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週報短文

バックナンバー 2012年 1月分


2012年 1月 29日

地区の交わりを喜ぶ

 今月は、埼玉地区の集会に出席して、そして先週の講壇交換礼拝を実施して、地区の交わりの恵みにあずかりました。
 1月9日(成人の日)には、埼玉地区新年合同礼拝が行われました。会場は聖学院教会(聖学院大学チャペル)でした。埼玉地区の教会に生きる人々(子供たちも含め)が一堂に会し、御言葉によって養われ、聖餐の祝いを共にできました。また、礼拝後の成人祝福の祈りも喜びとなりました。今回の説教者は柳下明子(やなした・あきこ)牧師でした。柳下先生は現在、武蔵野緑教会牧師で、日本聖書神学校教授です。日本基督教団は毎年新任教師オリエンテーションを行っていますが、2000年度のオリエンテーションで柳下先生と同室でした。その後も時々連絡をとっていました。この日は新年合同礼拝の恵みを受け、さらに柳下先生との久しぶりの再会を喜び楽しみました。
 1月21日には、大宮教会で開かれた埼玉地区教育委員会主催のCS教師研修会に部分参加しました(CSとは教会学校)。講演題は「CS教師の心得と説教」、講師は朴 憲郁(パク・ホンウク)牧師です。朴先生は千歳船橋教会牧師で、東京神学大学教授です。講演の冒頭に語られた「子供の信仰育成に欠かせない二つの視点」が心に残りました。子供の宗教教育に際して心得ておかなければならない二つの点がある、その第一は親子間または教師・生徒間の問答による「対話的教育」、第二は大人や親が子供に教育するにあたって必要な「歴史認識」ということです。さらに、「CSの本質としての礼拝的行為―学校的行為ではない―」として、日本の教会学校の歴史から、また神学から考察がなされました。以上が「心得」の部分で、後半は子供への説教について具体的な実践を紹介くださいました。まだ消化しきれていませんが、大変有益な講演でした。
 24日には、埼玉地区3区合同教師研修会のため和戸教会に出かけ、交わりを深めました。こうして埼玉の宣教に励む地区の教会があります。(No.398)


2012年 1月 22日

越谷教会と石橋先生のご紹介

 本日は、日本基督教団埼玉地区の「地区デー」を覚えて、越谷教会との講壇交換礼拝を実施します。越谷教会のホームページからの引用した文章ですが、越谷教会と石橋先生をご紹介いたします。この出会いを感謝します。
 “越谷教会は1889年に創立され、西暦2000年で111年の長い歴史を持つ教会です。アメリカ合衆国改革派教会の宣教師A.D.グリングによって越谷にキリスト教が伝えられました。以来、今日までの越谷教会は、神を礼拝し、神様の愛のなかに本当の人間の生き方を示され、導かれて来ました。 ・・・越谷教会の現在の陪餐会員は1999年4月で202名です。牧師は石橋秀雄牧師、教会創立以来20代目の牧師です。教会堂は4代目、1977年に現在の教会堂が建てられました。 
 越谷教会は教会のいのちである礼拝を何より大切にしています。毎日曜日には3回の礼拝が行われています。第一礼拝(午前7時45分〜8時30分)、主礼拝(午前10時40分〜11時40分)、夕礼拝(午後6時45分〜7時30分)。毎週3回の礼拝で、合計130名程の方々が出席されています。・・・”
 “石橋秀雄牧師
1944年 旧満州新京特別区に生まれる
1970年 東京神学大学大学院修士課程修了
1970年〜1981年 日本基督教団鴻巣教会牧師・同附属英和幼稚園園長
1981年〜現在    日本基督教団越谷教会牧師・同附属越谷幼稚園園長
1995年〜1999年 関東教区総会副議長
1999年〜2003年 関東教区総会議長
2001年〜2002年 日本基督教団伝道委員長
2002年〜2010年 日本基督教団常議員
2010年〜現在     日本基督教団総会議長
著書 「このことを離れては」「主にあって笑う」
趣味  テニス、腹話術 ” (No.397)

