教会員向けなので、わかりにくい表現もあるかと思いますが、どうぞお読みください(金田佐久子)。
2025年 6月15日 
主の勝利を信じて
能登半島地震が起こってから、現地はどのような状況かを知りたく、被災教会が属する日本基督教団中部教区のホームページを時々チェックしています。4月22日付で、「教区通信152号」(2025年3月16日発行)のデータがアップされており、興味深く読みました。小松教会・松島保真牧師による「能登半島地震被災教会報告~主の勝利を信じて~」から分かち合います。
初めに、2024年11月12日に、中部教区三役と小松先生が、魚津教会〔富山県〕を訪問された報告がありました。魚津教会が能登半島地震で被災し、被災教会再建支援の対象となったことは以前お伝えしましたが、魚津教会のウェーラー・ルツ・エステル牧師が、スイスからの宣教師で、富山に移り住んで46年、魚津教会に赴任して20年近くになっておられることを知りました。このたび魚津教会堂の被害状況を調査した建築士の方が、子どものころに魚津教会の教会学校に来ていて、ウェーラー牧師と親交があり安心して相談できた、とありました。それを読んで、神が、震災という大きな試練の中にもふさわしい人を備えてくださった、と思いました。
次に、1月1日に中部教区主催で行われた「震災1年を覚えての祈祷会」の報告がありました。オンライン併用で開催され(私もZoomで参加しました)、少なくとも2百名以上の方々が、それぞれの場所で共に祈ることができました。連帯の輪が広がっていることを知りました。
報告は、次のように締めくくられていました。
“…これから、いよいよ本格的に会堂の再建へと動き始める。震災復興までの道のりはまだ長い。だからこそ、罪と死に勝利された主イエス・キリストが復興への道を切り開いてくださることを信じ、倦まず弛まず、これからも被災教会の再建のために祈り続け、支え続けていただきたい。「あなたがたは世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネ16・33)”(No.1041)
2025年 6月 8日
『我は聖霊を信ず』
本日は、今年の聖霊降臨日。本日の説教から、使徒信条の第3部(聖霊の神への信仰告白)に入ります。私が使徒信条の学びで参考にしているのは、村瀬俊夫先生の『三位一体の神を信ず 講解説教による使徒信条入門』です。この本の第8章「我は聖霊を信ず」では、日本の教会の課題を述べつつ、聖霊のお働きが説き明かされています。
“…「我は聖霊を信ず」と告白するとき、その「聖霊」はどういうお方なのですか。その「聖霊」の実質は何であるか。このことはよく分かっていなければならないのに、それがはっきりしていないことが、キリスト教界における大きな問題ではないかと思います。…教会は、知らず知らずのうちに、あるいは、気づきながらかもしれませんが、《聖霊欠乏症》に陥っていたのでしょう。それもかなり《深刻な、重い聖霊欠乏症》に。
私たちが信じる神様を本当に知り、また主イエス・キリストを本当に知ることができるのは、聖霊の助けと導きによるのです。聖霊のことがあいまいだと、実は、神様のこともキリストのこともあいまいになってしまいます。…
また、聖霊によって私たちの中にキリストが現臨してくださることにより、私たちは主と同じかたちに姿を変えられていくのです。…
このことは「聖化」として、神学でも強調されてきました。しかし、強調される割には、「聖化」の現実があまり見られない、という問題に悩まされてきました。それは聖霊が軽んじられる《聖霊欠乏症》に陥っていたからです。…いくら「聖化、聖化」と叫んでも、私たちがキリストと同じかたちに姿を変えられていくことなど起こり得ません。この聖化は「御霊なる主の働き」によって実現するもので、聖霊に導かれるとき、私たちはキリストと同じかたちに姿を変えられていくのです。…
私たちがキリストと同じかたちに姿を変えられていくことは、キリストがすぐれた意味で《愛の人》であられるように、私たちも《愛の人》にされていくことです。…”(No.1040)
2025年 6月 1日
使徒信条・三位一体の神を信ず
原則として月に一度、信仰の基本を学ぶため、2023年6月から日本基督教団信仰告白に沿っての説教を続けてきました。教団信仰告白の後半が使徒信条なので、現在は使徒信条による説教をしています。期せずして、使徒信条の箇所が今年の教会暦と重なりました。理解を深めるために、先週から来週までの主日で、3回連続で使徒信条による説教とさせていただきました。
使徒信条の原文はラテン語で、最初にあるのは「クレドー(credo)」という言葉です。「クレドー」とは「我は信ず」という意味です。日本語の訳文では、三位一体(さんみいったい)論的構成を明確にし、日本語文のリズムを保つためにも、「我は[父なる神/イエス・キリスト/聖霊]を信ず」と、3度「我は信ず」を繰り返しています。口語で言い換えてみますと、「私は『父なる神』を信じます。私は『主イエス・キリスト』を信じます。私は『聖霊』を信じます」となり、三位一体の神を信じる信仰告白をしています。
私たちが信仰によって生かされていることと、三位一体の神を信じることは、深く結びついています。三位一体の神を信じることがあいまいになってきますと、信仰生活もはっきりしなくなってきます。キリスト教の側から見て異端と呼ばれる人々はほとんど三位一体の神を否定しています。教会の信仰の中心は、イエス・キリストの救いであり、福音ですが、イエス・キリストだけを信じるということではありません。イエスを世に遣わされた父なる神がおられ、イエスを主と信仰告白させてくださる聖霊の神がおられます。父なる神と聖霊の神がおられなかったら、私たちが主イエスの福音の恵みにあずかることはできなかったでしょう。さらに造り主である神を信じるとは、私が神に造られた存在だと信じることでもあるのです。救い主キリストを信じるとは、私はキリストに救われたと信じることでもあるのです。聖霊を信じるとは、私の体が聖霊の宿る神殿であり聖霊に導かれて生きると信じることなのです。(No.1039)
