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週報短文

バックナンバー 2011年 12月分


2011年 12月 25日

わたしの魂は主をあがめ

 本日は降誕日。クリスマスおめでとうございます。クリスマスという言葉は、「クリス」と「マス」が組み合わさった言葉です。「クリス」とは「キリスト」、「マス」は「ミサ」つまり「礼拝」を意味しています。したがって「クリスマス」とは「キリスト礼拝」という意味です。主イエスのご降誕を、礼拝を通して心から喜び祝いましょう。わたしたちの喜びは賛美を通して表現されます。わたしたちの賛美を主が受け入れてくださいます。
 アドベントの期間から今日まで、主日礼拝では特別賛美をささげました。交励会、マリア会、中高生・青年たち、キッズスタッフ、聖歌隊が、それぞれの週に賛美を献げてくださいました。それぞれに、そのグループならではの味わいのある賛美でした。
 11日のゴスペル夕拝では、ゴスペルクワイヤJOINにたくさん賛美していただきました。こちらもアドベント期間の集会として定着してきた感があります。JOINの家族やお友だちが参加してくれたのはまことに感謝でした。
 24日のキャンドルサービスでは、聖歌隊と、会衆とで賛美をささげます。クリスマスの賛美はたくさんあって、歌いきれないのがいつも残念なほどです。寒い夜になりましたが、心は燃やされて、賛美できる喜びをかみしめます。
 「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。」(ルカ1・47〜48)
 主イエスの母とされたマリアの賛歌です。マリアは、ただ神の顧みをほめたたえました。賛美にあふれるマリアは謙遜です。ちっぽけな自分に神のご計画が告げられ、自分自身に神の御業が始められる。神になさることは何と不思議ですばらしいことだろう。喜びがあふれて賛美せずにはおれなくなるのです。救い主がお生まれになりました。神の御業を喜び、賛美をささげます。(No.393)


2011年 12月 18日

御父と御子との交わり

 アドベント第4主日を迎えました。今年は降誕日が主日となりました。それ以外の年は、25日のある週の日曜日がクリスマス礼拝になるのですが、数年に一度の、アドベントがいちばん長い年です。来週25日のクリスマス合同礼拝が2011年最後の礼拝になります。この年も主なる神の憐れみによって、ここまで守られ歩んでまいりました。
 既に以前の週報短文でお知らせしましたが、本日から主日礼拝の一般礼拝ではヨハネによる福音書の御言葉に聴いてまいります。ヨハネ福音書ならではの福音の恵みの言葉をかみしめ、大切にしっかりと味わいたい。祈り願っています。
 それと共に、2012年の御言葉を決めました。ヨハネによる福音書と深い関わりの中にある、ヨハネの手紙一から選びました。
 わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。(ヨハネの手紙一1・3)
 今年の御言葉は「主を賛美するために民は創造された。」(詩編102・19)、心に刻まれておられるでしょうか。主なる神が人を造られた目的を示している御言葉です。言い換えれば人間の存在理由です。キリストに結ばれたわたしたちは、神の民として、父なる神をほめたたえて生きるようにされました。礼拝する民として神の元に集められています。これからも、教会は主を礼拝し続けます。教会の礼拝に人々を迎え入れます。
 2012年の御言葉は、わたしたちがどこにいるかを告げてくれています。わたしたち教会の交わりは、父なる神と御子イエス・キリストとの交わりに根ざすものです。わたしたちは、憐れみによって父なる神と共に生きるようにされ、キリストと共に生きるようにされ、父なる神と御子との交わりの中に迎えられています。そこにおいて、神の家族としての教会が存在しています。喜びつつ悲しみつつ地上に生きるわたしたち教会は、同時に、常に神の元にある天的存在です。来る年、その霊的現実を覚えて歩めますように。(No.392)

2011年 12月 11日

教会ホームページ開設10年

 アドベント第3主日を迎え、西川口教会ホームページが開設から10年を迎えました。開設日は2001年12月8日でした。当時は、クリスマスの案内には間に合わせたいという一心で、ホームページ作成ソフトを使い、試行錯誤して形にしました。その頃の週報短文に、島 隆三先生が書いてくださいました。2001年12月30日付の週報短文、タイトルは「ホームページ開設」です。
 “「西川口教会もついにホームページを開きましたね」と、先日ある方から声をかけられた。メール友達に早速このことを知らせたら、すぐに「見ましたよ」という返信が届いた。・・・西川口教会のクリスマス情報が、あっという間に世界を駆け巡る時代になった。良い悪いは別にして、お互いそういう時代に生かされている事をしみじみと思わざるを得ない。・・・将来パソコンがもっと普及してくると、「西川口だより」などもその発行の形や役割が大きく変わってくるのではないかという。確かに、香港JCFのホームページを開いてみると、以前に発行していた「フェローシップ」等も、最近は殆どパソコンで読まれるようだ。我々も頭を切り替えて行かねばならない。今年も早や年の瀬を迎えて、アメリカのテロやアフガン戦争等暗いニュースが多かっただけに、クリスマスを前にして佐久子先生の奮闘によるホームページ開設により、少しばかりの明るいニュースを皆さんにお届けすることが出来たのではないかと感謝する。”
 この週報短文も教会ホームページの「週報短文」のメニューを開くと読むことができます。作成と管理を私ひとりで担当し組織的でないところは課題です。毎週の更新で精一杯というところです。しかしささやかでも教会と集会の案内を出し続けることを最低の目標にしてきまして、10年となりました。主の助けと信じます。IT環境も変化し多様化しています。何もかもはできない現実がありますが、できるところから「ここに教会がある」と伝え続けていきます。(No.391)

2011年 12月 4日

クリスマスの夕べを終えて

 先週の12月2日は、11回目を迎えた(県南四市)クリスマスの夕べが、川口リリア音楽ホールで行われました。
 音楽ゲストは、ヴァイオリン奏者の久保田 巧さんでした。バッハの無伴奏の組曲の演奏で、時を忘れて聞き入りました。緩やかな調べも華やかな調べも、短い中に凝縮された組曲なのだと思いましたし、久保田さんの情熱を感じる演奏でした。説教者は、川口神召キリスト教会の安田眞牧師でした。「そこには、ギリシア人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです」(コロサイ3・11、新改訳聖書)。この御言葉から説き明かしてくださいました。キリストのご降誕を祝うクリスマスです。誕生祝いに、お祝いされる人を迎えないお祝いはありえないはず。わたしたちはキリストぬきのクリスマスではなく、心のうちにキリストを迎えようと、力強く招かれました。それは、神が望んでおられることです、と。
 西川口教会からは兄弟姉妹たち、そしてそのご家族やお友だちで、約20人が関係者で来てくださいました。仕事帰りに直行してくださった方もありました。とても寒い日でしたので、やむなくお祈りで参加してくださった方もありました。皆様のご奉仕を感謝いたします。わたしはピンチヒッターで司会の奉仕をしました。無事果たせてホッとしています。
 子供聖歌隊はとても愛らしく、また毎年参加しているお友だちの成長を見て、良くケアしておられると感じます。連合聖歌隊は40数人で、厚みのある合唱賛美をささげることができました。こちらも、毎年参加している人が多く、和やかな交わりが生まれています。そのほか舞台、受付、会場、と背後の多くの奉仕がありました。参加者は昨年より少なく、約250人で、動員力の弱さを痛感しています。反省と分析が求められます。(No.390)