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週報短文

バックナンバー 2007年 4月分


2007年 4月 29日

丸三年経ちました

 週報短文を書き始めて、今回で丸三年になります。もともと週報短文は、前任者の島隆三先生が書き始められたものです。2004年4月に、敬愛する島隆三先生・静江先生が、仙台青葉荘教会に転任されました。主任となったわたしは「祈りの栞」は引続き作成しましたが、その裏面は白いままでした。そうしましたら当の島先生が、「裏が白いのはさみしいね」と、電話であったか、メールであったか、お声をかけてくださいました。
 西川口教会では、歴代の牧師先生方へ、そして、この教会から献身され牧師となられた先生方へ、月報と第1主日の週報を毎月送っています。島先生はそれをごらんになって、おっしゃったことと思います。
 島先生のようにはとても書けないと思いながらも、一方では今まで週報短文を楽しみに読み、先生の考え、教会の方向を知らされていたので、わたしはわたしなりに書いてみようと思い立ちました。書き始めたのは、2004年5月2日、第1主日でした。以来、主に、教会の活動に関わること、教会の交わりから感じたこと、奉仕、学び、出会いで受けたことなどを書いてきました。二、三回書けなかったことがありました。今回で154号です。(余談ですが、2001年12月8日に西川口教会のホームページを開設して、週報短文は同年12月16日から、毎週教会のホームページに載せています。今では、データベースのようになって利用することができ、たいへん重宝しています。いつ何を書いたかは、教会のホームページを見ればすぐに分かるのです。)
 週報短文への反応も皆様それぞれで、楽しみにして何を書くか予想しておられる方もあり、週報を開いてすぐにお読みくださる方、読んで答えてくださる方、読まれない方もあります。キリスト教の初心者の方々には、内容が教会員向けなので申し訳なく思っていますが、これはご容赦いただいて、牧師から教会へ、これからもこつこつと、届く言葉を求めつつ、書いていきます。


2007年 4月 22日

教会の真ん中におられるキリスト

 少し前に一般礼拝の説教で、キリストの言葉にマークがついている聖書があるとお話しましたが、それはM兄が持っておられるのです。先週火曜日家家庭集会で、お願いしてその聖書をもう一度見せてもらいました。日本聖書協会が主の年(西暦)2000年に、記念として刊行された新約聖書であることがわかりました。まだ教会にお出でにならなかった頃にM兄がこの聖書を手に入れたこと、七年後に家庭集会で皆が手にとって眺めていること。神様のなさることは不思議です。
 キリストの言葉にマークがついているというのは、そこに赤く線が引いてあるのです。マークがついているのは福音書だけかと思いきや、使徒言行録にもあります。使徒ペトロやパウロに語りかけられたキリストの言葉も赤線でマークがついています。なるほどと思いました。そして、さらにページを繰ると、ヨハネの黙示録の前半部分も、赤線がたくさん引いてありました。
 「そうだ、キリストの言葉なのだ」と、改めて思い出しました。昨年、昼間祈祷会でヨハネの黙示録を永本先生より学び、黙示録が福音と希望に満ちている聖書であることを、喜びを持って受け取りました。現在、雑誌「信徒の友」(教団出版局)の連載「ヨハネの黙示録に聴く―今の時代をどう生きるか」を読んで、あの時の学びを思い出しています。
 「わたしは、語りかける声の主を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見え、燭台の中央には、人の子のような方がおり・・・」(黙示録1・12〜13)。ヨハネが背後から語りかける声を聞いて振り向くと、そこにはキリストが立っておられました。七つの金の燭台とは七つの教会のことです(20節)。ですから、キリストははるか彼方にではなく、教会の真ん中におられるということです。教会という群れの中央に立っておられる。そして、わたしたちに命の言葉を語ってくださるのです。


