週報短文
バックナンバー 2011年 1月分
2011年 1月 30日
「地区デー」を覚えて
報告が遅くなりましたが、1月10日は、大宮教会で行われた埼玉地区一区新年合同礼拝に説教の奉仕で出席しました。
日本基督教団関東教区埼玉地区では、成人の日を「地区デー」と定め、地区の宣教をより深く心に留め、互いに祈り励まし合っています。その具体的な取り組みとしての、新年合同礼拝と、講壇交換礼拝、「地区デー」献金です。こうして、埼玉の地における宣教の前進を祈ります。この取り組みに西川口教会は毎年参加しています。
埼玉地区新年合同礼拝では、子供への説教が礼拝順序の中に入っています。会衆全体から見たら子供たちは少数ですけれども、お子さんを連れて合同礼拝に出席するご家族がおられることは、尊いことだと思います。子供への説教がなされることが今では当然となっており、定着していることを感じます。地区新年合同礼拝では、子供たちは子供への説教が終わったら奉仕者と共に別室へ退いて、献金の前に再び礼拝堂に入ります(聖餐にあずかる子供の場合は、聖餐の前に礼拝堂に入ります)。今回わたしは子供の説教も奉仕しましたが、別の人がするときもあります。今回、祝祷の前に、西川口教会でいつもしているように、子供たちに手を置いて祝福しまして、喜ばれました。
この地区新年合同礼拝では、司会者が西上尾教会の石神稔先生でした。そのことを聞いたときは、神のお計らい、とうれしく感じました。それぞれの教会で新年合同礼拝に出席した方々は、講壇交換礼拝の事前の顔合わせのようになりました。
先週23日の西上尾教会での講壇交換礼拝は、13人の出席で、皆様の顔はすぐ近くでよく見え、よく説教を聞いて、よく反応してくださいました。愛餐会に残られた方々全員と自己紹介をして、それぞれが、不思議なように神の導きのもとに、西上尾教会というキリストの体に結ばれておられるのを目の当たりにして、御名をあがめました。上尾の空は広かった! 風はさわやかにして冷たく、ここにも神の教会が息づいておりました。(No.347)
2011年 1月 23日
KM兄のこと
KMさんは昨年の5月から一般礼拝に続けて来られていました。礼拝後玄関での挨拶のとき、K教会で幼児洗礼を受けておられることも伺いました。ある日、ずっとききたかった質問をしました。「どうしてそんなに説教を一生懸命聴いているのですか。若い人では珍しいので、何かあるのではないかと思って・・・」。「実は、癌の治療のため仕事を休んでいます」。「ああ、そうだったのか」と合点し、「祈ります」とお伝えしました。
11月の半ばの金曜日の午後、教会でお話を伺ったことがありました。病気(大腸癌で、肝臓、腹膜、骨に転移)の非常に厳しい状況を冷静に把握しておられ、驚きました。ご家族を愛し、仕事への意欲も伝わり、それだけに悲しみの深さを感じました。讃美歌が大好きとのことでした。
その後11月28日の礼拝が、地上で共にささげた最後の礼拝となりました。12月に入院。1月10日、お見舞いの折、K教会員のお母様から、Mさんの葬儀の依頼を受けました。さらに14日には状態が非常に悪くなったと電話連絡をいただき、「病床での信仰告白式ができるよう明日行きます」とお母様にお伝えして、15日に伺いました。Mさんは息苦しいようでしたが、意識ははっきりしていて、わたしを喜んで迎えてくれました。しっかりと手を握って、「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。 生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか」(ヨハネ11・25、26)との問いに、はっきりと「信じます」と自分の口で信仰を言い表しました。聖霊の導きと信じました。17日午後4時に信仰告白式を行う約束をしました。K教会・西川口の両教会でそれぞれ臨時役員会を開き、転出転入の手続きが済みました。しかし、信仰告白式の直前、午後3時20分にKM兄は息を引き取りました。34歳の若さでした。先週の前夜式には会堂に入りきれない人が集まりました。多くの方々がKM兄の死を悼んでやまないご葬儀でした。(No.346)
2011年 1月 16日
イエスを思うて
先週の祈祷会・昼間祈祷会で、昨年4月から始めたヘブライ人への手紙の学びを終えることができました。この手紙は説教ともいえるもので、キリストへの集中がありました。御子、大祭司、罪を贖う唯一のいけにえ、信仰の創始者また完成者、永遠に変わることのない方です。キリストが教会をどんなに愛して、立たせてくださっていることかを知りました。キリストを知る喜びは、キリストに愛されていることを知る喜びです。その愛に応えたい。ヘブライ人への手紙によって、ますます主イエスが慕わしくなりました。