2025年 5月25日
第75回関東教区総会
5月20日・21日、ソニックシティ小ホールにて、第75回関東教区総会が開催されました。開会礼拝では田中かおる師(安行教会)が説教をされました。説教後には、聖餐式が執行されました。司式は、原田彰久師(東京聖書学校吉川教会)と補助に渡邊典子師(三芳教会)でした。説教と聖餐の恵みに共に与かれて、主にある交わりに共に生かされることを味わいました。
次いで来賓の紹介、他教区から関東教区に赴任された新任教師紹介、隠退教師紹介と感謝、関東教区で25年以上の教職への感謝のときがありました。関係学校の紹介・報告、熊江秀一教区議長(大宮教会)の司式により准允式が執行され、佐藤潤師(埼玉・大宮教会)と北田将太郎師(埼玉・上尾使徒教会)が准允を受けられました。新しく教師となる方々が与えられ、大きな喜びでした。
熊江師の議長報告では、2024年度の教区の教勢と財政の厳しい状況、2023年度と比較しての受洗者の微増、2024年度はナルドの壺献金(教区互助のため)の目標1、200万円達成の感謝等がありました。
今回の教団問安師は、教団総会議長の雲然俊美師でした。「2025年度教区総会への議長挨拶」によって日本基督教団の現状と課題を語ってくださいました。
教区総会で繰り返し語られたのは、厳しい現状の中で、どのように伝道の協力ができるかということでした。ナルドの壺献金を原資とする教会互助は教師を守ることができるが、それだけでは教会を守ることができないという厳しい状況です。いかにして主日礼拝を続けていくのか、伝道の協力や支援の体制を整えられるのか、問われます。20日夕方の協議会では、「教区内の宣教協力の恵みを分かち合う」をテーマに、取組みの紹介がありました。さらに確認したのは、伝道の協力において、「イエス・キリストは主である」という信仰告白を土台とすることであり、それに基づいて信頼関係を築き上げることです。(No.1038)
2025年 5月18日
ミャンマー地震被災者救援募金のお願い
社会部から皆様にお願いし開始した救援募金について、本年4月4日付の日本基督教団社会委員会からの呼びかけを引用いたします。
“主の聖名を賛美いたします。
去る3月28日、ミャンマー中部でマグニチュード7.7の大きな地震が発生いたしました。
隣国タイを含めて、多数の死者と行方不明者、被災者が出ています。
日本基督教団社会委員会では、すでに支援活動を始めたアトゥトゥミャンマー(ミャンマーのキリスト教生活支援団体)の呼びかけに応えて募金を始めます。
ご協力をお願いいたします。
アトゥトゥミャンマーホームページには随時、救援報告が掲載されております。ぜひこちらも合わせて御覧ください。…”
送金先の「アトゥトゥミャンマー」による募金のお願いのチラシから、以下引用します。
“アトゥトゥ (共にという意味) ミャンマーは、オンライン祈祷会から生まれた、キリスト教エキュメニカルな任意団体です。 日本に住むミャンマールーツの方々の生活支援、
ミャンマーへの送金、交流活動を続けてきました。…
アトゥトゥミャンマーの祈り会では毎回80人前後の参加者が、証、レポートをきき、グループで祈り、全体で祈りのアクションをし、全体で祈り、情報を交換しています。…現地の送金先はMBC
(ミャンマー バプテスト連盟) 関係団体、 キリスト教団体です。月毎に献金報告が祈り会で行われます。大地震によって、複合的被害〔軍事クーデター後の空爆、洪水〕にさらされている方々へ緊急に支援を開始しています。…
大地震の被害に遭った地域への緊急支援を行います。 これまでのネットワークを活かし、発災3日目には50万円を送金しました。今後も息の長い支援が必要です。
草の根のキリスト者のネットワークと、その活動にご参加ください。…”(No.1037)
2025年 5月11日
説教シンポジウム2025
報告が遅れましたが、4月21日から23日まで、八王子大学セミナーハウスにて、説教塾主催による「説教シンポジウム2025」が開催され、各地から50数名の塾生が集まりました。
説教塾主宰であった加藤常昭先生は昨年4月に神のみもとに召されました。類まれな説教者である加藤常昭先生の足跡をたどりつつ、加藤先生が何をしてこられたか、何をしようとしておられたか、説教塾の原点、説教塾のアイデンティティ、説教塾の目指す説教、説教者として研鑽を積むための課題等を確認するプログラムとなっていました。主な先生方から「総論」「説教学」「説教者論」「聖書論」「教会論」「説教の特徴」「これからの説教塾」の講演とレスポンスがあり、参加者同士、活発な意見交換ができ、刺激的な時間でした。
塾生同士の交わりでもあり、加藤先生を喪失した者たちの癒しのときでもありました。コロナのため全国から集まることが久しぶりでした。顔と顔とを合わせて過ごせた喜びがありました。
“1987年に、同じ八王子の大学セミナーハウスにおいて、説教塾は開塾しました。説教塾は閉塞状況に陥った日本伝道に風穴を開け、新たな風を吹き込む説教運動として誕生し、またそれを何よりも説教において成し遂げようと志しました。そのために同じ志を抱く伝道者・説教者を必要としました。…塾生が受動的ではなく、主体的、継続的に共同の学び、修練を行う説教道場として始まりました。…”(講演資料より)
それから38年が経ちました。説教塾の塾生の中には、加藤常昭先生に直接会っていない人も増えつつあり、素晴らしいことだと思いました。今年度登録した塾生は200人を超えました。
