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★熱をください 【熱を下さい 全てを溶かしてしまうほどに・・。】 ★携帯依存症の巻 【かくゆう私も携帯依存症ぽいんだけど・・・。】 ★ミリオンダラーベイビーのように悔いなく生きるの巻 【命には、命よりも大事なものがある・・・。】 ★ 努力できるありがたみの巻 【理想を夢を追求してからこそ人生・・・。】 ★ スペシャルオリンピックスにスカッシュのチャンピオン佐藤先生!の巻 【やっぱり、人間、楽しんだもの勝ち・・・。】 ★炎のメモリアル」メッチャ!おすすめですの巻 【あなたの光で私を照らしてほしい ・・・。】 ★どんな風が吹こうとも 【追い風でも向かい風でも・・・。】 ★美しい人?の巻 【「キレイな人」「キレイな言葉」が満ち溢れているにしても・・・。】 ★あなたが、私が、全てが変化して行く。。 【生きているとすれ違いもある、想い違いもある・・・。】 ★プロこそアマチュア精神!?の巻 【「プロであること」は・・・。】 ★プロとは仕事を好きになった人?&プロとしての責任!?の巻 【プロという天職は初めからあるのではなく・・・。】 ★余裕?考え方次第ですよー、人生!?の巻 【人生はただのテスト。ただのテストにすぎない・・。】 ★俺って、どんな人?(自分からのQ&A)の巻 【バイセップスマン高橋!!あなたの。。。。 】 ★やるではないか、ブラジル人!(^_-)-☆ の巻 【男性でも整形をしたいと 願っている人が多く・・・。】 ★Ho Ho Ho! Merry Christmas! 【一番大切なことは 最初から変わらない・・・。】 |
熱をください
全てを手に入れられないのならば 全てを壊してしまいたいと願う 底のない 汚泥にも似た この心を満たすものは何か 欲望に濡れ 全てを裏切り それでも何かを欲すその想いは 愛なのか絶望なのか 熱を下さい 全てを溶かしてしまうほどに熱い 強すぎる熱を 熱すぎる愛を Return 携帯依存症の巻 携帯をいじってないと気がすまないようなヒト。多い気がする。電車に乗って座席に座ったら、年配のヒトを除いて9割ぐらいのヒトがまず携帯出すよね。別にそれがダメとは言わないし、好きにすりゃ いいけど、みんなそんなに何見てるのかなーって時々思うんだね。歩きながらでも携帯いじってるヒトいっぱいいる。 で、かくゆう私も携帯依存症ぽいんだけど、でも、仕事の連絡通信に携帯ばかりだし、又、コンピューターからの転送も設定しているし、(世界中どこからか、私のパソコンにメールが受信したら、携帯電話につながるように、受信できるように設定してあるんだけど)だから、携帯電話なしの生活は考えられないなー。 俺も間違いなく携帯依存症だね。 でも携帯依存症なヒトって、実際に逢って話したりしてても携帯いじってたりするよね。メールが来ちゃったからちょっと返事を出す、とかならわかるけど、そのままメールで話し込んじゃってたり。もしくは何してんのか知らんけどずっと携帯いじってたり。 俺はそこまでの携帯依存症ではないけど。 そこんとこ、どうよ、皆さん!! 1人の時はいいけど、複数の時はお気をつけあそばせ。 Return ミリオンダラーベイビーのように悔いなく生きるの巻 本日はクリント・イーストウット、ヒラリー・スワンク、モーガン・フリーマン主演の今話題の映画、「ミリオンダラーベイビー!」 を観てきたよ。実の娘に縁を絶たれた初老のトレーナー“フランキー”と、家族の愛に恵まれない女性ボクサー“マギー”の間に育まれる崇高な絆の物語を、“慈しむようなまなざしでみつめた”ラブストーリーだ。 マギーの人生が試合に勝つことではなく、フランキーに愛されることで輝きを帯びて行く様を繊細なエピソードも積み重ねを通じて丁寧に描きあげていっている。あまりに絶望的な結末に、愕然とする。又アカデミー賞史上最も絶望的な映画ではないか。