ピアノのこと

 

 

次女が、幼稚園のときからピアノを始めて6年になる。最初は、幼稚園でやめるつもりでいたのだが、音楽教室の勧めもあってこれを続けることになった。ついでに、音楽教室も楽器製造メーカと関係しているので「この際ピアノを購入されては..」ということになり、狭い我が家にピアノを入れた。当然スタンドピアノである。家具のレイアウトを変え,どうにかこうにかピアノを置いて我が家でも、次女がピアノをやり始めた。最初は、こちらもぼんやり眺めているだけであったが、簡単な入門書を書店で手にしてから興味が湧いて,その入門書にそって少しづつピアノに触れてみる。右手指送りを勉強してから左手でコードを覚える。右手だけだと簡単なメロディーは、リズムを気にしなければ何とか弾ける。


使っているスタンドピアノ

 

 

これに左手を添えてコードを弾くことになるが、また難しいのである。

 

 

ここでリズムが始めて必要であると判った。左手、小指、中指、親指を上手く使ってリズムを弾くが、最初のうちは右手も連動してしまう。あるいは止まってしまう。でも,音の美しさと響きに引かれて,毎日のように練習を重ねる。人に聞かせるものではないが,自分で気分が良くなるまでメロディーが弾けるようになった。それでストレスが取れれば,それもまた意味がある。

 

 

レパートリ− :メロディー音あり(青字

 

 

 

エーデルワイス

 

 

ダニーボーイ

 

 

故郷の人々

 

 

夢見る人

 

 

主人は冷たい土の下に

 

 

ムーンリバー

 

 

少年時代

 

 

ミ・アモール・ミコラソン

 

ギターのこと

大学時代から,フォークギターを嗜んでいる。当時は,フォークソング流行であった。ニューミュージックの出る前である。外国ではボブディラン(以下敬称略),サイモン&ガーファンクル,ウッディーガスリーが有名であった。ジョーンバエズなどもいた。

日本では,一躍フォーク(フォークソングを単にフォークと言う)を流行させたのは吉田拓郎かも知れない。それ以前にも小室等,泉谷しげる,井上陽水,西岡たかし,岡林信康等がいたが,自分が直接的にフォークに興味を持ち出したのは吉田拓郎である。学生街をふらつくと(別に学生街に限ったことではないが),至る所に楽器店があって,ギターが並んでいた。そんな楽器店でフォークギターを買って今のギターは二本目になる。フォークギターといっても,2種類(通常フォークギターと言われる小型とウェスタンギターの大型)があって,最初は小型のフォークギターを買いその後今持っているウェスタンギターを買った。コードの勉強から始める。メジャーコード,マイナーコードのそれぞれの3要素から練習した。当時は,流行の波もあって,売れてるフォーク歌手の楽譜入り雑誌が書店店頭に並んだ。それを何冊か買って,さらに難しいコードの勉強をした。学生時代は,ずっとフォークソングが流行したように感じる。後半にはニューミュージックが出たが・・。少しづつギターを覚えてくると,次第に好みのシンガーが絞られ,小椋佳にも傾倒した。それから,またまた変わって高田渡とか高石ともやの曲を好んで弾くようになった。弦はコンパウンドというのを使用している。

高石ともやが,アメリカの古い歌のことを調べている。どのように変遷してきたのか?世相も加えた年表を作りアメリカの古い歌と変遷として纏めてみた。

 

 

 

今持っているウェスタンギター

名前はAriaDreadNought (Made by R.Matsuoka)

 

 

 

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