府のあった伏木(ふしき),富山湾海岸に向かう道路で詠んだ俳句です。

 

青に明け青に暮れたり奈古(なご)の夏

 

渋谷の浜(しぶたにのはま,現雨晴(あまはらし)付近)では,富山湾を北に見ます。それで朝も夕も海の青,空の青が鮮やかでした。写真の左は女岩,右は男岩です。

高岡市伏木にある気田(けだ)神社境内で詠んだ俳句・・

 

蜩の天より聞こゆ一宮

 

高い杉の木が気田神社本殿の前にあって,高い所からヒグラシの声が聞こえてきました。815日とは言え北陸の秋は早いのでしょうか?東京では蜩をめったに見ません。古代,この気田神社は越の国を代表する一宮であったとされています。多分大伴家持も参拝したことでしょうね。気田神社の隣りには,大伴家持を祀った大伴神社があります。地元の人が家持卿を神様として祀ったということです。

高岡市,伏木万葉埠頭緑地で詠んだ俳句・・

 

海風の古代もかくや葛の花

 

日本海から富山湾へと吹く心地良い風(もう秋風と言っていいかもしれません)が万葉埠頭緑地の一帯を吹き渡っていました。北陸ではお盆の時期にあって葛の開花も早いような気がします。

高岡市の病院で新病棟の最上階から二上山を仰いで詠んだ俳句です。

 

秋の日を天より賜ふ新病棟

 

年の暮れ,母が入院している田舎の病院で詠みました。雲の様子は何だか冬の感じでしたが,陽が射し雲が切れると,そこには美しい紅葉の二上山が映し出されました。手術が無事終わった夕方のことです。

 

 

 

 

天平時代に,布勢の水海(ふせのみずうみ)という湖だった氷見(ひみ)平野を訪ねて詠んだ俳句です。

 

稲穂風能登より雲の切れ間なし

 

水田一帯はかつて湖でした。右手遠くに盛り上がっている山は,布勢の円山(まるやま)と呼ばれ,家持が都からの客をここへ舟で案内したそうです。その家持の歌碑が円山頂上の布勢神社境内にあります。

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