週報短文
バックナンバー 2009年7月分
2009年 7月 26日
恵みのファミリーキャンプ
先週19日・20日、奥多摩福音の家を会場に、西川口教会ファミリーキャンプが行われました。
日曜日の朝9時に、電車組と自動車組とで出発、それぞれ無事に会場に到着しました。天気が良かったので中庭でお昼を食べました。食事の後にチャペルで主日礼拝をささげました。使徒パウロのお話です。広いチャペルでは大きな声を出しても、走っても大丈夫です。礼拝の後は15分くらい歩き、多摩川の川原に下りて川遊びです。水が澄んでいて川底までよく見えました。川の水はとても冷たくて気持ちよかったです。川遊びの後のスイカ割りでは、小学5年と6年のお友だちが見事に命中させました。お風呂に入って夕食です。
夜は「お楽しみタイムT」。チャペルにて賛美・ゲーム・クイズ・フォークダンス。体も頭もいっぱい動かしました。中庭に移動し、キャンプファイヤーです。燃え上がる炎、飛び散っていく火の粉、星のきらめく夜空を眺めました。教会員の兄姉の証が率直で真実なものでよかったです。こうして密度の濃い初日が終わりました。
翌日、すがすがしい朝を迎えました。中庭でラジオ体操は小5女子の手本が上手でした。朝の礼拝をささげて、「お楽しみタイムU」です。三つのグループに分かれて、使徒言行録の第9章、第16章、第27章からそれぞれ準備して発表しました。発表は短い時間にもかかわらずよくまとまったものでした。スタッフの綿密な準備を思います。参加者の熱演と、幼子の思わぬ好演に、笑いにあふれたひと時でした。四人の方に審査員をお願いしましたが、子供たちに細やかに心配りされた表彰式でした。子供たちはどんなに喜んだことでしょう。記念撮影の後、感想文を書きました。昼食はバーベキュー。そして帰途に着きました。
2歳から82歳まで、37人の老若男女が、一つになって神の家族として過ごすことができました。キャンプを実現してくださった神にただ感謝いたします。皆様のお祈りに感謝です。(No.271)
2009年 7月 19日
説教塾で学んで(4)
説教塾では、「説教するとはどういうことか」と問い続けていると前回も書きました。問い、問われるうちに、説教に対する姿勢も変えられました。説教塾で学ぶまで気づかなかったことです。
例をあげます。使徒パウロの手紙の一つ、ガラテヤの信徒への手紙にこういう言葉があります。
“ああ、物分かりの悪いガラテヤの人たち、だれがあなたがたを惑わしたのか。目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきり示されたではないか。”(第3章1節)
初めの呼びかけは原文のギリシア語ではもっと厳しいもので、「なんと言う馬鹿なガラテヤの人々よ」と表現できるそうです。この厳しい言葉に使徒パウロの愛が込められており、何としても分かってもらいたいという思いがあふれているのです。ガラテヤの人々はパウロの説教を聞いて、「目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきり示された」のです。そのことを示されるまで、パウロの説教によってガラテヤの教会が生まれたという事実に気づいていませんでした。
何としても分かってもらいたい、というパウロの熱い思いは、次の言葉にも表れています。
“わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。できることなら、わたしは今あなたがたのもとに居合わせ、語調を変えて話したい。あなたがたのことで途方に暮れているからです。”(第4章19〜20節)。
説教塾で問いかけられました。「『語調を変えて話したい』という準備があるのか」と。使徒パウロは言葉が通じるように語調を改めたいと訴えているが、あなたはどうなのか、と問われました。それは、説教者の教会に対する愛をも問うものでした。わたしはその問いを聞くまで、そのように考えたことがなく、そのように聖書を読んだことがありませんでした。そのことをわきまえず説教壇に立っていた自分を恥じました。今も問われ続けています。(No.270)
2009年 7月 12日
キリスト教カウンセリングセンター(CCC)で学んで(4)
自分が 気づいている 気づいていない 他者から 気づかれている T
開かれた領域
V
気づいていない領域気づかれていない U
隠している領域W
知られざる領域
今回もCCCの学びを通して、自分が得たものを分かち合わせていただきます。
CCC学習所本科では、心理学の(初歩ですが)学びがありました。講義のたびに、「見えない心の世界を、うまく理論を組み立てて、明らかにしていくものだなあ!」と驚いていました。それまでわたしは心理や人間関係を対象として意識することはありませんでした。
自分自身と人間関係を理解する手がかりとしてわたしが気に入っているものの一つは、「ジョハリの窓」という図です。対人関係における自己をどのように理解したらよいかを図式的に説明しているものです。領域Tは自分でも気づき、他者からも気づかれている、安心して自分を見せているところです。領域Uは、自分を出さずに防衛しているところですから、「隠している領域」です。領域Vは自分では気づいていませんが他者から気づかれており、自分では見えていないところなので「気づいていない領域」です。領域Wは無意識の部分です。
自分を知った分だけ援助者として他者に仕えることができます。自分を知るというのは、図でいうと領域Tを広げていくことです。そのためには、防衛することをやめて自己開示すること(領域Tから領域Uへ)、謙遜に他者から自分の姿を教えてもらうこと(領域Tから領域Vへ)が必要です。これは、今までの自分にしがみついていたら広げることができません。ですが、信仰が支えとなりました。自分も知らない無意識の自分を含めて神がわたしを受け入れていてくださる。そこに立てるからです。(No.269)
2009年 7月 5日
西川口教会アシュラムのまとめ
昨年の年末に、西川口だより「特別号」として秋の特別礼拝の説教と午後の質疑応答をまとめて冊子にしました。礼拝でも恵みを受けましたが、記録として手元にあると、読み返すことができますから、なお繰り返し御言葉に養われることができます。来られなかった方も恵みにあずかれます。また、説教の時には聞き漏らしていたことを発見することもあります。特別号は、教会の皆様からも良かったとの声がありましたが、他教会の信仰の友人たちに渡してたいへん喜ばれました。喜びが広がり感謝なことです。
今度は、今年の3月の西川口教会アシュラムの講師・島隆三先生(仙台青葉荘教会)の説教(開会メッセージ、早天祈祷会メッセージ、一般礼拝メッセージ)をまとめ、西川口だより「特別号」として作成したいと考えており、作業を始めています。主日礼拝の説教の要約はアシュラム直後の西川口だより4月号の巻頭言に載せましたが、要約は要約に過ぎません。説教の細部に味わいがあり、細部が全体に生きていく説教の流れがありますから、全文が必要なのです。そのようにして、もう一度西川口教会アシュラムの恵みを新たにして、喜びを分かち合うことができるように、また、参加者が主の前に約束したとりなしの祈りを祈り続けることができるように、謙遜に祈りを学ぶことができるようにと願っています。この件については、広報担当者の協力と島先生の了解を得ています。
もっと早く作りたかったのですが、予定が立て込み、また、思いがけないことなどがあり、取り組むのが遅くなりました。今回もすべての文章お越しのたいへんな作業を、石井真理子姉が引き受けてくださり、ありがたく感謝しています。先週、ようやく校正にかかり、開会メッセージ、早天祈祷会の御言葉をわくわくして聴きました。パソコン画面をずっと眺めて目が疲れますが、心が躍る楽しい作業をしているところです。(No.268)