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週報短文

バックナンバー 2012年 5月分


2012年 5月 27日

聖霊のお働き

 本日はペンテコステ(聖霊降臨日)。使徒言行録第2章に記された聖霊降臨の出来事を記念し、今も働いてくださる聖霊をほめたたえ、礼拝をささげます。聖霊によらなければ、キリストの教会は、一日たりとも立つことはできませんでした。
 毎週の主日礼拝でわたしたちは、父・子・聖霊なる三位一体の神を信じ、告白しています。この三位一体の神を告白しないならば、キリストの教会ではありません(異端です)。
 主イエスは十字架に引き渡される前に、聖霊が降ると弟子たちに約束してくださいました。聖霊がどのようなお方で、どのようなお働きをなさるのか、告げてくださいました。
 しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。(ヨハネ14・26)
 これは、主イエスが弟子たちに語ってくださった言葉です。この御言葉にも三位一体の神が示されています。聖霊は弁護者であり、父なる神が御子イエス・キリストの名によって遣わされるお方です。父・子・聖霊の神のご意志によって、聖霊が遣わされ、働きかけ、すべてのことを教え、イエスが話されたことをことごとく思い起こさせてくださいます。言い換えれば聖霊は、何よりも、イエスのことをよく分からせてくださり、信じさせてくださるということです。これは誰にでも分け隔てなく与えられる恵みです。
 主イエスはさらに語ってくださいました。
 しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。 (ヨハネ16・13〜14)
 聖霊は真理を悟らせ、主の弟子たちを、キリストに栄光を帰す者としてくださいます。(No.415)

2012年 5月 20日

墓前で礼拝すること

 新緑の時を過ぎて、木々の葉の色も濃くなってまいりました。そして今年も墓前礼拝の日を迎えました。今日の墓前礼拝では、故田邉洋子姉の納骨も合わせて行われます。本日の墓前礼拝に連なるご遺族の方々に、そして、さまざまなご事情のためおいでになれないご遺族の方々に、主の慰めを祈ります。
 本日の墓前礼拝では、ヨハネによる福音書第11章から説教します。
 福音書には、主イエスが死人を生き返らせた出来事が書かれていますが、主イエスによって生き返らせていただいた人は3人だけです。その3人はだれか、ご存知ですか。1人は会堂長ヤイロの娘(マタイ9章、マルコ5章、ルカ8章)、もう1人はナインのやもめの息子(ルカ7章)、そして、マルタとマリアのきょうだいのラザロ(ヨハネ11章)です。この3人の中で、すでに墓に葬られていたのはラザロだけでした。主イエスは、死んで墓の中に納めてられていたラザロを、死から命へと呼び戻してくださいました。
 人々が石を取りのけると、イエスは天を仰いで言われた。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。しかし、わたしがこう言うのは、周りにいる群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。
(41〜43節)
 かつて主イエスはラザロの墓の前にお立ちになり、父なる神に祈り、ラザロを呼ばれました。死んでいたはずのラザロは墓から出てきました。こうして主イエスはご自分が、父から遣わされたお方であり、人を死から命へと移す救い主であることを示してくださいました。わたしたちが墓の前で礼拝するとは、ラザロを呼んでくださった主を礼拝し、わたしたちも死から命へと移していただけるという信仰を告白することです。(No.414)

2012年 5月 13日

天におられるキリスト

 今日は母の日ですが、今回の週報短文では、今週木曜日の「昇天日」を覚え、ハイデルベルク信仰問答の言葉そのものから、使徒信条で唱えている「天に昇り」すなわち、キリストの昇天の意味をお伝えしたいと思います。(ハイデルベルク信仰問答は1563年に刊行されました。16世紀のドイツにおける宗教改革の戦いの中から生まれたものです。その後世界の教会で広く読まれてきました。これは、竹森満佐一先生の翻訳です)
 “問四六 天に昇られた、というのは、どう理解しますか。
 答 キリストが、弟子たちの目の前で、天にお昇りになり、生ける者と死ねる者とをさばくために、再び来られる時まで、われわれの益のために、そこにおいでになる、ということであります。
 問四七 それならば、キリストは、お約束になったように、世の終りまで、われわれとともに、おられるのではないのですか。
 答 キリストは、真の人間であり、また、真の神であります。その人間性によれば、主は、今は、この地上には、おられません。しかしその神性、尊厳、恩恵、み霊においては、決して、われわれを、離れられることはありません。
(問四八は略)
 問四九 キリストの昇天は、われわれに、どういう益を、与えるのですか。
 答 第一に、主が、天において、神のみ面の前に、われわれの執成しをする者、となって下さることであります。
 第二に、われわれは、主が、かしらとして、そのえだであるわれわれを、ご自分のもとに引き上げて下さる、確かな担保として、われわれの肉を、天に持つことになるのであります。
 第三に、主は、み霊を、これと見合う担保として与え、そのみ霊の力によって、われわれは、キリストが神の右に座しておられる、あの上にあるものを求め、地にあるものを求めないようにして下さるのであります。” (No.413)

2012年 5月 6日

あなたも行って同じようにしなさい

 先週の5月3日、第40回関東こころの友伝道講習会が開催されました。ルカによる福音書第10章37節(律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」)より、主題が掲げられました。講師は、三枝育代牧師、会場は日本基督教団新宿西教会でした。
 三枝育代先生は、三枝道也先生と共に、1982年4月から1990年3月までの8年間、西川口教会の牧師としてご奉仕されました。育代先生はアンデレ会を導いてくださいました。今回の講習会は、懐かしい育代先生にお会いできることも楽しみにしつつ、会場へ向かいました。
 講演Tでは、ご自身の自己紹介として、ご自分の救いの道程を語られました。断片的には伺っていましたが、今回初めてまとまった話をじっくりと聞かせていただきました。講演内容の要約のプリントが参加者にあらかじめ配布され、講演を聞きながら、育代先生が、どのように教会へ、そして救いへと導かれたのか、よくわかりました(@教会へ導かれる、A求道生活あれこれ、B罪の問題、C神の愛、十字架の贖罪、赦されて新生の恵みにあずかる、D悔い改めと新生の恵み)。
 講演Uではこころの友伝道の実践について語られました。「三つの基本」と「五つの実際」の具体的な方法、助言、事例などを示して、「できることから始めましょう」と励ましをいただきました。プリントから講演Uの一部を引用します。
“こころの友になるために
 ・まず祈る
 ・聞き上手に
 ・教えようとしない
 ・相手の気持ちに寄り添うように
 ・時間をかけてだんだんに近づく
 ・秘密を守る
 ・問題の解決よりも、福音にあずかれるように導く”(No.412)

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