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週報短文

教会員向けなので、わかりにくい表現もあるかと思いますが、どうぞお読みください(金田佐久子)。


2025年 3月 2日

「日本基督教団 いまとこれから」

 月刊誌『信徒の友』2月号の特集は『専従牧師がいない』。現在の日本基督教団において、切実な課題です。教団総幹事の網中彰子先生の記事『日本基督教団 いまとこれから』では過去のデータと2022年度を比較して見えたこと、それを踏まえての「これから」を考えておられます。
 “本誌巻末にある「日毎の糧」を見ていると、代務や兼務の教会・伝道所がよく目に留まります。
…『(日本基督教団)年鑑2024』所収の「2022年度報告」では、活動休止を除く教会・伝道所1635のうち、278が「代務・兼務・未定」となっています。これは全体の17パーセントほど、およそ6教会に1つの割合です。…教会に勢いのあった1993年度…は日曜礼拝出席者数が6万1261名と、現在の1.6倍、一教会あたりの礼拝出席者数も38名と、現在の24名よりも10名以上多かった…代務や兼務等の割合は11.5パーセント。…
一教会一牧師が難しくなっている理由はもちろん一概には言えませんが、一つには、教師数の減少や教会の経済的理由に加えて、礼拝出席者が増えない実情があるのだと思います。
 2008年4月4日発行『教団新報』で「教団50年データ」が紹介されています。…このデータからわかったのは「お金の問題ではなく、人の問題」ということでした。つまり、「受洗が召天に追いつかない。一般の高齢化とは異なる教団特有の年齢構造」が課題となっていたのです。・・・
 それでは牧師不在が加速している状況に、私たちはいま、そしてこれからどう向き合っていけばいいのでしょうか。・・・”
 「受洗が召天に追いつかない」とは、まさに、コロナ感染の出来事以前から、今に至るまで、(これからも?)西川口教会の課題でもあります。2025年度を前に、また創立75周年の年を迎えて、教会また教団の「これから」について、一人ひとりが当事者として教会の将来、これからの宣教を祈り求める必要があります。(No.1026)


2025年 2月23日

「主の平和があるように~Pray for Shalom」

 今年度の日本基督教団埼玉地区「2・11集会」は地区委員会の主催により開催されました。
 まず、祈りと聖書朗読がなされました。
 「そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。王たちやすべての高官のためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです」。(テモテへの手紙一2・1~2)
 続いて、講師の安田眞先生(日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団川口神召キリスト教会牧師)の紹介があり、講演を伺いました。安田先生は、日本の大学卒業後(当時は学園紛争のただ中)、1973年にイスラエルに渡り、ヘブライ大学で、ヘブライ語と聖書を学ばれました。その後ガイドコースに変更、日本人としては初めてイスラエルの公認ガイドになられました。1982年に帰国し、神学校に進み、川口で開拓伝道を始められました。川口神召キリスト教会を設立し、東川口に会堂を取得し、伝道牧会に励んでおられます。
 私が印象に残ったのは、安田先生がイスラエルに渡った1973年10月、ヨム・キプール戦争(第四次中東戦争)が始まって、管制下となった、と言われたこと、イスラエルはずっと戦時下―主に国境線での局地的なもの―であると言われたことです。イスラエルの地で約10年生活され、その後も、聖書の旅でイスラエルを数えきれないほど訪れた安田先生の言葉です。日本の日常と余りの違い、複雑な歴史と政治の状況に、気が重くなりました。しかし戦争には同意できません。私たちは為政者のために祈るよう求められています。
 シャローム」は日常の挨拶で、「おはよう」「こんにちは」「さようなら」、すべて「シャローム」です。「シャローム」には三つの意味があります。①平和、平安、繁栄、②償う、支払う、報いる、③完全、完成、十全。ここにキリストの救いが示されている、と安田先生は語られました。(No.1025)


