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週報短文

教会員向けなので、わかりにくい表現もあるかと思いますが、どうぞお読みください(金田佐久子)。


  2025年11月30日

「義のために迫害される幸い」とは

 先週11月24日、日本基督教団ホーリネスの群教育部主催の2025年度「ホ群 信徒・教師共同セミナー」に部分参加しました。テーマは「ホーリネス弾圧に学び 戦後80年の今を生きる」講師は、東京基督教大学特別教授の山口陽一先生でした。山口先生の専門は日本キリスト教史、実践神学です。
 開会礼拝の説教は山口先生。マタイ福音書第5章10~12節「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々は同じように迫害したのです」(新改訳2017)。さらにダニエル書第9章1~9節、17~19節が朗読されました。説教を聞きながら、「義のために迫害される幸いを知っているか。その幸いに生きているか」と問われたことでした。
 開会礼拝の後、少人数のグループで分かち合いをしました、次いで講演①「ホーリネス弾圧の信仰を継承する」を聞きました。資料が配付され、次のとおり、講演してくださいました。
1.ホーリネス弾圧の概要
2.ホーリネス弾圧の背景
3.ホーリネス弾圧の意味 (1)試練と恩寵
(2)不覚と妥協、(3)謝罪と和解、
4.他の弾圧に学ぶ―森勝四郎の信仰と耶蘇基督之新約教会(「森派」)
 この「森派」の人々の信仰と弾圧については初めて知りまして、感銘を受けました。森勝四郎の言葉「吾々が一番善い事をして、しかも一番悪い結果になり、其時に平安である事が、十字架の喜である」が、マタイ福音書の「義のために迫害される幸い」と響き合います。「森派」の信徒・寺尾喜七の尋問調書に残された信仰による確信の言葉には、大いに胸打たれるものがありました。(No.1065)


  2025年11月23日

『使徒信条の歴史』

 去る11月10日の東京説教塾公開例会では、東京神学大学准教授・中渋谷教会牧師の本城仰太先生による講演「説教と使徒信条」がありました。
 本城先生は、神学生の頃から使徒信条の成立に興味を持ち、神学校で質問すると「使徒信条は古(こ)ローマ信条(4世紀にローマで用いられていた信条)からできた」という答えだけでした。本城先生の中でさらに問いが広がり「古ローマ信条より前はどうだったのか」「聖書から、どのようにして古ローマ信条ができたのか」「古ローマ信条からどのように現在の使徒信条になったのか」という疑問を、時間をかけて研究し、その成果を信徒の方々にも読みやすい書物『使徒信条の歴史』(教文館)にしてくださいました。
 講演では、説教と使徒信条との関わりと共に、使徒信条の成立と受容の歴史が簡潔に語られました。初めて知ることばかりでした。
 4世紀に成立した「古ローマ信条」は各地にひろがり、それぞれの地域で独自の信条が作られ、特に洗礼に際して信条が用いられるようになりました。それらの地域信条が、統一された使徒信条に至ったのは、9世紀、フランク王国のカール大帝の典礼の統一によります。それより少し前、8世紀の修道士ピルミニウスの著作に、現在の使徒信条の文言を見出すことができます。当初、ガリア地方の地域信条でしたが、ピルミニウスの活動を通してかなり広まっていきました。そのためカール大帝の典礼の統一においては、標準化された信条を用いることが決議されるだけでした。さらに時代が下り、教皇領であるローマでは、10~11世紀頃になってようやく使徒信条が受け入れられ、西方教会で統一化されました。さらに時代が下り、16世紀のプロテスタント教会の改革者たちもこの使徒信条を当然のように用いました。そして現代の教会につながっていきます。
 長い時間をかけて、使徒信条の文言が生まれ、世俗の権力さえ用いて統一され、今、私たちのもとに届いていることに、神の摂理を感じました。(No.1064)


  2025年11月16日

アドベントからクリスマスへ

 クリスマスが近づいて参りました。
 12月25日はイエス・キリストの誕生日と思われていますが、聖書のどこにも書かれていません。クリスマスは、イエス・キリストの誕生を喜び祝い、感謝する日です。天の父なる神が、キリスト(救い主)を地上にお遣わしになりました。ですから、「待降節(アドベント)」「降誕日(クリスマス)」のように「降(る)」の字を用いています。教会の暦では、降誕日の4週間前に始まる待降節から公現日(1月6日)までをクリスマスシーズンと定めています。
 来週11月23日の礼拝後直後から聖歌隊賛美の「さやかに星はきらめき」の練習を始めますので、ぜひ参加してください。大きな喜びの到来、救い主の誕生をほめたたえましょう。
 アドベントが始まる11月30日は、キスト岡崎宣教師ご夫妻をお迎えして、特別礼拝と教会修養会があります。キスト岡崎エイブラハム・さゆ里先生とお会いできるのを楽しみにしております。修養会は先生方がリードしてくださるので、どうぞ安心して参加してください。(夕拝は休会。)
 12月14日の夕拝は、ゴスペルクワイアJOINを迎えて、ゴスペル夕拝です。私もJOINの一員として、メンバーと共にレッスンに励んでいます。JOINの方々には、歌詞の意味をお伝えしています。ゴスペルを通して、クリスマスをお祝いしたいと願っています。
 12月21日が今年のクリスマス礼拝です。12月の聖餐はこの日に執行します。すべての人の救いとなられた神の子イエスがお生まれになりました。心から喜んで、礼拝をささげます。
 12月24日の夜7時からは、イブ礼拝です。クリスマスの讃美歌をたくさん歌います。イブ礼拝だからこそおいでになる方もおられます。夜なので、参加が困難の方もおられます。祈りで支えてください。
 降誕の喜びの中で、新しい主の年2026年の元旦礼拝をささげます。(No.1063)


  2025年11月 9日

聖書全体のプロローグ


 月刊『信徒の友』の「日毎の糧」(聖書日課)では10月の最終週から創世記第1章が始まりました。聖書は人間を良く知っている、かみしめながら読みました。
聖書は、旧約聖書と新約聖書から成っています。新約聖書には、イエス・キリストの救いの出来事と、教会の歴史が書かれています。旧約聖書にはイエス・キリストの救いの出来事以前の、イスラエルの歴史が記されています。
 その中で、旧約聖書の初めの部分となる、創世記第1章から第11章までは、聖書全体のプロローグとなっています。この部分は、歴史的な出来事というよりも、物語といえます。物語というと作り話と考えて、軽くみられることがありますが、決してそうではありません。物語という形でしか表せない、人間の根源的な問題を扱っている大切な箇所です。この世界とは何であるか、人間の問題、世界の問題の根源はどこにあるのか、そういうことを取り上げているのがこの箇所です。ですから、創世記第1章から第11章をしっかり理解しておきますと、聖書全体が何を伝えようとしているか、見通しがつくようになります。
 この原稿を書いているのは11月7日で、ノアの洪水の物語を読み終えたところです。悪を行うばかりの人の姿を見て、神は心を痛め、洪水によって世界を裁かれました。その中で、ノアの家族は箱舟に入って救われました。洪水が終わり、ノアが祭壇を築き、焼き尽くす献げ物をささげました。、神はその香りをかいで、御心に語られました。「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。…」(創世記8・21)。洪水の前とは違うことを、神はお決めになったのです。人が心に思うことは幼いときから悪い、そういう人間たちと、最後までつきあっていく、と神は決意されました。わたしたちのために血を流されたキリストの十字架が、ここにもう見え始めています。(参考・吉村和雄著『聖書が教える世界とわたしたち』)(No.1062)


  2025年11月 2日

キリストの証人の群に囲まれて


 本日は、召天者記念礼拝です。
 西川口教会では、毎年11月の最初の日曜日にこの記念礼拝をささげています。神のみ許に召された方々の写真をパネルあるいはアルバムに納めて、礼拝堂に置き、在りし日を偲びます。私は、西川口教会員でもありましたので、お一人お一人のお写真を眺めていると、教会生活を共に過ごした様々な思い出がよみがえってきます。
本日の週報には、逝去した教会員・関係者の氏名のリストをはさんでいます。西川口教会は今年75周年を迎えて、お名前も141人となり驚きです。ここにはご家族からの連絡をいただいて、逝去を知らされた方のお名前も記しています。いろいろなご事情があったと思います。すべては、命の造り主である神がご存じです。
 超高齢社会となった現代日本ですが、召された方々の中には、若くして地上の生涯を終えた方が何人もおられます。突然の死を迎えた方もおられます。家族を遺し、家族と共に過ごすことが叶わないつらさがありました。遺されたご家族もつらかった日々を過ごされました。長い年月を経て、そこから癒されて、今を感謝してお過ごしになっている方々も知っております。
 「こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。」(ヘブライ人への手紙第12章1~2節)
 本日の礼拝の写真の方々も、この聖書の言葉のとおり証人の群れに加えられています。地上の礼拝は、天上にあるおびただしいキリストの証人の群れに囲まれている礼拝なのです。本日、私たちが記念する方々は「死にましたが、信仰によってまだ語っています」(ヘブライ11・4)。この方々が証ししているイエス・キリストを見つめて、信仰によって共に歩みましょう。(No.1061)


  2025年10月26日

「レクティオ・ディビナ」 (聖なる読書)へ招かれて


 先週の月曜から火曜まで、関東教区教師研修会に参加しました。講師は、齋藤衛先生(日本ルーテル神学校 デール・パストラル・センター所長、日本ルーテル教団東京ルーテルセンター教会牧師)、テーマは「祈りで聴く『レクティオ・ディビナ』によるみ言葉の黙想と説教」。「レクティオ・ディヴィナ」とは、カトリック教会で培われてきた御言葉の黙想・観想の方法で、聖書を読み・黙想し・祈り・観想するという4つの段階を経て神と共にあることの恵みに至る道のりのことです。
 講師の齋藤先生が、2009年末から2010年1月の10日間。韓国聖公会聖フランシスコ修女会で持たれた観想祈祷会に参加され、大沈黙の中、聖書だけを携えて黙想し、神に尋ねて、対話を通して、それまでにない主への親しさをいただいた、それから始まったとのことでした。
 ・沈黙。それは霊的断食。人との関係を断ち、ひたすら神に心向ける。
 ・神さまに何でも訊きなさい。
 ・神との親しさの中で自分を知ること。
 10日間ひたすら神に向かうとは、驚きました。しかし、沈黙の大切さは感じます。現代社会はあまりにも言葉に溢れており、その言葉にどれだけ真実があるか、と思っています。
 改革者ルターの言葉も紹介してくださいました。
 ①祈り…自分の考えや理解を捨て、聖霊の導きを祈りなさい。神はみ言葉を通して聖霊を与え、啓示と導きを与える。ルターは聖霊の通路・恵みの手段としてのみ言葉に信頼する。
 ②黙想…口に出して繰り返し読みなさい。自分自身に語りかけられた「外からの言葉」として聴きなさい。熱心に何度も(反芻し)注意深く聴きなさい。
 ③試練…み言葉を通して働く聖霊の力は、試練において最もはっきりと発見され、経験される。すなわち人の生活のただ中で聖書を読みなさい。他人ごとではなく自分の問題として。(No.1060)


