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週報短文


バックナンバー 2002年8月分


2002年8月25日

N兄ご召天

 敬愛するN兄が去る18日夜に召された。85歳であった。ご自宅に駆けつけると、平安そのもののお顔であった。N先生よりかねてからお父様の召天の際は自宅で密葬でお願いしたいと伺っていたので、教会の皆さんにはお知らせせず、19日の前夜式にH兄に代表して参列していただいた。
 N兄は2000年4月のイースター礼拝で受洗された。なぜ受洗の決意をされたかは「西川口だより」384号にN先生が書いてくださったが、N先生が献身して東京聖書学校に入り、全く変わられた姿を見てキリスト教に惹かれ、自分も変わりたいと思って受洗を決意されたという。前夜式でN先生が涙ながらに最後の挨拶をしてくださり、告別式では喪主のお兄様も涙をもって「父へのわだかまりは全く消えた、父には百点満点を上げたいと思う」と言われた言葉が大変印象的で、感動した。召される時、子供達からそう言われる親は少ないと思う。
 お母様が鳩ヶ谷病院に入院中で(退院しておられたが、数日前に緊急入院された)、ご無理と思っていたが、前夜式には酸素ボンベを持って出席してくださった。お母様もキリスト教の葬儀は初めてとのことで、私もこのように送ってもらいたいと洩らしておられたとお聞きしてうれしかった。
 ご召天が一週後でも前でも、私は留守なので困ったし、一、二日早く週末に掛かっていたら私たちもN先生も困ったろうし、お兄様も仕事の関係で来られなかったと言っておられた。神様は最善の時を備えてくださったのだ。これはN兄ばかりでなく、今まで何度も経験してきたことである。肉親の情から言えば、もう少しという思いもあろうが、これ以上苦しむのは可哀相な気もする。神様は「もう良いからここに来て休みなさい」と招かれたのだ。「神のなされることは、皆その時にかなって美しい。」(伝道の書3:11 口語訳)

2002年8月18日

キリストの平和

 今年の8月15日を皆さんはどのように迎えたでしょうか。私は昼間祈祷会の後、大急ぎでリリア音楽ホールに行き、来る10月の川口市民合唱団50周年のコンサートのためにオーケストラとパイプオルガンとの音合わせや練習を夜10時近くまでいたしました。とにもかくにも、今はそのような平和を与えられているということです。
 練習の合間に、敗戦の日をどこで迎えたかの話になりました(団員の年齢が想像つくでしょう)。最年長のMさんは静岡で防空壕を掘っていたということでした。私は札幌で、防空壕に潜っていた記憶はありますが、敗戦の日の記憶はありません。まだ、戦争も敗戦の意味もわからなかったのでしょう。ただ覚えているのは、当時鉄道員だった長兄が結核で寝ており、しきりに背中が痛いと訴えて、私に布団の上から乗ってくれと頼むのです。私は恐る恐る兄の背中を踏んづけた記憶があります。その兄も敗戦の年の12月に、み言葉が書かれた紙片を握り締めて他界しました。両親には断腸の思いだったでしょうが、もし元気だったとしても戦死したのではないかと想像すると、平安に死ぬことができたのは幸せだったとも言えるでしょう。
 長兄が亡くなって、次に次兄が結核で倒れました。まだ中学生になったばかりで、この兄が中学を卒業したのは20歳にもなってからであったと、この間、兄から聞いたばかりです。戦争中は窮乏生活を余儀なくされ、学校では軍国主義の教育を強いられ、ようやく戦争も終って自由で平和な時代が来たと思ったら、結核という伏兵に倒されて満足な勉強もできず、入退院を繰り返した次兄の苦しい青春をしみじみと思いました。この兄が先日上京の折、初めて川口に寄ってくれて、礼拝にも出てくれたのは私にとっても大きな喜びでした。唐突で恐縮ですが、本当の平和は「キリストの平和」にあるのです。

2002年8月11日

キリスト者と罪(礼拝説教を補足して)

 ヨハネの手紙一の3章6、9節によれば、キリスト者は罪を犯さず、罪を犯す者はキリスト者ではないことになる。しかし、これはヨハネ自身の思想と相反するし、まじめなキリスト者の実際の経験に反する。それゆえに、この二節に対しいろいろな解釈が生まれてきた。