2025年 2月16日

中部教区ホームページ、教団ホームページより

 私たちは、能登半島地震と豪雨に見舞われた教会を覚えて回復を祈り、募金に協力しています。
 日本基督教団中部教区ホームページに、折に触れて支援活動等の報告がなされています。写真も添えられていて、現地の様子が分かります。
・1月8日の投稿
「輪島教会礼拝堂 公費解体開始」
 2025年1月6日(月)から輪島教会礼拝堂の公費解体が「福井解体」により開始しました。
1月6~7日、日本基督教団能登半島地震被災教会再建委員会として、宮本義弘委員長、加藤幹夫教区議長、佐々木真氏(ヴォーリズ建築事務所)の3名で、羽咋白百合幼稚園・ゆりっこクラブ、七尾教会、七尾幼稚園、輪島教会、富来伝道所、羽咋教会を訪問しました。
 1月7日に輪島教会を訪問した時、ちょうど礼拝堂の解体が行われていました。…
・1月20日の投稿
「輪島教会の解体工事終了」
 輪島教会の解体工事が予定通り進み、1月18日(土)、基礎を残して、ほぼ更地に近い状態になりました。
 解体に際して、切妻屋根の十字架と梁に用いられていた一本柱を数本残して頂きました。会堂に隣接する洋服店の店舗、家屋も解体され大通りからも仮礼拝がはっきりと見えるように見晴らしが拡がっています。…
 輪島は、ここ数日、例年になく温かな陽気が続いています。皆さまのお祈りとお支えに感謝しつつ報告します。

 また、日本基督教団のホームページには、東日本大震災から14年を覚えて、東北教区と奥羽教区それぞれの記念礼拝のお知らせが載っていました。今も多くの方々が困難の中、深い悲しみの中におられます。東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故を覚えて、共に祈りを合わせたいと思います。オンラインで参加できます。(No.1024)



2025年 2月 9日

三区合同教師会に参加して

 去る1月27日、日本基督教団埼玉地区教師委員会主催の三区合同教師会が、5年ぶりに東松山教会で行われ、参加しました。
 開会礼拝では渡邊典子師(三芳教会)によりルカによる福音書13章6~9節から説教が取り次がれました。その後、指方周平師(東所沢教会)からの発題を受けてから、地区主題聖句であるコリントの信徒への手紙一15章3~8節を黙想し、グループに分かれて御言葉から受けた恵みを分ち合う時を持ちました。
 食事の後には、東松山福音教会(日本福音キリスト教会連合)と東松山聖ルカ教会(日本聖公会)を徒歩、または車で訪問しました。東松山福音教会では岡山英雄師が東松山福音教会の歴史について語られ、教会の開拓に関わった極東福音クルセードに属していた宣教師のマルタ・クラッセンは、ロシア革命を切っ掛けに、ウクライナから、アメリカ・カンサス州に渡り、後に宣教師となってハワイ州出身のトミ・金城師と共に来日。求められてクラッセン師が行った英語でのバイブルクラスが、始まりであったとのことです。
 東松山聖ルカ教会ではヨハネ小野寺達師が、東松山での聖公会のこれまでの宣教の働きについて語ってくださいました。ルカ教会の創立は1888年ですが、1926年に松山聖ルカ幼稚園が開設されキリスト教保育がなされたとのことです。この町に神様の御国を建設する為に、保育に関わるのだという言葉がとても印象に残りました。
 最後に東松山教会(日本基督教団)に戻り、教会の歴史を崔長壽(チェ・ジャンス)師(東松山教会)から伺いました。ワシントン州フリートバーから帰国した柄澤考蔵・茂澄夫妻と、その友人の陽二郎兄が、当時の豊岡メソジスト教会(今の武蔵豊岡教会)の原田為蔵師に申し出て、松山町での教会開設を祈り願ったのが、教会の開拓の始まりであったとのことでした。
 各教会に働く神の御業を見させていただきました。感謝。(参考・埼玉地区ホームページより)(No.1023)