  2025年10月19日

修養会「教会のヘルスチェック」


  今年の夏に、キスト岡崎エイブラハム、さゆ里宣教師より「ミッションニューズレター」が届きました。次のように活動紹介がありました。
“〈修養会プログラム「教会のヘルスチェック」〉教会はキリストの「体」です。健康な体になるため健康診断をしてみましょう。外からの評価ではなく、セルフチェック(問診票)です。自分の教会について、教会員みんなで話し合ってみませんか。修養会でプログラムに取り組んだ教会からの感想を載せています。
・M教会 …自分たちの教会が今どのような状態なのか、問診票にチェックしてエイブラハム先生がそれを集計して下さって、さゆ里先生がそれを説明します。分団に分かれてお互いのチェック項目について話し合い、教会がどんな状況か6項目で分かれたグラフをプロジェクターに映して見せてもらいました。再度、分団に分かれて「どんな教会になりたいか? そのために何をするか?」を話し合い、書いてもらいます。そして発表。前向きにこれからの教会をどうしていくか、話し合える時を持ててとてもとても恵まれた時をいただきました。エイブラハム先生の聖書新作アニメーションが見られて…メッセージに励まされ、伝えることの幸いを思いました。・・・
・Y教会 …教会員の皆さんの反応がとてもよく、目から鱗なアイデアもたくさんいただきました。教会の再生に必要な要素が明確化されましたし、…同時にこれからすべきことも示されたので、良かったです。・・・”
 西川口教会の役員会では、今年度は懇談会の開催を予定しておりました。同時に、懇談会に教会員が喜んで参加し、有意義なものになるためどうすればいいか、祈り求めていました。そのとき「教会のヘルスチェック」プログラムを知り、参加者全員の意見を吸い上げ、教会の現状を共有できる内容に、心を動かされました。役員会で紹介し、開催を決めました。11月30日、ぜひ参加してください(教会員・関係者のみ)。(No.1059)


  2025年10月12日

土の器に納めた宝


 キリスト教ラジオ放送局日本FEBCの10月4日にウクライナ宣教師の船越真人先生が出演され、耳を傾けました(私はインターネット放送で聞きました。放送日から4週間聞けます)。船越宣教師は、1年ほど前、NHKEテレの番組『こころの時代』の「ウクライナ 苦しみとともに歩む」に出演されました。1998年にウクライナに渡り、ソ連邦崩壊後の混乱の中でアルコールや薬物の中毒に苦しむ人々と自らの教会を拠点に向き合ってこられました。ウクライナ戦争では、戦場から傷つき帰還した兵士たちの心のケアも行っています。FEBCの番組では、御自分が信じて来られた福音が何であるのか問われた、という船越先生の言葉に感じ入るものがありました。
 “…「お前に何が分かる」と言われ、あの地獄で神はどこにいたのかと。ここでは人の言葉は通用しません。それは私にとってパウロが見たイエスの十字架を知っているのか…問われているということです。・・・
 第2コリントの4章が今の私にとって支えです。英語で言えばレジリエンス・・・折れない力というか、トラウマなどに倒されてしまう逆境の中で回復する力を強く思う。というのは、ロシアが放つロケット弾、ミサイル、無人爆撃機が飛んでくる恐怖の中で、自分の息子が、あるいは父親がいつ戦場に連れられていくか分からない壮絶なストレスに晒されながら生きているからです。パウロも石打ち、鞭打ち、海難、漂流、裏切りといった試練の中で、落胆することはない(2コリント4・1と言い切る。それは、イエス・キリストの命という宝をこの脆く粗末な土の器に入れているから(10、11節)です。このことが今、この私を支えています。”(月刊誌より)
 日本基督教団行事暦で、先週の主日は、世界宣教の日、本日は神学校日・伝道献身者奨励日です。すべてのキリスト者は伝道者です。自分自身も含め人間の罪の現実のただ中で、折れないで生きていく秘訣を、船越宣教師の証しに見ました。(No.1058)


  2025年10月 5日

永本慶子先生を偲ぶ


 当教会で2004~2009年度の6年間、担任教師として奉仕された永本慶子師が、9月7日に逝去されました(78歳)。私は、主任担任教師として永本先生と6年間の共同牧会でした。主日礼拝説教は隔週で担当、昼間祈祷会の奨励、毎月の平松家家庭集会と火曜会を担当されました。
 永本先生のご両親様とお兄様が、「慶子は信仰をもってから変わった」と言われて、それぞれ求道され、洗礼をお受けになりました。特に、東京在住のお兄様に永本先生が病床で洗礼を授けられた出来事―お兄様と永本先生と私の、まことに静かで平安に満ちた洗礼式―は心に残っています。
 西川口教会の60周年記念で発行した『10年の記録』誌に「西川口教会に思うこと」と題して永本先生がお祝いの言葉を寄せてくださっています。一部引用します。
 “私は…もともと西川口教会員でもありました。すでに他の教会で洗礼は受けていたものの、その後も長い魂の放浪と苦悩が続き、生きる限界を感じていた時、導かれたのが西川口教会でした。教会の方たちの温かさ、優しさに癒され、生きる希望と力が甦ってくるようで、まさに主の導きと憐れみでした〔注・1989年転入会〕。
 献身の思いが与えられたのもその頃です。献身と同時に、生涯治らない持病があることがわかりましたが、それも神様からのものと信じ、伝道者の道を歩き始めました。・・・
 行き詰まったり、体の不調に泣いたり、かと思えば、伝道者として天にも昇る喜びに包まれたりと、充実した6年間だったと思っています。どん底にいた私を迎え入れ、神学生としての歩みを援け、十分働けない私を受け入れ、いつも祈り、労わって下さった西川口教会だからこそ、6年間、不十分ながらも牧会者としての喜びを味わうことが出来たと思っています。心から感謝しています。
 これからも西川口教会は、人に希望を与え、悩む人に助けを、弱い人を労わる、そんな優しい存在であって欲しいと切に願っています。”(No.1057)


  2025年 9月28日

第20回地区IT祭り


 埼玉地区ホームページ委員会主催による第20回IT祭りが、2025年9月20日、埼玉新生教会で開かれました。私は、現在、地区ホームページ委員会の委員長をしています。コロナの間は開催を見合わせましたが、こうして20回目のIT祭りを開催することができ、感謝いたします。
 節目となる今回のテーマは「『伝える』と『守る』のちょうどよい関係~やさしく学ぶホームページと個人情報~」と題して、教会ホームページと個人情報の関係について、講師をお招きして講演を行っていただきました。講師は有限会社輝のウェブ担当の水野真氏。約1時間にわたって、教会ホームページで注意すべき点や、法律(特に個人情報保護法)との関係をわかりやすく丁寧に、パワーポイントの資料を見ながら解説してくださいました。講演の後の質疑応答では、参加者から具体的な事例がいくつかあげられ、そのことについて個人情報との関係や、こうすればよいのではといった助言や提案を示してくださいました。普段私たちが考えが及ばない部分への気づきが示されました。休憩をはさんで、参加者の教会のホームページの紹介があり、最後に記念の集合写真を撮って終了となりました。
 参加者は20名、参加教会は11教会で、他地区からの参加もありました。個人情報に関心が強い参加者ばかりでしたので、活発な質問や意見交換が行われ有意義な時間となりました。
 埼玉地区ホームページの報告のページから、IT祭りの講演を動画(約60分)で見ることができます。ぜひご覧ください。また、パワーポイントの資料も見ることができます。ぜひ、活用してください。
 埼玉地区ホームページ委員会の主な活動は、地区ホームページの管理と運営、地区月報の発行、IT祭りの開催、教会ホームページの作成協力です。ITという時代の道具を使って、宣教のお役に立ちたいと願っております。(参考・埼玉地区ホームページ) (No.1056)


  2025年 9月21日

「がん哲学から教会は何を期待されているか」


 9月15日(月・祝)、『21世紀のエステル会』による「第8回シンポジウム」が、日本基督教団ひばりが丘教会にて開催されました。
 「教会でもがん哲学外来カフェを始めてみたら…」をテーマに、「がん哲学から教会は何を期待されているか」をサブテーマに掲げ、準備をしてきました。「人生に期待するのではなく、人生から期待されている」と気づくとき、人は自分の役割と使命感を持って生き始めることができます。教会のがん哲学カフェはどうでしょう。樋野先生はよく「底が抜けない、頑丈な、空っぽの器を作ってください」とおっしゃいます。また、童謡「犬のおまわりさん」の意義を紹介されます。「迷子の子猫ちゃんといっしょに困って泣く。それでいいのです」と。カフェの主体は参加されている方々、特に、がん哲学カフェだからこそおいでになった方々です。その方々のため、地域のため、「教会の」がん哲学カフェの役割は何でしょう。共に考え、語り合ってみましょうという主旨です。
 今回は、お二人のゲストをお迎えしました。友納靖司先生(常盤台バプテスト教会牧師)と大嶋重徳先生(鳩ヶ谷福音自由教会牧師)です。先生方にご自分の教会とがん哲学外来メディカルカフェとの関わりについて、少しお話していただきました。その後、樋野先生を交えて、3人の先生方のトークセッションとなりました。「教会が」がん哲学カフェを担う意味や使命を語り合っていただきました。大嶋先生の進行はとても素晴らしく、参加者一同喜び、楽しみ、心に沁みる言葉をいただきました。大嶋先生が、私たちは黙っていてもキリストの香りを放っていると言われたこと、友納先生が、キリストの御腕が支えていると言われたことが心に残りました。樋野先生は、全国すべての教会でがん哲学カフェが開かれれば、必要としている人々を受け止められるとビジョンを語ってくださいました。志を同じくする方々と出会い、力をいただきました。感謝です。(No.1055)


  2025年 9月14日

「主は与え、主は奪う」

 私が毎年参加している日光オリーブの里アシュラム、今年は9月24日~25日とのこと。水曜夜の祈祷会はやむを得ず休会とし、昼間祈祷会はいつも通り行い、学びの資料を準備します。その資料をどうしようかと思い巡らしていましたら、今年の夏に刊行された小島誠志先生の説教集『信仰の旅路』の中のヨブ記の説教を読もうと導かれました。
 説教全文は25日の祈祷会で紹介しますが(ぜひ、祈祷会に参加してください)、本日の敬老祝福礼拝にあたり、一部を引用します。
“…ヨブは、神の前にひれ伏して、こう言いました。「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」〔ヨブ1・21〕。
 彼は、すべてを失って、一挙にわかったことがありました。つまり、なくなって初めて見えてきたことが彼にはありました。人間は、失わなければ見えてこないものがあるわけです。・・・人間は、知恵があり、能力がある賢い者でありますけれども、しかしどんなに賢くても、あるいは能力が優れていたとしても、それで人生の大事が見えるということはありません。賢いから人生のことがよくわかる、そんなことはないのです。人生の本当に大事なことは、失って初めて見えてくる。失わなければ身にしみてわからないことがある。
 実は、人間が歳をとるということは、いろいろなレベルで、いろいろな力を失いながら生きていくことです。人間の体力的な面から言いますと、十代の終わりがおそらく一番元気な、最も体の能力が活発に働いている時でありまして、それから後はずっと下り坂です。・・・しかしその下り坂でいろいろなものを失いながら、人間は何かを見出していくのです。そこで何かを知らされていくのです。つまり何かを失うことによって何かを得ていく。いや、失わなければわからないことが、次第にわかってくる。それが、人間が歳を重ねることの意味じゃないかと思います。・・・”(No.1054)