、キリスト者の霊は罪を犯さず、罪を犯すのはその肉であるとする。(しかし、これは結局キリスト者も罪を犯すことになる。)
、「死に至る罪」を犯さないとする。(これは無理な解釈)
、罪の中に継続的に留まっていないと解する。(これは最も事実には合っているが、ヨハネの気持をよく伝えていない。)
、反キリストに対する論戦だから、極論したのだとする。(それなら、1章8節以下は、かえって論戦の妨害になる。)
、(新共同訳の6節前半のように)キリストの内に“いつもいる人”というように限定して解釈する。(しかし、6節後半と9節はどうなるだろうか。)

 以上のような種々の解釈があるが、いずれも満足すべきものではない。要するに、ヨハネはキリストにある新しい霊の本質をそのまま言い表したと見るべきではないか。罪を犯すことは、キリスト者にとってその本質上あり得べからざることが起こったのである。だからヨハネは、そのようなことを念頭に置かずに、大胆率直にキリスト者は罪を犯さず、また犯すことが出来ないと断言したのである。(以上、黒崎幸吉の註解より)

・・では、どう言う意味で信者は罪を犯さないのか。前後の関係から見て、信者でありながら道義を無視し、罪の生活にありながらも少しも恥じない者を戒める心が強い。即ち、信者と称しながら実は罪をその生活の根本原理としている者である。・・・このあたりの罪は、個々の罪よりも、生活原理としての罪を意味している。・・・      (畔上賢造)

(短文の補足:ヨハネの手紙一 3章4-10節)
4 罪を犯す者は皆、法にも背くのです。罪とは、法に背くことです。5 あなたがたも知っているように、御子は罪を除くために現れました。御子には罪がありません。6 御子の内にいつもいる人は皆、罪を犯しません。罪を犯す者は皆、御子を見たこともなく、知ってもいません。7 子たちよ、だれにも惑わされないようにしなさい。義を行う者は、御子と同じように、正しい人です。8 罪を犯す者は悪魔に属します。悪魔は初めから罪を犯しているからです。悪魔の働きを滅ぼすためにこそ、神の子が現れたのです。9 神から生まれた人は皆、罪を犯しません。神の種がこの人の内にいつもあるからです。この人は神から生まれたので、罪を犯すことができません。10 神の子たちと悪魔の子たちの区別は明らかです。正しい生活をしない者は皆、神に属していません。自分の兄弟を愛さない者も同様です。


2002年8月4日

うるま伝道所へ

 きょうは沖縄県那覇市の日本基督教団うるま伝道所でK姉の転会式が行われる。K姉は、私たちが香港JCFにいた時に受洗され、帰国して西川口教会に出席されるようになり、ここに転会もされたが、間もなくご主人の仕事の関係で沖縄に行かれた。高齢の母上のこともあって沖縄と本土を往復しておられたが、いよいよ沖縄に住む決心も固まり、うるま伝道所へ転会されることになった。同姉の転会の薦書をお送りしたところ、うるま伝道所のN師より、次のようなお手紙が届いた。
“主の聖名を賛美します。
 きょう礼拝後の役員会で、K姉の転入会を一同心から感謝と喜びをもって承認いたしました。
 うるま伝道所の設立の過程、目的は、別文書でお読みください。また、主から命じられている平和をつくりだす具体的な取り組みとして、平和をつくる琉球弧活動センターがあります。
 少人数の伝道所で、Kさんの存在は大きいです。どうぞ、Kさんとうるま伝道所の歩み、取り組みを覚え、お祈り下さい。この転会を機に、相互の交流が始まることを願っています。・・・・"
 今、日本基督教団と沖縄キリスト教団との合同(1969年)の捉えなおしが問題になっている。関東教区では、沖縄の教会からの声を受けとめ、これを自分たちの問題として、前大戦中から戦後の日本基督教団の罪責を洗いなおす特設委員会を設けて、その作業が進められている。これは昨年の私たちの平和学習会でも取り上げたが、教団や教区と各個教会との間に意識のずれがあり、まだ自分たちの問題になっていない。教会の役員会でもこれらの問題について、十分語り合う余裕がないのは残念だ。しかしこの度、K姉が沖縄のうるま伝道所に転会されたことによって、沖縄の教会がより身近に感じられるようになった。K姉の賜物が沖縄で主に豊かに用いられることを祈りたい。

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