毎年秋に説教塾への献金をお願いしていますが、献金は、このような集会に遠方から参加する人への交通費補助や、図書の購入の補助に用いられています。一人の説教者を助けることはその背後にいる何十人もの人を助けることになります。これからもご理解と応援をお願いいたします。(No.1036)
2025年 5月 4日
第48回関東こころの友伝道講習会
4月29日(火・祝)、日本基督教団赤羽教会にて、関東こころの友伝道講習会が開催されました。テーマは「若者は幻を、老人は夢を見る」(使徒言行録2・17)。2019年以来の久しぶりの関東講習会でした。当教会からは初参加者も含めて7人参加、全体では56人の参加者で、埼玉、千葉、東京、神奈川の各地の教会から来られていました。懐かしい再会と新たな出会いを喜びました。
午前と午後に、講師の高橋恵一郎先生より講演を伺いました。講師は女子聖学院中学校高等学校の聖書科教諭・チャプレンでいらっしゃいます。
「今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい」(申命記6・6~7)を示されました。高橋先生がまだ教会の担任教師であったとき、苦しみの中で「神に愛されている」という言葉に気づき、うれしくなり、説教の言葉も変わったということです。語られる言葉から、常に若い世代の方々と共に生きておられることを(当然なのですが)感じました。「生徒たちの悩みを、大人が『そんなことくらい』と思っても、当人にとっては、本当に大きなことなのです」と。その感覚が鈍い自分を反省しました。
昼食と交わりは小グループに分かれましたが、高橋先生がそれぞれのグループに回って来てくださいました。「どのように友だちになっていいか分からない」「いっしょにお弁当を食べる人がいない」など伺い、長い時間を過ごす学校だからこそ、生徒のそのような思いを受けとめる人が大切なのだと知りました。チャプレンは存在を認め、肯定する人です。興味深かったのは、学校でのアンケートによって、約1割の生徒が洗礼について肯定的であるという結果です。在学中に教会につながらなくてもいつか導かれるという希望を感じました。キリスト教主義学校の働きは尊いことであり、学校と教会との良い連携が必要であると改めて思いました。励ましを受けて帰途につきました。(No.1035)
2025年 4月27日
いつまでも残るものは
U・T兄が4月23日に主の御許に召されました。ご遺族に主の慰めを祈ります。
T兄の愛誦聖句です。
「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」(コリント一13・13)。
T兄は、月報「西川口だより」2023年8月号に「古希を迎えて思うこと」と題して証しを寄せてくださいました。一部紹介いたします。
“人生百年時代と言われているこの頃です。70年の歩んできた過去を振り返ると様々な出来事、出会いが私の人生でありました。
キリスト教との出会いは幼少期にさかのぼります。母の妹が外国人宣教師を知り、祖母、母、その兄弟姉妹がキリスト教を知り信ずるようになったことです。…母の思いから、地元のキリスト教主義のミッションスクールで中学高校の6年間学びました。
私は18歳になり、大学の進学のため上京し、一年間叔父宅に下宿することになりました。…下宿中に西川口教会の礼拝出席を勧められましたが、出席しませんでした。…
1984年に今後の自分の人生ついて思い悩むこともあって、教会の礼拝に出席いたしました。三枝道也・三枝育代牧師に導かれ、同年12月のクリスマスに洗礼を受けました。翌年妻と教会で結婚式をいたしました。
それから38年が過ぎ、教会生活もどうにか続けられています。ここ数年はなかなか礼拝に出席できない状況ですが、神様に今日まで支えられ信仰生活を続けられていることを感謝しています。
多くの困難や思い煩いはたくさんありましたが、神様に助けられ導かれてきました。神様は耐えられないような試練は与えないと聖書は記しています。…
70年の人生の歩みができたことは神様のお導きによることは言うまでもありませんが、多くの隣人の支えがあったことは感謝です。”(No.1034)
2025年 4月20日
十字架と復活の主に希望を置いて
水曜と木曜の祈祷会では、大島力先生の著書を通してイザヤ書を少しずつ学んでいます。先週は受難週でしたが、不思議なように、ちょうどメシア(キリスト)預言の一つであるイザヤ書第9章にあたりました。〝闇の中を歩んでいた民は大いなる光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝いた。…一人のみどりごが私たちのために生まれた。一人の男の子が私たちに与えられた。主権がその肩にあり、その名は「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。その主権は増し、平和には終わりがない。ダビデの王座とその王国は 公正と正義によって立てられ、支えられる 今より、とこしえに。万軍の主の熱情がこれを成し遂げる。〟(イザヤ9・1、5~6 協会共同訳)
闇あるいは死の陰の地とは、死の危険にさらされている状況です。そこに光が輝いたのです。その光とは「新しい王となるべき男の子の誕生」であり、「新しい王の即位」です。「新しい王」は四つの称号で呼ばれています。その中で「驚くべき指導者」、「力ある神」、「永遠の父」は従来から神についてのみ用いられている言葉です。「平和の君」は地上の王に用いられ得る表現です。それは、王自身が「驚くべき指導者」「力ある神」「永遠の父」であるということではなく、神からその「指導者」「力」「父」「平和」の実現という課題と機能が付与されているということです。