  2025年 9月 7日

N兄、召される

 去る8月31日の午後、N兄が亡くなったとご家族から連絡がありました。生前、教会での葬儀を希望しておられ、ご家族がその意思を大切にしてくださり、当教会で葬儀を行いました。
 長く礼拝を休んでおられましたが、6年前、2019年の秋、N兄から教会宛にお葉書をいただきました。
“教会を離れてからしばらくたちました。教会員の皆様お元気ですか。家庭の事情で、今、戸田市に来ています。…西川口教会に行きたいのですが、もう70歳を過ぎ、足腰が弱くなり、歩いて行けないので、ハガキを出しました。毎日のように聖書を読み、神とイエス・キリストと聖霊の三位一体の神様に祈っています。・・・今も教会を離れていますが、神様は生きておられ、毎日助けられています。祈ってください。時間があったら来てください。また、ハガキか手紙を励ましのために書いてください。・・・元気になったら、西川口教会に行き、皆様に会いたいです。さようなら”
 早速、ハガキにありました番号に電話をして、訪問の約束をして、後日、N兄のお住まいの近くのファミレスで、近況や体調のことなどを聞きました。訪問のあとは、月報を毎月お送りしていました。2020年以降、コロナ感染症のため訪問も難しく、結局そのときがゆっくりと話せた最後の時となりました。N兄からは、何回か、素敵なクリスマスカードが届きました。
“クリスマスおめでとうございます。
 神に栄光がありますように。
 「イエスはお答えになった。『医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである』」(ルカ5・31~32)。
 イエス・キリストは私のような罪人のために天国から、聖霊によって、地上に下りて来られたのです。・・・私のために祈ってください。アーメン”(2021年のクリスマスカードより)(No.1053)


  2025年 8月31日

第71回こころの友伝道全国大会

 厳しい残暑のなか、8月25日(月)~26日(火)、日本基督教団赤羽教会を会場に、第71回こころの友伝道全国大会が開催されました。「信仰における確信Ⅱ」を主題に掲げました。参加者は63人(当教会より11人)でした。
 第1日目の開会礼拝は、小松川教会の澤田武先生の司式と説教でした。次に、在日大韓基督教会大阪西成教会の金武士(きむ・むさ)先生による講演「こころの友伝道の三つの基本」がありました。金先生は、こころの友伝道全国連合会副会長・関西支部長のご奉仕を担ってくださっています。今大会の特別講師は、東京聖書学校神学教師の島隆三先生です。今大会の主題は、昨年の主題を継承し、ローマの信徒への手紙から講演をお願いしました。特別講演1は「信仰の確信」(ローマ7・7~25)。内村鑑三の説教が紹介され、御言葉の深遠さを味わいました。夕食後は、小グループに分かれて分団の交わりのひととき。再会と出会いを喜びました。
 第2日目は、朝6時から早天祈祷会。武生教会の後藤真英先生が証しを交えて説教してくださいました。講演「こころの友伝道五つの実際」は私が担当しました。次いで、島隆三先生の特別講演2「確信はどこから」(ローマ8・31~39)でした。内村鑑三は、31節以下は「大賛美」と題して、信仰の勝利を歌う大賛美だと語りました。キリストにあって私たちは何と素晴らしい人生に招かれていることでしょう。午後はピアノ・ミニコンサートに始まり、「賛美と証」は、東調布教会の亀井拓也先生の司会と賛美の導きで、3人の方々の実証(当教会のIさんもご奉仕)があり、それぞれの方に与えられた神の救いと導きが証しされ、心から主の御名を賛美しました。派遣礼拝は新宿西教会牧師で、こころの友伝道連合会会長の深谷春男先生より説教「主の愛の福音によって変容される人生―メタモルフォーセーの生涯―」(ローマ12・1~2)でした。
 神の恵みでいっぱいの大会でした。感謝。(No.1052)


  2025年 8月24日

改めて、イザヤ書を読もう

 今年1月の祈祷会・昼間祈祷会からイザヤ書の学びを始め、先々週、イザヤ書第1章~第39章の学びを終えました。第40章以降は今年の夏に刊行された『イザヤ書を読もう 下 慰めよ、私の民を』を通して学びます。私は、本のあとがきから読むタイプですが、前述の下巻を入手して、まず「あとがきにかえて」を読みました。日本キリスト教団出版局の土肥研一さんがお書きになっていました。なぜ著者の大島力先生があとがきを書いておられないのか、その事情も分かりました。
 大島先生が昨年12月に71歳で召され、『イザヤ書を読もう』下巻が生前、最後の原稿になったこと、『あとがき』を書く力はないので、担当編集者に書いてもらうよう遺言があったことを知りました。大島先生と親しく過ごされた方々の証しによって、大島先生がどのように牧師・旧約聖書学者・大学教員として生きてこられたか伝わってきました。大島先生は2023年の秋に病に倒れられ、その後自宅療養ができるまでになりました。
 “それからの1年弱は『奇跡の1年間』でした。毎朝、目が覚めて1日を始められること。歩くことができ、食べることができ、呼吸ができること。それは決して当たり前ではないことを噛み締める、恵みの時であったと思います。それでも夫は変に気負うこともなく、これまでと同じように、今日できること、今日与えられていることを誠実になすことを心がけていたと思います。自分は神さまからイザヤ書を学ぶ機会と時間を与えられたので、それを書き残して、皆さんの役に立ててほしいというのが彼の願いでした。…”
 大島先生が体が弱っていく厳しい中で、この本を書き上げられたことに、心が揺さぶられました。こうして、大島先生の『イザヤ書を読もう』によって、私たちも祈祷会で豊かな学びができます。神の言葉が自分のところに届くことは、当たり前ではない、と改めて感じました。
 皆様、祈祷会あるいは昼間祈祷会で、ご一緒に、イザヤ書を読んでみませんか。(No.1051)


  2025年 8月17日

「平和を求める8・15集会~今年 戦後80年を迎えて」

 本年8月15日埼玉地区主催で「平和を求める8・15集会」が大宮教会で開催されました。
 講師は、「公益財団法人日本YMCA同盟」の横山由利亜さん。ウクライナ避難者支援プロジェクト責任者・執行理事です。講演題は「ウクライナからの避難者はいま—伴走支援から見えてきたこと—YMCA世界各地での避難者支援をとおして」でした。栗原清埼玉地区委員長による開会祈祷の後、横山さんの講演を伺いました。この講演では、ウクライナ避難者の方々に寄り添ってこられた活動の中で、横山さんが受けとめてきたことを語る、と前置きがありました。
 ロシアのウクライナ侵攻から3年半が過ぎようとしています。避難者の方々は「まさか戦争が始まるとは思わなかった」「戦争がこんなに長くなるとは思わなかった」と口にしています。世界の120の国・地域で活動しているYMCAは、ロシアが軍事侵攻した当日から、ウクライナの西部の国境付近で人道支援を開始しました。日本YMCA同盟が支援活動を始めたのは、在日ウクライナ男性から「ウクライナにいる母親を日本に呼び寄せたいので助けてほしい」という1本の電話からでした。ヨーロッパのYMCAと連携して日本へ避難する人々をサポートしてきました。YMCAは日本では東京を中心にこれまで全国1700名の避難者支援を、来日から生活自立支援まで行ってきました。支援活動内容も避難者の状況に応じて変化します。初期は入国や移動の住宅への案内という支援、次に住民登録や日本語学習の機会提供など。さらに個別訪問を実施して話をよく聞き、各家庭の個別の支援や心のケア。2023年1月ごろから、これからどのように過ごすのか人生設計に関わる相談が増えたそうです。家族と離れている罪悪感や将来への不安を持つ人もいます。
 細やかな支援に頭が下がりました。YMCA同盟の公式ホームページにウクライナ避難者支援活動が報告されています。(No.1050)


  2025年 8月10日

「幸せなら手をたたこう~いのちの希望に生きる」

 本年8月8日~9日の1泊2日、第46回埼玉地区教会全体修養会が開催されました。主題は「幸せなら手をたたこう」、サブテーマは「いのちの希望に生きる」。講師は、木村利人先生(「幸せなら手をたたこう」作詞者)。会場は軽井沢南ヶ丘倶楽部。部分参加も含めて参加者は、22教会・伝道所、94人(そのうち子どもは9人)でした。
 埼玉地区修養会の案内には、講師の木村利人先生からの招きの言葉がありました。
“私自身が受けた戦前の「教育」では、「天皇陛下」のために臣民として「いのち」を捧げるよう教えられました。私は現在、91歳ですが、集団学童疎開中に天皇陛下による敗戦のラジオ放送を聞いた今から80年前の大きな衝撃は忘れられません。価値観の大激変の中で、中学時代に聖書に出会い、日本基督教団富士見町教会で洗礼を受け、本年は受洗して75年です〔現在、教団霊南坂教会員〕。
 大学院を終え、タイ、ベトナム、スイス、アメリカ、日本の大学等で約40年以上、研究・教育に従事し、「バイオエシックス(生命倫理)」という新しい学問分野を創造し…国の内外で展開してきました。これらの経験をふまえ、この修養会では「いのちの希望に生きる」をテーマにキリスト者としての「いのちの生き方、支え方、終わり方」等を共に分かち合いたい、と願っています。…”
 木村先生の講演は、体験に根差したお話で、分かりやすく、心に入って来ました。神が造られたゆえにどんな人も尊厳ある存在として重んじられることを求め、それが研究・教育活動にも貫かれていることがよく分かりました。
 大人たちが講演と分団の時間を過ごしている間、子どもたちは「へいわってすてきだね」のテーマのもと、スタッフの方々の温かい配慮の中で過ごしておりました。全体会では「幸せなら手をたたこう」を歌ってくれました。
 軽井沢の自然に癒され、地区の教会の方々との出会いを喜び、恵みに満たされて帰宅しました。(No.1049)


  2025年 8月 3日

「戦後80年にあたって平和を求める祈り」

 8月第1主日は、日本基督教団行事暦で「平和聖日」です。本年7月26日付教団新報に、「戦後80年にあたって、平和を求める祈り」が掲載されていました。一部紹介いたします。
“今、心を一つにして、私たちの父なる神に祈ります。「御名が崇められますように。御国が来ますように。御心が天になるごとく、地にもなりますように。」
アジア太平洋戦争の敗戦から80年を迎えます。神が造られ、愛された何千万人もの命が、私たちの罪によって傷つけられ、奪われたことを深く悔い改め、人類が二度とあのような過ちを犯すことがないようにと、平和の主に祈り願います。
 しかしこの80年の間にも、多くの戦争・内戦が世界中であり、今も1億人を超える人が難民とされています。私たちがまことに無力であったことを悔いるものです。この現実の中で、それでも私たちは復活の主がまことの平和へと世界を導いてくださることを信じ、心を新たにして平和を祈り願います。そして、御言葉を宣べ伝え、御国を目指して歩んで行きます。また、私たち自身が、戦時中に神と人とに対して大きな罪を犯したのみならず、その後も時代と共に変わりゆくイデオロギーや歴史観に振り回されたことを悔い改めます。主の御前に立って全ての者が悔い改め、ただ主の平和に仕える者となりますように。時代は変わり人は変わりますが、神の言葉は永遠に変わることがありません。正しいお方は、十字架の主であるあなただけです。主よ、憐れんでください。
 近年は日本の近海においても緊張状態が続いています。その様な中で琉球弧の島々に住む方々が担わされている過重な労苦に対して痛みを覚えます。私たちが自分の利益だけを追い求めることなく、十字架の主イエス・キリストの御前に立って、神が与えられた力と知恵とを平和の実現のために用いてまいります。…平和の主イエス・キリストよ、早く来てください。…”(No.1048)


