Qメモランダム新春              

年金研究会・懇親会 2004・3・16

 毎月第3水曜日に開催しています。年度末の締めくくりとして 鹿の湯ホテルで開催したところ 20人近く集合していただいた。老齢給付や企業年金など パネラーを囲んで 2時間くらい真剣に論議した。ちょっと時間不足か・・・。

 懇親会は おいしい夕食に舌鼓を打ちました。長谷川料理長のもので、大満足でした。温泉に浸かったり、おしゃべりに興じたりして、時の経つのも忘れてしまいました。皆様ご協力ありがとうございました。来年度もどうぞよろしくお願いします。
年金問題ですが
 マスコミで不安をあおるような年金問題の発言があって 困惑することもたびたびです。1人1人の人生が違うように 受給出来る年金の様相もひとそれぞれなのです。
 60歳からも働きながら年金をもらいたい。(60歳前半の在職老齢年金という)ハローワークから高年齢雇用継続給付金が出る。これらのしくみを問われる。
 どのように働くとより多くの年金がもらえるか?また企業側も 希望者を定年後も継続雇用させたい場合 現状の給与ではコスト高を否めない。そしたら 話し合いにより60歳到達時の給与を下げることにしよう。その比率で 年金がもらえるようになる。では 給与の額をどのくらいに設定するのか。
 ポイントは「勤務要件ですね」
決まりましたら 受給年金見込額を出していきます。いま、こんな相談事例が多いのです。

16年4月からの在職老齢年金が変わります 
よっさん 2004・3・14

 母のお供で じゃがいもの植えつけに行った。二つの畝に じゃがいもの種を並べた。後は草取り等、2時間ぐらいしてお昼になったので 両ヶ池のほとりの うどん亭・とんぼりへお食事に・・。手打ちうどん売り物で、こしがあっておいしい。 「よっさん元気かな?」レジの女性に尋ねたら 奥にいますと 呼びに行ってくれた。仕事してるのだーよかった!「きてくれたん〜」といつもの笑顔。母を見て「 いっしょに宇賀渓へ遊びに行ったなー」なーんて思い出話になる。「よっさん が弁当を山で忘れたんで 三里駅からバスに乗って取りに戻ったよねー」とりとめのないことを話してきた。彼は 最近自動車事故にあって 九死に一生を得た。今は目がぐるぐる回ったりして 後遺症に悩んでいるようだ。見かけは 前とぜんぜんかわらない。幼友達でゴルフ仲間のひとりでもある。 
結城神社の枝垂れ梅 2004・3・13

 南北朝時代の英雄であり、結城神社の祭神の「結城宗広公」を祀る神社です。結城さんって親しまれています。
かつて この地を訪れた司馬遼太郎さんが「たたずむたびに香るような気がした」といった・・。今年の梅はどんなものかしら。
 今日は暖かい日でしたので 母と連れだって結城神社へ向かう。1時間くらいで目的地へ着きました。花は盛り、そのほのかなやさしい香りに浸る。 境内には 有名な古木・錦紅梅も濃紅の花を咲かせていて 樹齢300年とあります。梅は とりわけ幹と枝振りが興味深い。紅白の花を ひとつひとつ丹念にながめたり、華麗な姿に見惚れたりして散策を楽しむ。花あられみたいで食べたらおいしいだろうなと思いました。 
 講演会 2004・3・12
 講師 : 加藤 義和氏 (株)加ト吉の社長
 演題 : 「ベンチャー50年がんばればここまでやれる」
 
 1時間45分くらい話されました。母親の働く姿から その尊さ、喜びを見て育った。9歳の時 (29歳の母、4歳と1歳の弟・妹がいた)父親が戦死。中学卒業と同時に家業を継ぐ。25キロの道を自転車で行商に出たそうです。20歳で会社を起こし、その6年後に冷凍食品の製造販売を着手して、総合食品メーカーへの礎を築く。その後の業務拡大は内外を問わず注目を集めている。その中で6年間、観音寺市長も勤められたから政治、経済を知り尽くしておられる。印象に残った言葉は数々あるが、中でも、世の変革は目まぐるしいが「時代とともにニーズは変わる。そのニーズを見極めて、常に次々と手を打って行くこと・チャレンジすることだ」ということでした。同じような商売、仕事をしていては 取り残されるのである。中国にもいくつかの会社が進出している。 彼の地では「私を 男おしん」と呼んでいるそうです。そう言う社長の笑顔からは苦労はみじんも出ていない。むしろ楽しんでる。今後もなお 打つ手を考えて止むことをしらないでしょう。
社訓は 2年前から信条の順序がかわったそうです。
1.創造(智恵の勝負) 2.勇気(やるための勇気) 3.誠実(信頼・信用) 4.努力 5.愛 という流れになる。

