トップページへ戻る週報短文へ戻る

週報短文

バックナンバー 2011年 11月分


2011年 11月 27日

うつくしい言葉に触れて

 本日からアドベント(待降節)です。アドベントは12月24日までの期間です。主イエス・キリストの御降誕の祝いに備えるとき、そして、再び来られる主を、特に深く覚えて待ち望むときです。闇のような世に、光として来られた主の到来を、心から喜ぶことができますように。
 先週は、その喜びの先駆けになるように、うつくしい言葉に触れ、養われる集いがありました。
 先週20日の特別礼拝と午後の懇談会は、よい天候にも恵まれ、辻 哲子先生の語られる言葉を通して、養われました。集会のすべてに神の愛のご配慮を感じました。辻先生の信仰と実践に裏打ちされた聖書の説き明かしは、心に深く語りかけるものであって、わたしは、輝かしい神の愛の勝利の行進に連ならせていただいている教会を見、その中に置かれている自分を見ることができ、励まされました。懇談会の応答も、神の恵みによって今日まで歩んでこられた辻先生の真摯で率直な言葉にうなずくばかりでした。特別礼拝の説教と懇談会の質疑応答は、今回もI姉の御奉仕で、記録として小冊子を作成しますので、楽しみにしていてください。
 先週の23日の祝日は、これも良い天候に恵まれて、マリア会研修会として、富弘美術館見学に参加しました。姉妹方と共に、道中と食事の交わり、山と紅葉と湖の風景を楽しみました。群馬県みどり市東町に建っている富弘美術館です。今回の企画展は、最初の本の出版から30年、美術館開館20年を記念してのもので、星野富弘さんの詩画作品が生まれるまでの歩みをたどっており、初期の作品の展示がされていました。身近な草木花の絵に、真実でうつくしい詩が添えられて、心を打たれる作品ばかりです。星野さんの詩と絵が生まれる過程は、黙想であり、祈りではないかと思いました。神と対話し、花と対話し、言葉が与えられ、吟味して、表現していく。今回、原画をじっくりと眺め、温かさを感じました。(No.389)

2011年 11月 20日

辻 哲子先生との出会いを喜ぶ

 本日は、特別礼拝と午後の懇談会の講師として、辻 哲子先生をお迎えでき、神に感謝いたします。
 今年の6月の関東教区教会婦人会連合の辻先生の講演がたいへん素晴らしく、西川口教会にぜひお招きしたいと声があがり、辻先生にいらしていただく運びとなりました。
 辻 哲子先生の夫・宣道先生が、日本基督教団総会議長でおられたとき、宣道先生を西川口教会の修養会の講師としてお招きしたことがあります(1988年10月)。その時に辻 宣道先生の著書「教会生活の処方箋」を初めて読みました。教会形成への情熱、信仰生活の筋道、わがまま・甘えへの戒め、など一つ一つが、襟を正されるようで、わたし自身の信仰生活のよき導きとなりました。あの修養会に参加して本当に良かったと感謝しており、「教会生活の処方箋」は、今も時々読み返し、励ましを受けています。
 辻 哲子先生は夫・宣道先生と共に40年間、日本基督教団静岡草深教会で伝道牧会に励まれ、1994年に64歳の若さで宣道先生が召された後、7年間主任牧師として立たれました。地方都市で一つの教会において仕えぬいてこられました。
先日、朝日新聞の夕刊に、辻哲子先生のご長女ご夫妻(山中正雄牧師・ゆりかさん)が紹介され、里親としての関わりが書かれていました。それは、哲子先生が里親をしていたことがきっかけであったそうです。
 今年7月の「教会婦人」(日本キリスト教団全国教会婦人会連合の機関紙)に辻 哲子先生が巻頭言を書かれました。「―新しい期を迎える今この時―苦しむことも恵みとして」。「キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。」(フィリピ1・29)の御言葉を説き明かしてくださいました。今日まで何度も読み返し、祈ってきました。辻 哲子先生を通して語られる神の言葉を受け取ります。(No.388)