これを聞いて、人となられた神であるキリストこそ、この預言を成就されたと思いました。キリストはどのようにして平和をもたらされたのでしょう。祈祷会では、エフェソの信徒への手紙の言葉も合わせて読みました。「…キリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました」(エフェソ2・15~16)。
十字架の御業を確かにするのが復活の出来事です。イエスは生きておられます。ハレルヤ! (No.1033)
2025年 4月13日
教会総会を前に
2025年度が始まりました。先週の礼拝では役員任職式を行い、神の前に共に誓約をしました。4月27日には第1回の定期総会があります。総会議案書は来週配付しますが、新年度の活動方針の「役員会の項」の文章の一部をここに記します。
“役員会 日常の教会運営の主体は役員会が責任を負います。現代社会と教会の現状の課題への危機意識を共有し、教会の使命を果たせるように努めます。…”
「現代社会と教会の現状の課題への危機意識を共有し…」とありますが、昨年度の総会資料にも同じようなことを書いていました。この点について、昨年の総会の議場で質問がありました。私の応答は、総会の議事録に記録されています。今も思いは変わりませんので、皆様にご理解いただきたく、そのときの応答をここに書いておきます。
“どんな時代になろうと、教会の目標も使命も変わらない。しかし、構成メンバーは変わっていくし、伝道が進んでいないというのは教団レベルでも同じで、無牧の教会も増えている。それに付け焼き刃的な解決はない。…教会の構成員に高齢者が多いことは現実で、それを賜物として受けとめたい。お互いが最後まで信仰生活を全うできるように、愛し合い支え合っていきたい。同時に、教会は内向きになることがないように。私たちには家族や地域など、つながっている人がいる。それらの人々にどう届かせていくのか。…教会の構成員は私たち一人ひとり…。「教会が何かしてくれる」だけではなく、遣わされたところで、私たちはそれぞれ、自分につながっている人とどう関わるかが、何ができるかが、問われるのではないか。一方で、「できる」・「できない」に囚われてもいけない。ここに教会があるのも、自分が存在しているのも、神の恵みである。そのバランスが大切。それは祈りと御言葉によらなければできない。コロナの中で、私たちは礼拝と祈祷会と日々の祈りを続けてきた。それが教会にとってなくてはならないことを改めて知ったのではないか。…” (No.1032)
2025年 4月 6日
人はどこで神に出会うか
先週3月30日の説教で、森有正(哲学者・フランス文学者。故人)の言葉を紹介しました。説教要旨に書きれないので、こちらに書いておきます。1年前に召された加藤常昭先生が説教塾の学びで折に触れてご紹介され、わたしも心に留めています。こういう言葉です。
“…人間というものは、どうしても人に知らせることのできない心の一隅(いちぐう)を持っております。醜い考えがありますし、また秘密の考えがあります。またひそかな欲望がありますし、恥がありますし、どうも他人に知らせることのできないある心の一隅というものがあり、そういう場所でアブラハムは神様にお眼にかかっている。・・・人にも言えず、親にも言えず、先生にも言えず、自分だけで悩んでいる、また恥じている、そこでしか人間は神様に会うことはできない。
例えば、アブラハムとイサクとの関係にしましても、アブラハムとサライの関係にしましても、・・・非情な物語でありまして・・・けれども実は、そういう中を通して、神様のアブラハムに対する召しというものはだんだん明らかになってくる。決してある神学的な教条や経典やまた思想体系の中で人間は神様に会うことはできない。・・・人の前でいくら隠しても、それは自分そのものですからそれを自分は忘れることはできない。しかし、そこで私どもは神様にお会いする。そこで、神様にお会いし名前を呼ぶということは、同時に自分の道を発見することと一つにつながっている。”(「土の器に」所収「アブラハムの信仰」より)
ゲツセマネの祈りの後でイエスが捕らえられたときに、弟子たちがイエスを見捨てたことも、大祭司の中庭でペトロが師であるイエスを知らないと言ったことも、非情な出来事です。いざというとき冷酷な自分が姿を現すという現実を突きつけられたペトロでした。そんな自分に気づかせたのは主イエスの言葉でした。主イエスはすべてをご存じで私たちを招いておられます。主イエスに立ち帰る人は再生の道を歩み出しています。(No.1031)
2025年 3月30日
こころを高く上げよう
先週3月23日には、西川口教会創立75周年記念礼拝を主の恵みのときとして過ごすことができ、主の御名をあがめます。
写真撮影の奉仕をしてくださったSさんから、すぐに集合写真とスナップ写真のデータが届き、うれしく見ました。2020年春に始まったコロナ感染の防止のため、集合写真撮影そのものが本当に久しぶりでした。出来上がった集合写真は、礼拝堂の空間が感じられ、生き生きと喜びに満ちた雰囲気が伝わってきます。
写真を眺めていると、創立記念礼拝で歌った讃美歌21の18番「心を高く上げよ!」が心に響いてきました。
「こころを高く上げよ!」主のみ声に従い、
ただ主のみをみあげて、こころを高く上げよう。
霧のような憂いも、闇のような恐れも、
みなうしろに投げすて、こころを高く上げよう。(「心を高く上げよ!」1~2節)
感謝と共に、「あの方もこの方もこの写真に一緒に収まっていたら…」という思いも湧いてきました。さまざまな事情で来られなかった方や、この数年の間に、神のみもとに召された兄姉のお顔が浮かびました。
ヘブライ人への手紙第12章1~2節にこうあります。「こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです」。
レントの日々の中、創立75周年記念礼拝をささげることができました。私たちは信仰のまなざしを与えられています。おびただしい証人の群れに囲まれていますから、主イエスを見つめつつ、これからも定められた信仰の道を歩みます。(No.1030)