2025年 2月 2日

普段着の聖徒

 S兄が1月28日に主の御許に召されました。ご遺族に主の慰めを祈ります。
 『普段着の聖徒』という信仰書を思い出し、S兄は「普段着の聖徒」と呼ばれるにふさわしい信仰生活を送られたと思いました。神の前にも人の前にも、そのままの姿で向き合っていました。S兄には、喜びも悲しみも、すべてを神は御存じであるという信仰がありました。寿司店をされていたとき、お店でS兄からたくさんお話を伺いましたが、若いとき足に大怪我をされて、たいへんな痛みの中を通されたとき、余りの苦しみに、神に「命も取ってください、足も取ってください。でも、あなたがお取りにならないなら、従います」と、格闘の祈りをされたこと、この怪我があったから、自分は傲慢にならないで済んだ、と言われたことに感銘を受けました。
 2023年11月にお連れ合いのF姉が逝去されたことは、S兄にとって大きな悲しみでした。その悲しみも隠さず、話していました。昨年秋に不調となり、病が見つかりました。私たちは驚き祈っておりましたが、S兄は病を受けとめ、礼拝は休まず来られました。だんだん体が弱ってきました。その中でも一所懸命、いつも通りに暮らしていました。1月26日が最後の主日礼拝の出席となりました。厳しい闘病の日々でしたが、もう少し共に過ごせると思っておりました。しかし先週の主日礼拝の2日後の夜、サッと神のみもとに召されました。私たちの思いを超える神の思いがあることを信じます。
 S兄の愛誦聖句です。「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。」(マタイ6・25~26)(No.1022)


2025年 1月26日

「助けて」と言えること

 私事ですが、同居家族である父(97歳・要介護4)が、昨年末の12月30日にショートステイから帰宅したら、手引き歩行どころか、立つことさえおぼつかなくなってしまいました。原因は分かりません。とにかく対応するしかありません。
 今までも、着替え、歯磨き、排泄の世話、食事の世話など生活全般の介助をしていましたが、これまで手助けして立たせ、手引きで数メートルの歩行はできていました。今回の足の不調のため、椅子からベッド、ベッドから椅子への移動がたいへんでした。健康な人なら立ち上がるのも歩くのも何でもないことですが…。体格が良く、体重もある父を、何とか抱えて立たせ、椅子からベッド、ベッドから椅子へ移動させましたが、私の体に大きな負担がかかりました。
 同じ週の水曜日の元旦礼拝は、集まってくれた家族に車の乗り降りや車いすへの移乗を助けてもらい、久しぶりに教会の礼拝に来ることができ、大きな喜びでした。父が利用しているデイサービスは、元日はお休みでしたが、大晦日も1月2日も営業していて、いつも通りに出かけました。その週もその後も、食欲はあり、睡眠も良好ですが、歩行できるようになりませんでした。1月の2週目はショートステイで私は小休止できました。帰宅しても足の状況は変わらないのでケアマネさんに相談しました。
 ケアマネさん経由で、車いすなどの福祉用具の担当者の方、生活支援担当の方も集まって、どのように介助ができるか、考えてくださいました。今は、いろいろな福祉用具があるので、介護のプロにすぐに相談してよかったと思いました。親身になってくださって、うれしかったです。
 私たちは、神に助けをお願いしますが、医療、介護、福祉など様々な社会資源も神が備えてくださった助けとして、恵みとして遠慮なく使わせていただいています。「助けて」と言えることの大切さ、助けを得て、自分の生活を続けられることも恵みであると、神に感謝いたします。(No.1021)


2025年 1月19日

「集まって一人の人のようになる」

 1月13日(月・祝)、聖学院教会(聖学院大学チャペル)を会場として、埼玉地区新年合同礼拝が行われました。今年は、2年に一度開催されます三区(1区・2区・3区)が合同で行う礼拝でした。出席者は199人(48教会・伝道所)でした。
子ども説教は、「イエス様に出会う人」と題して、大宮教会の甲賀正彦牧師がしてくださいました。甲賀牧師は、今年度『信徒の友』の表紙を素晴らしいイラストで飾っておられます。子ども説教では、ルカによる福音書第2章22~33節より、登場人物のイラストを聖書の言葉と合わせて、プロジェクターで投影しながら、シメオンと救い主の幼子イエスとの出会いを語ってくださいました。
埼玉地区委員長で武蔵豊岡教会の栗原清牧師が、「集まって一人の人のようになる」と題して(聖書箇所は、エズラ記第3章1~4節、ローマの信徒への手紙第12章1~5節)説教をされました。約50年のバビロン捕囚から解放されて、イスラエルの民は礼拝を献げることができました。コロナの試練を経て、こうして再び共に集まって礼拝できる恵みを新たにしました。礼拝とは、自分自身を献げることである、と説き明かしてくださいました。
聖餐式は、志木教会の横山基生牧師(主)と本庄教会の疋田義也牧師(副)が奉仕されました。説教されたように、地区の牧師・信徒と一緒に聖餐にあずかり、主にあって一つとされている恵みを感謝しました。
礼拝後に、今年度、受洗・信仰告白をされた方のため祝福の祈りが埼玉地区副委員長の武田真治牧師(上尾合同教会)によってなされました。新成人の方は新年合同礼拝に来られませんでしたが、若者たちのためにも武田牧師が執り成し祈ってくださいました。
主の年2025年、埼玉地区の1年を、このような地区の一致と連帯のしるしである新年合同礼拝をもって始めることができ、主に心から感謝いたします。(No.1020)


