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週報短文

バックナンバー 2010年 10月分


2010年 10月 31日

北陸へ

 先々週は休暇をいただいて、父と共に金沢とその周辺と福井をめぐりました。少し分かち合いをさせていただきます。
 思いがけず、父の知人で金沢在住の方(聖公会の信徒さん)に案内いただけることになりました。その方が金沢市内の卯辰山の公園に、カトリック信者殉教の碑があるというので見せてくださいました。その碑はガイドブックに載っていません。
 明治維新以降もキリスト教は禁制の時期がありました(プロテスタントの宣教師も日本に来ていたが伝道は許されなかった)。長崎のカトリック信者への迫害は厳しく、捕らえられてなお信仰を捨てなかった浦上のカトリック信者の中に、金沢に移送された人々がありました。その中に禁制が解かれる前に死んでいった多くの信者がいました。そのような歴史がここであったことを忘れないための碑でした。年に一度、秋にこの殉教者の碑の前でミサがささげられるそうです。その後金沢カトリック教会に連れて行っていただき、会堂の事務所わきのロビーに、踏み絵の複製とか、マリア観音像とか、キリシタンに関する品々の展示がありました。玄関にはキリシタン大名高山右近の像がありました。信仰の戦いの歴史がこの地で語り告げられていることを尊く思いました。
 土曜日に武生に泊まりました。日本基督教団武生教会には、西川口教会から献身された五味明子先生がおられます。2002年に応援伝道に行ったとき武生教会は市街地にありました。少し離れた新興住宅地に移転し、新築し、今年の春に献堂式を終えたばかりです。会堂は木の温もりにあふれ、漆喰の壁も落ち着きを感じます。柱の組み方がユニークで船の中にいるようです。いつまでも座って祈っていたくなる礼拝堂だと思いました。五味先生の説教に励まされ、教会の皆様に温かく迎えていただき、幸いな礼拝を過ごしました。五味先生と武生教会の皆様より、西川口教会の皆様へよろしくとのことでした。
 旅の無事をお祈りくださり感謝いたします。(No.334)


2010年 10月 17日

太陽について語る

 ”・・私の友人に、喜びが内から輝き出ている人がいます。彼の生活が楽しいからではなく、自分や他人の苦しみのただ中にあっても、そこに神の臨在を認めることを習い性にしているからです。
 彼はどこに行っても、誰に会っても、美しいもの、感謝できるものを、何かしら見たり、聞いたりすることができます。彼は周囲の大きな悲しみの存在を否定してはいません。また、人々の苦しみもだえる姿が見えないとか、そのうめき声が聞こえないということでもありません。・・・ 現実を見据えていますが、絶望よりも希望の方が、不信仰よりも信仰の方が、恐れよりも愛の方が、より真実であることをその深い信仰によって知っています。この信仰による現実主義が、彼をこのように喜びにあふれた人にしているのです。
 彼に会うといつも私は、戦争や子供をおそう飢餓、腐敗した政治やだまし合う人間の姿に彼の注意を向けたい誘惑にかられます。しかし、私がこのようなことをするたびに、彼は、やさしい慈愛に満ちた眼で私を見つめてこう言います。「二人の子供がね、パンを分け合っているのを見たよ。・・・私に生きる勇気を与えてくれたのは、こういう貧しくとも素朴な人々なんだ」
 この友人の喜びは伝染します。彼といっしょにいればいるほど、雲間に輝く太陽をかいま見る機会が増えます。空が雲によって覆われていても、太陽はそこにあることを私たちは知っています。でも私は、雲を見ることができるのは太陽のおかげだと気づく日まで、彼がどんなに太陽について話していても、ずっと雲について話す者でした。
 たとえ雲の下を歩いているときでも、太陽について語り続けることができる人こそ、希望の訪れの使者であり、この時代のまことの聖人と言える人です。”(ナーウェン著「いま、ここに生きる 生活の中の霊性」あめんどう、より)
 今日は教育週間を覚え、ファミリー礼拝をささげます。次世代の人々に何を渡せるのでしょう。信仰から来る希望、喜びではないでしょうか。(No.333)