2025年 3月23日
教会創立75周年記念礼拝を喜ぶ
本日は創立75周年記念礼拝の良き日を迎え、神の憐れみとお守りを心から感謝します。
日本基督教団浦和別所教会の開拓伝道として川口で始められた集会は、1950年4月に、川口栄町伝道所を開設するに至りました。横山義孝師が主任担任教師として就任されました。受洗者が次々に与えられて手狭となり、「専用の会堂を」との祈りが実を結び、1952年10月に川口本町教会の献堂となりました。さらに1960年、伝道開始10年目の年、横山師に第一種教会設立、新会堂建設のビジョンが与えられました。教会あげて会堂のために献金がささげられ、土地の取得を経て、1964年12月に現在の会堂の献堂式を行い、名称を西川口教会と改め、新しい地における宣教へと導かれました。
1982年に主任牧師の交代があり、三枝道也師・育代師が就任されました。三枝牧師の時代には、礼拝の充実、個人の信仰の成長への配慮と共に、駐車場の確保、エアコンの設置、春日部墓苑の建設など環境を整える働きも進められました。
1990年、再び主任牧師の交代があり、島隆三師・静江師が就任されました。教会の目標が現在の6つになりましたのは島牧師の時代です。会堂建設の話し合いがなされましたが、ひとまずリフォームを行うことになり、H兄の奉仕により、玄関、集会室が使いやすく整えられました。若い世代への伝道に力を入れました。
2004年に、担任教師であった私が主任牧師に就任し、現在に至ります。
75年間、多くの方々が救われ、天に召された兄姉も100人を越えました。
いつの世にも、どこにあっても「教会は主キリストの体にして、恵みにより召されたるものの集い」(教団信仰告白より)ですが、人に個性があるように、教会にも個性があり、固有の歩みがあり、主任牧師により影響を受ける面があります。「ダビデは、彼の時代に神の計画に仕えた…」(使徒13・36)が思い起こされました。(No.1029)
2025年 3月16日
「能登から命の水が湧き出る幻を求めて」
日本基督教団より「2024年能登半島地震教会等再建支援募金のお願い」が届きました。支援委員会の募金の趣意書から引用します。週報短文のタイトルも趣意書にあったものです。私たちは引き続き共に重荷を負い合いたいと思います。
“「能登は伝道の最前線だ」という言葉を先輩牧師から何度も聞いていました。それは、能登の伝道は困難に満ちているということと、それだけに神の祝福も大きいということを意味している言葉です。
2024年1月1日にその能登を大きな地震が襲いました。…1年が経過して(1月に)…輪島教会では…ようやく解体工事が始まったばかり…公費で解体されるのですが、その順番が回ってくるまで1年の歳月が必要でした。その間、牧師は半壊して傾いた牧師館での生活を強いられ、強靭な精神の持ち主でなければ耐えがたい日々であったに違いありません。…
被災直後から全国の諸教会並びに関係団体から…多くの献金が寄せられており、緊急支援やボランティア派遣などに用いられています。1年を経てようやく再建の見通しが立てられるようになり、寄せられた献金を大きく用いることができる兆しが見えてきました。日本基督教団は、昨年12月の常議員会で「2024年能登半島地震教会等再建支援委員会」を立ち上げ、これまでの献金を再建のためにも用いることとしました。…今回の地震の特徴である地盤の隆起と液状化対策を支援するためには、(合計2億円の支援において)なお7千万円の不足が生じています。…
能登を訪ねて感じたことは、「能登を忘れないでほしい」という悲痛な祈りでした。それを受けて当委員会では、各教区へ能登の教会・施設に励ましの葉書を出そうという呼びかけをしております。地震から1年が経過しましたが、どうぞ、能登の声に応答していただけますようにお祈りとご協力をお願いします。…”(No.1028)
2025年 3月 9日
『非暴力主義の誕生』を読んで
埼玉地区の合同教師会で、今年1月に刊行された踊共二(おどり・ともじ)著『非暴力主義の誕生―武器を捨てた宗教改革』(岩波新書)を知り、興味を持ち、読んでみました。
この本は、16世紀から21世紀までのメノナイトとアーミッシュによる兵役拒否の表明、逮捕、投獄、説得、拷問、有罪判決、処刑あるいは追放から逃走、潜伏、亡命まで、ノンレジスタンスの立場をとった人たちのさまざまな体験が、各種の歴史的資料に基づいて述べられています。メノナイトとアーミッシュの源流は、16世紀の宗教改革の運動の中で誕生した「再洗礼派」にあります。
この本に興味を持った理由は、メノナイトの人々がウクライナに定住していたこと、その後のロシア皇帝たちに苦しめられ、北米やカナダに逃れて行ったこと、その信仰を受け継いだ人々の中に、日本への宣教に来てくれた宣教師もいると聞いたからです。
祈祷会でイザヤ書を学び始めましたが、預言者イザヤの言葉に、心打たれるものがありました。「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない」(イザヤ2・4)。預言者が見た平和のビジョンは神からのビジョンですから、絵空事ではないはずですが、2千数百年を経た現代でも、争いは止まずにいます。
この本の「あとがき」で著者が、再洗礼派の調査研究を行って40年経たが、10数年前からアメリカで調査を行うなかで知り合ったメノナイトやアーミッシュの生の声と生き方に接してから、彼らのノンレジスタンスの思想と実践は、絵空事ではなく、リアリティのあることだと確信したと書いておられます。近現代においては、良心的兵役拒否の合法化の実現を果たしました。
「剣を取る者は皆、剣で滅びる」(マタイ26・52)というイエス・キリストの言葉を文字通り実践した人々を辿った本です。(No.1027)
