西川口だより |
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週報短文
島 隆三牧師が週報に添えているエッセイです。教会員向けなので、わかりにくい表現もあるかと思いますが、どうぞお読みください。
2002年12月29日
年末の感慨
新年を迎えるに当たって、皆さんはどのような感慨をお持ちでしょうか。
私は今年はトルコへ行ったせいか、小さなことにあまりこだわらなくなりました(サルデスで命拾いをしたのは、神の憐れみであったと今も強く感じています)。元来が大雑把な性格ですから、あまりそれが過ぎると問題も感じますが、小さなことにこだわるには人生は短かすぎると実感するようになりました。あと自分に残された人生で何が出来るか、何をなすべきか、そんなことを考えるようになりました。
この教会で挑戦して見たいのは開拓伝道です。これについてはすでに申し述べました。
東京聖書学校では、信徒伝道学校の開校と、家族寮を建てたいというのが私の願いです。前者は二、三年後には始めたいと思ってますし、後者は飯淵先生からの多額の献金をいただきましたので、これを基金としてさらに全国から献金を募り、隣接地か近くの土地を得たいと願っています。土地が確保できたら、可能性もぐんと高まるでしょう。家族寮には飯淵先生の長年の祈りである隠退教師のための部屋も確保したいと思います。このためには、来春にもプロジェクトチームを発足させたいと願っています。
もう一つ私に与えられている課題は、ホ群の歴史編纂です。これも三年後には発刊にこぎ着けたいと願っています。他に、ホ群文書部として「四重の福音」の説教集の発刊も期待されていますが、これはまだ手につかない状態です。
しかし、これらはあくまでも私たちの計画であって、もっと大事なことは神のご計画です。神のご計画に私ごとき者が参与することが許されるかどうかが問題です。
「主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう」と言うべきです。(ヤコブの手紙4・15)を肝に銘じます。
2002年12月22日
痛みの愛
いよいよアドベント第4週を迎えました。今週は「愛」について黙想します。クリスマスはまさに「愛が現れた」時です。しかし、その愛には大きな犠牲が伴ったことを思わずにはおれません。究極的にはイエス・キリストの十字架に神の愛は凝縮しているのです。カトリックの神父が次のような詩を書きました。
愛は痛みだ
子よ、愛することは容易じゃあない
だれかを愛していると思っても
それはしばしば、自分を愛しているにすぎない
そこですべてがだめになり、そこですべてが御破算になる。
愛することはだれかに出会うことだ
そのためには、喜んでわが城をあとにして
その人に向かって、その人のために歩かねばならん。
愛するとは心をかよわせることだ
心をかよわせるためには、その人のために自分を忘れ
その人のために完全に、自分に死なねばならん。
子よ、わかるか、愛は痛みだ
アダムとエバの堕罪このかた―よくきいておけ
人を愛するとは、その人のために
おのが身を十字架にかけることなのだ。
(ミシェル・クオスト「神に聴くすべを知っているなら」)
神は大きな痛みの愛で私たちを愛して下さいました。このことを心に留めよう。
わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。(ヨハネの手紙 一 4:10)
2002年12月15日
喜 び
リリアにおける「クリスマスの夕べ」は恵みのうちに終り感謝であった。子供聖歌隊も元気一杯で、Oさんの伴奏も上手だった。今年は、全体に準備不足で心配したが、神様に祝福されたという一言であろう。私も事務局を担当して5年になるので、そろそろ若い人にお委ねしたいと思っている。
さんびゲストの江原二三子さんも、メッセンジャーの松岡広和師も力一杯のご用をされた。お二人は全然違う環境にお育ちになり、賜物も全く違うが、お証を聞くと共通しているところがある。それは、神様の前に自分を投げ出して祈らざるを得ないところに追いこまれ、「試しに祈って見たら」自分の思ってもいなかったできごとが起こった。それは神様が働いてくださったとしか言いようがないことであった。「祈って見た結果」、心は喜びと平安に満たされて、江原さんはオペラ歌手になりたいという自分の夢は閉ざされたが、「もっともっとすばらしい」神を賛美する声と健康を回復し、松岡師は天台宗の僧侶をやめてクリスチャンになり神学校に進んで牧師になった。「信仰は体験です」と力説しておられたが、今年のクリスマスはお二人のゲストが期せずしてご自分の「体験を語る」証しの集いになった。
