週報短文
バックナンバー 2009年12月分
2009年 12月 27日
希望の源である神
先週の20日は、クリスマス礼拝を合同で行うことができました。乳飲み子から高齢の方まで一つになって神を礼拝できたことを喜んでいます。体が弱り、毎週礼拝に来られることが困難になってきた兄姉もおいでになれました。クリスマスだからこそ、ご家族と共に礼拝をささげることができた方もありました。それから、キッズクラスのお友達が、成人向けの説教と聖餐の間にも、静まって礼拝を共にできたことにも感心しました。
クリスマス礼拝の後に、少し早いですが、来年の西川口教会創立60年記念のために集合写真を撮りました。よい記念になりました。仕上がってくるのが楽しみです。午後の祝会には、60人ほどの人たちが主にある楽しいひと時を過ごすことができました。背後にある多くの方々のご奉仕を感謝します。
24日のクリスマスイブのキャンドルサービス(燭火礼拝)にも、久しぶりの方がいらしてくださり、共に喜びました。兄姉の背後の祈りを思ったことでした。
25日の降誕日を迎え降誕節に入っています(ちなみに降誕節の主日は、受難節(レント)の始まる灰の水曜日の前まで)。そして、今週で2009年が終わり、新しい主の年2010年を迎えようとしています。
一年を振り返り、世界でも日本でも、西川口教会にも、お一人お一人にも、いろいろなことがありました。うれしいことも、悲しいこともありました。計画通りになったことよりも、思いがけないことのほうが多いように感じます。しかし今日、生かされており、神を愛しキリストに従う仲間が今朝も共にいて、神が生きておられることをわたしたちは知っています。これからもキリストに望みをかけて生きていく教会です。
希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。(ローマ15・13)(No.293)
2009年 12月 20日
低きにくだる神
本日はクリスマス合同礼拝をささげます。今年のクリスマス礼拝はすべての世代が一つになって共に礼拝しようと準備してきました。皆様を心から歓迎いたします。
キリスト教会では、「共に」「一つに」ということを大切にしています。それは、わたしたちが主なる神と仰ぐ方が唯一の方であり、わたしたちと共にいてくださり、誰も分け隔てることなく招いてくださる方だからです。神を礼拝するところで、わたしたちは共に、そして一つになることができます。神の御前で、神がそれを実現させてくださいます。
教会はクリスマスを祝います。クリスマスは神の愛が現れた出来事です。神の御子が人としてお生まれになった。救い主イエスの誕生を心から喜びます。この方によって、すべての人に救いが与えられることになったからです。
ルカによる福音書に、主イエスの誕生のときの状況が記されています。
ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。(第2章6、7節)
なぜルカはこういうことを書いたのでしょうか。これはみじめな過去ということです。人はふつうこのような過去は隠したいと思うものです。けれども聖書はみじめな主イエスの出生を語ります。馬小屋は、おそらく人にとって快適で心地よい場所ではありませんでした。この貧しくちっぽけな夫婦のための居場所は、宿屋にはありませんでした。つまり締め出されてしまった。みじめで、貧しく、放り出され、後回しになる。しかし、その困難の中に救い主がお生まれになるのです。
最も低いところへ、喜んでご自分をささげてくださった。ですから、キリストより低いところにいる人はもういません。こうして、すべての人に救いがもたらされることになったのです。ここに慰めと希望があります。(No.292)
2009年 12月 13日
共にある神
アドベント第3主日を迎えました。三本のろうそくに火が点されます。
最近、ある方からの分かち合いの言葉をきっかけに、いろいろ思いをめぐらしました。教会では「神様が共にいてくださる」と言いますし、聞いています。その信仰に生かされているからです。分かち合ってくださった方は、時にお子さんやお孫さんにたまらなく会いたいと思うことがある、とおっしゃいました。そう感じる自分に気づきながら、さらに「神はわたしと共におられるではないか」と語られました。わたしはその言葉を聞いて、神が共にいてくださるとは、いったいどういうことなのだろうかと、改めて問いました。
教会生活が長い方々は親しんでいる、マタイによる福音書第1章23節を思い起こします。
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
名は体を表すといいますが、わたしたちの救い主イエス・キリストは、「インマヌエル」とも呼ばれる方です。わたしたちが神と仰ぐ方は、人間なしに神であろうとはなさらず、ご自分の民と共におられる神でいらっしゃる。それは、人間がお願いしたわけではなくて、神が一方的に人と出会い、共に生きることを決意して、成し遂げてくださった出来事です。
先日の昼間祈祷会では、エレミヤ書の頂点ともいうべき第31章31節以下の「新しい契約」を学びました。そのときの語り合いで、神が人と契約を結ばれるとは、日本人にはなかなか理解しがたいことではないか、という話が出ました。そうだと思います。かつてシナイ山でかわした契約を、更に乗り越えていく新しい契約を示し、どこまでも神の民を愛しぬいて、共に生きようとなさる神の熱情に圧倒され、胸が熱くなりました。
ついには御子イエスの命を犠牲にしてまで、わたしたちと共にあろうとされた神の愛。その愛で愛され、この方が共にいてくださいます。(No.291)
2009年 12月 6日
クリスマスは教会へ
12月に入り、本日、アドベント第2主日を迎えました。教会の玄関のイルミネーションが取り付けられ、夜、幻想的な雰囲気の明かりを楽しんでいます。(しかも、タイマーつきなので自動で点いて、自動で切れるのです!) 普段はシンプルな教会堂も、クリスマスの装いとなりました。
今週8日は「県南四市クリスマスの夕べ」が行われます。川口市、鳩ヶ谷市、戸田市、蕨市にあるプロテスタント諸教会の協力によって続けられてきた集会です。会場は、川口駅西口出てすぐの、川口リリア音楽ホールです。素晴らしいキリスト者の音楽家をゲストにお迎えします。地元の教会の牧師が説教することも大切にしてきました。どうぞ、奮ってご参加ください。
次週13日の夕拝は、ゴスペルクワイヤJOIN(ジョイン)を迎えて行います。西川口教会の礼拝堂を練習会場にしているサークルです。このときは教会の方々と接点を持てる機会です。JOINのメンバーもこの夕拝を大切にしてくれています。よい集いとなりますように。
今年の新しい試みとして、12月20日のクリスマス礼拝を、子供も中高生も大人も合同で行い、また祝会も合同で行うこととなりました。長い間続けてきた23日祝日の子供とヤング(中高生)の集会は見合わせました。この日は子供礼拝・賛美礼拝はありません。10時半からのクリスマス合同礼拝に集中します。クリスマス礼拝ですので、ファミリー礼拝の形式と幾分異なり、子供に届く言葉で説教し、その後中学生以上に届く言葉で説教します。聖餐を祝います。幼い子がぐずったりしたらやむを得ず退席するでしょうが、全世代が一つになって礼拝することを大切にします。クリスマス礼拝後は(4年ぶりに)記念撮影をします。その後愛餐会・祝会です。
24日は昼間祈祷会を休会します。夜7時からのキャンドルサービスにご参加ください。
わたしたちの救い主、イエス・キリストの御降誕の喜びを分かち合いましょう。(No.290)