2025年 3月 2日
「日本基督教団 いまとこれから」
月刊誌『信徒の友』2月号の特集は『専従牧師がいない』。現在の日本基督教団において、切実な課題です。教団総幹事の網中彰子先生の記事『日本基督教団 いまとこれから』では過去のデータと2022年度を比較して見えたこと、それを踏まえての「これから」を考えておられます。
“本誌巻末にある「日毎の糧」を見ていると、代務や兼務の教会・伝道所がよく目に留まります。
…『(日本基督教団)年鑑2024』所収の「2022年度報告」では、活動休止を除く教会・伝道所1635のうち、278が「代務・兼務・未定」となっています。これは全体の17パーセントほど、およそ6教会に1つの割合です。…教会に勢いのあった1993年度…は日曜礼拝出席者数が6万1261名と、現在の1.6倍、一教会あたりの礼拝出席者数も38名と、現在の24名よりも10名以上多かった…代務や兼務等の割合は11.5パーセント。…
一教会一牧師が難しくなっている理由はもちろん一概には言えませんが、一つには、教師数の減少や教会の経済的理由に加えて、礼拝出席者が増えない実情があるのだと思います。
2008年4月4日発行『教団新報』で「教団50年データ」が紹介されています。…このデータからわかったのは「お金の問題ではなく、人の問題」ということでした。つまり、「受洗が召天に追いつかない。一般の高齢化とは異なる教団特有の年齢構造」が課題となっていたのです。・・・
それでは牧師不在が加速している状況に、私たちはいま、そしてこれからどう向き合っていけばいいのでしょうか。・・・”
「受洗が召天に追いつかない」とは、まさに、コロナ感染の出来事以前から、今に至るまで、(これからも?)西川口教会の課題でもあります。2025年度を前に、また創立75周年の年を迎えて、教会また教団の「これから」について、一人ひとりが当事者として教会の将来、これからの宣教を祈り求める必要があります。(No.1026)
2025年 2月23日
「主の平和があるように~Pray for Shalom」
今年度の日本基督教団埼玉地区「2・11集会」は地区委員会の主催により開催されました。
まず、祈りと聖書朗読がなされました。
「そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。王たちやすべての高官のためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです」。(テモテへの手紙一2・1~2)
続いて、講師の安田眞先生(日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団川口神召キリスト教会牧師)の紹介があり、講演を伺いました。安田先生は、日本の大学卒業後(当時は学園紛争のただ中)、1973年にイスラエルに渡り、ヘブライ大学で、ヘブライ語と聖書を学ばれました。その後ガイドコースに変更、日本人としては初めてイスラエルの公認ガイドになられました。1982年に帰国し、神学校に進み、川口で開拓伝道を始められました。川口神召キリスト教会を設立し、東川口に会堂を取得し、伝道牧会に励んでおられます。
私が印象に残ったのは、安田先生がイスラエルに渡った1973年10月、ヨム・キプール戦争(第四次中東戦争)が始まって、管制下となった、と言われたこと、イスラエルはずっと戦時下―主に国境線での局地的なもの―であると言われたことです。イスラエルの地で約10年生活され、その後も、聖書の旅でイスラエルを数えきれないほど訪れた安田先生の言葉です。日本の日常と余りの違い、複雑な歴史と政治の状況に、気が重くなりました。しかし戦争には同意できません。私たちは為政者のために祈るよう求められています。
シャローム」は日常の挨拶で、「おはよう」「こんにちは」「さようなら」、すべて「シャローム」です。「シャローム」には三つの意味があります。①平和、平安、繁栄、②償う、支払う、報いる、③完全、完成、十全。ここにキリストの救いが示されている、と安田先生は語られました。(No.1025)
2025年 2月16日
中部教区ホームページ、教団ホームページより
私たちは、能登半島地震と豪雨に見舞われた教会を覚えて回復を祈り、募金に協力しています。
日本基督教団中部教区ホームページに、折に触れて支援活動等の報告がなされています。写真も添えられていて、現地の様子が分かります。
・1月8日の投稿
「輪島教会礼拝堂 公費解体開始」
2025年1月6日(月)から輪島教会礼拝堂の公費解体が「福井解体」により開始しました。
1月6~7日、日本基督教団能登半島地震被災教会再建委員会として、宮本義弘委員長、加藤幹夫教区議長、佐々木真氏(ヴォーリズ建築事務所)の3名で、羽咋白百合幼稚園・ゆりっこクラブ、七尾教会、七尾幼稚園、輪島教会、富来伝道所、羽咋教会を訪問しました。
1月7日に輪島教会を訪問した時、ちょうど礼拝堂の解体が行われていました。…
・1月20日の投稿
「輪島教会の解体工事終了」
輪島教会の解体工事が予定通り進み、1月18日(土)、基礎を残して、ほぼ更地に近い状態になりました。
解体に際して、切妻屋根の十字架と梁に用いられていた一本柱を数本残して頂きました。会堂に隣接する洋服店の店舗、家屋も解体され大通りからも仮礼拝がはっきりと見えるように見晴らしが拡がっています。…
輪島は、ここ数日、例年になく温かな陽気が続いています。皆さまのお祈りとお支えに感謝しつつ報告します。
また、日本基督教団のホームページには、東日本大震災から14年を覚えて、東北教区と奥羽教区それぞれの記念礼拝のお知らせが載っていました。今も多くの方々が困難の中、深い悲しみの中におられます。東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故を覚えて、共に祈りを合わせたいと思います。オンラインで参加できます。(No.1024)
