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週報短文

バックナンバー 2009年9月分


2009年 9月 27日

交励会ハイキング

 敬老の日が移動祝日となってずいぶん経ちますが、今年は秋の大型連休「シルバーウィーク」が出現しました。土曜日から何となく町に静けさが漂っていました。
 連休最終日の23日は、交励会主催「天覧山・多峰主山ハイキング」に参加しました。今回は、I・I兄・Y姉ご夫妻、KM兄、ST兄、TT兄、KM姉、MM姉、金田と、総勢8人の登山隊(?)でした。交励会のハイキングには、昨年の春以来の久しぶりの参加です。いつも、初心者でも楽しめるコースを用意してくれるT兄に感謝です。
 早朝に西川口駅を出発し、池袋駅から西武池袋線の特急で飯能へ向かいました。わたしは大学を卒業してから約10年会社勤めしましたが、そのうちの約8年は飯能へ通勤していましたので、懐かしく思いました。飯能駅前に日本基督教団飯能教会があり、駅ロータリーに面しています。
 天覧山(てんらんざん)の山頂で休憩したとき、二十人くらいの人たちが一斉に同じ方向に双眼鏡や望遠鏡を向けて立ったので、何事かと思いました。尋ねてみたら、鷹の渡りの観察とのこと。こういう楽しみ方もあるのだと発見でした。
 多峰主山(とうのすやま)に向かう途中で、平らで楽な道をたどっていたら、下り道になり、道を間違えたことがわかりました。こういうときは必ず引き返して、道をたどりなおします。山登りはどこか信仰生活に似ています。
 多峰主山の山頂で昼食と記念撮影。全員無事登頂しました。みんなで輪になって、楽しく語らいながらの食事は、幸せなひと時でした。山頂では、小さなアンテナを立ててマイクで話し発信している人がいて、こういう山の楽しみ方もあるのだとまた発見しました。
 帰り道では腕時計を見失って皆さんに心配をかけました。お祈りに支えられて、無事に帰宅しました。わたしは水曜日の夜の祈祷会の御用があり、感謝して報告しました。(No.280)


2009年 9月 20日

祈り、祈られて

 暦では明日が敬老の日ですが、西川口教会では、一足早く、先週13日の一般礼拝で敬老祝福式を行いました。祝福式では、キッズクラスの子供たちが、作ってくれた聖句しおりを(さらにスタッフがきれいに仕上げたものを)、贈呈してくれました。うれしいひとときでした。祝福を受けられた兄姉には、教会からお祝いの品を贈りました。これからも主に日々支えられ、信仰生活を全うされますよう、祈りを合わせました。愛餐会のためのマリア会のご奉仕に感謝です。当日おいでになれなかった方々には、祝いの品を手分けしてお届けいただきました。兄姉の協力を感謝します。主に合って祝福できるとは、何と幸いなことでしょう。
 先週は、敬老祝福の訪問をしました。訪問やお見舞いに行くときにいつも思い起こすのは、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイ18・20)との、主イエスの御言葉です。知り合いだからでもなく、親しいからでもなく、主の御名によって共に集まっています。訪問先で、そこに主の臨在があることを信じています。なかなか集会においでになれないわけですから、近況など伺うと、厳しい状況であることも多々あります。そんなときには祈るほかない無力さをかみ締めつつ、神の憐れみをひたすら祈ります。
 「また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる」 。(マタイ18・19)
 9月に入り、同じ埼玉地区のS教会より、祈祷会で「貴教会の川口の地における尊い宣教の働きを覚えて祈りました」とのお葉書をいただきました。またその後、ホーリネスの群のつながりにより、東京のA教会から、「貴教会を覚え祈祷会で祈りました」とのお手紙をいただきました。思いがけないうれしい便りでした。
 祈り、祈られて、祈りが主のもとに集められて、わたしたちが、教会が支えられています。(No.279)


2009年 9月 13日

敬老祝福礼拝にあたり

 本日は一般礼拝で敬老祝福式を行います。
 西川口教会では、70歳以上の教会員と関係者を覚えて、毎年9月、敬老の日に近い日曜日に、一般礼拝にて敬老祝福式を行ってきました。今年は秋の大型連休もありましたので、一週間前にさせていただきました。
 70歳といいましても、今の日本ではまだまだ元気な方が大勢いらっしゃいます。しかし、主なる神のお許しがなければ、だれもが今日という日を迎えられないことですから、神に生かされている、そのご計画を覚えて、本日は祝福を祈らせていただきます。
 今年、祝福を受けられる方々は、現住陪餐会員では18名おられます(今年新たに仲間入りされたのは、KM兄とYT姉のお二人です)。さらに、他住会員・教会員のご家族・諸集会に集っておられる方々を含めて35名の方にご案内をいたしました。
 今回の敬老祝福式では、旧約聖書イザヤ書第46章3節から4節の御言葉を届けます。
 “わたしに聞け、ヤコブの家よ
  イスラエルの家の残りの者よ、共に。
  あなたたちは生まれた時から負われ
  胎を出た時から担われてきた。
  同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで
  白髪になるまで、背負って行こう。
  わたしはあなたたちを造った。
  わたしが担い、背負い、救い出す。”
 この御言葉で「わたし」と名乗っておられるのは神です。聖書の神は民に語られます。聖書の神は、創造の神です。「わたしはあなたたちを造った」。ですから神はすべての命の源です。神は「わたしに聞け」と呼んでくださいます。わたしたち一人ひとりのすべての日々において、背負ってくださるのです。背負ってくださる神を信じるとき、恐れは取り除かれます。この神の御手に委ねて、共に生きていけますように。(No.278)


2009年 9月 6日

説教塾で学んで(5)

 先月24日から28日まで、鎌倉のイエズス会の黙想の家を会場として開催された説教者トレーニングセミナーに参加しました。このたびのセミナーで与えられた聖書テキストは、マタイによる福音書第28章16節から20節です。この福音書の最後の部分で、いわゆる「大宣教命令」と呼ばれている箇所です。
 説教黙想に入る前に、講師の加藤常昭先生から今回のセミナーの導きがありました。この聖書箇所を取り上げたのは、第一に、教会はキリストのものであることを取り戻し、日本伝道150年の記念の年に、伝道の原点を見定めるためでした。日本の教会のため、日本の救いのために説教の務めに立つことを心に刻みます。
 第二に、説教で伝道することを、説教者一人ひとりがもう一度きちんと問い直すためでした。「この説教で伝道できるか?」、「伝道するとはどういうことか?」と常に問いながら、マタイによる福音書の御言葉を聞き直すことを求められました。
 第三に、マタイによる福音書の独自の意味があるので、その神学的主題をきちんと受け止め学ばなければならないことを示されました。御言葉の持っている細かいニュアンスを丁寧に聞き取ることが大切です。説教塾でよく指導されることですが、その聖書箇所でなければできない説教をすることを目指します。
 最後に、説教することを安易に考えないようにと語られました。例えば20節であれば「あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」との主イエスのご命令に、説教者としてどう答えるか、ということです。自分ができないことを会衆に説教することはできない。そして主イエスの命令を退けることはできない。その狭間に立つ説教者です。そこに福音がどう響いてくるか。御言葉との対話、黙想が重要です。
 学びの一端を紹介しました。改めて、説教は畏れ多い務めであり、何と光栄な務めであるか、ひしひしと感じて帰ってきました。(No.277)