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週報短文

バックナンバー 2011年 9月分


2011年 9月 25日

われわれの悲しみをになった

 台風12号、15号は大きな爪あとを残して、日本列島を去っていきました。東日本大震災の被災地にも台風の被害が及びました。悲しみの中にある人々に、主の慰めと助けを祈ります。
 2010年の初めから、主日礼拝ではマルコによる福音書をテキストとし、神の言葉に耳を傾けてまいりました。予定で行くと、12月第2週目で終えることになります。「神の子イエス・キリストの福音の初め」(マルコ1・1)、この福音宣言が、マルコによる福音書を貫いています。
最近の主日礼拝で、主イエスの逮捕、裁判、死刑の判決、侮辱を受けること、十字架刑へ追いやられる、一連の受難の出来事を見ています。その間主イエスは驚くほど沈黙し、耐えておられます。その主イエスのお姿はイザヤ書第53章が語っている主の僕の姿とまったく重なるのです。そのことをぜひ知っていただきたい。
 口語訳で引用します。口語訳の方に心惹かれる思いがありますのでお許しください。
 彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。・・・彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。(イザヤ 53・3〜4、7)
 遠い昔イザヤが語った主の僕の預言は、主イエスにおいて実現したと、キリストの教会は信じてきました。わたしたちの救い主は、わたしたちの悲しみ(新共同訳では「痛み」)を知り、担ってくださる。主イエスは甦り、今も生きて、わたしたちの間に共にいてくださる。伝道の秋、クリスマスへ向かって、福音を宣言していきます。(No.381)


2011年 9月 18日

神の愛から引き離すものは何もない

 明日が敬老の日ですが、西川口教会では先週11日に、恒例の敬老祝福礼拝と愛餐会をしました。対象となる70歳以上の方々は、現住陪餐会員では24名でした(今年新たに仲間入りされたのは、KS姉、KM姉、YK兄)。さらに、教会員のご家族や家庭集会・火曜会等の関係者を含め、今年は36名の方に敬老祝福のご案内をしました。おいでになれました方々は16名で、皆様からのひと言ずつのご挨拶には、それぞれに心動かされるものがあり、貴重な言葉でした。教会からささやかなお祝いの品と、キッズクラスと中学生のお友だちお手製のしおりをプレゼントしました。おいでになれなかった方々には、お訪ねして祝福を告げに行きます。礼拝後の愛餐会は、まず、マリア会の姉妹方の心づくしのごちそうは目にも美しく、おいしくいただきました。お祝いの時は、神の家族の交わりを感じつつ、楽しいものでした。
 敬老祝福式で朗読した聖書は、ローマの信徒への手紙第8章31節から39節でした。神の愛からわたしたちを引き離すものはなにもない、死ですらそうではないと、高らかに宣言されています。この神の愛を信じさせていただいている恵みを感謝します。キリストのとりなしに依り頼み、地上の信仰生活を全うさせていただきます。
 だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。・・・しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。 わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、 高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。(ローマ8・35〜39)(No.380)


2011年 9月 11日

苦しみ、挫折の意味

 本日は恒例の敬老祝福礼拝と愛餐会です。ご高齢の方々の祝福を祈り、いのちを喜びます。
 一方、10年前のアメリカ同時多発テロ「9・11」とその後の世界の歩みを思います。そして今日は、東日本大震災から、ちょうど半年となります。生きることの労苦、世界やこの国の苦難を思います。神の御心を尋ね求めます。
 さて本日の礼拝では、多くの方に親しまれている讃美歌「アメイジング・グレイス」(讃美歌21の451番「くすしきみ恵み」)を賛美します。
 この讃美歌の作詞者ジョン・ニュートンは、船員を父とし、信仰深い母に育てられました。11歳の時に父と共に船に乗り、かなりすさんだ生活を送り、後には奴隷船で働いていました。あるとき大嵐に遭って難船しかけ、回心を体験し、後にイギリスに戻って神学校に入り、牧師となりました。彼は多くの讃美歌を作りました。
 最近ニュートンの「失望落胆について」という文章を読みました。一部紹介します。
 “われわれが願いをもって計画をたてることは、いとも自然であり、神がその計画を挫折させ給い、われわれの願いを拒否し給うのは、主のあわれみなのである。・・・われわれのほんとうの安全は、われわれが多少つらくとも、みずからの意志から解き放たれて、神の導きのまにまに生きることを願う度合いによるのである。この真理は・・・なかなかむつかしいもので、失望落胆という学校でしばらく訓練されることが必要である。われわれの計画は、いかにも実行可能にみえ、都合よくみえるので、それがだめになると、われわれは、残念に思い、再び試みてみるが、また失敗してしまうのである。すると、悲しがったり、怒ったりして別の計画を立ててみるが、ついには、経験と観察によってやっと眼がさめて、自分の判断がまちがっていたと悟るのである。そのとき、わたしたちの重荷を主に委ねよ、そうすれば、主はわたしたちをかえりみ給うという約束が理解できるのである。・・・”(「愛と自由のことば」 9月9日)(No.379)

2011年 9月 4日

伝道の秋、そしてクリスマスへ

 川口はなお残暑の中にありますが、秋や冬の伝道集会の予定を今から覚え祈ってくださいますように、さらに集会のご案内をしていただきたく、現在までに決まったことなどお伝えします。
 西川口教会の秋の特別礼拝は、11月20日となりました。講師は、辻 哲子先生です。辻先生は、現在日本基督教団の隠退教師で、全国教会婦人会連合が関わる「にじのいえ信愛荘」のために労苦してこられ、また正典研究委員会に携わっておられます。東京神学大学卒業後、辻宣道牧師と結婚し、1954年からは40年間、日本基督教団静岡草深教会の牧会に従事し、1994年に辻宣道牧師が亡くなってから7年間、主任牧師を務められました。わたしにとっては女性教職の大先輩になります。主に期待して備えましょう。
 県南四市牧師会が中心となって準備している「クリスマスの夕べ」は、12月2日、今年は金曜日の夜に、会場は例年通り川口リリア音楽ホールで行います。説教者は、川口神召キリスト教会牧師の安田眞先生です。安田先生には、聖地旅行のガイド兼添乗員としてたいへんお世話になりました。東川口の地で自給伝道に励んでおられる安田先生の説教、こちらも主に期待して、執り成し祈ります。音楽ゲストもほぼ内定しました(バイオリニストの方を予定)。連合聖歌隊にはできるだけ多くのメンバーが集まりますようにと祈っています。もうすぐ練習日程がお伝えできますので、ぜひ振るってご参加ください。子ども聖歌隊も予定しています。チラシ・ポスター作成の準備も始めました。地元の教会の協力、牧師たちによる奉仕が中心で続けてきています。反省や振り返りの中で、「まず祈ることから」と、今年は4月から毎月祈祷会を行った後で牧師会をして準備を進めています。県南四市約70万人の魂の救いのために、諸教会・諸先生方が豊かに用いられますように祈っています。各地域教会が励まし合い、一教会ではできない伝道協力が「クリスマスの夕べ」です。皆様のご協力をお願いいたします。(No.378)