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週報短文

バックナンバー 2013年8月


2013年 8月 25日

共に喜び共に泣く

 本日は、日本基督教団大船渡教会(岩手県大船渡市)の村谷正人先生をお迎えして、特別礼拝と平和学習会を開催できますことを、主に感謝いたします。今年の2月上旬、村谷先生が遣わされている大船渡教会を父と共にお訪ねしました。わずか1泊2日の滞在でしたが、被災地を訪問でき、いろいろ感じて帰ってきました。その後、社会部より、今年の平和学習会の講師として村谷先生をお迎えする運びになるとは、想像していなかったことでした。
 日本は地震国です。この10数年の間、国内の震災の被災地を覚えながら、何もできない自分を思い悔いました。まだ献身に導かれる前、会社務めをしていた頃、1995年1月の阪神・淡路大地震が起こりました。2004年10月新潟県中越地震、2007年3月能登半島地震、同年7月新潟県中越沖地震がありました。教団や教区からの情報には常に目を通して、被災教会や支援活動を覚えて献金しましたが、なかなか現地には行けませんでした。そして2011年3月11日の東日本大震災です。甚大で深刻な被災でした。人々の暮らしが取り戻されるまでには長い時間がかかります。今回の震災では、福島・宮城・岩手の知合いを訪ねて(それぞれ別の時ではありますが)、現地で話を聞くことができました。これからも被災地を覚えて祈り、情報に耳を傾け、献げ物をして、現地を訪れたいと思います。
 今、祈祷会では箴言を学んでいます。先週の学びのとき、こんな御言葉に出会いました。「心に喜びを抱けば顔は明るくなり 心に痛みがあれば霊は沈みこむ」(箴言15・13)。心からの喜びは、自分一人だけのものではなく、他者と共有できた時の喜び。逆に、一人で耐えるしかない心の痛みに、人は自分の殻に閉じこもり、気が打ちひしがれてしまう。だから、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」(ローマ 12・15)。今日の集いを通して、わたしたちが共に喜び、共に泣く人へと、少しでも近づけますように。(No.479)


2013年 8月 18日

神の摂理と過去の再評価

 先週の月曜日から3泊4日、ホーリネスの群ユースバイブルキャンプに出かけてきました。キャンプの主題は「明日はどっちだ!? ―悪さえ善に変える神さま―」、講師は、中野区にあります更生教会の山口紀子牧師、会場は日光オリーブの里でした。西川口教会からは中学生3人と、わたしが引率で4人参加しました。
 今回のキャンプでは、ヨセフの物語を学びました。創世記第37章から第50章に登場するヨセフ(父はヤコブ、祖父はイサク、曽祖父はアブラハム)です。ヨセフは、母の違う兄たちに妬まれて、17歳の時にエジプトに奴隷として売られ、無実なのに牢獄に入れられ、囚人となります。しかし夢を解く賜物が与えられていたヨセフは、エジプト王ファラオの夢を解くことによって、取り立てられ、エジプトでファラオに次ぐ地位につきます。そして・・・(ぜひ創世記をお読みください)。山口先生は、「神の摂理」と「過去の再評価」という二つの視点からヨセフ物語を読み解いて、説教されました。「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない」(コヘレト3・11)。わたしたちが見るところは、一部分であって、この御言葉のように神のなさる業全体を見ることはできないということを改めて覚えました。そして、ヨセフが通らされた苦難の中にも、神の導きがあり、まことにひどい仕打ちを受けたけれどもすべてが、神の救いのために用いられ、ヨセフが選ばれたということを知りました。「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」(ローマ8・28)。御言葉がこれから長い人生を送る若い人々の導きとなりますように。
 森に囲まれた素晴らしい環境で、主と友だちとの出会いを喜び楽しんだ4日間でした。感謝!(No.478)


2013年 8月 11日

地区教会全体修養会

 先週の月曜日から2泊3日、お祈りに支えられて、第41回埼玉地区教会全体修養会に出かけ、無事帰ることができました。修養会の主題は(今年度の地区主題でもありますが)「主にある交わりを深めよう」副題は「共に生きる生活」でした。講師は、吉祥寺教会牧師の吉岡光人(よしおか・みつひと)先生でした。会場は軽井沢南ヶ丘倶楽部でした。西川口教会からは6人参加しました。全体では75人(地区内23教会ほか)、そのうち子供は9人、中学生1人、高校生1人でした。各個教会を超えた集会ならではの恵みとして、参加者の皆様との交流もうれしいものでした。
 講師の吉岡先生には2回の講演をしていただきました。講演Tでは、マタイによる福音書第22章37節から40節まで、説き明かされました。主イエスの教えと御業がここに示されています。心を尽くして神を愛することと、隣人を自分のように愛することは、分かちがたく結びついています。神を愛するとは、礼拝において常に確認されていく事柄です。御言葉を聞くとき、祈るとき、仕えるとき、神を愛しています。そして自分を愛することなしに、隣人を愛することはできないのです。自分を愛するとは、神に愛されている自分を知ることです。弱さ、破れ、もろさ、自己中心性、臆病さを持っている自分です。その自分を認めて受容することです。この主イエスの教えと御業を、最初の弟子たちを核とした初代教会も受け継いでいきました。さらに古代、中世、宗教改革時代、現代まで、この主の教えと御業を教会は受け継いでいます。吉岡先生が大きく影響をうけた神学者D・ボンヘッファーの「共に生きる生活」を手掛かりとして、交わりの恵みが語られました。キリスト者の交わりは、「イエス・キリストを通しての、イエス・キリストにある交わり」です。キリストを通しての神との確かな関係が基本です。
 ここにはとても書ききれませんが、心を深く探られ、また慰めと励ましに満ちた講演をいただきました。感謝です。(No.477)

2013年 8月 4日

誓いを新たに

 先週の7月28日は、埼玉県南牧師会(最近名称を変えました)の交わりにある蕨福音自由教会の牧師任職式に参列しました。といいましても、夕拝を終えてから参りましたので、任職式は終わっており、ホールでのお祝いの茶話会に間に合ったところでした。わたし自身の就任式を思い起こしました。同じように夏の暑い日でした。2004年7月18日、西川口教会の礼拝堂において、主任担任教師就任式が執り行われました。
 日本基督教団は、「招聘(しょうへい)制」をとっています。教団の正規の手続きを経て教師として任命された者を、教会もまた正規の手続きを経て担任教師として迎えます。牧師・伝道師は教会からの招聘を神の御旨と信じ、神より派遣された者と信じて務めに立ちます。教会は、神から遣わされた牧師・伝道師として教師を受け入れるのです。
 日本基督教団口語式文には牧師就任式に際して、牧師への勧告がこのように記されています。
 “主イエス・キリストの父なる神は、あなたを光栄ある重大な務めにお召しになりました。聖書に、「どうか、あなたがた自身に気をつけ、また、すべての群れに気を配っていただきたい。聖霊は、神が御子の血であがない取った神の教会を牧させる」とあります。あなたはこの群れに神のみ言葉をのべ、聖礼典をとり行うために召されました。それゆえに「自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝え」なさい。みずからをあざむいてはなりません。人のまくところはまたその刈るところとなります。常に善をおこなうことにうみ疲れてはなりません。あなたは教会と世との前で、キリストのみ足の跡を踏んで行くために召された者であります。それゆえに天にあるものを思い、地にあるものを思ってはなりません。耐え忍んで、その前に置かれた馳せ場を走らねばなりません。このようにするならば牧者のかしらがあらわれたとき、良い忠実なしもべとしてしぼむことのない光栄の冠を授けられるでありましょう。”(No.476)

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