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週報短文

バックナンバー 2008年9月分


2008年 9月 28日

完成感謝墓前礼拝

 祈り待ち望んでいた完成感謝墓前礼拝の日を迎えました。教会の皆様には週報ボックスに「完成感謝墓前礼拝式次第及び春日部墓苑改築の報告」の冊子を配布しました。そこに掲載しました挨拶文を引用します。
「ごあいさつ
 西川口教会の新しい教会墓地が完成しました。
 春日部墓苑改築の志が教会に与えられてから約三年間、一歩一歩の具体的な働きを積み重ね、今日を迎えました。教会としての動きが始まるまでに、願いを温め祈りをささげていた方々がありました。
 今年の7月に改築工事が無事完了し、素晴らしい教会墓地がここに建てられました。この事業は、神が完成させてくださったことを確信しています。
 このために多くの方々のご協力と奉仕、祈りとご支援をいただきました。また、M設計とU社の誠実なお取り組みに感謝しております。
 この新しくされた西川口教会春日部墓苑が、これからも神の栄光のために豊かに用いられ、春日部墓苑に関わるすべての方々とそのご家庭を主なる神が祝福してくださいますようにと祈ります。
 こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。(ヘブライ12・1〜2)
 本日はお忙しい中を西川口教会の完成感謝墓前礼拝にご出席くださいましてまことにありがとうございました。
2008年9月28日 日本基督教団 西川口教会」
 冊子には経過報告、会計報告も掲載しましたので、目を通してください。改築費用はまだ必要が満たされませんので、祈ってささげていきましょう。主に感謝!(No.228)
 

2008年 9月 21日

K・G兄召天

 肺炎のため入院されていたK・G兄が、9月14日早朝に危篤状態となり、息を引き取られました。先月末に89歳の誕生日を迎えられたばかりでした。先週の火曜日に前夜式、水曜日に告別式が西川口教会にて執り行われました。
 K・G兄は、K・Y子姉のお父さまです。3年前の2005年8月12日に病床洗礼を受けられ、西川口教会の一員となりました。
 それ以前にも特別伝道集会などにいらしてくださっていました。また奥様のご葬儀も、15年前に西川口教会で執り行われました。けれどもわたしがK兄と親しく交わりを持つことができたのは、三年前の病床洗礼からでした。そのときには、お父さまが危篤との知らせを受けて駆けつけ、Y子姉、M姉立会いの下、病室での洗礼式の執行となりました。その後持ち直して、老健施設に戻ることができました。
 既に西川口だよりにY子姉が投稿されましたが、K兄は今年の7月4日にキリスト教主義の特別養護老人ホーム「川口キングズガーデン」に入所され、ほぼ毎日礼拝に出席できていたとのことです。これは大きな喜びであり、慰めとなりました。
 まだ老健施設におられた時、Y子姉に時間を合わせていただいて、何度か訪問しました。イースターやクリスマスの礼拝の後には、聖餐訪問もしました。K兄はこのたびの入院まで食事ができたので、聖餐を共にお祝いできたことも喜びであり、慰めでした。言葉によるコミュニケーションはできませんでしたが、キリストが備えられた恵みの食卓の交わりを持つことができました。神の家族として、兄弟姉妹として、キリストの命に共に生かされていることを、パンとぶどう酒を通して味わいました。他にスキンシップ―手をさすったり、肩に触れたり―してお声をかけ、祈って終わるという訪問でした。
 主イエスの恵みに確かに入れられたK兄であり、そのことが鮮やかにされた終わりの日々と、ご葬儀でした。(No.227)
 

2008年 9月 14日

主に望みをおく人

 今年も、敬老祝福式が巡ってまいりました。
 西川口教会では、70歳以上の教会員と関係者を覚えて、毎年9月敬老の日に近い日曜日に、一般礼拝にて敬老祝福式を持ちます。該当者は現住陪餐会員では22名おられます(今年新たに仲間入りされたのは、M・K兄とY・S兄のお二人です)。さらに、関係者を含めて今年は34名の方に敬老祝福へのお招きのご案内をいたしました。礼拝と愛餐会に出席できない方もありますが、神の祝福は場所も時間も越えて届きますから、心をこめて祝福を告げます。
 今回の敬老祝福式では、イザヤ書第40章27節から31節の御言葉を分かち合います。紀元前6世紀のバビロン捕囚後の時代の預言です。
 “ヤコブよ、なぜ言うのか
  イスラエルよ、なぜ断言するのか
  わたしの道は主に隠されている、と
  わたしの裁きは神に忘れられた、と。
  あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。
  主は、とこしえにいます神
  地の果てに及ぶすべてのものの造り主。
  倦むことなく、疲れることなく
  その英知は究めがたい。
  疲れた者に力を与え
  勢いを失っている者に大きな力を与えられる。
  若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが
  主に望みをおく人は新たな力を得
  鷲のように翼を張って上る。
  走っても弱ることなく、歩いても疲れない。”
 神は預言者の御言葉を通して主を待ち望むようにとわたしたちに語りかけます。人の心はくじけてしまうことがあり、神の支配を疑います。若い人でも疲れきってしまうことがあります。神はそのような人間の現実をご存知です。人間を見捨てることができず、ご自分に立ち帰るように招いてくださるのです。主に望みをおく人は、鷲のように翼を張って上ります。希望の源であられる神から、生きる力をいただきます。(No.226)
 

2008年 9月 7日

主の祈りを学びます

 水曜夜の祈祷会では、2007年3月からイザヤ書を1章ずつ学んで、全66章を先週学び終えることができました。感謝しています。御言葉の奥の深さを感じながら過ごしました。
 さて、今週からしばらくの間「主の祈り」を学びます。
 教会の長い歴史のなかで、教会が大切にしてきた三つの文章があります。その三つの文章を手がかりにして聖書の言葉、聖書の真理を学んでいく、ということを教会は行ってきました。そのことは今でも、教団教派を越えてなされ続けています。
 その三つの文章とは「使徒信条」(一般礼拝で毎週唱えている日本基督教団信仰告白の最後の部分です)、「十戒」、「主の祈り」です。
平たく言えば、使徒信条とは「何を信じるのか」を言い表している文章です。同様に、十戒は「どう生きるのか」、主の祈りは「どう祈るのか」を示している文章です。その三つの文章を学び、身につけることによって、信仰とは何であるか、救いとは何であるか、信仰者としてどのように生きるべきなのかを、教会は理解し、心得てきたのです。
 西川口教会ではあまり聞かれませんが、この三つの重要な教会の文章は、「三要文」(さんようもん)と呼ばれています。
 教会アシュラムでご奉仕くださった村瀬俊夫先生とその著書「三位一体の神を信ず」に出会い、以後使徒信条を学ぶことができました。今これを受洗準備、あるいは転入準備の会で用いています。
 また、わたしは夕拝では出エジプト記からの説教をしており、出エジプト記20章までたどり着きましたとき、十戒を学ぶことができました。(申命記5章にも十戒が示されています。)
 そのような集中した学びを主の祈りについてもしたい、しなければならない、との願いを温めておりました。このたび、よい機会が訪れたと思っています。
共に学ぶ方が起こされますように。また祈祷会がもたれていることを覚えていてください。(No.225)