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週報短文

バックナンバー 2010年1月分


2010年 1月 31日

交わりの広場 「西川口だより」

 西川口教会の月報「西川口だより」2月号が発行されました。第500号です! 昨年の秋ごろから広報部が企画して、このたび西川口教会に仕えてくださった歴代の先生方より原稿をお寄せいただきました。今も変わらず西川口教会を愛し、祈り続けてくださる諸先生方に深く感謝します。
 「西川口だより」が出来上がり届きましたら週報ボックスに入れます。そして受付に置き、子供礼拝や賛美礼拝の来会者には、スタッフから手渡ししています。さらに礼拝に来られない教会員に送っています。
 今から5年前の創立55周年の記念の礼拝に、初代牧師の横山義孝先生をお迎えする計画を立てました。そのときの伝道牧会部と、長くお休みしている教会員へ「西川口だより」を送ることを始めました。長欠の方全員ではありませんが、西川口教会に長くおられる兄姉の意見をきいてリストを作りました。そのこともあってか、55年の記念礼拝には久しぶりの方も礼拝に集い、感謝しました。それ以来、毎月30通程になりますが、西川口だよりと、西川口だよりが配布される日の週報に、わたしからの手紙を添えてお送りしています。西川口教会というキリストの体なる教会に結ばれている方々へ向けて、さらにこの働きを広げていきたいと願っています。
 「西川口だより」には、兄姉の文章から教会の活動が見えるような記事もありますが、ほかに、召天や誕生の知らせも載せています。集会統計もあります。小さな記事に案外(?)反響があって、励まされています。「ああ、読んでくださっているのだなあ」と感謝します。
 巻頭言について、もう引退されたベテランの先生から、「初めは何が書いているのかわからなかったけれど、だんだん書けるようになってきましたね」と、お励ましの言葉をいただいたことがあります。続けていれば、いつか書けるようになると主に期待して励みます。(No.298)


2010年 1月 24日

地区講壇交換礼拝

 先週の週報短文で、日本基督教団埼玉地区では、成人の日を「地区デー」として定め、埼玉地区新年合同礼拝をささげているとお伝えしました。
 もう一つ「地区デー」を覚えて行う活動として、埼玉地区内教会同士で行う、地区講壇交換礼拝があります。西川口教会も毎年実施してまいりました。本日は、白岡伝道所(南埼玉郡白岡町下野田)の福島先生をお迎えして主の日の礼拝を、地区講壇交換礼拝として共にささげます。白岡伝道所の主任牧師・福島聖二先生からのプロフィールに基づいてご紹介します。
「父が教会役員だったので幼少時から教会に出席。
 中学4年のとき青年会を抜けて、Boys & Girls Association を結成して、CS、中学、高校生伝道に励む。
 A学院基督教学科に進学、専攻科(大学院)修了。その間熊谷教会に奉仕。卒業後、熊谷教会に3年、結婚して、和戸教会に12年、久美愛教会に1年、朝霞教会に17年奉仕しました。
 朝霞教会の会堂建築を終えて辞任して、出張伝道地白岡の莪(せいが)幼稚園に1985年伝道所を開設しました。また幼児の宗教教育を目指して、本庄幼稚園、白岡天使幼稚園を設置運営し、町議会に4期16年奉仕、その間小学校を一つ開校しました。CS生徒たちの活躍で、地元の小中学校の評判良く、優良校が輩出しました。
 昨年、県民の日に県の教育功労賞をいただきました。」
 昨年は日本伝道150年の記念の年で、日本基督教団は、日本基督教団の教師になって50年以上働き、今なお現役の先生方を表彰しました。福島聖二先生とお連れ合いの福島英子先生も表彰されました。半世紀にわたる長い間、埼玉の地で、地域に根ざし、キリスト教幼児教育を通して伝道された福島聖二先生を心から歓迎します。(No.297)