2025年 1月12日

イザヤ書を読もう

 先週は、新年の最初の祈祷会・昼間祈祷会がもたれて、イザヤ書の学びが始まりました。昨年出版された大島力(おおしま・ちから)先生の『イザヤ書を読もう 上 ここに私がおります』(教団出版局)を手掛かりに学びを進めます。読んでみたいと取り組んでもなかなか難しいイザヤ書。仲間と共に少しずつ、説き明かしを聞きながらであれば、通読できるかもしれません。ご一緒にイザヤ書の御言葉に耳を傾けましょう。
 先週の祈祷会ではイザヤ書の概要を知りました。また新約聖書との関係も少し分かりました。
 イザヤ書は大きく三部構成になっています。
 ・第一イザヤ書(1~39章) 
 ・第二イザヤ書(40~55章) 
 ・第三イザヤ書(56~66章)
 それぞれ書き記された時代背景が異なり、また内容も多岐に亘っています。しかし、いずれの部分においても、その時代における「メシア」とその「共同体」の在り方について叙述されています。イザヤ書は「メシア的王の到来」を告げ、バビロン捕囚の経験を通して「苦難の僕」による贖罪信仰に至り、捕囚後のユダヤ教団の中では民族性を超えた普遍主義に開かれていく「メシアとその共同体」の姿を指し示しています。
 イザヤ書が古代キリスト教会において、新約聖書の四つの福音書と並んで「第五の福音書」として親しまれ読まれてきました。このことはイザヤ書の理解において、さらには新約聖書の福音理解にとって、有益な認識であると思います。
 他方、福音書のみならずパウロ書簡等においても、イザヤ書からの引用が多くなされています。それは、直接的引用、暗示、言い換えを含めると400箇所以上になります。このことは、新約聖書諸文書の成り立ちにイザヤ書が多様な仕方で貢献していることを示しています。
 イエスの地上の生涯の時代、現在の新約聖書はありませんでした。主イエスが読まれたように少しでもイザヤ書を読みたい。それが願いです。(No.1019)


2025年 1月 5日

「キリストに愛されて」(元旦礼拝説教要旨)

 主の年2025年を迎えました。
 教会は、キリストのご降誕の喜びの中で古い年を送り、新しい年を迎えます。教会の暦では12月25日を降誕日としていますから、ルカ福音書第2章21節により、1月1日は命名の日となります。新年の最初の日に、救い主である幼子は「イエス」と名付けられました。「イエス」とは「主は救い」という意味です。その通り、主イエスは私たちの救いとなられたことを覚えましょう。
 西川口教会の今年の聖句として、ヨハネ福音書第13章34節後半の御言葉を与えられました。特に、「わたし(主イエス)があなたがたを(弟子たちを、私たちを)愛したように」とは、どういうことなのか、どれほどその愛を分かっているのか(もちろん、キリストの愛は、十字架と復活の出来事に示されていますが、それを大前提として)、福音書のイエスと弟子たちとの関わりを丁寧に見つめたいと願っています。イエスがどのように弟子たちを愛されたか。それと同じように私たちも愛されていることを知りたいのです。
 そこで第13章の「弟子の足を洗う」出来事を見ましょう。「イエスは…世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」(1節)。洗足はそのイエスの愛の行いでした。洗足は本来奴隷がする仕事でした。それなのに師であり主であるイエスがひざまづき、弟子たちの足を洗ってくださいました。弟子たちの足はきれいになり、イエスが用意された水と手ぬぐいは、どんどん汚れていきます。そのことは、私たちの罪、過ち、汚れを主イエスがすべて引き受けてくださったことを現しています。ペトロが「足を洗わないでください」と言ったとき、イエスは言われました。「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」(8節)。イエスと私の関係はイエスから始まり、イエスに足を差し出さなければ始まらないのです。イエスに罪を赦していただかなければならない私たちなのです。(No.1018)

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