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週報短文

バックナンバー 2012年 2月分


2012年 2月 26日

「311祈りのしおり」が届いて

 今週で2月が終わり3月に入ります。まもなく東日本大震災が発生してから1年になります。
 日本基督教団東日本大震災救援対策本部から「311祈りのしおり」が届きました。どうぞご覧になって、用いてください。3月11日の礼拝や夕拝で祈りたいと思っています。この祈りのしおりには、特に被災した教会の多かった、奥羽教区と東北教区と関東教区からの執り成しの祈りのためにメッセージが寄せられています。心を合わせ祈り、課題を共にすることができるように。
 わたしたちの属する関東教区からは、隔週で東日本大震災被災支援委員会がニュースレターを発行しています。社会部を通して教会の掲示板に掲示しておりますので、どうぞ、関心を持ち続けてお読みください。
 2月19日付の「東日本大震災」被災支援NEWS No.30に、被災支援委員会の「被災教会支援金への取り組み」について、統括主任の飯塚拓也牧師が書いておられます。それによると、教区の支援委員会で取り組んでいる課題は、教区内で被災した教会・幼稚園や保育園などの教会関連施設・アジア学院の建物被害への支援で、建物被害の総額は10 億を超えます。関東教区はもちろんのこと教団全体で「被災教会の建物被害への支援」に取り組まなければなりません。大きく2点の課題が起きています。@被害の規模が大きくなればなるほど、再建計画を教会全体で合意するために時間が必要で、合意形成を無理に急ぐと、教会の一致に影響を与えかねないこと。A資金の備えがない中での再建は、被災教会の大きな負担であること。教会を支える信徒もまた被災をされています。このため、必要とする支援額が満たされることが、再建の前提となります。教区として「被災教会の建物支援は、教団の『東日本大震災救援募金』(10億円募金)へ!」を呼び掛けてきました。「被災教会への支援額を満たすため」です。引き続き、この募金への皆さまよりのご協力をお願いしたいと思います。祈りつつ。(No.402)


2012年 2月 19日

週報短文No.401

 2004年5月から週報短文を書いてきて、先週の2月12日が400号で、今日は401号になりました。初めのころは今よりも迷いつつ、手探りしつつ書いていました。多くの方から励ましをいただきました。感謝します。一つの区切りとして報告します。週報短文は西川口教会のホームページのメニューの一つで、教会の様子や牧師の考えが伝えられることもよいと思っています。
 わたしのこの週報短文などよりもずっと長く、黙って、忠実に、奉仕と祈りをコツコツとささげている兄姉がいます。僕として、主イエス・キリストについていくばかりのわたしたちです。そのことを思いつつ、御言葉と祈りを分かち合います。
 “命じられたことを果たしたからといって、主人は僕に感謝するだろうか。あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、「わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです」と言いなさい。(ルカ17・9〜10)
 私どもに先立ち、しもべとして生き、神の救いの道を貫いてくださいました主イエスよ、私どもをしもべとして選んでくださいました。主であるあなたにひたすら仕えて生きる道こそ、私どものまことにひととしての道として与えてくださいました。それどころではありません。その道を歩み抜くこころ構えまで教えてくださいました。歩み抜いたその果てに、あなたの前に立ち、報告しなければなりません。何をしてきたかを。しかし、そこで、私は何と言ったらよいのでしょうか。「わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです」。私もまたふつつかなしもべ、ようやく果たすべきことをすることができただけです。それだけでも果たし得たとしたら恵みのゆえでしかないと感謝するだけです。主よ、あなたが口移しに教えてくださるこの言葉を胸中に繰り返すとき、感謝が溢れて言葉になりません。ただ、賛美します。アーメン。”(加藤常昭著「祈り」(教団出版局) 8月13日の祈りより)(No.401)

2012年 2月 12日

クリスチャン・リーダーシップとは

 本日の教会総会では役員を選出します。そのことを覚えながら、ヘンリ・ナウエン(1932〜1996)の言葉を紹介します(ナウエンは、オランダ出身のカトリック司祭。キリスト教霊性の分野で多くの著作を残し影響を与えています)。
 “はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。(ヨハネ 21・18)
 ・・・世間はこう言います。「若かったときは、他人に頼るほかなかったので、行きたい所にいけなかった。しかし年を重ねれば、自分で自分のことを決められるし、自分のしたいようにすることができる」。
 しかし、イエスは人間の成熟について異なった見方をしておられます。それは、自分なら行きたいと思わない場に導かれることを受容する能力と意欲を持つことです。イエスは、ペトロをご自分の羊の指導者に任命したあと即座に、人々に仕える指導者は、見知らぬ、望みもしない、苦痛でしかない場所に導かれるという、厳しい真理を突きつけました。
 クリスチャン指導者が歩む道は、この世がふんだんに力を注ぐ上昇の道ではなく、十字架へとつながる下降の道です。・・・それは力と支配によるリーダーシップではなく、神の苦難の僕であるイエス・キリストのうちに明白となった、無力さと謙遜さによるリーダーシップです。・・・愛のためには絶えず力を放棄するあり方のことです。それこそ、真の霊的なリーダーシップです。
 霊的生活において無力であり、謙遜であるリーダーとは、ひ弱で、何でも他人に決断してもらう人のことではありません。あまりにイエスを愛しているがゆえに、イエスの導く所ならどこであろうと従う用意があり、そこにイエスと共に命を見いだし、しかも豊かに見いだせると信頼し続ける人のことです。”(「ナウエンと読む福音書」より)(No.400)


2012年 2月 5日

婦人教職の集いに参加して

 先週の月曜と火曜日は、「婦人教職の集い」に参加しました。日本基督教団全国教会婦人会連合の中に、婦人教職に関わる小委員会があります。年に一度、研修会が企画されます。今回の研修に先立って、準備する委員の先生方からお手紙が届きました。昨年3月の東日本大震災を覚えて、東北で開催したいこと、被災された教会の婦人教職を迎えてその声に耳を傾けること、そのような研修になるとのご案内で、その趣旨に大いに賛同しました。
 会場は、仙台市青葉区の作並温泉の研修用の宿でした。東北教区から宮城、福島の教会からの参加者あり、初参加の方もあり、普段よりも参加者が増えて、やはり関心の高さを感じました。
 講師は東京都大田区久が原教会の藤崎義宣牧師で、「ケアについて(キリスト教的アプローチ)―愛の技法―」の講演と、ワークショップがありました。現代は、今までの価値観が行きづまり、しかしどうしていいかわからない時代、ケアが必要な人々が増えている時代である。そのような人々をケアしていく教会の課題、牧会の課題がある。ケアのモデルを主イエスのお働きに見ることができると語られました。
 分かち合いの時間の発題者は福島県の教会の牧師たちでした。南相馬市の小高伝道所の大下正人牧師、南相馬市原町教会の朴貞蓮(パク・ジョンヨン)牧師、いわき市磐城教会の上竹裕子牧師が、それぞれに地域と教会がどのような被災を受けたか、どのように対応してきたか、今までの歩み、今なお苦闘しておられる現状を語ってくださいました。教会幼稚園・保育園では、特に除染の労苦と、放射線量を常に図っている毎日で、子供たちや地域への対応も語られました。また、開会礼拝では、高橋真美師が地域で取り組んでおられる「会津放射能情報センター/放射能から子供のいのちを守る会」の働きを紹介されました。
 当事者の生の声はまことに重く尊いものでした。(No.399)

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