  2025年 7月27日

「教会の顔は誰?」

 本年7月21日付の「キリスト新聞」の連載「地方からの挑戦 コレカラの信徒への手紙」に、「教会の顔は誰?」と題しての記事に、昨年の『信徒の友』10月号の特集へのコメントがあり、興味深く読みました。
 “…そんな私に衝撃を与えたのが、2024年の「信徒の友」10月号です。この号では「新来会者を迎えよう」という特集が組まれ、「初めての人のためにできること」「まだ出会っていない誰かのために」など、大切なことがたくさん記されていました。
 その中で一番衝撃だったのが「受付は教会の顔」という記事でした〔注・筆者が書いたもの〕。教会のイメージが牧師で決まると思っていた私は、その記事を読み、目から何枚ものウロコが剥がれ落ちていきました。そして、私が最初に教会を訪れた時のことを思い起こしてみると、確かにその記事に記されている通りでした。私は中学1年のころに初めて教会を訪れましたが、最初に出会ったのは信徒の方々で「よく来たね~」と温かく迎え入れてくださり、2回目からも「おっ! 今日も来たね!」と声をかけてくださったことを覚えています。今思い返すと、「受け入れられている」「覚えてもらっている」という感覚が、その後も教会へ通い続けることにつながったのです。…”
 さらに“「今の教会はどんな姿を、どんな顔をしているのだろうか」ということを見つめ直すことも大事なのではないでしょうか。…”と続けてお書きくださって、私自身、聞くべきことがあると思わされました。
 “…和暦を使用すると叱られそうですが、あえてこのような表現をしますと…「令和」の時代に生きる人から見る昭和は、昭和の時代に生きる人から見る明治の感覚なのではないか…”
 この指摘にはドキッとさせられました。今の西川口教会は、どんな顔をしているのか、どんな顔を新来会者に見せているのか、見つめ直す必要があるかもしれません。(No.1047)


  2025年 7月20日

ごみ収集のお休みから思ったこと

 牧師館は川口市の隣りの戸田市にあり、私の戸田市在住は今年の春で25年を過ぎました。戸田に在住して初めてのことですが、7月12日正午ごろ、戸田市のごみ処理施設(蕨戸田衛生センター)で火災が発生しました。その影響で、先週の前半はごみの収集がお休みになりました。施設の稼働再開には相当の時間を要するようですが、ごみ処理は県内の自治体と民間企業の受け入れ協力を得て先週後半からごみ収集は再開されました。
 ごみの収集が急にストップして、日々が滞りなく過ごせるのは当然ではないと知らされました。また、近隣の自治体の協力が得られることもありがたいことと、受け入れられる余裕があることも必要なことだと思いました。
 現代の日本に生きる私たちは便利で快適な生活を送り、それに伴い、たくさんのごみを出しています。最近新聞で読んで驚かされたのは、プラスチックが粉砕や分解されてできるマイクロプラスチック、さらに細かいナノプラスチックが人体から検出されたという報告が相次いでいるということです。人体への影響はまだ明らかになっていないようですが。プラスチックに添加される化学物質の人体への影響もあるとのこと。既に、大気には、マイクロプラスチックが浮遊しています。海洋もプラスチックに汚染されていて、海の生き物が取り込んでいます。
 プラスチックだけではありません。原子力発電に伴って発生する、いわゆる「核のゴミ」、高レベル放射性廃棄物の処分も大きな課題です。
 戦後80年の区切りの年と言われていますが、沖縄では、不発弾処理の要請がほぼ毎日あり、「沖縄は不発弾だらけ。いつになったらなくなるか」という記事も読みました。
 便利さと引き換えに、私たちは神がお造りになり、「極めて良かった」(創世記1・31)と言われた世界を、汚染したり、荒廃させています。神はそれを見過ごすことはなさらないでしょう。人にその責任を問われると思っています。(No.1046)


  2025年 7月13日

「神の選び」とは神に愛されていること

 現在、水曜と木曜の祈祷会では、大島力先生の『イザヤ書を読もう 上 ここに私がおります』をテキストにして、イザヤ書の学びをしています。先週の学びで、預言者イザヤの言葉は、「エジプトに頼ることはできない!」というメッセージを人々に伝えることにあったと知りました。何とかイスラエルの民がアイデンティティを保つために、イザヤは警告しました。そこで、神の民のアイデンティティについて、以前、祈祷会で用いた左近淑(さこん・きよし)先生の言葉を改めて読みました。『神の民の信仰』の「第1講 出エジプト―神の民の成立」より引用します。
 “…申命記7章6節から11節までは、実は神の選びということの古典的な箇所で、「選ばれた民」ということを語る時には、とにかくここを扱えばいいのだという箇所です。…神が本当にそういうみじめな者を熱愛された。…どうしてあんなちっぽけな、みじめな、あんな情ない民を神は選んだのか。聖書によりますと、よろずの民のうち最も数の少ない、劣等なものである。ところが、その劣等な民を神は愛した。…これは人間が人間を恋い慕う、身をこがして恋いこがれている時に使うのです…。どうして神様がこんな思いをもつのか。神様らしくないではないか。でも、神様が神様らしくないことをなさる、これが神様の愛だ。私はまあ、旧約だって新約だって同じではないかと思う。みじめな過去を持って顔もあげられない、できるだけ隠して、かたくなに生きよう、過去のことは思い出したくもない、しかし恨みだけは持つと、そういうふうにひねくれている、自分はそういう所で生れた。けれども、神様はひねくれた人々の中に入って来て、人間の心というか、思いの限りを尽して、身を尽して恋いこがれてくれた。そういうところに感激しているのが、聖書の共同体ということだ、と私は思うのです。…”
 教会はキリストにある神の民、聖書の共同体です。この感激をいつも新たに、と祈ります。(No.1045)


  2025年 7月 6日

賀来周一先生を偲んで

 キリスト教カウンセリングセンター(CCC)の前理事長であられた賀来周一先生が召されました。私はCCCの講座で賀来先生を知りました。賀来先生は日本福音ルーテル教団の牧師でありつつ、カウンセリングの専門家でしたから、教会の人間関係における課題への導きは的確であり、信頼できました。
 2006年の秋に、西川口教会の特別礼拝で奉仕してくださいました。「『なぜ』こんな事がと問う時、その答えは」と題して、ヨブ記から説教されました。説教要旨から引用します。
 “…そのこと〔不条理〕を聖書で一番身近に感じるのは「ヨブ記」です。ヨブは信仰深い人だったのです。彼は全財産を失い、体じゅうできもので覆われ、ひとりぼっちになってしまいました。ヨブの姿から「信仰を持ったからといって、災いから逃れることはない」と聖書は教えており、それに対して一つの答えを出そうとしているのです。
 …十字架でイエスは「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と言われました。キリストは罪なき方です。しかも、キリストは神ご自身でした。神が神に向かって「なぜわたしをお見捨てになったのですか」とおっしゃる。こんな、とんでもない不条理はないですね。「神様はいない、だからわたしはこんなつらい目に遭っている」という方がいらっしゃると思います。それとちょうど同じ、誰からも見捨てられたところにキリストは身を置いた。キリストは復活なさる方、今も生きておられます。その方が、それこそ「神も仏もない!」というところに身を置かれました。それが十字架の出来事です。不条理の極みにキリストは身を置かれたということです。…
 ヨブ記38章は、ヨブの苦しみに対する答えです。しかしヨブが問いかけたときに、神は「それはこういうことだよ」ではなく、ヨブに対して問い返されるお方です。神はヨブの向いている方向を一緒に向いて、問う者と一緒に問う。それがヨブ記に出てくる神です。…”(No.1044)


  2025年 6月29日

若い人たちへの伝道―学校と教会が力を合わせて

 先週の6月24日の夕方、聖学院中学校・高等学校を会場に、「教会と聖学院との懇談会」が開催され、参加しました。テーマは「教会と学校の協力―若い人たちへの伝道のために―」。開会礼拝、院長挨拶、各校代表者の紹介のあと、聖学院中高校長の伊藤大輔先生より聖学院中高の教育について発題がありました。初めからグループに分かれて着席しており、発題後、そのメンバーで感じたことなどを分かち合いました。懇談会のプログラムでユニークだったのは「GCI宗教文化ゼミ報告」でした。2021年のミャンマーのクーデターを現地で経験した後で、帰国された生徒がおり、その方の発案で、ミャンマーで作られた生地や織物で聖書や讃美歌のカバーを制作してもらい、それを学内等で販売して、売上をミャンマー支援活動に用いる、というものでした。とても素晴らしいことだと感心しました。
 聖学院キリスト教センターによる冊子「キリスト教活動報告書2024」もいただきました。聖学院大学の学生への「キリスト教に関するアンケート」の結果が掲載されており、参考になりました。学生は、実際に礼拝を体験し、聖書に触れることで、キリスト教に対するポジティブなイメージが増加した、偏見や誤解が解けたという結果でした。一方で、礼拝出席やレポートに強制されている、負担であるという感想を持っている学生もいます。それらもしっかりと受けとめたいということでした。
 教会としては、いつ、若い人が来ても良いように、常に伝道の礼拝であることが大切なのではないでしょうか。若い人に何かを求める前に、教会は、常に、霊と真理の礼拝をしているか吟味することが必要ではないでしょうか。
 「しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ」(ヨハネ4・23)。(No.1043)


  2025年 6月22日

地域のために心を合わせて

 先週の6月17日は、当教会を会場に、埼玉県南牧師会の定例会が開催されました。毎月第3火曜日の午後に開催しています。埼玉県南牧師会は川口市、戸田市、蕨市にある教会の牧師たちのゆるやかなネットワークです。超教派です。大きな働きは、毎年12月の「クリスマスの夕べ」の企画です。現在、川口リリアが大規模修繕工事中で、リリアの音楽ホールは使えず、今年の「クリスマスの夕べ」は昨年と同様、フレンディア (キュポ・ラ本館棟4階)で開催し、日程は12月15日(月)になりました(火曜の予約が取れませんでしたので、ご留意願います)。来年はきれいになったリリア音楽ホールでできると考えています。
 県南牧師会では、初めに賛美と奨励があり、それぞれの近況や祈祷課題を分かち合います。伝道牧会の課題や、体調のこと、親の介護も身近な事柄です。ある先生は、同じ教団の近隣の教会の責任を引き受けたと伺いました。今年度新しく赴任された先生もおられます。韓国から宣教師として来日し、長年、忍耐強く仕えている先生もおられます。(地域の教会ではありませんが)ろう者でスポーツを通して伝道しておられる先生もご一緒しています。この出会いを感謝しています。
 現在の県南牧師会は、25年ほど前に「(西暦)2000年12月には、リリア音楽ホールでクリスマスの集会をしよう」と有志の先生方の呼びかけで始まり、現在に至っています。前任牧師の島隆三先生からも伺っていましたが、先週の県南牧師会で改めて知ったのは、50年ほど前、当教会初代牧師の横山義孝先生、聖泉キリスト教会の三浦清重先生や他の先生方が協力伝道をしていたこと、夏に子どものキャンプなどを行っていたことでした。当時の先生方は神のみもとに召されましたが、地域のために祈り合い、仕え合った働きが、現在の県南牧師会につながっていることをうれしく聞きました。
 毎週、週報短文の祈りの栞に県南の教会を載せています。これからもお祈りをお願いします。(No.1042)