2025年 2月 9日
三区合同教師会に参加して
去る1月27日、日本基督教団埼玉地区教師委員会主催の三区合同教師会が、5年ぶりに東松山教会で行われ、参加しました。
開会礼拝では渡邊典子師(三芳教会)によりルカによる福音書13章6~9節から説教が取り次がれました。その後、指方周平師(東所沢教会)からの発題を受けてから、地区主題聖句であるコリントの信徒への手紙一15章3~8節を黙想し、グループに分かれて御言葉から受けた恵みを分ち合う時を持ちました。
食事の後には、東松山福音教会(日本福音キリスト教会連合)と東松山聖ルカ教会(日本聖公会)を徒歩、または車で訪問しました。東松山福音教会では岡山英雄師が東松山福音教会の歴史について語られ、教会の開拓に関わった極東福音クルセードに属していた宣教師のマルタ・クラッセンは、ロシア革命を切っ掛けに、ウクライナから、アメリカ・カンサス州に渡り、後に宣教師となってハワイ州出身のトミ・金城師と共に来日。求められてクラッセン師が行った英語でのバイブルクラスが、始まりであったとのことです。
東松山聖ルカ教会ではヨハネ小野寺達師が、東松山での聖公会のこれまでの宣教の働きについて語ってくださいました。ルカ教会の創立は1888年ですが、1926年に松山聖ルカ幼稚園が開設されキリスト教保育がなされたとのことです。この町に神様の御国を建設する為に、保育に関わるのだという言葉がとても印象に残りました。
最後に東松山教会(日本基督教団)に戻り、教会の歴史を崔長壽(チェ・ジャンス)師(東松山教会)から伺いました。ワシントン州フリートバーから帰国した柄澤考蔵・茂澄夫妻と、その友人の陽二郎兄が、当時の豊岡メソジスト教会(今の武蔵豊岡教会)の原田為蔵師に申し出て、松山町での教会開設を祈り願ったのが、教会の開拓の始まりであったとのことでした。
各教会に働く神の御業を見させていただきました。感謝。(参考・埼玉地区ホームページより)(No.1023)
2025年 2月 2日
普段着の聖徒
S兄が1月28日に主の御許に召されました。ご遺族に主の慰めを祈ります。
『普段着の聖徒』という信仰書を思い出し、S兄は「普段着の聖徒」と呼ばれるにふさわしい信仰生活を送られたと思いました。神の前にも人の前にも、そのままの姿で向き合っていました。S兄には、喜びも悲しみも、すべてを神は御存じであるという信仰がありました。寿司店をされていたとき、お店でS兄からたくさんお話を伺いましたが、若いとき足に大怪我をされて、たいへんな痛みの中を通されたとき、余りの苦しみに、神に「命も取ってください、足も取ってください。でも、あなたがお取りにならないなら、従います」と、格闘の祈りをされたこと、この怪我があったから、自分は傲慢にならないで済んだ、と言われたことに感銘を受けました。
2023年11月にお連れ合いのF姉が逝去されたことは、S兄にとって大きな悲しみでした。その悲しみも隠さず、話していました。昨年秋に不調となり、病が見つかりました。私たちは驚き祈っておりましたが、S兄は病を受けとめ、礼拝は休まず来られました。だんだん体が弱ってきました。その中でも一所懸命、いつも通りに暮らしていました。1月26日が最後の主日礼拝の出席となりました。厳しい闘病の日々でしたが、もう少し共に過ごせると思っておりました。しかし先週の主日礼拝の2日後の夜、サッと神のみもとに召されました。私たちの思いを超える神の思いがあることを信じます。
S兄の愛誦聖句です。「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。」(マタイ6・25~26)(No.1022)
2025年 1月26日
「助けて」と言えること
私事ですが、同居家族である父(97歳・要介護4)が、昨年末の12月30日にショートステイから帰宅したら、手引き歩行どころか、立つことさえおぼつかなくなってしまいました。原因は分かりません。とにかく対応するしかありません。
今までも、着替え、歯磨き、排泄の世話、食事の世話など生活全般の介助をしていましたが、これまで手助けして立たせ、手引きで数メートルの歩行はできていました。今回の足の不調のため、椅子からベッド、ベッドから椅子への移動がたいへんでした。健康な人なら立ち上がるのも歩くのも何でもないことですが…。体格が良く、体重もある父を、何とか抱えて立たせ、椅子からベッド、ベッドから椅子へ移動させましたが、私の体に大きな負担がかかりました。
同じ週の水曜日の元旦礼拝は、集まってくれた家族に車の乗り降りや車いすへの移乗を助けてもらい、久しぶりに教会の礼拝に来ることができ、大きな喜びでした。父が利用しているデイサービスは、元日はお休みでしたが、大晦日も1月2日も営業していて、いつも通りに出かけました。その週もその後も、食欲はあり、睡眠も良好ですが、歩行できるようになりませんでした。1月の2週目はショートステイで私は小休止できました。帰宅しても足の状況は変わらないのでケアマネさんに相談しました。
ケアマネさん経由で、車いすなどの福祉用具の担当者の方、生活支援担当の方も集まって、どのように介助ができるか、考えてくださいました。今は、いろいろな福祉用具があるので、介護のプロにすぐに相談してよかったと思いました。親身になってくださって、うれしかったです。
私たちは、神に助けをお願いしますが、医療、介護、福祉など様々な社会資源も神が備えてくださった助けとして、恵みとして遠慮なく使わせていただいています。「助けて」と言えることの大切さ、助けを得て、自分の生活を続けられることも恵みであると、神に感謝いたします。(No.1021)
2025年 1月19日
「集まって一人の人のようになる」