それまでは 誠実 努力 勇気 創造 愛 の順だったという。

 日頃 冷凍食品には目をくれない私ですが 今日は 加ト吉の 讃岐うどんを買ってきました。これからも購入することにより加ト吉さんを応援しようと思います。

富嶽百景 太宰 治 2004・3・11

 それは「富士の頂角,広重の富士は85度、文晁の富士も84度くらい、・・」ではじまりました。よそ向いていたモノも引き込むような文章で誘い、富士への飽くことのなき場面を展開する。そうだ!とうなずきながら〜ほくそ笑んでいる私・・・。
 「富岳百景」は 昭和13年9月13日から同年11月15日までの約2ヶ月間、御坂峠の天下茶屋で富士山と相対して過ごした作者の見聞を詩情豊かにつづったものです。

 「富士には月見草がよく似合うと、思い込こんだ」事情もゆっくり読みました。

 新聞のなかの 画・作田えつ子氏のいくつかの富士山も表情豊かでいいな〜とおもいました。

海蔵川クリーン作戦 2004・3・7
 組長は 朝の9時に 末広橋下の東側に集合してください。私は 長引いた風邪がやっと治りかけたところ・・。またーぶり返しては仕事に差し支えるので 完全武装をしてまいりました。早朝の冬空は 鈴鹿の山ともども灰色がかっていて とても寒い日曜日でした。 冬枯れの河川敷は 流れる水も少ないので、中州があって対岸まであるいて渡れそうな錯覚すら覚えます。
 「阿倉川」と赤く書いた目印のところで ゴム手袋と袋を3種類受け取りました。受け持ちの場所は 先日 小学生等が清掃してくれたそうで ほとんどゴミがなかったので 橋の東の方へ足を延ばしました。集まったゴミは結構多くてびっくりしました。 テレビなども捨ててあったそうで、 公衆道徳のなさを目の当たりにしました。

 阿倉川自治会の種村会長さんには この1年間本当にお世話になりました。地区の活動をいっしょにさせていただくなかで その誠実で実直なお人柄に触れることがことができました。今後ともよろしくお願いします。   
狂言・人間笑いあり 2004・3・4

野村万作・萬斎 狂言会・四日市文化会館にて・観てきました!
演題・2題でした。
「袴二人(ふたりばかま)」
 世間知らずの聟は、父親に聟入り(妻の実家に挨拶にいく)に付き添ってもらうことから話しが始まる。聟が舅に挨拶に出るが、父親も 家の外にきていることが家人にバレてしまう。どうぞ中へと招かれるが、正装用の長袴が1枚しかなく、はじめは交互にそれを履いて挨拶に出るが・・。そのうちに どうぞ二人一緒に来て欲しいといわれ、困惑する。考えた末に 袴を引き裂いてそれぞれ前掛けのように前だけにあてて何喰わぬ顔で すり足で参じる。酒宴では 舅に舞いを所望された親子は、後ろを見られないように必死で舞うのだが・・・。くるりと舞うところを見せてくれと言われては・・・・。万作の名人芸に魅了されました。

「釣針」
 共に独身の主人と太郎冠者が連れ立って西宮の戎(えびす)に参籠すると、夢のお告げがあって,釣り針を賜りそれで妻を釣ることになる。太郎冠者は「釣ろうよ、釣ろうよ」と萬斎が 節もおもしろく声をかける。 リズムに乗った躍動感が溢れていて 萬斎の芸のうまさがにじみ出ていました。観ていて とても心地よかったです。
 さて 話しの続きですが 主人の奥方、次に腰元たち、さらに太郎冠者の妻達を釣り出すがさあ〜〜大変なことが起きた。太郎冠者が釣ったのは さあてどんなお顔か見せてみよ。みせたその顔は・・・・。


