大正時代末 古い地車は、久原邸に寄贈して庭園の中に飾として置かれたが、鳥小屋として使用されていた。
(東灘区役所発行「うはらの歴史再発見」より故坂田茂二氏談)
昭和初期 昭和5年頃、大阪河内方面より中古の地車を購入した。(馬で引っ張って来た)
(東灘区役所発行「うはらの歴史再発見」より故坂田茂二氏談)
この地車が、2代目のだんじりと思われる。
その後、この地車は昭和8年に本山村の中野地区に売却された。(平成15年改修される)
昭和8年 区画整理で道幅が広くなったのを契機に大日女尊神社境内にて地車を一年かかって新調する。
大工: 大石巳代吉 彫刻: 川原啓秀
この新調地車が、3代目となる。
昭和13年 阪神大水害で大きな被害を受ける。
昭和20年 空襲により地車焼失する。
地車復興までに、昭和22年頃森地区の地車を2度程借りて曳く
昭和24年頃弓場地区の地車を借りて曳く
昭和30年頃打出地区の地車を借りて曳く
地車の沿革