1月13日(月・祝)、聖学院教会(聖学院大学チャペル)を会場として、埼玉地区新年合同礼拝が行われました。今年は、2年に一度開催されます三区(1区・2区・3区)が合同で行う礼拝でした。出席者は199人(48教会・伝道所)でした。
子ども説教は、「イエス様に出会う人」と題して、大宮教会の甲賀正彦牧師がしてくださいました。甲賀牧師は、今年度『信徒の友』の表紙を素晴らしいイラストで飾っておられます。子ども説教では、ルカによる福音書第2章22~33節より、登場人物のイラストを聖書の言葉と合わせて、プロジェクターで投影しながら、シメオンと救い主の幼子イエスとの出会いを語ってくださいました。
埼玉地区委員長で武蔵豊岡教会の栗原清牧師が、「集まって一人の人のようになる」と題して(聖書箇所は、エズラ記第3章1~4節、ローマの信徒への手紙第12章1~5節)説教をされました。約50年のバビロン捕囚から解放されて、イスラエルの民は礼拝を献げることができました。コロナの試練を経て、こうして再び共に集まって礼拝できる恵みを新たにしました。礼拝とは、自分自身を献げることである、と説き明かしてくださいました。
聖餐式は、志木教会の横山基生牧師(主)と本庄教会の疋田義也牧師(副)が奉仕されました。説教されたように、地区の牧師・信徒と一緒に聖餐にあずかり、主にあって一つとされている恵みを感謝しました。
礼拝後に、今年度、受洗・信仰告白をされた方のため祝福の祈りが埼玉地区副委員長の武田真治牧師(上尾合同教会)によってなされました。新成人の方は新年合同礼拝に来られませんでしたが、若者たちのためにも武田牧師が執り成し祈ってくださいました。
主の年2025年、埼玉地区の1年を、このような地区の一致と連帯のしるしである新年合同礼拝をもって始めることができ、主に心から感謝いたします。(No.1020)
2025年 1月12日
イザヤ書を読もう
先週は、新年の最初の祈祷会・昼間祈祷会がもたれて、イザヤ書の学びが始まりました。昨年出版された大島力(おおしま・ちから)先生の『イザヤ書を読もう 上 ここに私がおります』(教団出版局)を手掛かりに学びを進めます。読んでみたいと取り組んでもなかなか難しいイザヤ書。仲間と共に少しずつ、説き明かしを聞きながらであれば、通読できるかもしれません。ご一緒にイザヤ書の御言葉に耳を傾けましょう。
先週の祈祷会ではイザヤ書の概要を知りました。また新約聖書との関係も少し分かりました。
イザヤ書は大きく三部構成になっています。
・第一イザヤ書(1~39章)
・第二イザヤ書(40~55章)
・第三イザヤ書(56~66章)
それぞれ書き記された時代背景が異なり、また内容も多岐に亘っています。しかし、いずれの部分においても、その時代における「メシア」とその「共同体」の在り方について叙述されています。イザヤ書は「メシア的王の到来」を告げ、バビロン捕囚の経験を通して「苦難の僕」による贖罪信仰に至り、捕囚後のユダヤ教団の中では民族性を超えた普遍主義に開かれていく「メシアとその共同体」の姿を指し示しています。
イザヤ書が古代キリスト教会において、新約聖書の四つの福音書と並んで「第五の福音書」として親しまれ読まれてきました。このことはイザヤ書の理解において、さらには新約聖書の福音理解にとって、有益な認識であると思います。
他方、福音書のみならずパウロ書簡等においても、イザヤ書からの引用が多くなされています。それは、直接的引用、暗示、言い換えを含めると400箇所以上になります。このことは、新約聖書諸文書の成り立ちにイザヤ書が多様な仕方で貢献していることを示しています。
イエスの地上の生涯の時代、現在の新約聖書はありませんでした。主イエスが読まれたように少しでもイザヤ書を読みたい。それが願いです。(No.1019)
2025年 1月 5日
「キリストに愛されて」(元旦礼拝説教要旨)
主の年2025年を迎えました。
教会は、キリストのご降誕の喜びの中で古い年を送り、新しい年を迎えます。教会の暦では12月25日を降誕日としていますから、ルカ福音書第2章21節により、1月1日は命名の日となります。新年の最初の日に、救い主である幼子は「イエス」と名付けられました。「イエス」とは「主は救い」という意味です。その通り、主イエスは私たちの救いとなられたことを覚えましょう。
西川口教会の今年の聖句として、ヨハネ福音書第13章34節後半の御言葉を与えられました。特に、「わたし(主イエス)があなたがたを(弟子たちを、私たちを)愛したように」とは、どういうことなのか、どれほどその愛を分かっているのか(もちろん、キリストの愛は、十字架と復活の出来事に示されていますが、それを大前提として)、福音書のイエスと弟子たちとの関わりを丁寧に見つめたいと願っています。イエスがどのように弟子たちを愛されたか。それと同じように私たちも愛されていることを知りたいのです。
そこで第13章の「弟子の足を洗う」出来事を見ましょう。「イエスは…世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」(1節)。洗足はそのイエスの愛の行いでした。洗足は本来奴隷がする仕事でした。それなのに師であり主であるイエスがひざまづき、弟子たちの足を洗ってくださいました。弟子たちの足はきれいになり、イエスが用意された水と手ぬぐいは、どんどん汚れていきます。そのことは、私たちの罪、過ち、汚れを主イエスがすべて引き受けてくださったことを現しています。ペトロが「足を洗わないでください」と言ったとき、イエスは言われました。「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」(8節)。イエスと私の関係はイエスから始まり、イエスに足を差し出さなければ始まらないのです。イエスに罪を赦していただかなければならない私たちなのです。(No.1018)