  2025年 6月15日

主の勝利を信じて

 能登半島地震が起こってから、現地はどのような状況かを知りたく、被災教会が属する日本基督教団中部教区のホームページを時々チェックしています。4月22日付で、「教区通信152号」(2025年3月16日発行)のデータがアップされており、興味深く読みました。小松教会・松島保真牧師による「能登半島地震被災教会報告~主の勝利を信じて~」から分かち合います。
 初めに、2024年11月12日に、中部教区三役と小松先生が、魚津教会〔富山県〕を訪問された報告がありました。魚津教会が能登半島地震で被災し、被災教会再建支援の対象となったことは以前お伝えしましたが、魚津教会のウェーラー・ルツ・エステル牧師が、スイスからの宣教師で、富山に移り住んで46年、魚津教会に赴任して20年近くになっておられることを知りました。このたび魚津教会堂の被害状況を調査した建築士の方が、子どものころに魚津教会の教会学校に来ていて、ウェーラー牧師と親交があり安心して相談できた、とありました。それを読んで、神が、震災という大きな試練の中にもふさわしい人を備えてくださった、と思いました。
 次に、1月1日に中部教区主催で行われた「震災1年を覚えての祈祷会」の報告がありました。オンライン併用で開催され(私もZoomで参加しました)、少なくとも2百名以上の方々が、それぞれの場所で共に祈ることができました。連帯の輪が広がっていることを知りました。
 報告は、次のように締めくくられていました。
“…これから、いよいよ本格的に会堂の再建へと動き始める。震災復興までの道のりはまだ長い。だからこそ、罪と死に勝利された主イエス・キリストが復興への道を切り開いてくださることを信じ、倦まず弛まず、これからも被災教会の再建のために祈り続け、支え続けていただきたい。「あなたがたは世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネ16・33)”(No.1041)


  2025年 6月 8日

『我は聖霊を信ず』

 本日は、今年の聖霊降臨日。本日の説教から、使徒信条の第3部(聖霊の神への信仰告白)に入ります。私が使徒信条の学びで参考にしているのは、村瀬俊夫先生の『三位一体の神を信ず 講解説教による使徒信条入門』です。この本の第8章「我は聖霊を信ず」では、日本の教会の課題を述べつつ、聖霊のお働きが説き明かされています。
“…「我は聖霊を信ず」と告白するとき、その「聖霊」はどういうお方なのですか。その「聖霊」の実質は何であるか。このことはよく分かっていなければならないのに、それがはっきりしていないことが、キリスト教界における大きな問題ではないかと思います。…教会は、知らず知らずのうちに、あるいは、気づきながらかもしれませんが、《聖霊欠乏症》に陥っていたのでしょう。それもかなり《深刻な、重い聖霊欠乏症》に。
 私たちが信じる神様を本当に知り、また主イエス・キリストを本当に知ることができるのは、聖霊の助けと導きによるのです。聖霊のことがあいまいだと、実は、神様のこともキリストのこともあいまいになってしまいます。…
 また、聖霊によって私たちの中にキリストが現臨してくださることにより、私たちは主と同じかたちに姿を変えられていくのです。…
 このことは「聖化」として、神学でも強調されてきました。しかし、強調される割には、「聖化」の現実があまり見られない、という問題に悩まされてきました。それは聖霊が軽んじられる《聖霊欠乏症》に陥っていたからです。…いくら「聖化、聖化」と叫んでも、私たちがキリストと同じかたちに姿を変えられていくことなど起こり得ません。この聖化は「御霊なる主の働き」によって実現するもので、聖霊に導かれるとき、私たちはキリストと同じかたちに姿を変えられていくのです。…
 私たちがキリストと同じかたちに姿を変えられていくことは、キリストがすぐれた意味で《愛の人》であられるように、私たちも《愛の人》にされていくことです。…”(No.1040)


  2025年 6月 1日

使徒信条・三位一体の神を信ず

 原則として月に一度、信仰の基本を学ぶため、2023年6月から日本基督教団信仰告白に沿っての説教を続けてきました。教団信仰告白の後半が使徒信条なので、現在は使徒信条による説教をしています。期せずして、使徒信条の箇所が今年の教会暦と重なりました。理解を深めるために、先週から来週までの主日で、3回連続で使徒信条による説教とさせていただきました。
 使徒信条の原文はラテン語で、最初にあるのは「クレドー(credo)」という言葉です。「クレドー」とは「我は信ず」という意味です。日本語の訳文では、三位一体(さんみいったい)論的構成を明確にし、日本語文のリズムを保つためにも、「我は[父なる神/イエス・キリスト/聖霊]を信ず」と、3度「我は信ず」を繰り返しています。口語で言い換えてみますと、「私は『父なる神』を信じます。私は『主イエス・キリスト』を信じます。私は『聖霊』を信じます」となり、三位一体の神を信じる信仰告白をしています。
 私たちが信仰によって生かされていることと、三位一体の神を信じることは、深く結びついています。三位一体の神を信じることがあいまいになってきますと、信仰生活もはっきりしなくなってきます。キリスト教の側から見て異端と呼ばれる人々はほとんど三位一体の神を否定しています。教会の信仰の中心は、イエス・キリストの救いであり、福音ですが、イエス・キリストだけを信じるということではありません。イエスを世に遣わされた父なる神がおられ、イエスを主と信仰告白させてくださる聖霊の神がおられます。父なる神と聖霊の神がおられなかったら、私たちが主イエスの福音の恵みにあずかることはできなかったでしょう。さらに造り主である神を信じるとは、私が神に造られた存在だと信じることでもあるのです。救い主キリストを信じるとは、私はキリストに救われたと信じることでもあるのです。聖霊を信じるとは、私の体が聖霊の宿る神殿であり聖霊に導かれて生きると信じることなのです。(No.1039)


  2025年 5月25日

第75回関東教区総会

 5月20日・21日、ソニックシティ小ホールにて、第75回関東教区総会が開催されました。開会礼拝では田中かおる師(安行教会)が説教をされました。説教後には、聖餐式が執行されました。司式は、原田彰久師(東京聖書学校吉川教会)と補助に渡邊典子師(三芳教会)でした。説教と聖餐の恵みに共に与かれて、主にある交わりに共に生かされることを味わいました。
 次いで来賓の紹介、他教区から関東教区に赴任された新任教師紹介、隠退教師紹介と感謝、関東教区で25年以上の教職への感謝のときがありました。関係学校の紹介・報告、熊江秀一教区議長(大宮教会)の司式により准允式が執行され、佐藤潤師(埼玉・大宮教会)と北田将太郎師(埼玉・上尾使徒教会)が准允を受けられました。新しく教師となる方々が与えられ、大きな喜びでした。
 熊江師の議長報告では、2024年度の教区の教勢と財政の厳しい状況、2023年度と比較しての受洗者の微増、2024年度はナルドの壺献金(教区互助のため)の目標1、200万円達成の感謝等がありました。
 今回の教団問安師は、教団総会議長の雲然俊美師でした。「2025年度教区総会への議長挨拶」によって日本基督教団の現状と課題を語ってくださいました。
 教区総会で繰り返し語られたのは、厳しい現状の中で、どのように伝道の協力ができるかということでした。ナルドの壺献金を原資とする教会互助は教師を守ることができるが、それだけでは教会を守ることができないという厳しい状況です。いかにして主日礼拝を続けていくのか、伝道の協力や支援の体制を整えられるのか、問われます。20日夕方の協議会では、「教区内の宣教協力の恵みを分かち合う」をテーマに、取組みの紹介がありました。さらに確認したのは、伝道の協力において、「イエス・キリストは主である」という信仰告白を土台とすることであり、それに基づいて信頼関係を築き上げることです。(No.1038)


  2025年 5月18日

ミャンマー地震被災者救援募金のお願い

 社会部から皆様にお願いし開始した救援募金について、本年4月4日付の日本基督教団社会委員会からの呼びかけを引用いたします。
“主の聖名を賛美いたします。
 去る3月28日、ミャンマー中部でマグニチュード7.7の大きな地震が発生いたしました。
 隣国タイを含めて、多数の死者と行方不明者、被災者が出ています。
 日本基督教団社会委員会では、すでに支援活動を始めたアトゥトゥミャンマー(ミャンマーのキリスト教生活支援団体)の呼びかけに応えて募金を始めます。
 ご協力をお願いいたします。
 アトゥトゥミャンマーホームページには随時、救援報告が掲載されております。ぜひこちらも合わせて御覧ください。…”
 送金先の「アトゥトゥミャンマー」による募金のお願いのチラシから、以下引用します。
“アトゥトゥ (共にという意味) ミャンマーは、オンライン祈祷会から生まれた、キリスト教エキュメニカルな任意団体です。 日本に住むミャンマールーツの方々の生活支援、 ミャンマーへの送金、交流活動を続けてきました。…
 アトゥトゥミャンマーの祈り会では毎回80人前後の参加者が、証、レポートをきき、グループで祈り、全体で祈りのアクションをし、全体で祈り、情報を交換しています。…現地の送金先はMBC (ミャンマー バプテスト連盟) 関係団体、 キリスト教団体です。月毎に献金報告が祈り会で行われます。大地震によって、複合的被害〔軍事クーデター後の空爆、洪水〕にさらされている方々へ緊急に支援を開始しています。…
 大地震の被害に遭った地域への緊急支援を行います。 これまでのネットワークを活かし、発災3日目には50万円を送金しました。今後も息の長い支援が必要です。 草の根のキリスト者のネットワークと、その活動にご参加ください。…”(No.1037)


  2025年 5月11日

説教シンポジウム2025

 報告が遅れましたが、4月21日から23日まで、八王子大学セミナーハウスにて、説教塾主催による「説教シンポジウム2025」が開催され、各地から50数名の塾生が集まりました。
 説教塾主宰であった加藤常昭先生は昨年4月に神のみもとに召されました。類まれな説教者である加藤常昭先生の足跡をたどりつつ、加藤先生が何をしてこられたか、何をしようとしておられたか、説教塾の原点、説教塾のアイデンティティ、説教塾の目指す説教、説教者として研鑽を積むための課題等を確認するプログラムとなっていました。主な先生方から「総論」「説教学」「説教者論」「聖書論」「教会論」「説教の特徴」「これからの説教塾」の講演とレスポンスがあり、参加者同士、活発な意見交換ができ、刺激的な時間でした。
 塾生同士の交わりでもあり、加藤先生を喪失した者たちの癒しのときでもありました。コロナのため全国から集まることが久しぶりでした。顔と顔とを合わせて過ごせた喜びがありました。
 “1987年に、同じ八王子の大学セミナーハウスにおいて、説教塾は開塾しました。説教塾は閉塞状況に陥った日本伝道に風穴を開け、新たな風を吹き込む説教運動として誕生し、またそれを何よりも説教において成し遂げようと志しました。そのために同じ志を抱く伝道者・説教者を必要としました。…塾生が受動的ではなく、主体的、継続的に共同の学び、修練を行う説教道場として始まりました。…”(講演資料より)
 それから38年が経ちました。説教塾の塾生の中には、加藤常昭先生に直接会っていない人も増えつつあり、素晴らしいことだと思いました。今年度登録した塾生は200人を超えました。
 毎年秋に説教塾への献金をお願いしていますが、献金は、このような集会に遠方から参加する人への交通費補助や、図書の購入の補助に用いられています。一人の説教者を助けることはその背後にいる何十人もの人を助けることになります。これからもご理解と応援をお願いいたします。(No.1036)


