似たような構図の絵であるが、左側は松四郎の師匠「増田象江」作で、右側が松四郎の作である。左側の絵ではわかりづらいが、松の根方に鍬と福寿草を配置してある。おそらく松四郎が習作として、師匠の絵の構図を借りて後に書いた物かもしれない。
中央部に描かれている山は、出羽富士と言われる、霊峰「鳥海山」である。
松四郎が、好んで使用した雅号と落款、「よりかず」と読まれる。落款は「松四郎」と本名が押されている。この他「松城」の雅号も用いられることがあるが、絵のの場合はほとんど「左の写真の雅号を用いているようである。
上の写真は草木や小動物などを描いた冊子である。左の写真が表紙になっていて、「明治10年正月写」とあるから、たぶん松四郎が「増田象江」から借りた絵を自分なりに書き写した物だと思う。中央と右側の絵はその一部である。動物の一瞬の動きをとらえて描かれていて見事である。淡く彩色されている絵もあって見ていても飽きない。