2010年 1月 17日

二つのものを一つに

 日本基督教団埼玉地区では、成人の日を「地区デー」として定めて、毎年この日に、埼玉地区新年合同礼拝をささげています。一年おきに、埼玉地区全体で一つの礼拝と、一区・二区・三区三つに分かれての地域の合同礼拝を行っています。今年は、地区全体で一つの礼拝をする年で、上尾市にある聖学院教会(聖学院大学チャペル)で行われました。
 説教者は、仙台青葉荘教会牧師の島隆三先生でした。島先生は、ご存知の方も多いですが、西川口教会の前任者で、埼玉地区活動においても、地区委員や伝道委員として奉仕されました。
 「二つのものを一つに」との説教題で、エフェソの信徒への手紙第2章から説き明かされました。わたしは14節が心に刻まれました。
 実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、(エフェソ 2・14)
 このエフェソの手紙の文脈では、イスラエルの民と異邦人が、キリストによって一つとされることを指していますが、人の心にある隔ての壁が生み出している分裂に対しても語られているのです。民族と民族、加害者と被害者、教派間や教会でも、分裂があり、分裂しかねない痛みがあります。悔い改め、赦しをいただいて、望みに生きることができます。説教を通して力を与えられました。
 聖学院教会の礼拝堂は、聖学院大学のチャペルも兼ねているので、講壇も広く大きいのです。地区新年合同礼拝では聖餐を祝います。司式者は、聖学院教会の東野尚志牧師と、初雁教会の町田さとみ牧師でした。町田先生は西川口教会の献身者です。聖餐司式者として始めから登壇しておられたので、講壇に島先生と町田先生がおられたわけです。お二人が共に立たれているのを見て、とてもうれしくなり、主の御名をあがめました。時が過ぎて、主の導きの下、置かれている場が異なっても、主にあってわたしたちは一つであることをしみじみかみしめたことでした。(No.296)


2010年 1月 10日

目を閉じて、見る

 新しい年になり、いろいろ新しいことに取り組もうと願いを持っておられる方もありましょう。教会の皆様方は、祈りの生活を心新たに始めようと志した方もあるのではないでしょうか。
 最近必要があって、少し前の本ですが、谷昌恒著「森のチャペルに集う子ら 北海道家庭学校のこと」(日本キリスト教団出版局、1993年)を読みました。わたしたちの祈りのために、祈りについて書かれている文章を引用します。
”「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」(ヨハネ 9・39)
 祈りとは何か。…目を閉じることです。…目をつぶるといろいろなものが見えてくるのです。じっと目をつぶっていると、昔、さんざん両親を困らせていた小さいころの自分、さらには遠い将来の自分の姿まで目に浮かんでくるのです。…わたしたちは普段から目に映るものに心奪われ、心を移し、心を乱しています。しかし、ただそれだけのことです。目を閉じて、はじめて、深い広い世界に立たされるのです。常識的に言えば、目をあくと見え、目を閉じると見えないのです。…祈りの世界、信仰の世界は、常識の世界と全く逆のことを考えるのです。私はさばくためにきた、とおっしゃるのは、その常識の世界をくつがえすために来た。当然と思っていたことが間違っていた。考えを変えなければいけないのだ。そのように問いかけておられるということなのです。…祈っていて不安で苦しく、いっそう孤独を感ずることさえあります。しかし、はっきり見えてくるのです。わがままを言っている、見栄を張っている、一生懸命に自分のみにくさをかくしている、その自分の姿が見える。恥ずかしくなり、人をとがめ、人と争う気持ちがなくなってくる。…
 一日に一度、一週に一度、目を閉じる。見えなかったものが見えてくる。諸君と共にその祈りを続けたいと思うのです。”(No.295)


2010年 1月 3日

祈られて

 主の年2010年を迎えました。
 主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。それは朝ごとに新たになる。(哀歌 3・22〜23)
 新しい年といえども、わたしたち人間は神の新しい御業をただ待ち望むばかりの存在です。御言葉のとおり、朝ごとに新たな主の慈しみと憐れみに生かされてまいりましょう。わたしたちは日ごとに、西川口教会のため、牧師のため、互いのために祈ります。
 さらに本日は、特に全国の日本基督教団の諸教会や信徒の方々に、西川口教会のために祈っていただける日となりました。
 日本キリスト教団出版局の月刊誌「信徒の友」には、聖書日課「日毎の糧」があります。この聖書日課には、「この教会のために」という欄があり、日本基督教団と在日大韓基督教会所属の教会を覚え、一日一教会ずつ、順番に祈れるようになっています。そこには、@教会名、A教職の氏名、B住所、C創立年、D現住陪餐会員数、E礼拝出席者数、F祈祷会出席者数、GCS(教会学校)出席者数、H予算、I祈りの課題が記されています。昨年秋より関東教区の諸教会の順番が回ってきて、先月号から埼玉地区に入りました。ちょうど今日、1月3日は、西川口教会が当たっているのです。
 全国各地の諸教会を覚えて、忠実に祈り続けている教会があり、信徒の方々がおられます。わたしは昨年からこの聖書日課を使うようになり、諸教会のための祈りもようやく始めることができました。各地から祈りがささげられています。祈りばかりではなく、お便りを出してくださる教会や信徒の方々も大勢いらっしゃいます。すでに、便りが届き始めています。本当にありがたく、うれしく思います。こうして、わたしたちは独りではないことを知ります。大きな励ましを受けます。祈りが神に届き、神が祈りを聞いてくださることを信じます。(No.294)