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週報短文

バックナンバー 2007年10月分


2007年 10月 28日

恵みの休暇

 役員会のお許しを得て秋の休暇をいただき、80歳の父を連れて、旅行に出かけました。
 日曜の夜に神奈川県相模原市の妹一家のところに行きました。甥たち(五歳と二歳)と遊び、心和むひと時を過ごしました。
 月曜の朝は藤沢市の辻堂教会へ移動しました。姉夫婦(押川幸男・沢江牧師)が今年の4月から牧会しています。茅ヶ崎在住の柏明史先生にもお声をかけ、五人で愛餐の時をもちました。柏先生は今年の4月から横浜市の清水ヶ丘教会で伝道師としてお元気に仕えておられます。互いの教会のことなど語り合い、時間が足りないくらいでした。
 この日の宿泊先は、以前マリア会研修会で訪問した、婦人教職・牧師夫人のホーム「にじのいえ」(千葉県館山市)でしたので、東京湾フェリーで浜金谷へ入りました。金谷から一時間ほどで着きました。
 火曜日は午後に館山城を見学したのち、市内の南房教会を訪問しました。今年4月に着任された渡辺正男牧師は、わたしが教団の補教師検定試験を受験した時の教師検定委員長をされ、特にCコース受験者のために配慮くださいました。おかげでギリシャ語の試験に通ったのです。お礼を伝え、教会堂を見せていただきました。
 「にじのいえ」では、入居の先生・職員の方々と交わりを楽しみました。朝の祈祷会では、先生方のお祈りに心打たれました。月報をお渡しして喜ばれました。「にじのいえ」が教会婦人の祈りと献金で維持されていることの尊さを思います。
 水曜日は勝浦教会へ向いました。中込己一郎先生・愛子姉が今年4月から牧会されています。ホーリネスの群の集会等で知り合い、今回足を伸ばしてお訪ねできました。いろいろご案内くださり懇ろなおもてなしをいただきました。夜は養老渓谷の旅館に泊まり、木曜日に東京湾アクアラインを経由し帰宅しました。走行距離約420キロ。
 他、温泉に行ったり、灯台を見たり、「信徒の友」日毎の糧1月号の原稿を書いたりしました。好天に恵まれ、父も守られ、充実した休暇でした。(No.180)

2007年 10月 21日

忘れないで

 
 10月の役員会で、アドベント・クリスマスの過ごし方について協議をしました。今年もカレンダーの関係で、諸行事がぎゅっと詰まってなされる日程になっています。12月23日がクリスマス礼拝と祝会、翌日24日が市民合唱団のミニコンサートとキャンドルサービスになります。けれども秋の特別礼拝が9月に終わりましたから、クリスマスへ向けて、アドベントから一つ一つ心をこめて備えて過ごせると思います。アドベントは12月2日からです。そのアドベント期間、一般礼拝では各グループ(交励会・マリア会・青年会)から、特別賛美をささげていただきたく、今からお願いします。声を合わせ、心を合わせ、主に最高の賛美を力強くささげたい。役員の兄姉、グループの責任者の兄姉、特に調整のご協力をお願いいたします。
 また、クリスマスの受洗準備を始めている方々がおられますので、どうぞお祈りください。
 こうして支障もなく、教会の活動に参加できるのはうれしいことです。一方加齢のため、病のため、被災のために、またその他の困難を強いられている人がおられ、そこでしっかりと主に祈ってくれていることを忘れてはならないと、折にふれ、心に言い聞かせます。
 本日は、関東教区総会の決議により、新潟県中越地震被災地被災教会を覚える主日として呼びかけられています。わたしたちも毎週一般礼拝で祈っておりますが、今日は、教区より与えられた共同の祈りで祈ります。新潟県中越沖地震の被災者のためにも合わせて祈ります。中部教区では能登半島地震の被災教会の再建への取り組みが始まっています。キッズクラスでは教育週間を覚えベラルーシの被爆した子どもたちのために献金します。チェルノブイリ原発事故から21年。学びのための資料に、「わたしたちのことを忘れないで苦しみを覚え続けていてくれる人がいることが励ましです」、とありました。目を、心を上げて、忘れないで、共に生きましょう。(No.179)
(注 24日の市民合唱団のミニコンサートは中止になりました)

