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週報短文

バックナンバー 2002年10月分


2002年10月27日

Y兄召天

 お祈りを頂いたY兄は、ついに天に召された。これほど皆に祈られた人も珍しいと思う。更生教会はもちろん、東京新生教会でも毎朝早天祈祷会で祈られ、兄弟が中心的なメンバーであった西武朝祷会でも熱心に祈られた。昨年末に、あと三ヶ月と医者から宣告されて、十ヶ月の命を神様から与えられたが、その十ヶ月は兄弟にも家族にも真に貴重な恵みのときであった。殊に、今年のイースターに二人のお子たちが洗礼を受けたのはどんなに大きな慰めであったことか。
 司式のH田牧師が語られたが、いつ見舞いに行っても一度も愚痴をこぼさず、いつも明るく感謝を語っておられた。
 かなり病気が進んでも礼拝を休まず、正に礼拝を死守するという姿勢を貫いて、いよいよ出席できなくなってからは、土曜日に週報をファックスで送ってもらい、病院のベッドで讃美歌を広げて小声で歌い、み言葉を何度も読んでおられたという。ご自分で読むことが難しくなると、夫人に読んでもらっていた。最後はバッハの音楽に非常な慰めを与えられて、いつ召されても本望だと牧師に語ったという。
 兄弟の思い出は沢山あるが、何よりも音楽を愛して、聖歌隊を非常に大切にされ、またホーリネスの群の連合聖歌隊の指導もよくされた。あのにこやかに指揮を取る姿が忘れられない。声もすばらしく、低音から高音まで広い音域の持ち主で、関東アシュラムではよく独唱もされたが、A牧師と私と三人でトリオを組んで何度か歌った。前夜式には、彼が所属する東京バッハ合唱団の有志三十人ほどが「ヨハネ受難曲」から歌った。
 彼の同僚が追悼の言葉を述べたが、彼を実に良く理解した懇ろな言葉で、聞いていて我がことのようにうれしかった。
 残されたご家族に主の守りを切に祈る。


2002年10月20日

「親分はイエス様」

 「親分はイエス様」の映画を見ました。さいたま市周辺の教会が協力して埼玉会館で自主上映したのです。ずいぶん前から評判の映画でしたが、見に行ってみてなるほどと思いました。一つは渡瀬恒彦や奥田瑛二などテレビなどでも顔なじみの俳優が演じており、映画としてもなかなかの出来だと思いました。驚いたのはかなりどぎついやくざ映画という感じで、気の弱い人は見ていられないようなシーンもありました。
 この映画が伝道のために役立つかどうかという点では意見が分かれるでしょう。でも、「人生、やりなおせる」というメッセージは充分伝わったと思います。韓国との合作ということで、以前川口リリアで上映した「愛の黙示録」もそうでしたが、韓国や韓国の教会と協力して作り上げることに一つの意味があると思いました。折から、北朝鮮の拉致問題が大きな時事問題になっていますから、タイミングとしても良かったと思います。
 映画の中に教会が何度も出てきて、クリスチャンでない人も、何かしら教会へのイメージが生まれると思います。でも、映画の中の教会と日本の大方の教会との間にはかなりのギャップがある感じで、実際に教会に行って見たら違っていたという失望を感じるかもしれない。これは、ビリーグラハムや本田弘慈先生のクルセード等でも言われたことで、やむを得ないでしょう。だからだめだというのではなく、一人でも教会に導かれる人がいたらそれでよしとすべきではないでしょうか。
 それにしても、埼玉会館の大ホールに、わずかあれだけの人達ではもったいないと思いました。道を行く人に呼びかけて、聖書にあるように席が満ちるまで誰でも引っ張ってくるというのはどうだろうかとも思いましたが、今時そんなやり方は、はやらないのでしょう。映画のイメージと現実の教会や伝道のあり方など、あれこれと思わせられました。

2002年10月13日

市民合唱団

 去る10月5日、リリア音楽ホールにて川口市民合唱団の50周年記念コンサートが開かれた。新聞に大きく取り上げられたことも影響したのか、会場は満席で立って聴いてくださる方もあった。また埼玉テレビでも短時間ながら特集番組として報道してくださった。一市民合唱団のことをこんなにひいきしてくださるのは破格のことだが、わけを聞いたら、文化サークルで50年続いた例は稀だからとのことであった。「継続は力なり」を感じた。
 先週の役員会でクリスマスのことを相談したが、一つの話題は、ここ数年アドベント礼拝で市民合唱団有志による賛美をお願いしているが、これが礼拝にふさわしいか否かということであった。礼拝は、賛美も祈りも説教もすべて神に捧げるものであって、信仰がなければ難しい。厳密に言えば、信仰なしに歌う賛美は神を賛美することにはならない。これは礼拝とコンサートが全く違うものであることを思い起こせばよくわかることである。上手な歌とよい賛美は違う。
 一方、20人以上のノンクリスチャンが何の宣伝もしないのに礼拝に来てくださるのは、伝道の大きなチャンスではないか、というのが一方の意見である。これもその通りで、私たちの教会は開拓伝道以来、伝道を第一にしてきた伝統がある。
 以上の二つの意見を両立させるためには、彼らを礼拝以外の集会にお招きして歌っていただくことであろう。アドベントにそのような集会を持てるだろうか。私もいろいろ考えて見たが、時も迫っていることでもあり、今年はご遠慮頂くことにした。来年はクリスマスコンサートとか、思いきって今までのイブの燭火礼拝を伝道を主体とするコンサートのような集会にするか、一年かけて皆で考えていきたい。そして、せっかく来てくださるお客様を心から歓迎する態勢を作って行きたいと願っている。


2002年10月6日

牧師の勤め

 先週のハプニングは、月曜日に救世軍川口小隊で開催を予定した近隣の牧師会が、K先生のご都合で急きょ出来なくなり、一番近い当教会に会場を移して行ったことである。その日の奨励は多摩キリスト教会のT先生。並みいる牧師たちを前に臆することなく、「牧師は教会のために命を捨てるべきだ」と語られた。そして、牧師は教会に専念すべきで、委員会その他のことをしている暇はないはずだとも語られた。厳しいお言葉で、皆衿を正して聴いた。
 かくいう私も耳が痛かった。ここしばらく、寸暇を惜しんで練習してきたのは、昨日の市民合唱団のコンサートの曲である。全部、暗譜で歌うことになっているので、それを怠ってきた私は最後につけが回ってきて、偉い苦労をした。T先生からすれば、牧師がコンサートに出るなどはもっての他ということになるだろう。祈りとみ言葉のご用に専心するのが牧師の勤めであり、そのためにどんなに時間と力を費やしても足りないはずである。それを承知の上で、ここ数年、合唱団に入って週一回の練習を楽しみにしてきた。もちろん好きだと言うこともあるが、牧師を長くやっていると教会とか牧師同士、神学生との交わりがあっても、信者でない人達との交わりが殆どなくなってしまう。それは果たして良いことだろうかと思ったからである。合唱練習の合間の何気ない会話にもいろいろ教えられることが多い。合唱団にも大切な友達ができてきた。それもうれしいことである。また、大学の同期会の友人達とも頻繁にメールのやり取りをして、彼らにもクリスチャンの考え方を知ってもらいたいと思っている。10月末に北海道で開かれる卒業40周年の同期会には何とか出席して昔の仲間達と語り合いたい。一人くらい牧師になった人間がいるのも、誰かの役に立たないだろうか。T先生に叱られても、よく祈って行ってこよう。


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