2011年 11月 13日

本物のボランティア

 今日の一般礼拝では、成長祝福式を行います。こうして、信仰の共同体の中に共に生きる子どもたちを覚えることは、まことに大人たちにとっても喜びのひと時です。私もこの教会に幼い頃導かれ、温かく育てられました。そうして受けた愛は、次世代にお返ししたいと心から願うものです。最近読み、共感した文章を紹介します。
 “・・・私の知人で、あるクリスチャン夫婦がいます。そのご子息が思春期の頃、ご両親の心を痛める生活をしていました。ある日、かつてご子息のCS(教会学校)の担任であった青年と再会します。思わず現状を語ってしまったご両親にその青年は、「僕が訪ねて話をしましょう」と申し出ます。何か自信があったわけではありません。放っておけなくなったのです。すがるような気持ちで青年を自宅に招いたご両親。その青年は、ご子息と10年ぶりくらいの再会でしたが、とにかく心を込めて自分の思いやご両親の思いを伝えました。すると、その熱意に動かされ、ご子息は少しずつ自分の生き方を変え始めたというのです。
 私はこの話を不思議な気持ちで聞きました。なぜ、ご両親を頑なに拒絶していたご子息が、この青年には心を開いたのだろうと。
 しかしわが家の息子たちは、「そんなの当たり前だ」と言うのです。「だってさ。CS教師って本物のボランティアじゃん。何の得にもならないのにさ、毎週日曜日に(休みの日にもかかわらず!)朝早くから教会に来てさ、前の日だって準備するんだよ。疲れてんのに、一銭も出ないことに対して一所懸命やってさ。そういうのを本物のボランティアって言うのさ。そうやって自分の世話をしてくれた人の話を聞かないわけないだろ」
 私は改めて、わが家の息子たちがどんなに豊かな愛を教会の人々から注がれてきたのかを理解しました。本気の愛を神様は用いてくださり、人の心を動かしてくださるのです。・・・”
(季刊「Ministry」2011年秋号 蒔田教会 古谷正仁牧師の文章より)(No.387)


2011年 11月 6日

苦難はしばらくの間

 教会の暦で11月第1日主日は聖徒の日。全国の多くの教会で召天者あるいは逝去者記念礼拝が行われています。
 毎年この日には、先に神に召された方々の写真を礼拝堂の前の方に飾ります。故人とその信仰の歩みを思い起こしながら礼拝します。西川口教会は創立から61年となりました。その教会の歴史の中で、キリストに結ばれ、教会に生きた兄姉がおられました。また、家族の信仰に支えられて、神の愛の御手に委ねて、教会で葬儀をされた関係の方々がおられました。
 昨年の礼拝から一年の間に、この礼拝堂ではKM兄、TY姉の葬儀を行いました。また、ご家族を通して、逝去を知った兄姉(IY姉、AM兄)がおりました。手元の名簿にそのお名前を記しました。主なる神がご遺族のお一人お一人を顧みて、慰め励ましてくださるようにと祈ります。
 聖書は告げています。
 しかし、あらゆる恵みの源である神、すなわち、キリスト・イエスを通してあなたがたを永遠の栄光へ招いてくださった神御自身が、しばらくの間苦しんだあなたがたを完全な者とし、強め、力づけ、揺らぐことがないようにしてくださいます。(ペトロの手紙一5・10)
 苦難の時には、この苦しみがただちに取り去られてほしいと願います。しかし、聖書は、苦しみの時はしばらくの間であること、それと同時に、その時は空しく過ぎるのではなくて、神が目を留めてくださっている時であり、そのことを通して、わたしたちは、強くされ、力づけられ、揺らぐことのないようにされるのだと語っています。
 大きな喪失の悲しみの時、苦しみの時、神はわたしに、教会に共に生きる兄姉を慰め手として備え、御言葉によって朝ごとに語ってくださいました。賛美をささげることによって、慰めを得ました。振り返れば、苦しみの時に最も神を近くに感じ、生かされてきたのです。(No.386)


トップページへ戻る週報短文へ戻る