今年は、朝の祈りで、「愛と自由のことば 一日一章」(日本キリスト教団出版局)を読んでいます。1月13日のところに、内村鑑三の言葉が紹介されていました。内村は、無教会キリスト教運動を起こし、文書伝道者・独立伝道者として活躍した人です。主イエスを慕う信仰の言葉に共感し、心を動かされました。ここに紹介いたします。
イエスを思うて 内村鑑三
イエスを思うて我は
我が貧しきも悲しからず
他人(ひと)の富めるも羨(うらや)ましからず
イエスを思うて我は
唯感謝に溢るるのみ。
イエスを思うて我は
身の患難(わずらい)も苦しからず
其の幸福(さいわい)も慕わしからず
イエスを思うて我に
唯平康(やすき)と満足とのみ有り。
イエスを思うて我は
事の失敗に失望せず
其の成功に雀躍(じゃくやく)せず
イエスを思うて我は
永久の勝利者たるなり。
(No.345)
2011年 1月 9日
成人祝福式にあたり
本日の一般礼拝では、成人祝福式を行います。
若い人を思い、御言葉を送るときには、次の二つの聖句が思い起こされます。今日この御言葉を、成人を迎える、愛する方々に贈ります。
どのようにして、若者は
歩む道を清めるべきでしょうか。
あなたの御言葉どおりに道を保つことです。(詩編 119・9)
青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。(コヘレトの言葉12・1)
それでは、御言葉どおりに道を保つこと、そして、創造主に心を留めることは、どういうことでしょうか。どうしたらよいのでしょうか。
わたしたちは、いろいろな夢を持ち、願いを持ち、計画を持ちます。若い人であったら、どんな学校に入るか、どんな仕事をしたいか、誰と結婚するのかなど、あることでしょう。
ところが、聖書は告げています。
「あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです。」 さらに続けてこう書かれています。「・・・むしろ、あなたがたは、「主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう」と言うべきです。」(ヤコブの手紙4・15)
年齢に関係なく、だれもが、神の許しがなければ、明日を迎えられないのです。主イエスも同様のたとえばなしを語っておられます(ルカ12・13節以下)。ある金持ちの畑が豊作で、倉に収めきれないほどでした。そこで、もっと大きな倉を建て、そして「何年も生きていくだけの蓄えができたぞ」と自分に言うのだ、と思いました。ところが神は言われました。「愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。・・・」
聖書は、自己中心の生き方の愚かさとはかなさを伝えています。年若き者も、年を重ねた者も、創造主なる神中心に生きる。その神が語られる御言葉に聴き従う。神中心に生きるとき、その人は最も善く自分を生かして生きています。(No.344)
2011年 1月 2日
夕べがあり、朝があった
主の年2011年を迎えました。既にお伝えしましたとおり、今年の教会の聖句は、「主を賛美するために民は創造された。」(詩編102・19)で、今年も今井正枝姉のご奉仕によりこの御言葉が、礼拝堂正面に高く掲げられました。
創世記第1章には、神の天地創造の御業の出来事が記されています。
“初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。
「光あれ。」
こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。”(1〜5節)
聖書では一日は夜から始まります。「夕べがあり、朝があった」。6回繰り返し語られます。聖書における一日の理解と、わたしたちの一日の理解は違うのではないでしょうか。わたしは朝起きるのが苦手なので、目覚まし時計をしかけておきます。朝時計のベルを止めて起き出し一日が始まり、夜は、床について一日が終わる。一日とは、わたしが活動している時間であるかのように思っているのです。しかし、聖書の理解はそうではない。
創世記第1章の創造の物語では、神が、光、天、地と海、植物、天体、生き物、鳥、獣を造られ、最後に男と女を創造されたとあります。人は、自分たちが造り出したのではない世界の中で命を与えられました。創世記第2章の創造の物語では、男が眠っている間に女が造られたことが記されています。主なる神は、人が働きをしていないときにも、ご自分の御業を進めてくださいます。
主イエスが復活されたときもそうでした。人が誰も働くことのできない夜でしたが、そこに復活という勝利の夜明けが訪れました。
この年も、神の創造と救いの御業の中に置かれているわたしたちです。(No.343)