週報短文
バックナンバー 2008年3月分
2008年 3月 30日
カンボジア宣教報告
昼間祈祷会に出席できない方には申し訳ありませんが、先週27日の祈祷会には、OMF(オー・エム・エフ)宣教師の、今村裕三先生・ひとみ先生ご夫妻をお迎えして、4年間のカンボジア宣教の報告と証を伺い、よき交わりの時を持ちました。
カンボジアは、約30年前のポルポト時代に医師や教師など教育を受けた人々がほとんど殺された、悲惨な歴史があります。そのためもあって、人口の半分が15歳以下の若い国です。国教は仏教と定められていますが、信教の自由はあります。
OMFは150年ほどの歴史がある宣教団体で、言葉をとても大切にしています。御言葉を伝えていくうえで現地の人並みに言葉を身につける、という考えによるそうです。4年間の最初の1年は言葉の勉強で奉仕はできません。1対1の語学研修の日々です。1年間終わると試験があり、試験に合格すると、週の半分は語学研修で、残りの半分は奉仕ができます。そこで、OMFの開拓教会の働きを手伝い、大学生への伝道に関わったとのことです。2年が終わり、お二人はプノンペンから車で約6時間のクラチェという街の教会へ遣わされました。
お二人は日本では医師と保健師ですが、その賜物を発揮することはできませんでした。この教会が宣教師から独立するために、つまり自分たちが去ってもやっていけるようにするために、遣わされたからです。事故や迫害・脅しに遭う教会員がいたり、教会の中で争いが合ったり、思いがけないことが次々起こりました。その中で知らされたのは、「主の教会は、主がお建てくださったのであれば、主ご自身が養われ、建ててくださる」、「日本にいたときは、やろうと思えば奉仕を一生懸命して、何かしたような気になっていた。今までどれだけ神様に頼っていたか問われた」、「祈りは聞かれる。日本でささげられた祈りがカンボジアで聞かれていくことを多く経験しました」とのことでした。クラチェ教会の方々の証と共に、今村先生方の証にも心打たれました。(No.202)
2008年 3月 23日
主の死と復活の姿にあやかって
主の復活ハレルヤ! 本日はイースター(復活日)です。キリストは本当によみがえられました。十字架の死・葬りから、三日目の日曜の朝早く、主イエス・キリストは復活させられました。
先週の受難週では、主イエス・キリストの苦難と死、そして葬りとを覚えて聖書を開きました。本日は午後に臨時総会を開き、春日部墓苑改築の予算について協議する予定ですが、キリストの死と埋葬と重なるような思いでした。巻頭言にも少し書きましたが、葬儀説教を学ぶ機会を得て、改めてキリストの地上の生涯の最後のところを見つめ、多くのことに気づかされました。
墓地に限定していえば、主イエスご自身、墓に埋葬されました。そして、主イエスはご自分がお墓に納められることを拒否なさいませんでした。アリマタヤのヨセフという議員が主イエスの遺体を引き取って自分の墓に収めたことは、四つの福音書すべてに書かれています。
主イエスの地上でのご生涯とわたしたちの人生とがぴったりと重なるところがあります。それは墓に葬られることです。主は墓から復活されました。主は墓に永遠にとどまり続けられたのではありません。ですから主の墓は復活のいのちを指し示す場所になったのです。主イエスは復活なさり、使徒パウロが語るように、わたしたちも復活させられます。ここにおいても、主とわたしたちの人生とがぴったりと重なるのです。
わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。(ローマ6・4〜5)
この約束に希望をおいて、主の新しい命に生かされて、教会は使命を果たすことができるのです。(No.201)
2008年 3月 16日
春日部墓苑改築に向けて―臨時総会を前に
先週、臨時総会の公示がなされました。議題は「春日部墓苑改築予算案変更の件」です。臨時総会開催に至るまでの経過をお伝えします。
春日部墓苑の改築について、時間をかけて協議を進めてきましたが、昨年2月の教会総会で、「予算700万円、地上式にする」内容で可決されました。この決議を受けて具体的に進めてきました。責任役員会が春日部墓苑の管理委員会を兼ねておりますから、実務を負い、設計を依頼しました。
先月17日の教会総会後の全体懇談会では、春日部墓苑改築へ向けての経過報告と、改築費用についての話をしました。費用が気になるところでしたが、全体懇談会の時点では、工事費用の見積もりが届いていませんでした。初めの設計のままでは、春日部聖地霊園全体のバランスをくずしかねないので、位置を奥につめるように設計変更していたためでした。このことは全体懇談会でお伝えしました。