  2025年 5月 4日

第48回関東こころの友伝道講習会

 4月29日(火・祝)、日本基督教団赤羽教会にて、関東こころの友伝道講習会が開催されました。テーマは「若者は幻を、老人は夢を見る」(使徒言行録2・17)。2019年以来の久しぶりの関東講習会でした。当教会からは初参加者も含めて7人参加、全体では56人の参加者で、埼玉、千葉、東京、神奈川の各地の教会から来られていました。懐かしい再会と新たな出会いを喜びました。
午前と午後に、講師の高橋恵一郎先生より講演を伺いました。講師は女子聖学院中学校高等学校の聖書科教諭・チャプレンでいらっしゃいます。
「今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい」(申命記6・6~7)を示されました。高橋先生がまだ教会の担任教師であったとき、苦しみの中で「神に愛されている」という言葉に気づき、うれしくなり、説教の言葉も変わったということです。語られる言葉から、常に若い世代の方々と共に生きておられることを(当然なのですが)感じました。「生徒たちの悩みを、大人が『そんなことくらい』と思っても、当人にとっては、本当に大きなことなのです」と。その感覚が鈍い自分を反省しました。
昼食と交わりは小グループに分かれましたが、高橋先生がそれぞれのグループに回って来てくださいました。「どのように友だちになっていいか分からない」「いっしょにお弁当を食べる人がいない」など伺い、長い時間を過ごす学校だからこそ、生徒のそのような思いを受けとめる人が大切なのだと知りました。チャプレンは存在を認め、肯定する人です。興味深かったのは、学校でのアンケートによって、約1割の生徒が洗礼について肯定的であるという結果です。在学中に教会につながらなくてもいつか導かれるという希望を感じました。キリスト教主義学校の働きは尊いことであり、学校と教会との良い連携が必要であると改めて思いました。励ましを受けて帰途につきました。(No.1035)


  2025年 4月27日

いつまでも残るものは

 U・T兄が4月23日に主の御許に召されました。ご遺族に主の慰めを祈ります。
 T兄の愛誦聖句です。
 「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」(コリント一13・13)。
 T兄は、月報「西川口だより」2023年8月号に「古希を迎えて思うこと」と題して証しを寄せてくださいました。一部紹介いたします。
“人生百年時代と言われているこの頃です。70年の歩んできた過去を振り返ると様々な出来事、出会いが私の人生でありました。
 キリスト教との出会いは幼少期にさかのぼります。母の妹が外国人宣教師を知り、祖母、母、その兄弟姉妹がキリスト教を知り信ずるようになったことです。…母の思いから、地元のキリスト教主義のミッションスクールで中学高校の6年間学びました。
 私は18歳になり、大学の進学のため上京し、一年間叔父宅に下宿することになりました。…下宿中に西川口教会の礼拝出席を勧められましたが、出席しませんでした。…
 1984年に今後の自分の人生ついて思い悩むこともあって、教会の礼拝に出席いたしました。三枝道也・三枝育代牧師に導かれ、同年12月のクリスマスに洗礼を受けました。翌年妻と教会で結婚式をいたしました。
 それから38年が過ぎ、教会生活もどうにか続けられています。ここ数年はなかなか礼拝に出席できない状況ですが、神様に今日まで支えられ信仰生活を続けられていることを感謝しています。
 多くの困難や思い煩いはたくさんありましたが、神様に助けられ導かれてきました。神様は耐えられないような試練は与えないと聖書は記しています。…
 70年の人生の歩みができたことは神様のお導きによることは言うまでもありませんが、多くの隣人の支えがあったことは感謝です。”(No.1034)


  2025年 4月20日

十字架と復活の主に希望を置いて

 水曜と木曜の祈祷会では、大島力先生の著書を通してイザヤ書を少しずつ学んでいます。先週は受難週でしたが、不思議なように、ちょうどメシア(キリスト)預言の一つであるイザヤ書第9章にあたりました。〝闇の中を歩んでいた民は大いなる光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝いた。…一人のみどりごが私たちのために生まれた。一人の男の子が私たちに与えられた。主権がその肩にあり、その名は「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。その主権は増し、平和には終わりがない。ダビデの王座とその王国は 公正と正義によって立てられ、支えられる 今より、とこしえに。万軍の主の熱情がこれを成し遂げる。〟(イザヤ9・1、5~6 協会共同訳)
闇あるいは死の陰の地とは、死の危険にさらされている状況です。そこに光が輝いたのです。その光とは「新しい王となるべき男の子の誕生」であり、「新しい王の即位」です。「新しい王」は四つの称号で呼ばれています。その中で「驚くべき指導者」、「力ある神」、「永遠の父」は従来から神についてのみ用いられている言葉です。「平和の君」は地上の王に用いられ得る表現です。それは、王自身が「驚くべき指導者」「力ある神」「永遠の父」であるということではなく、神からその「指導者」「力」「父」「平和」の実現という課題と機能が付与されているということです。
これを聞いて、人となられた神であるキリストこそ、この預言を成就されたと思いました。キリストはどのようにして平和をもたらされたのでしょう。祈祷会では、エフェソの信徒への手紙の言葉も合わせて読みました。「…キリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました」(エフェソ2・15~16)。
十字架の御業を確かにするのが復活の出来事です。イエスは生きておられます。ハレルヤ! (No.1033)


  2025年 4月13日

教会総会を前に

 2025年度が始まりました。先週の礼拝では役員任職式を行い、神の前に共に誓約をしました。4月27日には第1回の定期総会があります。総会議案書は来週配付しますが、新年度の活動方針の「役員会の項」の文章の一部をここに記します。
 “役員会  日常の教会運営の主体は役員会が責任を負います。現代社会と教会の現状の課題への危機意識を共有し、教会の使命を果たせるように努めます。…”
 「現代社会と教会の現状の課題への危機意識を共有し…」とありますが、昨年度の総会資料にも同じようなことを書いていました。この点について、昨年の総会の議場で質問がありました。私の応答は、総会の議事録に記録されています。今も思いは変わりませんので、皆様にご理解いただきたく、そのときの応答をここに書いておきます。
 “どんな時代になろうと、教会の目標も使命も変わらない。しかし、構成メンバーは変わっていくし、伝道が進んでいないというのは教団レベルでも同じで、無牧の教会も増えている。それに付け焼き刃的な解決はない。…教会の構成員に高齢者が多いことは現実で、それを賜物として受けとめたい。お互いが最後まで信仰生活を全うできるように、愛し合い支え合っていきたい。同時に、教会は内向きになることがないように。私たちには家族や地域など、つながっている人がいる。それらの人々にどう届かせていくのか。…教会の構成員は私たち一人ひとり…。「教会が何かしてくれる」だけではなく、遣わされたところで、私たちはそれぞれ、自分につながっている人とどう関わるかが、何ができるかが、問われるのではないか。一方で、「できる」・「できない」に囚われてもいけない。ここに教会があるのも、自分が存在しているのも、神の恵みである。そのバランスが大切。それは祈りと御言葉によらなければできない。コロナの中で、私たちは礼拝と祈祷会と日々の祈りを続けてきた。それが教会にとってなくてはならないことを改めて知ったのではないか。…” (No.1032)


  2025年 4月 6日

人はどこで神に出会うか

 先週3月30日の説教で、森有正(哲学者・フランス文学者。故人)の言葉を紹介しました。説教要旨に書きれないので、こちらに書いておきます。1年前に召された加藤常昭先生が説教塾の学びで折に触れてご紹介され、わたしも心に留めています。こういう言葉です。
 “…人間というものは、どうしても人に知らせることのできない心の一隅(いちぐう)を持っております。醜い考えがありますし、また秘密の考えがあります。またひそかな欲望がありますし、恥がありますし、どうも他人に知らせることのできないある心の一隅というものがあり、そういう場所でアブラハムは神様にお眼にかかっている。・・・人にも言えず、親にも言えず、先生にも言えず、自分だけで悩んでいる、また恥じている、そこでしか人間は神様に会うことはできない。
 例えば、アブラハムとイサクとの関係にしましても、アブラハムとサライの関係にしましても、・・・非情な物語でありまして・・・けれども実は、そういう中を通して、神様のアブラハムに対する召しというものはだんだん明らかになってくる。決してある神学的な教条や経典やまた思想体系の中で人間は神様に会うことはできない。・・・人の前でいくら隠しても、それは自分そのものですからそれを自分は忘れることはできない。しかし、そこで私どもは神様にお会いする。そこで、神様にお会いし名前を呼ぶということは、同時に自分の道を発見することと一つにつながっている。”(「土の器に」所収「アブラハムの信仰」より)
 ゲツセマネの祈りの後でイエスが捕らえられたときに、弟子たちがイエスを見捨てたことも、大祭司の中庭でペトロが師であるイエスを知らないと言ったことも、非情な出来事です。いざというとき冷酷な自分が姿を現すという現実を突きつけられたペトロでした。そんな自分に気づかせたのは主イエスの言葉でした。主イエスはすべてをご存じで私たちを招いておられます。主イエスに立ち帰る人は再生の道を歩み出しています。(No.1031)


  2025年 3月30日

こころを高く上げよう

 先週3月23日には、西川口教会創立75周年記念礼拝を主の恵みのときとして過ごすことができ、主の御名をあがめます。
 写真撮影の奉仕をしてくださったSさんから、すぐに集合写真とスナップ写真のデータが届き、うれしく見ました。2020年春に始まったコロナ感染の防止のため、集合写真撮影そのものが本当に久しぶりでした。出来上がった集合写真は、礼拝堂の空間が感じられ、生き生きと喜びに満ちた雰囲気が伝わってきます。
 写真を眺めていると、創立記念礼拝で歌った讃美歌21の18番「心を高く上げよ!」が心に響いてきました。
 「こころを高く上げよ!」主のみ声に従い、
  ただ主のみをみあげて、こころを高く上げよう。
  霧のような憂いも、闇のような恐れも、
  みなうしろに投げすて、こころを高く上げよう。(「心を高く上げよ!」1~2節)
 感謝と共に、「あの方もこの方もこの写真に一緒に収まっていたら…」という思いも湧いてきました。さまざまな事情で来られなかった方や、この数年の間に、神のみもとに召された兄姉のお顔が浮かびました。
 ヘブライ人への手紙第12章1~2節にこうあります。「こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです」。
 レントの日々の中、創立75周年記念礼拝をささげることができました。私たちは信仰のまなざしを与えられています。おびただしい証人の群れに囲まれていますから、主イエスを見つめつつ、これからも定められた信仰の道を歩みます。(No.1030)


