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週報短文

バックナンバー 2008年5月分


2008年 5月 25日

人生の危機にある人とともに

 「人生の危機にある人とともに」をテーマに、聖学院大学カウンセリングシンポジウムが、5月16日に開催され、参加したことは、先週の説教で触れました。人生の危機とはどんな意味か。このことには、ほとんど触れられませんでしたので、この短文でいくらかでも紹介しようと思います。
 シンポジストの一人、聖学院大学大学院教授の窪寺俊之先生の文章から引用いたします。
 “人生の危機ということは、どんな意味でしょうか。一つの解釈は将来の生活の質を決定する境目という意味です。右を選ぶか左を選ぶかの分岐点にあるということになります。そして、一般には、選択によっては、将来大きな不利を被る可能性があるのです。その意味で人生の「危機」という言葉は、選択の非常に高い緊張を求めるものと言えます。・・・日本語の意味は「危ないことが起きる切っ掛け」という意味になります。英語ではクライシスです。この言葉の元はギリシャ語ですが、「分ける」という意味です。・・・”(2ページ)
 危機とは左に行くか右に行くかという岐路であるという理解です。人によってはうまく選択できず困難を背負って、健康を損ねたり、自分の精神的安定を失ったり、社会との関係をうまく築けなくなります。自分をコントロールできず、自分を傷つけ孤独になり、不安と恐怖に脅えている人たちと出会ってきたと先生は語られました。
 危機は岐路である。どちらを選ぶかが肝心なのです。その選択が将来を決めていくのです。選択をするのは他でもない自分なのです。それがはっきりしただけでも、今回参加してよかったと思いました。祝福か呪いか、それが聖書でいう岐路です。教会は祝福へ導かれ、同時に祝福へと招きます。しかしながら、罪深い生身の人間(わたし)にとっては、祝福を選び取るのは、決して自明のことではなくて、信じなければ、御言葉に聴かなければできません。痛みながら、過ちを悔い改めながら、主に赦されてできることです。(No.210)


2008年 5月 18日

改築工事が始まって

 5月6日に春日部墓苑改築工事の起工の祈りをささげました。さわやかな風が心地よく、新緑のまぶしい日でした。関係者16人が集まり、春日部聖地霊園にて、賛美をささげ、詩編90編を朗読し、祈りました。その祈りを分かち合います。
 “天地の造り主である神よ、あなたはこの西川口教会春日部墓苑を改築する志を教会に与え、具体的な努力を三年近く重ねることを許してくださいました。ついにここに、起工の祈りのときを持ち、あなたに祈りをささげて工事を始めることができますことを、心から感謝いたします。神よ、どうかここで成される工事を顧みてください。その働きをどうか確かなものにしてください。・・・ あなたこそが、わたしたちの宿るところであります。あなたはわたしたちの希望であり、わたしたちの力の源であり、わたしたちが目指すところであります。・・・わたしたちが信仰により力を尽くして祈りと宝をささげ、あなたの栄光を仰ぐことができますように。・・・春日部墓苑に関わるすべての方々とそのご家庭を主が祝福してくださいますように。・・・”
 起工の祈りを終えて教会に戻り、責任役員会を開きました。正面の文字と墓誌の内容について協議しました。2月の全体懇談会で正面に刻みたい聖句などの意見を伺っており、4月20日の責任役員会でもそれを踏まえての協議をしておりました。時間的な制約もありましたので決定することにしました。@ヨハネ福音書11章25節にちなんだ言葉、Aルカ福音書23章43節の御言葉、B「よみがえりの希望」という言葉が提案されました。意見を交換し、くじで第3案に決まりました。また墓誌には今までと同様に、「氏名、召天年月日、満年齢」を刻むことを確認しました。
 13日には、春日部教会墓地担当役員のSさん、K兄と共に、地縄張りに立ち会いました。既に墓石は取り除けられていました。若干の調整が必要でしたが、関係者皆で確認ができました。これからも信仰により一歩ずつ進みます。(No.209)

2008年 5月 11日

信仰のルーツ

 先週の月曜日は、日本基督教団横浜大岡教会を会場に、関東こころの友伝道講習会が開催され、アンデレ会(こころの友伝道奉仕者の会)の兄姉と共に8人で参加しました。講習会では、前任者の島隆三先生が講師でしたし、また東京新生教会の横山義孝先生は主催者のお一人でした。昼食のグループが一緒になり、三人並んで座らせていただき、交わりを楽しみました。こうして信仰を導いてくださった先生方にお会いできるのは幸いなことです。
 西川口教会は、日本基督教団浦和別所教会の開拓伝道によって生み出された教会です。浦和別所教会が横山義孝師を遣わしてくださって伝道が始められたのです。創立は1950年です。そして川口栄町伝道所から川口本町教会へ、その後1964年現在地に移転して、西川口教会となりました。歴代の牧師ご夫妻、伝道師、信仰の先輩方が西川口教会を支えてこられました。
 ところで、敬愛してやまない先生方でも、信仰の諸先輩でも、だれでも、初めは先に救われたキリスト者から福音を聞いて信じます。聖書に、「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」(ローマ10・17)、とあるとおりです。そして、「聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです」(コリントT12・3)とあるとおり、聖霊の御働きにより、わたしたち一人ひとりに、イエス・キリストを主と告白する信仰が与えられます。
 そのようにして、信仰の系譜をさかのぼると、キリスト教の約二千年の歴史をさかのぼることになります。そして、今日お祝いするペンテコステ・聖霊降臨の出来事にたどり着くのです。
 人が教会を始めたのではなく、主イエスによって集められ、一つになって祈っていた弟子たちに聖霊が注がれ、教会は主の復活の証人として福音を宣教する群れとなりました。あの時働かれた聖霊は、今もこれからも教会を生かします。(No.208)


2008年 5月 4日

主の昇天

 西川口教会は、毎主日の一般礼拝において「日本基督教団信仰告白」を告白しています。その最後の段落は使徒信条です。その中に、「天に昇り、全能の父なる神の右に座したまへり」とあります。これは主の昇天の出来事を述べているものです。
 今年はイースター(主の復活日)がとても早かったですね(3月23日)。それに連動して、今年は主の昇天日も早く(5月1日)、来週の5月11日が聖霊降臨日(ペンテコステ)になります。
 昇天日と聖霊降臨日はイースターから起算しますが、それは、使徒言行録第1章にこう書いてあるからなのです。
 「イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された・・・。こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。(3節、9節)」
 復活の主イエスは地上で40日お過ごしになられた後、天に上げられました。ですから、毎年イースターの日から数えて40日目が昇天日になるわけです。天は聖書においては神の場所、住まい、玉座です。
 教会の行事として特別なことは行っていませんけれども、主の昇天は、わたしたちにとっての希望であることを忘れずにいましょう。
 ルカによる福音書第24章にも主の昇天の出来事が記されています。「イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた」(50、51節)。
 主は祝福の手を上げ、天においてわたしたちのために執り成し、一人ひとりのために神の前に立ってくださいます。キリスト者とはキリストのもの、キリストに属する存在です。主の昇天は、地上でどんなことがあっても、わたしたちがキリストに、そして天に属するという事実に依り頼むことができる、という希望なのです。(No.207)