 簡素な舞台の中で 繰り広げられる演劇は とてもおもしろいものでした。役者の 声の出し方、身体の動きなど、ひとつとして見逃さないでおこうとさえ思いました。

桃の節句 2004・3・3


大きなお皿を出す余裕がありませんということで・・・。

 床の間には 雛人形の軸をさげて、 お人形をいくつか飾り付けました。、お菓子も供えました。

 「あかりをつけましょ ぼんぼりに〜〜今日は めでたい雛祭り♪」今日は 特にご馳走して祝いました。次男が 北陸でお土産に買ってきた「たらば蟹」「ずわい蟹」と「はまぐり」は酒蒸しにして あと「甘エビ」を、母が お寿司を用意してくれましたので、私は ハンバーグを添えました。畑の菜も トウがたたないうちに胡麻和えしました。
今年の目標は 心のこもった料理をつくることです。ただ今実行中!
the fing (ザ・フィング゙)コンサート 2004・2・28
 あさけプラザ隣の蔵で ギター演奏会がありました。触さんと中子さん中心に、中子祐二君や熊谷さんも花を添えてくれました。アルハンブラの思い出、アランフェス、レット・イット・ビー、月光、少年時代他10曲ぐらいありました。ギターの調べは とても素晴らしくて 心地よいものでした。いい音色に酔いしれてきました。「好きこそものの上手なり」といいますが、彼らの腕前はプロ級です。ギターが大好きなんですね。毎日の練習の積み重ねが これまた凄いのです。「継続は力なり」と言うけれど まさしくそれを実感しました。 
テンペラ 2004・2・28
 テンペラとは、ラテン語の「テンペラーレ」(混ぜ物)という言葉から派生したもの、つまり、色材(顔料)と展色材(メディウム)を混ぜたもの、すなわち絵具のことを指す言葉でした。しかし、油絵具が登場してからは、それ以前の絵具をテンペラと言うようになりました。つまりテンペラとは、水溶性の絵具すべてを指す事になります。 ヨーロッパで油絵具が登場するまで、最も使われていた絵具は卵テンペラです。これは、チェンニノ・チェンニーニ(伊、「芸術の書」1400年頃)によると、卵黄に無花果の若芽を刻んだ汁を加えたものに、水でよく練った顔料を混ぜて作るとしています。鉛筆の上に、水彩絵の具をつけました。しばらくして 油絵の具を薄くのばして重ねがきします。

題材は 華やかなアネモネにしました。キンポウゲ亜科の植物で、アネモネの仲間には、フクジュソウ、クレマチス、スハマソウ、オキナグサ、キンポウゲがあります。どれも春から夏頃までみられ、可憐な花として親しみをもって眺めています。

 アネモネという属名は、ギリシャ語で「風」を意味する「アネモス」に由来する。「風の花」というところかしら・・。、 アネモネの種が長い毛を持ち、風によって運ばれることに因んでいるとか。ちなみに、アネモネには花弁がありません。可憐な花びらは、本当の花弁ではなく萼片が花弁状となったものなのです。
アンドレイ・ビエロフ&塚本聖子デュオ・リサイタルのご案内 2004・2・25

  時   2004・5・18(火)
 場所  名古屋・伏見・電気文化会館 コンサートホール
 時間  18:15分開場
      18:45分開演
入場料  4500円 (全自由席)プレイガイド:チケットぴあ ( 0570 ) 02-9990

Program 
 モーツアルト:ヴァイオリン・ソナタ 第25番 ト長調 KV301
 ルトスワフスキ:パルティータ
 ベートーベン:ヴァイオリン・ソナタ 第5番 ヘ長調 作品24「春」
 グリーグ:ヴァイオリン・ソナタ 第3番 ハ短調 作品45

 塚本聖子さんは 現在ドイツ在住。今後、ヨーロッパ各地でリサイタル,室内楽、オーケストラとの共演ほか,国内では9月に,彩の国「100人のピアニスト」出演が予定されています。お会いできるのが楽しみです。益々のご活躍を念じております。皆様もよろしかったら〜どうぞいらしてください。
おばあちゃんの知恵袋 2004・2・24

 人には もともと免疫力と自然治癒力があります。できることならクスリに頼りたくないものです。クスリを飲むと症状を抑えてしまうのでかえって自然治癒力を弱めてしまうことになりますから・・。太陽と大地の恵みを受けた四季折々に取れる野菜や果物には その季節の体に必要な栄養素が一杯つまっています。

 子供の発熱にキャベツの葉
キャベツの葉には熱を下げる効果があります。大きい葉を3枚くらい重ね、すっぽり子供の頭にかぶせてやります。ずれないように日本手ぬぐいで軽く縛るといいですね。キャベツがしんなりしたら新しいのとかえて、熱が下がるまで繰り返します。   (地球村の広報より抜粋しました)
両洋の画展・松坂屋美術館 2004・2・15

