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週報短文

バックナンバー 2007年 3月分


2007年 3月 25日

ほほえみ

 先週の一般礼拝後の愛餐会では、柏明史・野口佳男両神学生(東京聖書学校)への感謝とお別れのご挨拶が述べられました。夕拝も共にささげて、何人かの方が、「柏神学生も、野口神学生も、笑顔がとても良かった。その笑顔に励まされたし、その笑顔のそばにいたくなる。」とおっしゃいました。わたしもそう思います。
 お二人の笑顔を思い起こしながら、「ほほえみ」という詩を紹介します。主の祝福を祈りつつ。

ほほえみは、お金を払う必要のない安いものだが
相手にとっては非常な価値をもつものだ
ほほえまれたものを、豊かにしながらも、ほほえんだ人は何も失わない
フラッシュのように、瞬間的に消えるが、記憶には 永久にとどまる
どんなにお金があっても、ほほえみなしには貧しく
いかに貧しくても、ほほえみの功徳によって 富んでいる
家庭には平安を産み出し、社会では善意を増し
二人の友のあいだでは、友情の合言葉となる
疲れたものには休息に、失望するものには光になり、
悲しむものには太陽、さまざまな心配にたいしては、
自然の解毒剤の役割を果たす
しかも買うことの出来ないもの、頼んでも得られないもの
借りられもしない代わりに、盗まれないもの
何故なら自然に現われ、与えられるまでは、
存在せず、値打ちもないからだ
若しあなたが、誰かに期待したほほえみが、
得られなかったら、不愉快になるかわりに、
むしろ、あなたの方から
ほほえみかけてごらんなさい
実際、ほほえみを忘れた人ほど、
それを必要としている人はいないのだから


2007年 3月 18日

祈り続ける

 3月10日から11日の第31回西川口教会アシュラムでは、数々の御言葉に励まされ、心が燃える体験をしました。村瀬俊夫先生の礼拝説教を通して、両手挙げて祝福するキリストがわたしの心に刻まれました。
 アシュラム集会は終わりましたが、それは新たな始まりです。わたしたちは祈り続けていきます。先週の週報短文に載せたアシュラムの指針より、@アシュラム運動と、Aアシュラム運動が導く目的地を示す祈りを、もう一度紹介します。
 「アシュラム運動 1、毎朝 2、わたしに 3、活けるイエスさまからみ父の愛を福音していただく、生活習慣を願う。・・・どんな時にも礼拝し、毎朝御言葉を頂き祈りの火を絶やさない」。
 「このようにして、イエスさまが、わたしたちを、一層、イエスさまの体である教会に根差し、教会にあって育ち、教会を愛し、教会に仕える者としてくださいますように」。
 祈りは目当てを持っています。祈願だけが祈りではありません。聖書の言葉を神が語りかけとして聴き続けます。そのような日々の中で、神がわたしの内に働きわたしを造り変えてくださいます。キリストに似たものとして、教会に生きるものとしてくださいます。御言葉によって神を知り、自分を理解します。神の救いのご計画に生かされている自分を発見するのです。
 わたしの祈りをわたし一人だけで続けることは到底できません。それを認めることが祈り続ける秘訣ではないかと思います。牧師は皆さんに常に祈られている幸いがあります。本当に感謝です。わたしにできることは、主日礼拝と日々の祈りの時間を確保して生活をすることです。同時に、学び合い・分かち合い・祈り合いの場に身を置くことです。その点で祈祷会は最適です。水曜夜は「イザヤ書」、木曜昼は「使徒言行録」を取り上げ始めたばかりです。お待ちしています。何よりも、両手を挙げて祝福するキリストがあなたを待っておられます。

2007年 3月 11日

第31回西川口教会アシュラムにあたり

 新年度へ向かうこのとき、そして、主イエス・キリストの受難・十字架の死・復活を特に深く覚えるレントの日々の中で、祈りに集中できるアシュラムを、心から喜ぶものです。本日の礼拝だけの方もおられますので、「アシュラムの指針」(アシュラムセンター発行)から抜書きして、アシュラムがどのような集いかをお伝えいたしましょう。
 ・アシュラム  もとはキリスト教とは関係なく、インドに古くからあるもの。ある人が森や河辺で神との深い交わりをしている。そこへ「わたしもあなたと一緒にその神交にあずからせてください」と弟子入りしてくる。こうしてできてくる生活共同体をアシュラムと言いました。・・・
 ・クリスチャンアシュラム み父と交わっておられるイエスさまが待っておられます。「わたしもその交わりにあずからせてください」と弟子入りするのを。イエスさまと一緒に、「アバ、父よ」と呼ばせてくださいます。イエスさまと一緒に、「あなたはわたしの愛する子」とみ父の声を聴かせてくださいます。
 ・アシュラムの姿勢 1.恵みを知るだけでなく、恵みにあずかる方法を知る  2.知るだけでなく、味わい体験し修練する 3.人にさせるのではなく、自分がする
 ・アシュラム集会  1.唯一の指導者活けるイエスさまが、2.聖書を通して、3.わたしに、4.福音してくださる御愛を聴受し、その喜びを分かち合う。
 ・アシュラム運動 1.毎朝 2.わたしに 3.活けるイエスさまからみ父の愛を福音していただく、生活習慣を願う。・・・どんな時にも礼拝し、毎朝御言葉を頂き祈りの火を絶やさない。
 最後に祈りが記されています。
「このようにして、イエスさまが、わたしたちを、一層、イエスさまの体である教会に根差し、教会にあって育ち、教会を愛し、教会に仕える者としてくださいますように」。アーメン!

2007年 3月 4日

終わりは始まり

 3月2日は、永本牧師と兄姉と共に6人で東京聖書学校の卒業式に参列しました。また、4人が式後の感謝会に出席しました。
 柏明史神学生を含む8人の卒業生を送り出すこの卒業式は主の祝福に満ちていました。ただ「よかった、よかった」だけではなく、卒業生は宣教の最前線に出て行く、その緊張感もありました。山岡磐先生(初雁教会)の説教は、温かい愛のこもった御言葉の取次ぎでした。
 卒業証書授与は島隆三校長からでした。柏神学生が受け取ったときは、わたしもうれしかったです。茅ヶ崎の自宅から吉川の東京聖書学校まで4年間よく通学された、と思います。卒業にあたっての決意や思いは、18日の主日礼拝で分かち合っていただけることでしょう。
 感謝会の終わりは卒業生からの一言でした。その挨拶の中で、印象に残ったのは、神学以上に、実践的な学びから多くのことを得たという方がずいぶんいたことです。神学生同士互いに、また神学校の先生方から、日曜ごとに派遣される教会で出会った牧師・信徒の方々から、本当に多くのことを学びましたと。わたしは神学校を経ませんでしたので「そうなのだろうなあ」と察するばかりですが、永本先生は、深く同感しておられました。多くの人に出会い、揉まれ、鍛えられ、試練に耐えて、試練を糧にした卒業生の方々に祝福を祈ります。
 参列した牧師の多くは自らの召命を新たにされたことでしょう。永本先生もわたしもそうでした。卒業式はわたしたちにとっても、幸いなことでした。
 永本先生の献身の御言葉は、「また、あなたがたの五体を不義のための道具として罪に任せてはなりません。かえって、自分自身を死者の中から生き返った者として神に献げ、また、五体を義のための道具として神に献げなさい」(ローマ6・3)です。金田は「 神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる」(ルカ3・8)です。主に感謝します。