  2025年 3月23日

教会創立75周年記念礼拝を喜ぶ

 本日は創立75周年記念礼拝の良き日を迎え、神の憐れみとお守りを心から感謝します。
 日本基督教団浦和別所教会の開拓伝道として川口で始められた集会は、1950年4月に、川口栄町伝道所を開設するに至りました。横山義孝師が主任担任教師として就任されました。受洗者が次々に与えられて手狭となり、「専用の会堂を」との祈りが実を結び、1952年10月に川口本町教会の献堂となりました。さらに1960年、伝道開始10年目の年、横山師に第一種教会設立、新会堂建設のビジョンが与えられました。教会あげて会堂のために献金がささげられ、土地の取得を経て、1964年12月に現在の会堂の献堂式を行い、名称を西川口教会と改め、新しい地における宣教へと導かれました。
 1982年に主任牧師の交代があり、三枝道也師・育代師が就任されました。三枝牧師の時代には、礼拝の充実、個人の信仰の成長への配慮と共に、駐車場の確保、エアコンの設置、春日部墓苑の建設など環境を整える働きも進められました。
 1990年、再び主任牧師の交代があり、島隆三師・静江師が就任されました。教会の目標が現在の6つになりましたのは島牧師の時代です。会堂建設の話し合いがなされましたが、ひとまずリフォームを行うことになり、H兄の奉仕により、玄関、集会室が使いやすく整えられました。若い世代への伝道に力を入れました。
 2004年に、担任教師であった私が主任牧師に就任し、現在に至ります。
 75年間、多くの方々が救われ、天に召された兄姉も100人を越えました。
 いつの世にも、どこにあっても「教会は主キリストの体にして、恵みにより召されたるものの集い」(教団信仰告白より)ですが、人に個性があるように、教会にも個性があり、固有の歩みがあり、主任牧師により影響を受ける面があります。「ダビデは、彼の時代に神の計画に仕えた…」(使徒13・36)が思い起こされました。(No.1029)


2025年 3月16日

「能登から命の水が湧き出る幻を求めて」

 日本基督教団より「2024年能登半島地震教会等再建支援募金のお願い」が届きました。支援委員会の募金の趣意書から引用します。週報短文のタイトルも趣意書にあったものです。私たちは引き続き共に重荷を負い合いたいと思います。
“「能登は伝道の最前線だ」という言葉を先輩牧師から何度も聞いていました。それは、能登の伝道は困難に満ちているということと、それだけに神の祝福も大きいということを意味している言葉です。
 2024年1月1日にその能登を大きな地震が襲いました。…1年が経過して(1月に)…輪島教会では…ようやく解体工事が始まったばかり…公費で解体されるのですが、その順番が回ってくるまで1年の歳月が必要でした。その間、牧師は半壊して傾いた牧師館での生活を強いられ、強靭な精神の持ち主でなければ耐えがたい日々であったに違いありません。…
 被災直後から全国の諸教会並びに関係団体から…多くの献金が寄せられており、緊急支援やボランティア派遣などに用いられています。1年を経てようやく再建の見通しが立てられるようになり、寄せられた献金を大きく用いることができる兆しが見えてきました。日本基督教団は、昨年12月の常議員会で「2024年能登半島地震教会等再建支援委員会」を立ち上げ、これまでの献金を再建のためにも用いることとしました。…今回の地震の特徴である地盤の隆起と液状化対策を支援するためには、(合計2億円の支援において)なお7千万円の不足が生じています。…
 能登を訪ねて感じたことは、「能登を忘れないでほしい」という悲痛な祈りでした。それを受けて当委員会では、各教区へ能登の教会・施設に励ましの葉書を出そうという呼びかけをしております。地震から1年が経過しましたが、どうぞ、能登の声に応答していただけますようにお祈りとご協力をお願いします。…”(No.1028)


2025年 3月 9日

『非暴力主義の誕生』を読んで

 埼玉地区の合同教師会で、今年1月に刊行された踊共二(おどり・ともじ)著『非暴力主義の誕生―武器を捨てた宗教改革』(岩波新書)を知り、興味を持ち、読んでみました。
 この本は、16世紀から21世紀までのメノナイトとアーミッシュによる兵役拒否の表明、逮捕、投獄、説得、拷問、有罪判決、処刑あるいは追放から逃走、潜伏、亡命まで、ノンレジスタンスの立場をとった人たちのさまざまな体験が、各種の歴史的資料に基づいて述べられています。メノナイトとアーミッシュの源流は、16世紀の宗教改革の運動の中で誕生した「再洗礼派」にあります。
 この本に興味を持った理由は、メノナイトの人々がウクライナに定住していたこと、その後のロシア皇帝たちに苦しめられ、北米やカナダに逃れて行ったこと、その信仰を受け継いだ人々の中に、日本への宣教に来てくれた宣教師もいると聞いたからです。
 祈祷会でイザヤ書を学び始めましたが、預言者イザヤの言葉に、心打たれるものがありました。「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない」(イザヤ2・4)。預言者が見た平和のビジョンは神からのビジョンですから、絵空事ではないはずですが、2千数百年を経た現代でも、争いは止まずにいます。
 この本の「あとがき」で著者が、再洗礼派の調査研究を行って40年経たが、10数年前からアメリカで調査を行うなかで知り合ったメノナイトやアーミッシュの生の声と生き方に接してから、彼らのノンレジスタンスの思想と実践は、絵空事ではなく、リアリティのあることだと確信したと書いておられます。近現代においては、良心的兵役拒否の合法化の実現を果たしました。
 「剣を取る者は皆、剣で滅びる」(マタイ26・52)というイエス・キリストの言葉を文字通り実践した人々を辿った本です。(No.1027)


2025年 3月 2日

「日本基督教団 いまとこれから」

 月刊誌『信徒の友』2月号の特集は『専従牧師がいない』。現在の日本基督教団において、切実な課題です。教団総幹事の網中彰子先生の記事『日本基督教団 いまとこれから』では過去のデータと2022年度を比較して見えたこと、それを踏まえての「これから」を考えておられます。
 “本誌巻末にある「日毎の糧」を見ていると、代務や兼務の教会・伝道所がよく目に留まります。
…『(日本基督教団)年鑑2024』所収の「2022年度報告」では、活動休止を除く教会・伝道所1635のうち、278が「代務・兼務・未定」となっています。これは全体の17パーセントほど、およそ6教会に1つの割合です。…教会に勢いのあった1993年度…は日曜礼拝出席者数が6万1261名と、現在の1.6倍、一教会あたりの礼拝出席者数も38名と、現在の24名よりも10名以上多かった…代務や兼務等の割合は11.5パーセント。…
一教会一牧師が難しくなっている理由はもちろん一概には言えませんが、一つには、教師数の減少や教会の経済的理由に加えて、礼拝出席者が増えない実情があるのだと思います。
 2008年4月4日発行『教団新報』で「教団50年データ」が紹介されています。…このデータからわかったのは「お金の問題ではなく、人の問題」ということでした。つまり、「受洗が召天に追いつかない。一般の高齢化とは異なる教団特有の年齢構造」が課題となっていたのです。・・・
 それでは牧師不在が加速している状況に、私たちはいま、そしてこれからどう向き合っていけばいいのでしょうか。・・・”
 「受洗が召天に追いつかない」とは、まさに、コロナ感染の出来事以前から、今に至るまで、(これからも?)西川口教会の課題でもあります。2025年度を前に、また創立75周年の年を迎えて、教会また教団の「これから」について、一人ひとりが当事者として教会の将来、これからの宣教を祈り求める必要があります。(No.1026)


2025年 2月23日

「主の平和があるように~Pray for Shalom」

 今年度の日本基督教団埼玉地区「2・11集会」は地区委員会の主催により開催されました。
 まず、祈りと聖書朗読がなされました。
 「そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。王たちやすべての高官のためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです」。(テモテへの手紙一2・1~2)
 続いて、講師の安田眞先生(日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団川口神召キリスト教会牧師)の紹介があり、講演を伺いました。安田先生は、日本の大学卒業後(当時は学園紛争のただ中)、1973年にイスラエルに渡り、ヘブライ大学で、ヘブライ語と聖書を学ばれました。その後ガイドコースに変更、日本人としては初めてイスラエルの公認ガイドになられました。1982年に帰国し、神学校に進み、川口で開拓伝道を始められました。川口神召キリスト教会を設立し、東川口に会堂を取得し、伝道牧会に励んでおられます。
 私が印象に残ったのは、安田先生がイスラエルに渡った1973年10月、ヨム・キプール戦争(第四次中東戦争)が始まって、管制下となった、と言われたこと、イスラエルはずっと戦時下―主に国境線での局地的なもの―であると言われたことです。イスラエルの地で約10年生活され、その後も、聖書の旅でイスラエルを数えきれないほど訪れた安田先生の言葉です。日本の日常と余りの違い、複雑な歴史と政治の状況に、気が重くなりました。しかし戦争には同意できません。私たちは為政者のために祈るよう求められています。
 シャローム」は日常の挨拶で、「おはよう」「こんにちは」「さようなら」、すべて「シャローム」です。「シャローム」には三つの意味があります。①平和、平安、繁栄、②償う、支払う、報いる、③完全、完成、十全。ここにキリストの救いが示されている、と安田先生は語られました。(No.1025)


2025年 2月16日

中部教区ホームページ、教団ホームページより

 私たちは、能登半島地震と豪雨に見舞われた教会を覚えて回復を祈り、募金に協力しています。
 日本基督教団中部教区ホームページに、折に触れて支援活動等の報告がなされています。写真も添えられていて、現地の様子が分かります。
・1月8日の投稿
「輪島教会礼拝堂 公費解体開始」
 2025年1月6日(月)から輪島教会礼拝堂の公費解体が「福井解体」により開始しました。
1月6~7日、日本基督教団能登半島地震被災教会再建委員会として、宮本義弘委員長、加藤幹夫教区議長、佐々木真氏(ヴォーリズ建築事務所)の3名で、羽咋白百合幼稚園・ゆりっこクラブ、七尾教会、七尾幼稚園、輪島教会、富来伝道所、羽咋教会を訪問しました。
 1月7日に輪島教会を訪問した時、ちょうど礼拝堂の解体が行われていました。…
・1月20日の投稿
「輪島教会の解体工事終了」
 輪島教会の解体工事が予定通り進み、1月18日(土)、基礎を残して、ほぼ更地に近い状態になりました。
 解体に際して、切妻屋根の十字架と梁に用いられていた一本柱を数本残して頂きました。会堂に隣接する洋服店の店舗、家屋も解体され大通りからも仮礼拝がはっきりと見えるように見晴らしが拡がっています。…
 輪島は、ここ数日、例年になく温かな陽気が続いています。皆さまのお祈りとお支えに感謝しつつ報告します。

 また、日本基督教団のホームページには、東日本大震災から14年を覚えて、東北教区と奥羽教区それぞれの記念礼拝のお知らせが載っていました。今も多くの方々が困難の中、深い悲しみの中におられます。東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故を覚えて、共に祈りを合わせたいと思います。オンラインで参加できます。(No.1024)