 東洋の眼でもなければ西洋の眼でもない、「両洋を貫く二つにして一つの総合的な人間の眼」というのがこの展覧会の主旨です。本展では、日本画・洋画の枠を超え、いま最も活躍している画家およそ70名が、この展覧会のために制作した新作を見る事ができました。
 石垣定哉先生や 田村能里子さんの絵を中心にみてきました。

 午後2時から美術評論家の「米倉 守氏」と田村さんの講演がありました。大勢の人の中で もみくちゃにされながら 1時間くらい二人の話を聞いてきました

「うまいだけではだめ。世界でたった一人の自分の絵肌を見つけよう」という達人の生き方を学びました。絵の題名 「風に棲む日々」 に因んで 絵画の中に風を意識して描く事や、日々の生活でも自分を表現していく方法などを話されました。
中村 彝(つね)の全貌 2004・2・15

 「愛と感動の画家」というキャッチフレーズが頭の中にずっとありました。中村 彝(米倉 守著)の分厚い本も手元にあります。日曜日の午後になって ゆっくりと行動を起こしました。みてこよう〜〜と。

 明治の終わりの日本美術界に彗星のように現れ、生き生きとした感性をもった作品を残し、若くしてこの世を去った画家の回顧展です。結核と闘いながらレンブラントやセザンヌ、ルノワールの作品を研究し、大正時代の画壇に新風を吹き込みました。「画家よ、まず語るべき思想をもて」を座右の銘とした。

 俊子像・匂うがごとく豊饒な色彩がひときわ目だった。エロシェンコ像は さらっとした感触で描かれてあって その人となりを表現していた。ダリアの花や静物が 濃厚な色調を帯びていて 質感が出ていて興味深かった。老婆の像には 祈りにも似た感動を覚えました。その絵だけをみたら そうは感じなかったと思うけど 生涯の絵を一堂にして、時代を連ねてみたこと。 死の影におびえながら たどり着いた画家の姿と重なったからかもしれない。久しぶりにいい絵に出会いました。
社会保険労務士法制定35周年記念 2004・2・14

 記念式典が津で行われました。短いような長いような年月です。心からお喜びを申し上げます。今日までの基盤を築いてくださった諸先生方のご努力があってこそ今日があるのです。敬意を表します。当日に手渡された記念誌も丹念に読ませていただきました。ありがとうございました。わたしも気持ちを新たにして 再出発いたしましょう。人とのお付き合いを大切にして 誠実に仕事をさせていただきます。電子申請、年金制度の改革、司法制度改革など 社会保険労務士の活躍する場が広がりをみせております。世の中のニーズに答えるべく 切磋琢磨いたします。それにしても 2月なのに仕事に追いかけられている毎日です。 
南川 三治郎氏に会う 2004・2・11

 食事処・「茶々」へ11時集合しましょう。そして午後2時から パラミタmuseumで三治郎氏にお会いしましょう。その折に 三治郎氏から直々に作品解説がありますので どうぞ〜いらしてくださいと招待を受けました。心待ちにしていた瞬間が訪れようとしている。

 会場は 想像以上の素晴らしい画像で埋め尽くされておりました。「まさしく美と叡智の世界」でした。心のこもった作品の紹介がなされ、とてもわかりやすく〜ヨーロッパの歴史を紐解いてくれました。こんなお話だったら 喜んで世界史の授業を選択したでしょうに・・・。

 「イコン」はなんぞ哉 それはビザンチン帝国(東ローマ帝国 395〜1453年)の国教となったキリスト教の神学に基づいて制作された平面的な図像です。キリストや聖母マリアの肖像画は、その生前からあったと伝えられるが、これがイコンの始まりでありました。真のイコンは神によって写し出されたモノ選ばれた聖職者が神の声を聞き、祈りと修業の中で描いたモノであるという。神秘のものでした。

 三治郎氏は 構想から20年、ビザンチンに発したイコンの跡を、地中海から北海まで克明にたどったのです。本来は 踏み入ることができないような聖域まで入っていきました。これらを撮影をすることの許可を与えられたということが重大です。

