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週報短文

バックナンバー 2010年 11月分


2010年 11月 28日

祈りに包まれる教会

 先週21日の教会創立60周年記念礼拝は主の恵みと祝福に満ちた礼拝でありました。
 高齢になられましたが、主にある情熱をもって語ってくださった横山義孝先生・静子先生に励ましを受けました。先生方を立たせてくださっている神を仰ぎました。内なる輝きを放ちながら、ひたすら主と主の教会に仕えておられる先生方の信仰に打たれました。創立60年の記念の年、わたしたちのところに横山先生を遣わしてくださった主に感謝いたします。
 横山先生からねんごろなお手紙が届いております。感謝とお礼、再会と出会いの喜び、そして西川口教会のために祈りをささげてくださっています。“御教会が次の50年、60年に向かって地域と今日の時代に向かって力強い宣教活動を展開してくださり、聖霊の力、内住のキリストの恩寵によって躍進してくださるようにと祈ってやみません。・・・小生等尚地上に許される限り、御教会の発展と祝福とを祈らせていただきます。・・・”
 わたしたちも祈りを積みましたが、さらにこの創立記念礼拝のために、歴代教職の先生方、出身教職の先生方も祈ってくださいました。わたしも他教会の先生や祈りの友である方たちに祈りの応援をお願いしました。兄姉においても、そうしてくださった方々がありました。とりなしの祈りに包まれて祝福をいただいたと信じます。
 主イエスは朝早く、まだ暗いうちに、天の父に祈り、父なる神の御意志を知り、服従されました。イエスの弟子とされたわたしたちも、祈りによって、主に従うことができます。静子先生の立証にもありましたが、「主イエスの御名によって」祈ることが命じられていますし、許されています。そしてわたしたちは聖霊のとりなしに頼って祈ることができます。「同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」(ローマ8・26) (No.338)

2010年 11月 21日

教会創立60周年記念礼拝を感謝して

 本日の西川口教会創立60周年記念礼拝を主に感謝いたします。敬愛する横山義孝先生・静子先生をお迎えし、愛する皆様方と共に主をほめたたえる幸いを心から喜びます。
「祈り」―教会創立20周年史並記念文集―(1972年7月5日発行)を興味深く目を通しています。30周年誌、50周年誌と比べて、若々しい雰囲気漂う記念誌です。どのようにして川口の伝道が始められたか、母教会である浦和別所教会から遣わされた横山義孝先生、そして信仰の先輩方の献身が伝えられています。記念誌から教会が産声をあげた頃の記録を、一部ですが紹介したいと思います。
“▽一九四九年度(昭和二十四年)
 浦和別所教会の出張伝道
 若い頃川崎で入信したHT姉は戦後川口駅前に居住生業を営んでいたが、主の不思議な導きで浦和別所教会を尋ね、信徒として信仰の戦いを続けていた。同姉の宅でしばしば家庭集会が開かれ川口のために祈りがつまれていた。昭和二十四年八月商工会議所の二階を会場として伝道会が開かれ、神戸神学院三年在学中であった横山牧師が説教のご用にあたった。求道の決意をすすめたところ会衆全員起上がって決心を表明するというありさまで、渇望した魂の多いことが察知され積極的に開拓伝道への準備が進められた。
 ▽一九五〇年度(昭和二十五年)
 HT姉宅を事務所として川口栄町伝道所開設。長尾丁郎関東教区長司式、横山牧師主任者として就任。駅前寿会館を会場として水曜夜の集会からスタート。浦和別所教会の青年達、献身修養生を中心とする路傍伝道が初の戦力であった。牧師二十三才、受洗二名、転入者一名、集会平均14名(日曜夜伝道会と水曜夜祈祷会)”
 こうして、西川口教会の歴史が刻まれていきました。主はこの小さき群のただ中に、常に共にあり今日という日を迎えさせてくださいました。(No.337)

2010年 11月 14日

主よ、祝福してください

 主よ、わたしたちを御心に留め
 祝福してください。・・・
 主を畏れる人を祝福し
 大きな人も小さな人も祝福してください。(詩編115・12、13)

 今日の一般礼拝で、成長祝福式を行います。主なる神に感謝いたします。教会に幼子がつながっているのは、とてもうれしいことです。
 成長祝福式では、エフェソの信徒への手紙から御言葉を朗読しますが、子供への祝福を思うとき、この詩編の言葉を思い起こすことがあります。この詩編の“小さな人も”という言葉に、幼子を連想するからです(もっと別の意味もあると思いますけれど)。そして、祝福の源なる神へ、ひたすらに憐れみを願う祈り、主が御心に留めてくださらなければ先に進むことができない、との信仰を知らされます。
 親であることは、尊い務めであると同時に、責任ある厳しい務めだと思います。「子供は親が言ったことではなく、親のしていることを見て育つ」と聞いたことがあります。常に試されているわけです。さらに今は複雑な時代となりました。世界は狭くなり、多様な価値観が行き交い、選択肢が多い時代です。今まで成り立っていたもの、当然と思っていたことが失われつつあります。変化の激しい流動的な時代です。人と人とのつながりや信頼関係が危うい危機の時代です。
 一方、危機はチャンスでもあります。危機とは、もとは「分かれ道」という意味だそうです。教会の歴史をみれば、どんな時代の困難の中にも、教会は生きてきました。いえ、生かされてきました。今この国で、この時代にあって、わたしたちは主に担われ、生かされていることを信じています。神の祝福とは、神が欠けだらけの弱い人間と共にいてくださること、神がどんなときにもわたしたちを愛してやまないこと、神ご自身が、生きるときにも死ぬときにもわたしたちの希望であり慰めとなっていてくださることです。(No.336)

2010年 11月 7日

キリストの主権のもとに

 西川口教会では毎年11月の最初の日曜日は召天者合同記念礼拝をささげています。いつもの主日礼拝と違いますのは、礼拝堂の前の方に、先に地上の生涯を終えた方々の写真を置くことです。そして、召天者・関係者の方々のお名前を一覧表にして週報にはさんでお手元に渡していることです。昨年から一年の間では、HI姉の葬儀を行いました。教会の最高齢の姉妹が召されました。本日、愛するご家族を覚えて集われたご遺族の皆様方に、真実なる神が豊かに慰めを与えてくださいますように。
 先週の5日は、西川口教会を会場に、埼玉地区婦人部の最寄婦人研修会が開催され、東京聖書学校吉川教会の深谷美歌子牧師の講演「キリストの主権のもとに」(神の家族への招き―霊による一致)を聞きました。エフェソの信徒への手紙第2章11節から22節まで、力強く語ってくださいました。
 キリストを信じた者は、神に新しく創造された者です。その神の創造とは何であるか、深谷先生は、ご自身や他の方々の体験をまじえつつ説き明かしてくださいました。見えなくても見えても敵意の壁があるところは緊張関係があります。平和は互いに愛し合い助け合うところにあります。キリストが敵意という隔ての壁を取り壊して、十字架を通して神と和解させてくださいました。キリストによってわたしたちは一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるようになりました。互いに違いがありますから、聖霊の導きを求めて生きることです。教会は、使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリストです。わたしたちはキリストに招かれている。教会はキリストにおいて組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。
 既に地上の生涯を終えた聖徒の方々も共に、わたしたちは聖なる神殿とされ、神は共におられる。この恵みをいただいています。(No.335)