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週報短文

バックナンバー 2011年 3月分


2011年 3月 27日

賛美礼拝は4月まで

 2010年度最後の主日礼拝となりました。この年度1年間の守りを、主に感謝いたします。
 賛美礼拝の今後についてですが、4月までとなります。4月24日のイースター礼拝は一般礼拝に合流しますので、実際には17日までとなります。賛美礼拝は、主日礼拝の一集会であり、聖餐式を執り行ってきましたから、役員会の決議だけで変更せず、4月24日の教会総会で変更の決定をします。5月から中高生は一般礼拝に出席するように案内を始めます。このことを覚えてわたしたちは中高生を喜んで迎えましょう。今まで賛美礼拝を主に出席していた方々には、賛美礼拝がなくなりますことをどうぞご理解くださいますように、お願いします。一般礼拝に集中していきます。
 担任教師一人体制となっての1年間、教会の兄姉の祈りと奉仕に支えられました。とりなしの祈りがありました。主が担ってくださると信じ、2010年度は礼拝・諸集会は同様に続けることができました。そのような中で、主日礼拝や礼拝のプログラムに関して、全体懇談会で意見を交換し、役員会で検討を続けました。
 賛美礼拝に休まないで来る中高生は、残念ながら今のところおりません。時々、賛美礼拝に来てくれる中高生はたくさんいます。今年度は中高生の居場所となるグループを持てず、その課題を何とかできないかと考えてきました。賛美礼拝の内容と一般礼拝の内容はほぼ重なっているので、一般礼拝に中高生が出席して良いではないか、そして、一般礼拝の前に中高生のグループの時間を持つことができないかと検討を重ねました。特に、この春小学校を卒業する子どもたちのことを思いました。それと合わせて、一般礼拝前に初心者会を再開して、日曜日しか来られない方々と学びと交わりを持ちたいと考えています。
 何もかもできたらよいのですけれど、実際には限りがあります。奉仕者がいなければ活動は始められません。できるところから始めていきます。教会全体で力を合わせていきたい。(No.355)


2011年 3月 20日

明日が世界の終わりでも

 3月11日午後に発生した大地震と、その後の津波で、東北地方と関東地方に甚大な被害がありました。福島の原子力発電所の事故も大きな憂いとなっています。
 東京電力の電力供給量が減ったため、計画停電が始まっています。教会堂のある川口市西青木は第4グループで、計画停電の時間帯を意識して行動しなければならなくなりました。
 このようにして、わたしたちは、この国を突然に襲ってきた危機の只中にいます。そして、危機を乗り越えようとしています。
 日本基督教団は教会の救援のために翌日から動き始めています。関東教区や、他教区も情報を集めて支援へと向かっています。
被害がこれ以上広がらず、被災地と被災者に必要な助けが届き、行き渡りますように。神の慰めがありますように。主の憐れみをひたすら祈ります。また、財を献げていきます。
 「どうしてこのようなことが起こったのか」と多くの人が思ったでしょう。自分の考えを発言した政治家の言葉に、人々の反応がありました。信仰者はこの大震災の霊的な意味を問うでしょう。
 “宗教改革者ルターはこう言ったと伝えられています。「明日が世界の終わりでも、私は今日林檎の木を植える」。これこそ究極のユーモアかもしれません。ユーモアをもって危機を乗り越えるためには、自分を超える存在に身を委ねる態度が求められるでしょう。委ねることのできる究極の存在を持つとは、信仰の世界に生きることです。”(賀来周一「気持ち整理&生き方発見」より)
 激震とその震災を見て、「世の終わりか」と思ったそのとき、ルターが言ったとされるこの言葉を思い出しました。終末についての主イエスの御言葉を思い起こしました。どんなときも、何があっても、神の愛のご支配はゆるぎない。目を覚まして、落ち着いて、身を慎んで、なすべきことに集中することだと思い返しました。(No.354)

2011年 3月 13日

東北地方太平洋沖地震

 3月11日、いつものように金曜日の午後のコアタイム、集会室で仕事をしていました。週報原稿を完成させ、週報短文を書こうとしていたとき、電話中、地震が起こりました。生れて初めて体験する震度5の地震。なかなか揺れが収まらず、時間のたつのが非常に長く感じられました。ただ、横揺れであったので、直下ではないと感じました。地震が少し収まりかけたとき、玄関のドアを開けたら、教会のご近所の方も道路に出てきて、互いに顔を見合わせ、声を掛け合いました。
 キャビネットは飛び出し、集会室の本や扇風機が落ちました。礼拝堂のカセットテープや讃美歌も落ちました。会堂のそのものは見る限り大きな被害はありませんでしたので、ホッとしました。その後も大きな余震が続きました。ラジオからニュースを聞いたり、携帯電話からインターネットのニュースを見たりして、東北地方に非常に大きな地震と津波が起こったことを知りました。余震が続いて落ち着きませんでしたが、震源に近い地域ではこの余震もさぞ大きいことだろうと思いました。電話をかけてみましたが不通でした。携帯電話のメールは送信できました。首都圏の鉄道がすべて止まり、特に都心では多くの帰宅困難者(教会の兄姉の中にもおられました)がでました。車も渋滞で大変であったと思います。帰宅後もなかなか電話は通じなかったので、携帯のメールアドレスを知っている人にはメールで安否を問いました。災害伝言ダイヤル「171」に西川口教会の電話番号でメッセージを録音しました。
 昨日12日、電話で高齢の方から順に教会の兄姉の安否を問いました。電話やメールを先にくださった方もおりました。浦和別所教会の山田称子先生より、仙台青葉荘教会の島隆三先生と静江先生の無事を知りました。
 被災地にご親戚や知人・友人がおられる方も多いです。被害が拡大しませんように、必要なものがいきわたりますように。人々と大地が癒されますように。主よ、憐れんでください。(No.353)


2011年 3月 6日

本当の正義とは

 少し前に、アンパンマンの作者であるやなせ・たかしさんのインタビュー記事が新聞の夕刊に掲載されていました。アンパンマンは、幼い子に大人気の正義の味方です。困っている人のところに、空から飛んで来てくれます。ここまでは、他の正義の味方と変わらないのですが、アンパンマンは、アンパンでできている自分の頭を相手に食べさせて、元気をつけてあげるのです。頭が欠けても、空を飛んで帰っていきます。自分の体を犠牲にして相手を助けるヒーローです。
 以前、やなせさんがテレビ番組に出演し語られたときにも心動かされました。新聞記事にありましたが、やなせさんは、「本当の正義とは何かずっと考えていた」といいます。本当の正義があるところには、飢えはない、食べられないということはないはず、と考えました。やなせさんのこの洞察はとても鋭いと、わたしは思います。やがて、アンパンマンというキャラクターが生れました。これは、やなせさんが、太平洋戦争の前、戦中、戦後の時代を苦闘し、生き抜いてこられたからだと思います。昔も今も、正義の名の下に人はどんなことでもします。自分が犠牲になるのではなく、他者に犠牲を強います。そこで人は傷つき、痛み、飢えます。この国には、物は持っていても、心が飢え渇いている人が大勢います。
 本当の正義とは何でしょう。
 今週の水曜日は教会の暦では「灰の水曜日」で受難節(レント)に入ります。イースターからさかのぼって、主日を除く40日の間、わたしたちを救うために苦しみを受け、十字架にご自身を犠牲としてささげられた主イエスを思います。
 主イエスがおいでくださった。本当の正義がこの地上に現れたということです。主イエスは言われました。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」(ヨハネ6:35) 今日という日、主イエスの招きに答え、主のもとに行くことができますように。(No.352)