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週報短文


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12月30日
ホームページ開設

「西川口教会もついにホームページを開きましたね」と、先日ある方から声をかけられた。メール友達に早速このことを知らせたら、すぐに「見ましたよ」という返信が届いた。アメリカのN姉も「すばらしい」とエールを送ってくれた。西川口教会のクリスマス情報が、あっという間に世界を駆け巡る時代になった。良い悪いは別にして、お互いそういう時代に生かされている事をしみじみと思わざるを得ない。
 赤羽教会の深谷先生の話では、最近教会の新来会者は、教会のホームページを見て来る人が多いそうである。特に若い女性に多いというのはちょっと面白い。赤羽教会のホームページは、若い女性に特に魅力的なのかもしれない。
 東京聖書学校のホームページも比較的最近に開設したが、こちらの方はまだそれを見て入学案内を取り寄せたという人は聞いていない。しかし、これも深谷先生の話では、アメリカでは若い人の殆どはまずホームページを見て、進むべき神学校を決めるという。遠からず日本もそうなるに違いない。昨年、東京カトリック神学院を見学させて頂いたとき、パソコンのできない学生はまずいないということで驚いた。我らの聖書学校でも、パソコンの授業が必要になるだろうか。 
 「西川口だより」編集長の白水兄によれば、将来パソコンがもっと普及してくると、「西川口だより」などもその発行の形や役割が大きく変わってくるのではないかという。確かに、香港JCFのホームページを開いてみると、以前に発行していた「フェローシップ」等も、最近は殆どパソコンで読まれるようだ。我々も頭を切り替えて行かねばならない。
 今年も早や年の瀬を迎えて、アメリカのテロやアフガン戦争等暗いニュースが多かっただけに、クリスマスを前にして佐久子先生の奮闘によるホームページ開設により、少しばかりの明るいニュースを皆さんにお届けすることが出来たのではないかと感謝する


 

12月23日

市民クリスマス


 今年第3回を迎えたリリア音楽ホールでの「クリスマスの夕べ」は、祝福のうちに終った。今年はどのくらい集まるか若干の不安もあったが、400人を超える会衆を与えられ、他に子どもたちもかなり多かった。

この集いは川口近隣の超教派の牧師会から生まれたものである。皆で市民クリスマスをやろうということになって、初めはリリア1階の催し広場で行なった。参加教会が、賛美したり踊ったりで、学芸会形式のクリスマスであった。当初は2000年のクリスマスを音楽ホールでと考えていたのを、1年早めてやってみたが、まあまあの結果だったので、昨年はミレニアム・クリスマスと意気込んだ。が、思ったほど人は集まらなかった。それで、今年はどうかと正直、心配はあった。しかし、神様は祈りに答えてくださり、この集い全体を祝福してくださったのは感謝であった。アンケートを見ても、とてもよかった、音楽に心が洗われた、慰められた、クリスマスのお話も良かったという声が多かった。私も初めから事務局を引き受けて先生方と力を合わせてやってこられたのは感謝であるが、いつまでもこのままではいけないと思う。もっと若い人々の知恵と力を頂きたい。そこで今後の課題を述べると、
 (1)今まで実行委員は全部牧師たちであったが、信徒の方々にも入っていただき、信徒の皆さんの考えが反映することが望ましい。
 (2) 県南4市のキリスト教会は、現在三十余りを数えるが、協力教会は二十ほどである。これを、文字通り全教会の協力の下に行ないたい。

(3)クリスマスだけではなく、教会が教派、国籍の壁を超えて、この時代にどのように伝道を進めて行くか、今までの交わりを土台として、さらに、積極的に取り組みたい。
 「クリスマスの夕べ」の恵みを感謝して。


 

12月16日

クリスマス・ツリー

 今年はアドベントに入る前にクリスマス・デコレーションを委員の方々が準備してくださって、クリスマスの雰囲気がいち早くかもし出された。子どもたちもクリスマスを楽しみに待っている。

最近、著名な新約学者のオスカー・クルマンが書いた「クリスマスの起源」を読んだ。その中にクリスマス・ツリーの起源についても触れている。ツリーの歴史はそんなに古いものではない。クリスマス・ツリーといえばモミの木であるが、歴史的に検証されるのは400年ほど前からである。興味深いことは、中世に12月24日、教会の前でエデンの園の堕罪物語が劇で演じられた。禁断の木の実はドイツでは早くからリンゴと考えられたが、劇ではリンゴの木を用いるのは困難だったので、代ってモミの木が用いられるようになった。そのモミの木にリンゴの実をぶら下げたのがツリーのデコレーションの由来というのは面白い。しかし、そこにリンゴだけでなく、聖餐式に用いる特別のパンもぶら下げるようになった。それはエデンの園の木は罪を暗示するが、イエス・キリストは十字架でその罪を贖われたからである。だから、クリスマス・ツリーはエデンの園の木であると同時に、ゴルゴダの十字架の木をも象徴すると考えられるようになった。私が子供の頃には、教会のツリーには子どもたちのプレゼントになるお菓子の箱が沢山ぶら下げられた。それは、元来は聖餐式のパンであったようだ。

こんな話は、クルマンの本を読むまで聞いたこともなかった。

札幌の母教会のツリーは高い天井まで届く見事なトド松(またはエゾ松)であった。これを天井裏から太い針金で吊るして、デコレーションを飾るのも容易ではなかった。子どもたちができるようなことではなく、Aさんの数日にわたる汗の結晶であった。しかし、あのツリーにも、実は深いメッセージが隠されていると知ったら、Aさんも満足だったに違いない。

 



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