2025年 2月 9日

三区合同教師会に参加して

 去る1月27日、日本基督教団埼玉地区教師委員会主催の三区合同教師会が、5年ぶりに東松山教会で行われ、参加しました。
 開会礼拝では渡邊典子師(三芳教会)によりルカによる福音書13章6~9節から説教が取り次がれました。その後、指方周平師(東所沢教会)からの発題を受けてから、地区主題聖句であるコリントの信徒への手紙一15章3~8節を黙想し、グループに分かれて御言葉から受けた恵みを分ち合う時を持ちました。
 食事の後には、東松山福音教会(日本福音キリスト教会連合)と東松山聖ルカ教会(日本聖公会)を徒歩、または車で訪問しました。東松山福音教会では岡山英雄師が東松山福音教会の歴史について語られ、教会の開拓に関わった極東福音クルセードに属していた宣教師のマルタ・クラッセンは、ロシア革命を切っ掛けに、ウクライナから、アメリカ・カンサス州に渡り、後に宣教師となってハワイ州出身のトミ・金城師と共に来日。求められてクラッセン師が行った英語でのバイブルクラスが、始まりであったとのことです。
 東松山聖ルカ教会ではヨハネ小野寺達師が、東松山での聖公会のこれまでの宣教の働きについて語ってくださいました。ルカ教会の創立は1888年ですが、1926年に松山聖ルカ幼稚園が開設されキリスト教保育がなされたとのことです。この町に神様の御国を建設する為に、保育に関わるのだという言葉がとても印象に残りました。
 最後に東松山教会(日本基督教団)に戻り、教会の歴史を崔長壽(チェ・ジャンス)師(東松山教会)から伺いました。ワシントン州フリートバーから帰国した柄澤考蔵・茂澄夫妻と、その友人の陽二郎兄が、当時の豊岡メソジスト教会(今の武蔵豊岡教会)の原田為蔵師に申し出て、松山町での教会開設を祈り願ったのが、教会の開拓の始まりであったとのことでした。
 各教会に働く神の御業を見させていただきました。感謝。(参考・埼玉地区ホームページより)(No.1023)


2025年 2月 2日

普段着の聖徒

 S兄が1月28日に主の御許に召されました。ご遺族に主の慰めを祈ります。
 『普段着の聖徒』という信仰書を思い出し、S兄は「普段着の聖徒」と呼ばれるにふさわしい信仰生活を送られたと思いました。神の前にも人の前にも、そのままの姿で向き合っていました。S兄には、喜びも悲しみも、すべてを神は御存じであるという信仰がありました。寿司店をされていたとき、お店でS兄からたくさんお話を伺いましたが、若いとき足に大怪我をされて、たいへんな痛みの中を通されたとき、余りの苦しみに、神に「命も取ってください、足も取ってください。でも、あなたがお取りにならないなら、従います」と、格闘の祈りをされたこと、この怪我があったから、自分は傲慢にならないで済んだ、と言われたことに感銘を受けました。
 2023年11月にお連れ合いのF姉が逝去されたことは、S兄にとって大きな悲しみでした。その悲しみも隠さず、話していました。昨年秋に不調となり、病が見つかりました。私たちは驚き祈っておりましたが、S兄は病を受けとめ、礼拝は休まず来られました。だんだん体が弱ってきました。その中でも一所懸命、いつも通りに暮らしていました。1月26日が最後の主日礼拝の出席となりました。厳しい闘病の日々でしたが、もう少し共に過ごせると思っておりました。しかし先週の主日礼拝の2日後の夜、サッと神のみもとに召されました。私たちの思いを超える神の思いがあることを信じます。
 S兄の愛誦聖句です。「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。」(マタイ6・25~26)(No.1022)


2025年 1月26日

「助けて」と言えること

 私事ですが、同居家族である父(97歳・要介護4)が、昨年末の12月30日にショートステイから帰宅したら、手引き歩行どころか、立つことさえおぼつかなくなってしまいました。原因は分かりません。とにかく対応するしかありません。
 今までも、着替え、歯磨き、排泄の世話、食事の世話など生活全般の介助をしていましたが、これまで手助けして立たせ、手引きで数メートルの歩行はできていました。今回の足の不調のため、椅子からベッド、ベッドから椅子への移動がたいへんでした。健康な人なら立ち上がるのも歩くのも何でもないことですが…。体格が良く、体重もある父を、何とか抱えて立たせ、椅子からベッド、ベッドから椅子へ移動させましたが、私の体に大きな負担がかかりました。
 同じ週の水曜日の元旦礼拝は、集まってくれた家族に車の乗り降りや車いすへの移乗を助けてもらい、久しぶりに教会の礼拝に来ることができ、大きな喜びでした。父が利用しているデイサービスは、元日はお休みでしたが、大晦日も1月2日も営業していて、いつも通りに出かけました。その週もその後も、食欲はあり、睡眠も良好ですが、歩行できるようになりませんでした。1月の2週目はショートステイで私は小休止できました。帰宅しても足の状況は変わらないのでケアマネさんに相談しました。
 ケアマネさん経由で、車いすなどの福祉用具の担当者の方、生活支援担当の方も集まって、どのように介助ができるか、考えてくださいました。今は、いろいろな福祉用具があるので、介護のプロにすぐに相談してよかったと思いました。親身になってくださって、うれしかったです。
 私たちは、神に助けをお願いしますが、医療、介護、福祉など様々な社会資源も神が備えてくださった助けとして、恵みとして遠慮なく使わせていただいています。「助けて」と言えることの大切さ、助けを得て、自分の生活を続けられることも恵みであると、神に感謝いたします。(No.1021)


2025年 1月19日

「集まって一人の人のようになる」

 1月13日(月・祝)、聖学院教会(聖学院大学チャペル)を会場として、埼玉地区新年合同礼拝が行われました。今年は、2年に一度開催されます三区(1区・2区・3区)が合同で行う礼拝でした。出席者は199人(48教会・伝道所)でした。
子ども説教は、「イエス様に出会う人」と題して、大宮教会の甲賀正彦牧師がしてくださいました。甲賀牧師は、今年度『信徒の友』の表紙を素晴らしいイラストで飾っておられます。子ども説教では、ルカによる福音書第2章22~33節より、登場人物のイラストを聖書の言葉と合わせて、プロジェクターで投影しながら、シメオンと救い主の幼子イエスとの出会いを語ってくださいました。
埼玉地区委員長で武蔵豊岡教会の栗原清牧師が、「集まって一人の人のようになる」と題して(聖書箇所は、エズラ記第3章1~4節、ローマの信徒への手紙第12章1~5節)説教をされました。約50年のバビロン捕囚から解放されて、イスラエルの民は礼拝を献げることができました。コロナの試練を経て、こうして再び共に集まって礼拝できる恵みを新たにしました。礼拝とは、自分自身を献げることである、と説き明かしてくださいました。
聖餐式は、志木教会の横山基生牧師(主)と本庄教会の疋田義也牧師(副)が奉仕されました。説教されたように、地区の牧師・信徒と一緒に聖餐にあずかり、主にあって一つとされている恵みを感謝しました。
礼拝後に、今年度、受洗・信仰告白をされた方のため祝福の祈りが埼玉地区副委員長の武田真治牧師(上尾合同教会)によってなされました。新成人の方は新年合同礼拝に来られませんでしたが、若者たちのためにも武田牧師が執り成し祈ってくださいました。
主の年2025年、埼玉地区の1年を、このような地区の一致と連帯のしるしである新年合同礼拝をもって始めることができ、主に心から感謝いたします。(No.1020)


2025年 1月12日

イザヤ書を読もう

 先週は、新年の最初の祈祷会・昼間祈祷会がもたれて、イザヤ書の学びが始まりました。昨年出版された大島力(おおしま・ちから)先生の『イザヤ書を読もう 上 ここに私がおります』(教団出版局)を手掛かりに学びを進めます。読んでみたいと取り組んでもなかなか難しいイザヤ書。仲間と共に少しずつ、説き明かしを聞きながらであれば、通読できるかもしれません。ご一緒にイザヤ書の御言葉に耳を傾けましょう。
 先週の祈祷会ではイザヤ書の概要を知りました。また新約聖書との関係も少し分かりました。
 イザヤ書は大きく三部構成になっています。
 ・第一イザヤ書(1~39章) 
 ・第二イザヤ書(40~55章) 
 ・第三イザヤ書(56~66章)
 それぞれ書き記された時代背景が異なり、また内容も多岐に亘っています。しかし、いずれの部分においても、その時代における「メシア」とその「共同体」の在り方について叙述されています。イザヤ書は「メシア的王の到来」を告げ、バビロン捕囚の経験を通して「苦難の僕」による贖罪信仰に至り、捕囚後のユダヤ教団の中では民族性を超えた普遍主義に開かれていく「メシアとその共同体」の姿を指し示しています。
 イザヤ書が古代キリスト教会において、新約聖書の四つの福音書と並んで「第五の福音書」として親しまれ読まれてきました。このことはイザヤ書の理解において、さらには新約聖書の福音理解にとって、有益な認識であると思います。
 他方、福音書のみならずパウロ書簡等においても、イザヤ書からの引用が多くなされています。それは、直接的引用、暗示、言い換えを含めると400箇所以上になります。このことは、新約聖書諸文書の成り立ちにイザヤ書が多様な仕方で貢献していることを示しています。
 イエスの地上の生涯の時代、現在の新約聖書はありませんでした。主イエスが読まれたように少しでもイザヤ書を読みたい。それが願いです。(No.1019)


2025年 1月 5日

「キリストに愛されて」(元旦礼拝説教要旨)

 主の年2025年を迎えました。
 教会は、キリストのご降誕の喜びの中で古い年を送り、新しい年を迎えます。教会の暦では12月25日を降誕日としていますから、ルカ福音書第2章21節により、1月1日は命名の日となります。新年の最初の日に、救い主である幼子は「イエス」と名付けられました。「イエス」とは「主は救い」という意味です。その通り、主イエスは私たちの救いとなられたことを覚えましょう。
 西川口教会の今年の聖句として、ヨハネ福音書第13章34節後半の御言葉を与えられました。特に、「わたし(主イエス)があなたがたを(弟子たちを、私たちを)愛したように」とは、どういうことなのか、どれほどその愛を分かっているのか(もちろん、キリストの愛は、十字架と復活の出来事に示されていますが、それを大前提として)、福音書のイエスと弟子たちとの関わりを丁寧に見つめたいと願っています。イエスがどのように弟子たちを愛されたか。それと同じように私たちも愛されていることを知りたいのです。
 そこで第13章の「弟子の足を洗う」出来事を見ましょう。「イエスは…世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」(1節)。洗足はそのイエスの愛の行いでした。洗足は本来奴隷がする仕事でした。それなのに師であり主であるイエスがひざまづき、弟子たちの足を洗ってくださいました。弟子たちの足はきれいになり、イエスが用意された水と手ぬぐいは、どんどん汚れていきます。そのことは、私たちの罪、過ち、汚れを主イエスがすべて引き受けてくださったことを現しています。ペトロが「足を洗わないでください」と言ったとき、イエスは言われました。「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」(8節)。イエスと私の関係はイエスから始まり、イエスに足を差し出さなければ始まらないのです。イエスに罪を赦していただかなければならない私たちなのです。(No.1018)

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