それから責任役員会にて設計変更を確認し、了解して、見積もりを待ちました。
3月1日の責任役員会にて工事費用見積もりの説明を受け、2日の定例役員会で報告し、議題として協議しました。工事費用が約900万円で、既に予算を超過しており、さらに設計管理費用が見込まれます。そういうわけで予算案修正の必要に迫られました。収入の面では、春日部墓苑改築のために既に指定献金がささげられています。既に支出の約半分を満たす自己資金(約500万円)があります。足りない分は献金をお願いすることになります。役員会としては臨時総会において春日部墓苑改築予算案の変更、つまり修正予算案を提示して協議した上で、予算案を承認していただき、工事を発注したいと考えています。
昨年夏に決定した設計から若干変更がありました。平面図と立面図を掲示しておきますので、御覧ください。現住陪餐会員は、祈りをもって臨時総会に出席ください。(No.200)
2008年 3月 9日
最善の道への道
第32回西川口教会アシュラムが開催されました。今年も村瀬俊夫先生(日本長老教会教師)をお迎えし、アシュラムを導いていただけますことを神に感謝いたします。
村瀬先生のお勧めにより、アシュラムセンター発行の月刊誌「アシュラム」を購読しています。「アシュラム」誌には、御言葉の黙想やメッセージ、全国各地のアシュラムの恵みの分かち合いが載っています。また終了しましたが村瀬先生の連載もありました(読みたい方は金田までどうぞ)。その「アシュラム」誌から、アシュラム集会とは何であるかを、抜書きしてみます。皆様がアシュラムを理解する助けになれば幸いです。
「アシュラムとはインドの言葉で「退修」という意味で、スタンレー・ジョーンズ博士によって、日本に紹介されたものであります。祈りの生活をもって御前に自らを整え、今日における主のご委託に答えんというのがその願いです。」(解題より)
「われらはアシュラムこそその道であるとか最善の道であるとは言わない。これは最善の道への道であるとだけ言う。イエス・キリストだけが道である」(スタンレー・ジョーンズ師)
「アシュラムとは?
(1)アシュラムはいわゆる聖会と呼ばれるような集会ではない
すなわち霊的な指導者によって導かれる集会ではなく、み言葉と祈りによってそれぞれが直接主の導きを受ける集会であります。強いて言えば、“語る”集会ではなく、“聴く”集会であります。
(2)アシュラムはいわゆる協議会と呼ばれるような集会ではない。
すなわち一つの主題について研究したり、皆で協議をするような集会ではなく、時間をかけて聖書を読み祈りをする集会であり、強いて言えば、“論ずる”集会ではなく、“行ずる”集会です。
(3)アシュラムは個人の信仰生活の確立のための集会であり、み言葉に立つ教会生活のための集会であります。」(榎本保郎師)(No.199)
2008年 3月 2日
神の愛のみ手に導かれ
今年(2008年)はうるう年で、2月29日がありました。この日には思い出があるのです。
前回のうるう年、つまり4年前(2004年)の2月29日は第5日曜日でした。2月は一番日数の短い月ですから、日曜日が5回巡ってくるのは非常に珍しいと思い、次は何年後に来るだろうか(28年周期だそうで次回は2032年)、そのとき自分は生かされているだろうかと、ホームページの掲示板で語り合いました。この年に、前任者の島隆三・静江牧師は、仙台青葉荘教会からの招聘に答えて転任となり、西川口教会は、わたしと永本慶子牧師の二人の牧師を担任教師とする新体制となりました。
その前のうるう年、つまり8年前(2000年)になりますが、その2月29日に当時住んでいた秋津(東村山市)から、西川口教会の伝道師として着任するために、現在の住まいへ父と共に引越ししたのです。
わたしは毎朝のディボーションでは、まず「幸いな人」(月刊ディボーション誌)を使って聖書を開きます。先週の2月29日は、創世記46・8〜27が聖書箇所で、解説の「みことばの扉」には、表題が「引っ越しを導く神の愛の御手」とあり、うれしい驚きでした。偶然とは思えませんでした。聖書は、ヤコブとその家族がヨセフの招きによりエジプトに行くところで、家族の名前が上げられている箇所でした。解説の最後の「実践のための祈り」にはこう書いてありました。神様、あなたは私と私の家族を養いながら導いてくださっていることを感謝いたします。いろいろな変化の中にも、素晴らしいあなたのご計画が隠されていることを信じます。私に良きものをくださろうとしておられることを感謝いたします。
神のご計画は人の目に隠されている。御言葉により、聖霊により、信仰の目だけがそれを見て、知ることができる。神の愛は変わることなく常に共に教会に、わたしに注がれ続けました。これからも注がれると信じます。(No.198)