クリスチャンも痛みや悲しみを繰り返し経験し、時には絶望的な状況に追い込まれる。しかし、どんなに八方ふさがりと見えても天の一角は空いている。私たちは主イエスと聖霊なる神のとりなしによって「天のお父様」と祈ることができるのは、なんという大きな特権であり、喜びであろうか。
「何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」(フィリピの信徒への手紙 4:6、7)
2002年12月8日
平 和
今週は「平和」について黙想しましょう。
聖書の伝統における平和
「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。」(ヨハネ14・27)
主イエスが(新約聖書で)平和を語るとき、その言葉はヘブル的な平和つまりシャロームの意味で用いられたのです。
シャロームは人間と神との関係のヘブル的な理解にとって本質的なしかも幅の広い概念で、それは霊的面と物質的な面の両方を含み、人間の福祉、健康、幸福の全体に及ぶもの、人と人の間、また人と神との間に健全な関係があるときに実現する幸せな状態を指しているのです。
平和は神から与えられる贈り物です。最後の食事を弟子たちと共にしたとき、イエスは彼らに向かって、シャロームを残すと言われました。イエスは、やがて始まる新しい聖霊の共同体で、喜びと救いの生活が実現するために、シャローム―完全な幸福と自由―を、弟子たちに与えたのです。教会への約束です。
ヨベルの年(主の恵みの年)
「主の恵みの年を告げるためである。・・・この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」(ルカ4・19,21)
大地とそれに満ちるものはすべて主のものであり、大地の産物は分かちあうべきものでした。しかし年月が経て、富が一方に偏り、不公平が蓄積すると、それを是正するためにヨベルの年(レビ記25章)が50年ごとに宣言され、その時には借金は帳消しにされ、奴隷は自由になり、経済的な困難のために手放していた家族の財産は、また持ち主に返されるのです(シャロームの実現)。イエスが宣教の最初にナザレで宣言された「主の恵みの年」はヨベルの年のことです。主イエスによって、恵みが宣言され、分かち合う平和の共同体に生きる者とされました。
(「教会 イエスの共同体」J・ドライヴァー より。この短文は金田が書きました。)
2002年12月1日
希 望
アドベントを迎えました。アドベント・クランツの4本のろうそくに「希望・平和・喜び・愛」の意味を持たせ、今週は「希望」について黙想しましょう。ここには「ホーリネス」12月号の中から、M教会のU子さんの文を引用させて頂きます。
『今年もアドベント待望のときを迎えることができ感謝である。ローソクの灯りが一つずつ増えて行くのを見ながら、「主よ、きたりませ」と待ち望む。
奉仕、証し、すべてに足りない私。でもいつもイエス様の「切り捨てないでこのままにしておいてやってください、肥料をやってみますから」とのとりなしの祈りあるがゆえに、今も信仰の道を歩ませて頂き、今年も主を迎えることができる幸いに胸迫るものがある。
私も80歳の坂にかかり、いつ神の御手の中に憩わせて頂く時が来るやも知れない。その時は、イザヤ書11章6〜9節、
「狼は小羊と共に宿り
豹は子山羊と共に伏す。
小牛は若獅子と共に育ち
小さい子供がそれらを導く。
牛も熊も共に草をはみ
その子らは共に伏し
獅子も牛もひとしく干し草を食らう。
乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ
幼子はまむしの巣に手を入れる。
わたしの聖なる山においては
何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。
水が海を覆っているように
大地は主を知る知識で満たされる。」
この詩のような神のみ許に迎えられると思うとき、歳を重ねることが楽しく、また嬉しくなってくる。
日々神様の豊かなみ言葉に養われ、いつも共にいてくださる主を信じ、愛をもってすべてに感謝し、終着駅のその時も感謝でしめくくらせて頂けるようにと祈る。』
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