2007年 4月 15日

教会総会を前に

 先週木曜日、昼間祈祷会後の午後、教会総会議案書が作成され、教会員(現住陪餐会員)の週報ボックスに入れられました。来週の礼拝後に2007年第2回教会総会が開催されます。そのための資料です。この一週間よく目を通して、教会総会に備えてください。
 西川口教会は、日本基督教団の教憲・教規に従い、教会の最高の議決機関として教会総会を位置づけています。教会総会は、担任教師(牧師)と現住陪餐会員で構成されます。洗礼を受けて教会の一員になるということは、教会総会の議員の一人になることでもあります。さまざまな事情は個々にありましょうけれども、教会総会には、万障繰り合わせて参加しましょう。わたしたちは各自がキリストの体なる教会の一員とされたその責任の一端を引き受けるのです。
 教会の活動は教会総会で承認され、一年の報告がなされます。活動計画も提案されます。わたしたちは神を信頼し、互いに信頼し合い、信仰をもって、誠実にこの会議に臨みます。神の前に、神と共に、神からの使命に精一杯答えるべく、教会総会に参加します。神は、わたしたちをご覧になり、教会総会にご臨在し、導かれます。神は、わたしたちをわがままや怠慢、不信仰から遠ざけてくださいます。教会の活動は神の活動です。神がわたしたちを用いて働いてくださるのです。
 西川口教会は、聖霊の賜物が豊かに与えられている教会です。可能性に満ちている教会です。神に愛されている教会です。キリストに贖われた神の教会です。わたしたちは神の民、キリストの体、聖霊の神殿です。
 「主よ、あなたはよくご存じです。わたしが自分のとった行動の結果を知ろうとしないことや、自分の決断に対して責任をもとうとしないことを。責任を回避するのではなく、キリストのために喜んで責任を取ることができるよう、正しい方向へと成長させてください。アーメン」(「詩編とともに祈る365日」 4月13日の祈りより)


2007年 4月 8日

どうしてイースターって日にちが一定じゃないの?

 イースターおめでとうございます! 主は本当に復活されました! 全世界の教会と共に主を賛美します。
 今日はイースターについて紹介します。埼玉地区ホームページの解説から一部引用しました。タイトルも同じです。

イースター(復活祭)とは?
 イースターは、イエス・キリストが人間の罪を背負い十字架にかけられ死んだ後、3日目によみがえらされた復活を祝う日です。
 復活された日は週の初めの日、すなわち日曜日でした。
復活祭をいつにするかで、いろいろな論議があったようですが、最終的には、西暦325年のニカヤ会議で、「春分の後の第一の満月後の日曜日」と定められました。このため、毎年、日にちが変ってくるのです。(ちなみに、2004年は4月11日、2005年は3月27日、2006年は4月16日でした。来年は3月23日です。一般的に、日本の教会の年度は4月から翌年の3月までですので、2007年度は年度中に2回イースターがあるわけですね。)

イースターエッグって?
 現在、世界のキリスト教会でイースターに美しく彩色された鶏卵(イースターエッグ)が贈物として使われています。これは、中世社会ではイースターの9週間前は野鳥の卵をとることが禁止されており、禁が解かれるといっせいに野に出て野鳥の卵を探しそれを採って食べたという風習が、イースターエッグの起こりです。
 ヒヨコが殻から出てくるのをイエス・キリストの墓を打ち破ってよみがえられた事とあわせて、卵を復活のシンボルとしてイースターに用いる意味もあります。

2007年 4月 1日

M姉召天

 M姉が天に召されました。夫のI兄の召天からほぼ丸2年後の3月27日でした。自宅療養の日々の中、最後は家族に看取られて、天に凱旋されました。
 神のお計らいを覚えます。M姉はひ孫の誕生(T兄とF子姉のご長男・MさんとY子さんご夫妻の初めてのお子さん)を、心待ちにしておられました。予定日は3月28日でしたのに、十日早い18日に、Y子さんは元気な男の子を出産され、無事退院。24日にはご家族に支えられて、M姉も赤ちゃんを抱くことができました。

 翌日25日に容態が悪くなりました。一般礼拝の報告のときに、T子姉から伺った危篤の知らせを受け皆で共に祈りました。日曜午後に伺いましたが、ご家族ご親族が次々駆けつけ、お別れすることができました。27日は県南四市牧師会の帰りに伺い、しばらくお顔を眺め、お声をかけ、手を置いて祈りました。F子姉とM兄とお話しし、帰ろうとしたちょうどそのとき、息を引き取られました。居合わせたことにわたし自身驚き、「神は生きておられる」と畏れを感じました。
 30日の告別式では、昨年秋の敬老祝福礼拝でのM姉の証を分かち合いました。「天国を見つめています。もし信仰がなければ、世の人と同じ考えになり、そうしたら一瞬として生きられなくなってしまう。とにかく苦しいんですから。信仰があるから天国を見つめて励んでいます。天国を見つめていたら時が来て、神様が迎えに来てくれると思って過ごしています」。
 M姉の愛唱聖句「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである」(ヨハネ15・5)の御言葉のとおり、イエス様を離れては何もできない、だから、イエス様にしっかりつながっていたM姉でした。主を賛美します。