2012年 1月 15日

初心者会へどうぞ

 昨年の5月から、原則として第2、4日曜日の午前9時半から10時5分まで、礼拝堂で、初心者会を始めました。
 2011年5月1日発行の西川口だより(515号)にこう書きました。
 “・・・もう一つの小グループ活動「初心者会」を始めます。これは、第2・第4日曜日の午前9時半から、礼拝堂でいたします。まず「主の祈り」から初め、次に「十戒」「教団信仰告白(使徒信条)」を学ぶ予定です。主の祈りだけでも時間がかかるでしょうが、ゆっくり進めます。・・・”
 予想のとおり少しずつ、主の祈りの言葉を一つ一つ取り上げて、先週の1月8日でようやく「主の祈り」を学び終えました。16回に及びました。(@主イエス・キリストが教えてくださった祈り、A主イエスの声が聞こえてくる祈り、B習慣として祈る祈り、C「天にまします」、D「我ら」を発見する祈り、E「父よ」と呼んでよい、F「み名をあがめさせたまえ」、G「み国を来たらせたまえ」、H「みこころの天になるごとく 地にもなさせたまえ」、I「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」、J「我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく 我らの罪をもゆるしたまえ」、K「我らを試みにあわせず 悪より救い出だしたまえ」、L「国はなんじのもの」、M「力はなんじのもの」、N「栄はなんじのもの」、O「アーメン」) 主の祈りの学びについて、初心者会のプリントだけでもコピーがほしいという方がありましたら、どうぞおっしゃってください。主の祈りの豊かさを垣間見た学びのひと時でした。
 初心者会は、時間が短いのでプリントを用意して、それに沿ってわたしが説き明かし、質疑応答、また出席者からの感想など語り合っています。祈って始まり、祈って終わります。共に学ぶ仲間が与えられて感謝しています。
 次週は講壇交換礼拝のためにお休みしますので、第2番目の学び「十戒」は、2月12日から始めます。お待ちしています。(No.396)


2012年 1月 8日

若い人に贈る言葉

 本日の一般礼拝では、成人祝福式を行います。教会の主日礼拝に新成人の方をお迎えして、祝福を告げることができるとは、教会にとっても大きな喜びです。
 わたしたちは皆、明日、何が起るかわからない存在です。先週の元旦の午後、やや強い地震がありヒヤリとしました。「新年早々に・・・」とも思いましたが、新年だからといって地球内部の活動に変更があるわけでもないですね。常に目を覚まして備えていなければと思わされました。
 しかし神の許しの中で、多くの年若い人々には、これから長い人生が待っています。そして、その若い世代の人々に向けて語られている聖書の知恵の言葉を、成人祝福式の折には紹介してきました。神の言葉を握って歩んでいただきたい。心から願っています。
 青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。(コヘレト12・1)
 どのようにして、若者は
   歩む道を清めるべきでしょうか。
 あなたの御言葉どおりに道を保つことです。(詩編119・9)

 この二つのみ言葉は、わたしも若いときに、牧師や信仰の先輩から贈られた言葉でした。
 さらにこのたびの年末年始の日々において、祈りと学びの中で、心に響いた聖書の言葉を成人の祝福を受ける方々に届けたい。
 何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある。(箴言4・23)
 また、あなたがたの五体を不義のための道具として罪に任せてはなりません。かえって、自分自身を死者の中から生き返った者として神に献げ、また、五体を義のための道具として神に献げなさい。(ローマ6・13)
 自分を大切にして、神が造られた目的にふさわしく歩めますように祈るものです。自分の思いや考え、発言、行動に責任を持ち、自分の足でしっかり立つことができますよう祈ります。(No.395)


2012年 1月 1日

「キリスト教の鐘の音」

 主の年2012年を迎えました。
 クリスマスは、闇に輝く光となられた主の御降誕を喜び祝いました。なお続くこの国の苦難と危機の中で、そしてわたしたちの歩みにおいて、この年も主からの喜びに生かされたい。信仰から来る喜びについて、日本にホーリネス教会を立てた中田重治師の文章「キリスト教の鐘の音」に出会いましたので、紹介いたします。
 “・・・仏教の鐘は中にすぼんでいて外からそれを打つのだ。するとゴーンと陰に響く。キリスト教の鐘は外に開いておって、中から打つようにできているが、カーンと陽に響く。キリスト教は外からいじめるのでない。内から喜悦が湧き出るので、陽気な宗教である。ひげの薄い人がつけひげを五銭くらいで買ってつける。・・・しかし風が吹けば押さえておらねばならない。押さえていないと飛んでいってしまう。喜悦もそのとおり、外からのりつけの喜悦ではいけない。中より湧きいずる喜悦でなければならない。信仰すればその喜悦を得る。キリストのために死なねばならない場合に・・・しあわせだと喜んで死ぬ。こんな信者におなりなさい。ちょっとはずかしめられるとやめてしまうような、そんな信者があるから、あの人はまだ信者でいますかなどという人があるのだ。信者の方は、これからどんなめにあってもつぶやきなさるな。悲しみなさるな。かえって喜びなさい。さて喜ぶ理由がある。「もし往きてなんじらのために処を備えばまたきたりてなんじらをわがもとに迎えん。」私は天に行く、しかしおまえたちをながく苦しめない。また来る。・・・その時までの苦しみだからしんぼうせよというのである。イエス・キリストふたたび世にきたりたまわずば信仰はつまらないものである。しかし、イエス・キリストはふたたびきたりたもう。このところに私どもの喜びがある。苦痛困難にたえしむる力があるのだ。・・・”(出典は「主の祈りと主の再臨」。「愛と自由の言葉 一日一章」(教団出版局)の12月21日より引用)(No.394)