週報短文
バックナンバー 2008年8月分
2008年 8月 31日
最近のディボーションより
6月10日より早天祈祷会を変更し、火曜日から土曜日の毎日、朝6時30分から7時15分まで、不在の日以外は今のところ休まずに祈り続けています。朝ごとに聖書の御言葉に養われ、力をいただいています。何と幸いなことでしょう。
雑誌「幸いな人」を用いてのディボーションも長年取り組んできました。2001年春に大宮教会でディボーショントレーナースクールを受講し、導いていただいたこと、その後西川口教会でもディボーションスクールを開講でき、多くの兄姉が学びました。うれしいことでした。しかし、受講した後どう過ごしているか、それが肝心です。
今、「幸いな人」の聖書日課は出エジプト記となっており、日々少しずつ読み進めています。先週は出エジプト記16章で、神が天からのパンを降らせてくださる出来事です。何度読んでもおもしろいところです。聞き従わないイスラエルの民と、その民に示される主の真実が示されています。
民の不平を主は聞かれました。その上で主が与えてくださったのは天からのパンでした。民全体が養われるだけのパンを備えてくださる。そこに限りなく深い主の憐れみを知りました。同時に、主の真実が貫かれることを覚えました。人々は天からのパンを集めるのですが、民の指導者モーセが翌朝まで取っておくなと命じておいたのに、聞き従わずに残しておいた者がいました。そのパンは虫がついて臭くなりました。人が明日まで取っておこう、と思ってもできなかったのです。ところで六日目には二日分のパンを集めることができました。安息日のために、主は翌日の分もパンを与えられたのです。しかし、ある者は聞き従わず七日目に野にパンを集めに行きましたが、何も見つかりませんでした。自分の考えや思いで行動しても空回りに終わるのです。
相変わらず人は神に聞き従わず逆らう。しかし昔も今も神の愛は人の罪を覆うほどに大きく深い。神の真実を示された朝の祈りでした。(No.224)
2008年 8月 24日
第55回こころの友伝道全国大会に参加して
先週は第55回こころの友伝道全国大会に参加しました。主題は「こころの友となる―病める現代社会の中で―(ヨハネ15・13〜14)」、特別講演の講師は藤崎義宣先生(久が原教会牧師、キリスト教メンタルケアセンター理事)、会場は仙台市郊外の茂庭荘、参加者は全国の29教会より106人(当教会より3人)でした。地元の仙台青葉荘教会の島隆三師・島静江師・森田聖子師、兄姉がもてなしてくださいました。いつも参加する先生方、兄姉との再会も喜びでした。
講師の藤崎先生は、臨床心理士でもあり、様々な人(うつ病、不登校、統合失調症、不安神経症の人など)をケアし、その人の魂と対話する仕事をしておられます。講演中「魂とは何ですか」との問いかけにわたしはハッとさせられました。また、「収穫は多いが、働き手が少ない(マタイ9・37)」というイエスの言葉を引用して「収穫が多すぎて手が足りないとは、ずいぶん景気のいい話です。しかしその目の前に居る人々は決して景気よくは見えない。病人たち、打ちひしがれている人たちです。なぜイエスは『収穫が多い』と語られたのか」との問いかけも興味深いものでした。友となる、隣人になることの意味を説き明かしてくださいました。特別講演はじめ、各集会の録音CDが後日届きます(アンデレ会で購入)。興味のある方はぜひ聞いてみてください。
分団の時間では、昨年から新たに始まった「IT伝道(ブログを作る)」分団の座長補佐の役目がありましたので出席し、西川口教会の「分かち合いブログ」を紹介しました。またある先生からは音声ブログの紹介があり、毎週の説教を音声で聴けるという情報もいただきました。後半は、青少年伝道分団と合流して、更に活発にやり取りができました。三日間の良き時を主に感謝します。
福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。(コリント 一 9・23)(No.223)
2008年 8月 17日
地区中高生キャンプに参加して
お祈りに覚えていただいて、先週の月曜から水曜まで、妙高高原のロッジ遊山を会場に開催された埼玉地区中高生夏期キャンプ(地区教育委員会主催)から無事戻りました。今年度まで教育委員として奉仕しています。今回は久しぶりに当教会から中学生のO君と共に参加できたことは大きな喜びでした。参加者は全部で26人(12教会)。中高生は昨年よりは少なく13人でしたが、その分、互いの交わりは深まりました。講師は西東京教区吉祥寺教会牧師の吉岡康子先生です。テーマは「教会―あなたがあなたでいられるところ」、聖書はルカによる福音書19章1から10節で、教会生活が長い人なら良く知っている徴税人ザアカイのお話です。
吉岡先生の講演から分かち合います。
