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一冊の本 「最後の晩餐」 (遠藤周作 著)

                                永本 慶子
  「最後の晩餐」は、遠藤周作さんの「ピアノ協奏曲二十一番」という短編集に収められた一篇です。
 この本の語り手「私」は精神科医です。その「私」がある時二人の人物と出会います。一人は思い肝硬変を患いながらもあびるように酒を飲み続ける塚田。もう一人は病院に週一回ボランティアに来ている、アルゼンチンの貿易商社駐在員エチエニケ。誰にも心を開かない塚田が、このエチエニケだけには笑顔を見せます。
 やがて「私」は、酒を飲まずにいられない塚田の苦しみの理由を知ります。戦争時ビルマで食べる物がなく、死んだ戦友の肉を食べたのです。「誰もあなたを非難しない。」という「私」の慰めも届かず、塚田は苦しみ続け、ある日危篤状態に陥ってしまいます。その枕辺へ塚田が呼んだのはエチエニケでした。
 塚田は苦しい息の下で、「あんたの言う神は、生きるために死んだ友人の肉を食べたような、餓鬼道に落ちた者も赦してくれるか。」と問いかけます。
 それを聞いたエチエニケは、自分も友人の肉を食べたと告白するのです。ブラジルからの帰りに乗った飛行機がアンデス山脈に墜落し、十二日間雪の中にとじ込められた。食べ物もない。毎日怪我人が死んでいく。その中に、これから日本に宣教に行くはずだった飲んだくれの神父がいました。その神父は、「救いが来るまで生き残らなくてはいけない。その為に、わたしが死んだら私の肉を食べろ。食べたくなくても食べなければいけない。そして救いを待て。」と言い残して死んで行きました。生き残った者は相談し、死人の肉を干肉にし、救いの日まで生き延びたのです。
 人は悪と知りながら、又は無意識のうちに、自分の為の善や快楽の為に悪を行います。塚田もエチエニケも友達の肉を食べました。そして塚田は一生苦しみ通し、エチエニケは神父の遺志を継ぎ、日本に来て病院のボランティアとして働くのです。人間の昏い闇の部分に恩寵が働くと逆転が起こるのです。愛は弱さを強め、他の人も愛に向かわせます。
 エチエニケは塚田に言います。「わたしも食べました。しかし、わたしは、その時、あの人の愛も食べました。」
 エチエニケは肉と一緒にキリストにある神父の愛も食べました。愛を経験したエチエニケは、塚田の「神は赦してくれるか。」という問いに力強くうなずいたのです。
 この短編を初めて読んだ時わたしは涙がとまりませんでした。愛とは何か、赦しとは何かということが何となく解ったように思えたのです。その後すぐ、わたしは献身に導かれました。

(「ホーリネス」 2005年4月号掲載)



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