何もかもカルチャーショック!でした。私より2歳上のお兄さんなのに40才そこそこにしかみえませんでした。少年時代の輝きがそのまま残っておりました。

帰宅してから 父母に 1日の出来事を報告しました。なつかしい昔話に花が咲きました。 


南川 三治郎氏
家庭画報でも味わいのある文章を書かれる。


「神々しく輝く
ビザンチンの華
イコンの道」
達筆でした。


菰野大橋から
山々の峯が
綺麗でしたので


茶々のご馳走
食前酒と
お雛様が飾ってあります
美味でした。
フォークダンスと民謡の会 2004・2・8
 心も身体もリラックス・リフレッシュしてきました。緑地公園の第二体育館は500人近い人が集まりました。お弁当持参で一日楽しんできました。素敵な景品が用意されていました。抽選会がありまして 私は ナントー「二等」が当たりました。今まで クジに当たった事は皆無でしたのでビックリしました。「ハンドクリーム」を頂いたと 大勢の人に会釈をしながら席に戻ってよく見たら 「ハンドクリーナー」とありました。舞い上がってしまってホントにそそっかしいこと。皆様も参加されると良いですよ〜〜。 
日展・2 2004・2・1
 年々 書の部門を丹念に見て回るようになりました。表現するのに絵ほどの派手さはないからという理由で書を敬遠してきたけれど それは間違った考えだと今頃気が付きました。どうやったらこんな風な傑作ができるのだろうと 作品の前で ためいき混じりで首を傾げて見ている自分が居る。
 題材を探すのも おもしろい。「七言絶句」「論語」わかりやすいのは「梅の花」「すもも」「最上川」「桜」そして「万葉二題」などがある。楽しいのは「良い朝のよいご飯が出来た〜〜」の文言です。幸せが伝わってくる。またシューベルト作曲の「冬の旅」から「ミューラーの詩」が抜粋してありました。今夜あたりは シューベルトの曲を聴いてみたくなりました。
日展 2004・2・1

 体調がよくなかったけれど 今日の日曜日を外したら 行くチャンスを逃しそう。そこで 思い切って出掛けてみました。日本画、油絵と書道、彫刻、工芸と順次に見ていきました。何気なくかかれた一筋の線にも作家の「人となり」を表わしている。今年も良い作品に触れることができました。


御在所にて 2004・1・30
ロープウエイの中からのとっときの画像です。
実は 私・・ ホントは高所恐怖症なのです。(ブルッ)

34年前に見た記憶が一瞬にしてよみがえりました。まさしくこの山。世の中の変遷をしるでも無しか・・・。山頂は昔のままの姿をみせておりました。
石垣秋草展 2004・1・25
 画伯 石垣先生のご母堂の個展が 小山田美術館で開催されています。85歳になられるという。味わい深い画と俳句が添えられてありました。大半が いなべの故郷と言うこともあって懐かしい思いがしました。今も畑仕事をされるようです。母を連れて行きました。母もまだまだ頑張れるとおもったことでしょう。  良い励みになりました。
年金合同研究会 2004・1・24
 三重県下の社労士の集まりでした。司会を担当することになりましたので 2時間半くらい早めに自宅をでました。 津で お目当てのところで お食事をするつもりでしたのに 大渋滞にはまってしまい 食事の時間が取れなくなってしまいました。しかし かばんにパンを入れていましたので それで急場をしのぎました。本番はどうだったかって?いい勉強をさせていただきましたということで 答えといたします。学ぶところが多い研修会でした。お疲れ様でした。
金魚ピチピチ 2004・1・23
 新聞の整理をしていたら 金魚の養殖が盛んな愛知県弥富町で金魚の初市があったと出ていました。(1・14) ランチュウやリュウキンなど色鮮やかな金魚が約25種類が威勢良く競り落とされた模様。市場の池に木底の底に網を張った「かんこ」と呼ばれる競りようの道具が池に並べられている画像が映し出されていた。
 昨年 7月16日に弥富町へ訪れた際に 競りの様子を見ることができました。(下図)競りが始まると、業者は池から競り場へと流れてくる「かんこ」のなかの金魚を独特の符丁を叫んでは次々と競り落としていった。そのときに お店で購入したコメットたちが 2〜3倍くらいに膨れあがって大きく成長しました。ガラスの金魚鉢が狭くなって いまや 彼らは立ち往生している。おかげで かわいい顔をゆっくり眺めることができる。


「かんこ」が並ぶ

池から競り場への通路へ竿で流す


競りの様子
成章会  2004・1・17

 朝から 雪がこんこんと降る。積もったら困るなーと思いながら 日中を過ごした。みんなも同じ気持ちだったらしい。夕方にかけて雨に変わった。今日は 新年会です。幼友達が 16人集まりました。すきやきパーティーで賑やかな会の運びとなりました。私たちの食卓は どうしたわけか酔っていたのではないけれど味付けが濃くなり過ぎました。みかねて Kっちゃんが 自分たちのなべと交換してくれました。これこそ 大ご馳走です。いいお味でした。なんとも心なごむひと時でした。ことしもよろしくね
特別な日・・それが今日 2004・1・16

