トップページへ戻る週報短文へ戻る

週報短文

バックナンバー 2012年 8月


2012年 8月 26日

指南車たる教会

 8月は特に平和を思い、祈り求め、考えるときです。本日は、毎年恒例の平和学習会が開催されます。小さな営みでしょうが、コツコツと学び続けてきました。教会に生きるわたしたちは、聖書によって、信仰によって、歴史をどう理解するか、国家をどう理解するか、問われています。
 その参考として、わたしが今、朝の祈りに用いている「愛と自由の言葉 一日一章」から、8月27日の、渡辺善太師(1885〜1978 旧約学者、説教者。青山学院、日本女子神学校等で教え、聖書論の独自な展開をなす)の文章を引用します。「指南車たる教会」という題です。
 “・・・人間の世界には風見も大事ですが、指南車も大事だ。風見のみに頼っている人間は右往左往、今日と明日じゃすることがちがってくる。それが時代の風潮というものだ。この風向きにかかわらず、南北を指さす磁石の力で方向を定めないと船の信仰を誤る。風見と同時に「指南車」を持たない国は滅びます。民衆は、政治家は、社会運動家は、風見によって行く道を定める。だが同時に「指南車」が働いていて、これが永遠に進む道を指している。そういう指南車の役目をする人がなくてはならない。・・・教会がこの指南車の役目をするんです。それが聖書によって、信仰によって歴史を読むということ。風見の動きを軽蔑してはいけない。その日その日の風の方向を軽蔑してはいけない。だが同時に、万古不易、永遠不滅の南北を指す磁石―指南車―によって、行く手の道をはっきりと見定めなければいけない。国家に、民衆に、それがなくては滅びます。それをするのがキリスト教の、いな「指南車」としての教会のつとめです。・・・信者がふえなくてもいい、一生うずもれてもいいから、牧師、伝道者となり役員となる。・・・風見の動きを眺めながら、不動の方向を指さす。何年たっても結果がみえない。何の故あって自分は教会に奉仕するんだろう、そう思いながらも指南車の指さす方向に進む。これです、これがわからない人はキリスト教はわかりませんよ。”(No.428)


2012年 8月 19日

恵みのホ群ユースバイブルキャンプ

 皆様のお祈りに支えられて、先週13日から16日の3泊4日、日光オリーブの里にて開催された、ホーリネスの群首都圏ユースバイブルキャンプに参加してきました。西川口教会から小学生1人、中学2年生4人、わたしは引率でした。昨年に比べて初参加者が多く、16教会と東京聖書学校からで、参加者は51人でした。小学生8人、中学生11人、高校生4人、青年9人、東京聖書学校神学生6人、教職13人でした。
 キャンプのテーマは、「サマー・ジャンボ・クリスマス〜喜びをあなたに」。「夏にクリスマス?」と驚きましたが、わたしたちのために生まれたキリストの降誕の出来事をじっくり学ぶものでした。主講師は、初雁教会牧師の町田さとみ先生でした(ちなみに、町田先生は西川口教会の出身です)。夜の聖会が3回ありましたが、町田先生はご自分の救いの証しを交えながら、分かりやすく力強い説教をされました。三日目の夜は、キャンプファイヤ―を囲みながら、神はわたしたちに最高のプレゼント、イエス様を与えてくださった、わたしたちはこんなに愛されている、信じよう、自分自身をささげようと、語られました。
 キャンプのプログラムは余裕のあるものでした。朝の早天礼拝とディボーションもよかったです。6時半からの早天礼拝では、静かな賛美とメッセージに約30分。後の30分は、ひとりひとりが与えられた聖書の御言葉を味わいました。それから、お友だちとの楽しい時間がたくさんありました。開会礼拝の後には、自己紹介と仲良くなるゲーム、自由時間の川遊び、賛美、フリスビー、温泉もあります。分団に別れて、さらに仲良くなりました。いろいろな教会、いろいろなお友だち、いろいろな牧師、いろいろな神学生に触れて、子供たちは神の豊かさを感じたことでしょう。バイブルキャンプのため準備し、期間中奉仕された方々にはただ感謝です。宝のような子供たちが、キリストに結ばれて成長しますよう祈ります。(No.427)


2012年 8月 12日

オリンピック雑感

 4年に一度のスポーツの祭典、オリンピックがイギリスのロンドンで開催され、本日で閉会します。日本選手の活躍など、そわそわと気になって数日間を過ごしました。
 今回のロンドンオリンピックで、日本選手の「チーム力」がカギとなったそうです。ある人のコラムで紹介されていました。日本選手が、個人で競うよりチームで競うときに真価を発揮しているということで、実力以上の成果を挙げている場合もありました。
 たしかに、器械体操や競泳など個人種目と思われる競技でも、団体戦がありました。チームで戦い、励まし合い、助け合い、チームの勝利を目指して結束していく姿、共に喜び、共に苦労する姿に、すがすがしいものを感じました。選手ばかりではなく、指導者やサポートする人たちがチームとして働いています。選手たちに「感謝」という言葉が数多く語られ、印象的でした。自分一人でここまできたのではない、ということでした。
 さて、新約聖書のパウロの書簡では、競技について触れているところがあります。初代教会の時代に、競走があったようです。使徒パウロは競技と、信仰生活とを重ね合わせ、目標を目指して走るよう、励ましてくれています。わたしたち信仰者に与えられるメダルは、義の栄冠という朽ちることのない冠です。
 「競技をする人は皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制するのです。」(コリント一9・25)
 「世を去る時が近づきました。わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。」(テモテ二4・6〜8)
(No.426)


2012年 8月 5日

平和聖日に思う

 日本基督教団行事暦では、8月第1主日を「平和聖日」としています。西川口教会では、毎年8月「平和学習会」を企画して、学び続けてきました。今年は月末の日曜日になりましたが、関田寛雄先生の説教と講演を主に期待して、祈り待っています。日本基督教団埼玉地区では「平和を求める8・15集会」が開催されます。8月は太平洋戦争が終わった月、日本の敗戦から67年となります。特に平和を思い、祈り求める8月です。
 昨年の3月11日の東日本大震災から間もなく1年5か月となります。ある人は東日本大震災を「第二の敗戦」と呼びました。それは、原子力発電所の安全神話を信じ込んでいたところに招いた敗戦でした。67年前の「第一の敗戦」は、日本は負けない、という不敗神話を信じ込んでいたところに、国内外の多くの犠牲者を出して招いた敗戦でした。わたしたちは、「神話」が崩壊しなければ、過ちに気づかない愚かさを持っていることを、率直に認めなければならないでしょう。
 先週の週報短文に、今、祈祷会で学んでいるサムエル記について、そこで登場するダビデ王の失敗について書きましたが、ダビデばかりでなく、特に旧約聖書は、イスラエルの民が、神に従うことについては、失敗多く、過ちに満ち、裁かれたことを記しています。聖書は、王といえども、人間を英雄視しませんし、神のようにあがめることもしません。王といえども、神の前に立つ一人の人であり、王といえども、その罪も過ちもしっかりと記しています。すべての人が、全く聖であり、正義である神の前に立っているのです。
 歴史の出来事や、また、聖書の出来事を見るときに、自分もその立場であったらどうであったかと思い、受けとめるようにしています。他人ごとではなく、教訓とし、道しるべとしたいと思います。聖書が失敗を包み隠さず記していること、また、失敗を隠さなかった主イエスの弟子のペトロのように、罪を認め告白し、悔い改める信仰を大切にして、平和を祈り、追い求めます。(No.425)