週報短文
バックナンバー 2008年10月分
2008年 10月 26日
加藤常昭先生と説教塾との出会い
本日の特別礼拝に、加藤常昭先生をお迎えして説教いただけますことを心から喜ぶものです。
加藤先生に礼拝説教をお願いしたのが、今年3月の東京説教塾の例会でした。そのとき「この日しか空いてない」とのことで驚きました。
西川口教会の皆様は週報や月間予定表から、わたしが「説教塾」に出かけていることをご存知でしょう。ある方から「へえ、牧師も塾に行くのですか?」と質問されたことがあります。わたしは2004年春に塾生に登録しました。
説教塾が始まったのは1987年ということです。20年を経て、教団教派を超えて全国各地に説教塾の交わりが生まれ、説教者たちが研修を重ねています。泊りがけで説教作成の実習をするトレーニングセミナーも開かれています。今年は(1年遅れですが)説教塾の20年の歴史を記念しての企画が立てられ、その一環として、説教塾で学ぶ牧師たちの説教集「立ち上がり、歩きなさい」が刊行されました。
加藤先生は、説教の変革と再生を願って、これらの継続的な共同の研修を通して、ひたすら説教者のため、日本の教会のため、日本の救いのため、全力を尽くしておられます。予定がいっぱいなのも、各地で招かれての説教や講演などのためです。著書や訳書も相次いで刊行しておられます。「今生きておられるキリストを紹介すること。説教の使命はそこに尽きる。」(前掲書、加藤先生の「まえがき」より)。説教の使命に立ち、福音を告げる加藤先生の説教を心して聴きます。(No.232)
2008年 10月 19日
被災教会・被災地を覚えて
西川口教会は祈りの栞で、新潟県中越地震、新潟県中越沖地震で被災した教会を覚えて祈り続けてきました。今年で四回目になりますが、関東教区総会で新潟県中越地震に一番近い主の日を「『新潟県中越地震』被災教会・被災地を覚える主日」と決めました。本日がそうです。教区より共同の祈祷文が届きました。一部紹介します。
“・・・見附教会は、新たな会堂・牧師館を与えられ、伝道の拠点が据えられました。感謝いたします。更なる豊かな信仰と多くの市民が教会に増し加えられることを願っています。
栃尾教会は、被災の経験をこれからの教会形成・宣教に生かせるように、また、過疎化が進む地域の中にあっても栃尾の地に福音の灯火を灯し続けることができるように、そして借入金の返済がスムーズに進むようにと願っています。
長岡教会は、創立120年の歴史を導かれたことを感謝しています。地区の交わりの中で、伝道が力強く進められ、弱さや痛みを覚えている人々に、福音による癒しが与えられますように聖霊の助けを願っています。
十日町教会は、牧師館の再建と共に、被災教会を支援する献金を始めました。小さな祈りであったとしても、思いを合わせ続けるものでいられますようにと願っています。
小出教会は、会堂建築が始まりました。工事が安全に進み、完成のときを待ち望んでいます。地域経済の冷え込みが、人間関係のすきま風となって現れる中で、痛みや貧しさを分かち合える「懐の深さを宿す教会」を願っています。また、清心保育園が内側から強くされ、神様の祝福を、園児たち・保護者たちの間で大胆に表していけるようにと願っています。
柏崎伝道所は、会堂の補修工事が完了しました。感謝いたします。そして、12月25日に計画している第3回中越沖地震再起支援コンサートの準備が守られますよう願っています。
主よ、祝福と憐れみをもって、これらの6教会の業を導いてください。・・・” アーメン。(No.231)
2008年 10月 12日
どうして牧師に?
「どうして牧師になったのですか」
時々、質問を受けることがあります。最近気づいたのですが、葬儀の一連の営みの中で、会食をしているときなどによく質問を受けます。わたしは司式者としてご親族の近くに座ることが多いのですが、初めてお目にかかる方々から質問されるのです。その質問の次には、女の牧師もいるのですねとか、若いのですね(これは今だけでしょうが)とか言われます。この国ではキリスト者は1パーセント以下で、その中でプロテスタントの牧師ともなると、教会にきていない人が出会うことは究めて少ないのでしょう。興味をもたれます。
せっかく興味をもってくださったのですから、質問した人の心に残るような話ができたら良かったのに、と思うこともあります。それは課題ですが、一方で、自分で決めて牧師になったというだけではない面もあることを思います。
それは、「どうしてクリスチャンなの」という質問をされても、皆さんが、神道を究めて、仏教を究めて、キリスト教を究めて、それでキリスト教に決めた、として信仰を持ったのではないのと似ています。教会に出会い、聖書に出会い、信仰を持たせていただいた。それは「神の導き」だからです。これは未信者の人には理解できないところです。自分がキリスト者であるのも、牧師であるのも、考えてみたらとても不思議なことなのです。神に選ばれたから、としかいえない面があるのです。キリスト教とは神との交わりだからです。
10月第2主日は、日本基督教団の行事暦で「神学校日・伝道献身者奨励日」です。2年前まで東京聖書学校から神学生をお迎えしており、この主日には証をしてもらいました。しかし現在は神学生を迎えていませんし、今月は特別礼拝も控えていますので、今日の主日礼拝もいつものとおりです。ただ祈りの栞の7番目に祈りを追加しました。人が人を牧師にすることはできません。神の自由な選びによります。ですから、明日の教会を担う人が起こされますようにと神に祈っていきます。(No.230)
2008年 10月 5日
恵みのとき・恵みの旅
先週9月28日の午後2時より、春日部聖地霊園内の西川口教会春日部墓苑にて、完成感謝墓前礼拝を無事執り行うことができました。
遠方からもご遺族の方々がこの日に合わせてお集まりくださいました。全員で61人でした。わたしは、ご遺族の方々の天に召されたご家族への愛を感じました。
「よみがえりの希望」と題して説教しました。ご遺族の方々に特に知っていただきたかったのは、その愛するご家族を愛された神がおられること、その方は神の希望の中に今もおいでになり復活の日を待っていること、わたしたちはいつまでも主なる神と共にいるようになることです。礼拝にお出でくださったお一人でも神の愛と、神からの希望を知り、信仰を持っていただいたら、教会としてこれ以上の幸いはありません。これからもご遺族の方々を覚えて祈り続けます。新しい教会墓地を神が用いてくださいますように。
さて、先週は教会から休暇をいただいて、火曜日から金曜日まで、札幌と旭川へ父を伴い出かけてきました。
旭川では、日本基督教団旭川星光伝道所の清水牧師に御世話になりました。清水先生は前任者の島隆三牧師を通じて知り合い、その後説教塾の塾生ということも分かりました。
旭川に着き、旅の目的であった三浦綾子記念文学館を訪れました。展示を見て感動していたとき、館長の三浦光世さんが来館され、清水先生の仲介により、親しくお話させていただきました。思いがけない喜びでした。水曜夜の祈祷会では西川口教会のため祈ってくださいました。清水牧師は、美瑛町の美馬牛福音伝道所を兼牧されており、日曜の午後は美馬牛で礼拝の御用をされます。この教会員三人の小さな伝道所が現在会堂建築を始めています(信徒の友10月号「ここに教会がある」に紹介)。木曜日には美瑛の美しい丘と、美馬牛を訪ねました。金曜日朝には塩狩峠に立ち、恵みの滞在を感謝して、無事帰宅しました。(No.229)