 60歳の誕生日おめでとう!還暦のお祝いを兼ねてゴルフ用の赤色のチョッキをプレゼントしますね。お祝いのテーブルは 心づくしのご馳走を用意するけど 「特別に何か食べたいもの・・ある?」生きていればこんな会話が弾んだことでしょう。 年金の手続きもあったし意味深い。あのねー可笑しいの 3ヶ月間前位に ある銀行から年金の手続きの案内の電話が入っていましたよ。ちょっとトンマ。それってウチの仕事だよ。よーく調べて電話しな・・とは言わなかったけど。おりませんというと失礼しました。といって電話を切っていったの・・。
 あれから・・もう9年経った。「ほどほどにしときなさい(年だから)」というんでしょうか・・・。この前 兄さんから電話があったときも 同じ様な会話だったですから。伊勢参り   仏像のはなし
油絵教室描き初め 2004・1・10

 大きなキャンバスが見えるでしょ。賑やかな出だしとなりました。ようこそ〜Sさん!どこかな?大勢の仲間に入って熱心に取り組んでみえましたね。
 今後ともどうぞよろしくね。

 
 静物画は久しぶりです。20号のキャンバスに決定。
構図と それぞれの形をとるのに 大半の時間をとりました。下塗りを少しして時間切れとなりました。
 
  






 新年会では大いに食べて、歌いました。K先生から 手作り歌の詩集をいただきました。 歌える「幸」の歌です。その中の10曲位を熱唱しました。山のロザリア、おさななじみ、北国の春、もみじの輪唱などで楽しみました。 K先生は また 手作りの大きな紙芝居を見せて下さいました。「ラブ・ユー・フォーエバー」 これは お母さんが赤ちゃんをだっこしながら うたいます。子どもが大きくなって、9さいになり、ティーンエイジャーになっても…。親子の愛情のきずなを静かに語る絵本です。

    アイラブユー いつまでも  アイラブユー どんなときも
    わたしがいきてるかぎり あなたはわたしのあかちゃん


 親が子を思う気持ち、子が親を思う気持ちが 先生の語り口から伝わってきて いろんな思いが溢れてきました。また大切なことを教えていただきました。 

 全世界で3000万部を突破した超ベストセラー絵本です。静かに、やさしく親子の愛情のきずなを語る、世代をこえて感動を呼ぶ、ベストセラー絵本です
七草 2004・1・7

君がため 春の野に出て若菜(七草)摘む わが衣手に雪はふりつつ
                                  
光孝天皇

 1月7日は七草の日。もともとは中国から伝わったものであり 平安時代から七草粥を食べるのが慣例となったようです。「せりなずな(ぺんぺんぐさ)、ごぎょう、(ははこぐさ)はこべらほとけのざすずな、(かぶら)すずしろ(大根)」の春の若草粥はいかがですか。無病息災を願いましょう。垂坂観音寺
仕事はじめ 2004・1・5

 気を引き締めて 仕事にあたります。まずは順調な滑り出しでありました。
 今年も誠実に、納得がいくまでやります。信用のおける仕事ができるように心がけましょう。
 皆様が健康に恵まれますよう、そして景気が良くなるように願います。 
謹賀新年

幸多かれと祈り上げまして

本年もどうぞよろしくお願いします
初春 2004・年頭

元旦
「去年今年貫く棒の如きもの」虚子 ー年頭にあたって 身のひきしまるような感があります。

2日
 今年は うららかなお正月になり、初詣に繰り出す人も多かったですね。志で神社と多度大社へ行きました。

3日
 フォークダンスの集いがありましたので 参加しました。大阪 愛知 京都方面からも同志が集まって(45のグループ位)力強いステップを踏んでおりました。豚汁がおいしかったです。
 伊坂ダムへ行くという息子達について行きました。ゆっくり散策を楽しみました。おもいっきり深呼吸をしてみたりして1周しました。
  


上げ馬神事の場所
3mくらいあると
いう絶壁を覗いて
遠望する。


フォークダンス
綺麗な衣装に身をつつんで踊るのは楽しい。


ダムの水際には
カモが寄り添うようにじっとしていた。

                     BGM:Asturias tarrega