週報短文
バックナンバー 2010年 4月分
2010年 4月 25日
伝えること・聞くこと
「むずかしいことをやさしく
やさしいことをふかく
ふかいことをゆかいに
ゆかいなことをまじめに
書くこと」
今月9日に召された、作家でカトリック信者の井上ひさしさんの言葉を知りました。ものを書くときの信条としていた言葉とのことです。新聞や雑誌で紹介されており、心惹かれました。インターネットで少し調べてみましたら、特に大切なのは最初の二行だ、ということが紹介されていました。ますます複雑になっていく世の中であり、人の心も、人間関係も複雑となり、多様であり、また難しい。その難しいことをわかりやすく、やさしく伝える。しかしそこで終わらず、ふかくというのは、物事の本質に迫っていく。薄っぺらなものにしてはいけないということでしょう。やさしいだけでは足りないのです。
先週、故H姉のご葬儀が無事執り行われました。前回の週報短文には載せられませんでしたが、H姉の「洗礼を受けるにあたって」に、こういう文章もありました。
“最近読んで心に留まった言葉があります。「現在の日本は許し、許されることを忘れ、何でも白黒をつけたがる方向に進んでいる。自分で理解できない対象に注意深く耳を傾けて理解しようとすること。それが許すということではないか。そのため心を尽くして相手に語ることではないか」。 本当にそうだと思いました。・・・”
H姉が手帳を取り出し「この言葉を入れたい」とおっしゃったことを思い起こしました。大切なことを書いてくださったと改めて思いました。
伝えようとする前にすること。わたしにとっては、静まって、深く、注意深く、御言葉を思い、神を思い、兄姉を思い、この世界を思い、その奥にある声にまで耳を傾けていくことだと思わされています。そしてユーモアをもって、愛をもって、包み込んでいく心を祈り求めます。(No.308)
2010年 4月 18日
H・I姉召天
お祈りに覚えていただいたH・I姉は、先週の16日のお昼に天に召されました。
昨年のクリスマス礼拝に出席できましたが、その後体調を崩し、今年になって入院し、先月24日から自宅療養となりました。ご家族、ご親族の心をこめた看取りを感謝しつつ、最後の日々を過ごされました。お元気でいらして、昨年秋には家庭集会で米寿のお祝いもしました。こんなに早く弱られて召されるとは思いませんでした。人の思いを超えた神のご計画のあることと信じて、ご遺族の皆様方に主の慰めを祈り、明日からのご葬儀に、神が栄光を現してくださるようにと祈ります。
昨年のイースター(4月12日)に洗礼を受けられました。そのときのH姉の「洗礼を受けるにあたって」のお証より一部を紹介します。主なる神が、H姉の不安を平安に変えてくださった喜びの証です。
“・・・子どもたちは独立し、孫も大きくなったのに、何か不安で心配するようになりました。蕨に家を建て、俳句の会や、老人大学へ行くようになりましたのに、不安がありました。
蕨に家を建ててしばらくした頃、西川口教会より家庭集会のお話があり、うれしくお受けしました。2000年のことです。お話を伺う内に、私の気の強さも落ち着いてまいりました。そして現在まで姉妹三人で永本先生のお話を伺ってきました。神さまが私を守ってくださると思うようになり、心が安んじられるようになりました。数年前から寝る前に祈るようになり、神さまにお任せして、平安になりました。
今年三月に西川口教会の金田先生がお見えになり、洗礼のお話を伺いました。まだまだよく分かってからと思いましたが、息子たちの勧めもあり、うれしくお受けいたしました。
なにぶんにも高齢で、何の奉仕もできないと思いますが、どうぞお許しください。これからも、神さまに祈って、お任せして生きていきたいと思っています。”(No.307)
2010年 4月 11日
用いてください
私は、今年の3月20日にキリスト教カウンセリングセンターより、カウンセラー認定証を授与されました。一定の訓練を受けたカウンセラーとして活動できることになりました。今後は、教会内外でカウンセリング活動を展開したいと考えています。どのように教会または地域社会において用いていただけるか、さらに祈りつつ、模索しつつ、試しつつ進んでいきます。
キリスト教カウンセリングセンター(以下CCC)の認定について少しお伝えしておきます。
CCC認定カウンセラーは、キリスト教信仰に基づく人間理解を前提とした隣人援助の相談活動を目的とします。教会または地域社会において、個々人がおかれた状況の中で、社会のニードに応え、必要に応じてカウンセリング活動に従事します。CCC認定カウンセラーは、職業的専門活動を目的とせず、ボランティア活動として行います。認定の基準は、カウンセリングに関する知識および隣人援助に必要な心理学的スキルの基本的習熟度、またカウンセラーとしてのパーソナリティの成熟性の達成度の三領域評価がなされます。この評価のために、CCCの講師の先生方が認定審査委員会を設けてくださいました。先生方は、病院の臨床心理士や、自殺予防の電話相談で有名な「いのちの電話」のトレーナー、大学の講師、牧師、心理相談の現場で働き、訓練をなさっている方々ばかりです。その第一線の先生方に評価されるということは、畏れもありましたが、たいへんありがたいことでもありました。委員会よりCCCが定めるカウンセラー資格認定の条件を満たしたと判定され、認定いただきました。
面接を希望する方がありましたら申し出ていただきたいですし、またカウンセリングの必要があると思われる方がありましたら、どうぞご紹介ください。面接日時については、お互いの都合のよい時間を設定することができます。相談の内容についての秘密は守られます。この資格も神の賜物として用いてくださいと祈っています。(No.306)
2010年 4月 4日
喜びの食卓
2010年度が始まりました。
新年度最初の主日がイースター(復活日)礼拝となりました。主の復活を喜び、新しい年度を歩み出していけることを神に感謝いたします。
先週の受難週では、特に、主イエスの苦難と死を心に深く思いました。先週の祈祷会では「パン裂き」で聖餐を祝いました。一つの杯と一つのパンを用いて行いました。
わたしたちが神を賛美する賛美の杯は、キリストの血にあずかることではないか。わたしたちが裂くパンは、キリストの体にあずかることではないか。 パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分けて食べるからです。(コリント一10・16〜17)
西川口教会は毎月第一主日に聖餐を祝います。本日はイースター礼拝とも重なりました。他にペンテコステ、クリスマスにも行います。
聖餐は、主の定められたものであって、今も生きておられ、わたしたちと共におられる主のご命令によります。そこにおいて、主の救いが、主の贖いの十字架の死と、復活によってもたらされたことが告げられます。それはまったく主の恵みによることで、聖餐はその恵みを常に覚えるためのものなのです。覚える、記念する、とよく教会で語られますが、それは昔の出来事の思い出に生きるというのではなく、信仰を持って思い起こすとき、過去の出来事が今ここにおける現実となる、という意味を含んでいます。それは聖霊が働いてくださらなければ、恵みの現実とはなりません。ですから、聖霊の働きをひたすら求め、信じます。聖霊信仰がなければ、聖餐は成り立たないのです。
聖餐は、「喜びの食卓」です。聖餐は「祝い」です。喜びの祝いです。主の救いに現実にあずかるのです。説教を喜びの言葉、福音として受け入れた者にふさわしい喜びの食卓の交わりです。主が与えてくださる恵みです。どんなことがあっても聖餐を祝うところに教会の力があります。死に打ち勝った主の復活の勝利の力です。(No.305)