2010年 10月 10日

元の岩に目を注げ

 先週は、鈴木さんと根岸さん、お二人のノーベル化学賞決定の知らせは、ニュース番組などでも「明るいニュースですね」と伝えられ、本人や周囲の人々、職場の人々などの喜びが報じられました。わたしも理学部化学科を卒業したので、「どういう内容で受賞したのかしら」という興味を持って、少し興奮した一人でした。
 鈴木さんのインタビューで、ノーベル化学賞の対象となった研究の化学理論の解説を聞きました。専門用語(有機化学、炭素結合、触媒反応など)も懐かしく思いました。インタビューしていた人がその解説を理解できず困っていたのも、苦笑しつつ見ました。専門用語はその分野の人にはとても便利なのですが、その内容を専門外の人に説明するのは逆にとても難しいものです。また、実験室や装置などが映ったときは、大学の卒業研究の頃を思い出しました。
 高校生の頃は自分がどんな仕事に就くのか、そのためにどうするのか、ちっとも定まらず、大いに迷っていました。目標がはっきりしている同級生に「どうして決めることができるのか」と感心したものでした。結局進学は、自分が好きで得意でもあった化学を学べるところに決め、そこでまたその先を考えることにしました。うろうろと迷いながら、探りながら、歩いていましたが、主の導きで今、牧師の務めに立っています。
 今日は日本基督教団の行事暦で、神学校日・伝道献身者奨励日です。献身への導きを改めて思い起こします。
 イザヤ書にこういう言葉があります。
 わたしに聞け、正しさを求める人
 主を尋ね求める人よ。
 あなたたちが切り出されてきた元の岩
 掘り出された岩穴に目を注げ。(51章1節)

 あなたがたがどこから救い出されたか、きちんと見なさい、と主なる神が語られます。うろうろ迷って悩んでいた日々も主の支えの中にありました。心が定まった今を主に感謝です。(No.332)


2010年 10月 3日

忍耐と感謝

 先週の週報短文に自然豊かなところへ出かけますと、造り主なる神を思います≠ニ書きました。緑の少ない川口でも四季が巡り来て、それぞれの季節を味わい楽しんでいます。毎日曜日の夜、寝る前に西川口教会のホームページを更新します。来週の礼拝の案内の書き換えとその日の週報短文を載せます。先週の短文を読み返して思いました。聖書の舞台、パレスチナは水と緑に豊かに恵まれた地ではなかった。そこで創造主なる神と出会ったのではなかったか、過酷な自然の中で、創造主を、天地を造られた主に祈った神の民ではなかったか、と思い返しました。
 日本基督教団の行事暦で、10月の第1主日は世界聖餐日・世界宣教の日です。前任者の島隆三・静江牧師が香港JCFで教団宣教師として働いておられたので、西川口教会もこの日を覚えるようになりました。日本基督教団から使わされている宣教師を覚えて、世界宣教委員会から小冊子「共に仕えるために」が発行されています。今年号の第26号のあとがきにこうありました。
 アメリカで奉仕されている5名の宣教師の方々を訪問させていただきました。サン・ノゼという街の目抜き通りの一角に、日系一世がローマ字を刻んだ冷蔵庫二つ分くらいの石がありました。目に飛び込んできた最初の文字は「NINTAI」、次が「KANSHA」でした。ほかの言葉もありましたが、この最初の二つの言葉が鮮烈に残りました。日系一世の方々の忍耐は、わたしたちの想像を超えるものであったろうと思います。しかし、主にある「忍耐」の隣にはいつも「感謝」があるのではないかと思わされたことでした。・・・
 過酷な自然ばかりでなく、過酷な状況も霊的な意味で「荒れ野」であり試練です。教会の歴史において、試練のときでも伝道者たちの忍耐と感謝によって福音が告げられ、福音によって教会は耐え、神に感謝をささげました。この国にも海の向こうから宣教師たちが来てくれました。宣教師たち、遣わされている教会に祝福を祈ります。(No.331)