「ザアカイ」という名前の意味を知りました。「純粋な人」、「神と人に愛される人」という意味です。しかし名前とはかけ離れた人生を送っていたザアカイでした。当時の徴税人はローマ帝国に一定額を納めれば、あとは自分のために人々からお金を取り立てることができたそうです。同じユダヤの民であるのに、支配者であるローマの手先になっているばかりか私腹を肥やす徴税人は、「罪人」(つみびと)と呼ばれて疎外されていました。マザーテレサが「愛の反対は憎しみではない。無関心である」と言ったそうですが、無視されること、そこに居るのに居ないかのような態度を人々から取られること。ザアカイはそのように疎外されていたのでした。ザアカイはいちじく桑の木に登りイエスを見ようとしました。イエスはそこに立ち止まり、上を見上げてザアカイに声をかけられました。英語で「理解する」という単語はunderstandなのですが、ここでの主イエスのなさったことは文字通りunder(下に)stand(立つ)でした。ザアカイのすべてを理解し受けとめたイエスがおられました。主イエスはザアカイを見出し救うため、エリコを通られたのでした。(No.222)
2008年 8月 10日
地には平和あれ
本日の一般礼拝後は、共に軽食(すいとん)をいただいてから、平和学習会が開催されます。講師として鴻巣教会のキリスト教教育主事でいらっしゃる篠原節子先生をお迎えでき感謝です。講演を心して聴きましょう。
わたしは祖父母からは戦争の体験を聞くことはありませんでした。母が子供の頃四国の松山の近くに疎開したそうで、遠くで空襲を見たと言っておりました。西川口教会で信仰生活を送るようになってから、毎年の平和学習会の学びや、またホーリネス教会への弾圧の歴史を聞く機会が多くありました。そのような積み重ねの経験は貴重なことだと思います。
十数年前に日本国際飢餓対策機構主催のワークキャンプに参加したときのことです。フィリピンのマニラ市内と郊外の村でワークをするため現地スタッフが対応してくれました。互いに知り合う時がありましたが、現地スタッフの一人に、祖父を日本軍に殺されたという人がいました。わたしは日本軍が東南アジアを占領したことは知識としては知っていましたが、被害者のご家族の話を聞くとは思いがけないことであったので、驚きました。彼女は、「祖母は夫を殺されて女一人で子供たちを育てた。けれども、子供たちには『日本人を恨んではいけないよ』と言って育てた。わたしも日本人を恨んではいませんよ」と語りました。言葉を失いました。そのご家族の言葉と生き方に心を揺さぶられました。忘れられない出来事です。
「八月は六日九日十五日」という句が、ある本で紹介されていたのを覚えています。日本は原子爆弾を投下された唯一の国です。今もその後遺症で苦しんでいる方々がおられます。戦争はまだ終わっていないと思います。一九四五年八月のこれらの出来事に至るまで、沖縄では地上戦があり、東アジア東南アジアで、戦争は一般民衆をまきこみ殺してきました。戦争は殺し合いです。罪悪です。環境破壊です。どんな正義の戦争もありえません。戦争をさせてはなりません。(No.221)
2008年 8月 3日
墓苑改築工事終了
ファミリーキャンプから無事帰宅した翌日、先週の28日に、西川口教会墓地改築工事が無事終了したので、施工業者のU社より引渡しが無事行われました。責任役員の兄姉と共に立ち会いました。墓地の写真を掲示しましたのでご覧ください。立派な墓地が完成しました。
昨年の今頃は、墓地のデザインのアンケートをとってその集計結果を報告したことでした。M設計による三つのデザイン案の中から、「主イエスが納められたお墓」をイメージしたB案になりました。一番得票数が多かったのです。一年後の今、それが目の前に形となったわけです。
ちょうどファミリーキャンプではルカによる福音書24章を学びましたが、そこには主イエスの復活の出来事と、弟子たちと復活の主との出会いが書かれています。主イエスのご遺体が納められた墓は、三日目の朝重い墓石が取り除けられ、墓は空となりました。主イエスは体を伴って復活されました。主は驚く弟子たちに、ご自分の手や足を見せたり、御魚を食べて見せたりなさり、確かに体ごとよみがえられ、生きておられることを鮮やかに示されました。
そのファミリーキャンプの感動覚めやらぬ中での引き渡しでしたので、主が再びおいでになるときには、この墓からも復活するのだと、希望を感じました。
背面の扉から出入りをしますが、その両脇に墓誌の石板が埋め込まれています。旧墓地のときには、納めた方々の御名前を墓誌に長い間刻むことができなかったので、今回銘刻を新しくできて、ほっとしています。御名前を眺めていろいろな方のお顔が目に浮かびました。
今週は春日部教会に預かっていただいたご遺骨の移動をいたします。また、役員会に報告し、今月中に工事費用の支払いをいたします。費用の明細は、何らかの形で教会員にお知らせできるようにいたします。まもなく、9月28日の完成感謝墓前礼拝の準備に取り掛かります。(No.220)