2007年 10月 14日

主を愛し、主に従う

 
 本日は今年の神学校日・伝道献身者奨励日です。神学校を覚えますが、神の子とされたわたしたち一人ひとりが伝道者・献身者・主の弟子であることも合わせて覚えましょう。
 先月の特別礼拝の説教で引用された「5つのパンと2ひきの魚―獄中からの祈り」(グェン・ヴァン・トゥアン著・女子パウロ会)を早速手に入れて読み始めました。著者はベトナム戦争終結後、13年余にわたり拘留・軟禁・独房生活を強いられたカトリック司教(後に枢機卿)です。獄中の経験を分かち合っている本です。

 独房の中で彼は思います。「今、四十八歳、健康で働き盛りの壮年に達し、しかも八年間、司教として経験も積んできたのに、なぜ教区から千七百キロも離れた独房にいなければならないのか」と。ある晩、彼の心に声が聞こえてきました。
 “「どうしてそんなことで混乱し、思い悩んでいるのか。〈主〉と〈主の仕事〉とを区別すべきではないのか。あなたがしてきたこと、続けてきたこと・・・それらの働きは皆よい仕事であり、〈主の仕事〉である。しかし、それは。〈主〉ではない! 主がそれらの仕事をすべてご自分の手にゆだねるように望まれるならば、すぐにゆだねなさい。そして、信頼しなさい。・・・ただ〈主〉のみを選びなさい。〈主〉のみを選ぶのであって、〈主の仕事〉を選ぶのではない!」
 わたしはこのとき、常に主のみ旨に沿うことを学びました。・・・わたしは自問しました。主は「わたしについてきなさい」と呼びかけられているのでしょうか。それとも「この仕事に就きなさい」と呼びかけられているのでしょうか。・・・”
信仰が浅いとか深いとか口にしたり、この著者の信仰もすごいと言ったりしがちですが、主が問われるのは、単純な問いでしょう。「わたしを愛するか」です。使徒ペトロに倣って答えるほかありません。「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることはあなたがご存知です」(ヨハネ21・15)。そして主の後についていきます。(No.178)


2007年 10月 7日

海外宣教を覚えて

 10月の第一主日は、教団の行事暦で世界聖餐日・世界宣教の日とされています。
 今日受け取りました月報「西川口だより」10月号には、8月のこころの友伝道全国大会参加報告が載っています。ちょうどS姉が触れておられますが、講師の山北宣久先生の特別講演において、「日本に最初に伝道(プロテスタント)に来た宣教師たち―バラ、ジェームズ、クラーク―は、牧師ではなく、信徒伝道者であった。信徒が海を越えて伝道に来て、日本に教会が生まれた。2009年は、プロテスタント伝道150周年の記念の年なのです。」と語られ、信徒であるこころの友伝道奉仕者を励ましてくださいました。
 福音がどのようにして自分のところへ届いたかをさかのぼっていくならば、陸を越え、海を越えて困難な旅の果てに、異文化圏に入った宣教師の働きを無視することはできません。また日本のプロテスタント教会の歴史において大きい影響を与えた日本人キリスト者は、海外の教会に学び、交わりに支えられた人たちがほとんどです。わたしたちはその恩恵を受けているのです。
 日本の教会も微力ながら宣教師を派遣できる教会になりました。前任者の島隆三・静江先生は、香港JCFの宣教師でしたし、献身者の横山基生先生は在欧日本人宣教会の宣教師ですので、西川口教会では、宣教師という存在がある程度身近であると思います。
 個人的には、現在宣教地に派遣されている宣教師の知人が二人います。一人は夫と共に医療宣教者としてカンボジアの農村の教会に仕えています。彼女とは十一年前のフィリピンワークキャンプで知り合い、連絡を取り合い、互いに献身の道を歩んだことを喜びました。間もなく一時帰国するので祈祷会でもお招きできたらと願っています。もう一人は、キリスト教主義の民間援助団体から遣わされ、ペルーの山間の町に住み、子どもと地域の生活向上のために仕えています。わたしたちの教会のため海外からも祈りが積まれています。(No.177)

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