など映画評論家がこの映画の批評をしていたんだけど、しかし、「悔いなく生きる!?」という精神論的な教訓を感じて、この映画は日々、完全燃焼を目的として生きている俺としてはとても癒された感があるなー。 命には、命よりも大事なものがある。命をかけてでも実現しなければならない目的がある。命はもちろん大事だが、その命を削ってでも実現したい何かがある。何のために命をかけて生きるのか、子供のため、家族のため、会社のため、社会のため、なんでもいい。悔いなく生きる、悔いなく死ねる人生を考えて生きよう!・・というメッセージをこの映画から感じたよその想いが俺に伝わってきたんだけど。 それにしても、この映画を見ていると、イーストウッドの枯れた感じから今にも彼の生命の危機を感じてしまった。(大きなお世話だけどね)イーストウッドだいじょうぶか?もう長くないのか? と。まあ、この映画では監督も努めているわけだから、彼の枯れた感じは、演技であり、演出であると思いたい。実際、そういう役柄だしね。(^_^;) 悔いなく生きる!人生これだねっー。 Return 努力できるありがたみの巻 文明が人間という動物にもたらしたものは、単に視力や記憶力や脚力の低下といったものにとどまらず、私達が本来もっていた躍動するような精神力、それがだんだん失われつつあるんではないかと、この頃感じているんだけど、心臓が弾けそうになるくらい何かに感動する力、思わず宙に舞い上がりたくなるほど喜ぶ力、そして一生懸命理想を、夢を追いつづける力。が低下している人って多いのが昨今みたいだぜ。 本日は私の生徒が実践しているフラワーアレンジメント作品展におじゃましてきました。 どの作品も印象深いものでしたが、どの作品(花)からも発する自分表現と気を感じながら、その努力と感性にとても感銘かつ癒されました。それぞれのオンリーワンの作品はもちろんのこと、各人の作品のテーマの想いと理想に胸を打たれたり笑ったり。とても有意義な時間を過ごすことができて、その作品展に出向いて良かったと心から感じて帰宅したんだ。 仕事がら多くの出会いがあるが、そういえば、心惹かれる世界を持っている人の中からは、いつも生き方のゆとりの声が聞こえてくるような気がする。理想を夢を追求してからこそ人生!だと感じている俺としては、誰もが抱えている心配事、ストレスを抱き合わせながらも、“ゆとりの空間”に挑戦し、より良い人生を育もうと頑張っている皆さんに心から拍手を送りたい。 フラワーアレンジメントの作品展。ご努力された作者のすばらしき作品はもちろんのこと各人からの人生のメッセージが想像以上に聞こえてきたのがとても嬉しかった。 「努力できることのありがたみ。そしてゆとり!!」 みなさん!!大事ですよ。マジで。 Return スペシャルオリンピックスにスカッシュのチャンピオン佐藤先生!の巻 先日スペシャル・オリンピックスのドキュメントを観てとても感動と勇気を覚えたよ。『スペシャルオリンピックス(SO)』とは、1980年代に米国で始まった、知的障害を持つ人たちのためのオリンピック。で、日常的なトレーニングから世界大会まで、いつでもどこかで活動がおこなわれていることから、「オリンピックス」という複数形が使われているんだって。なるほどね。。 世界各地で、知的障害者とその家族やコーチ、さまざまな人がこの活動に関わっており、日本にも、現在約3200人の「アスリート(競技者)」と1万6,0 00人をこえるボランティアスタッフがいるらしい。でさ、このSOの目的は、アスリートの「運動機能向上」だけではなく。いちばんの目的は競技を通し、彼らの「チャレンジ精神」や達成した時の「喜び」を共有することだって番組で話していたけど、確かにそのドキュメントを拝見するにあたり、選手のひとりひとりがその可能性への勇気!!を持って挑戦するということを大切にしている様子がひしひしと伺えたよ。 人間はある状況に追い込まれ厳しい選択を迫られた時にはじめて本当の自分と出会い、そこで自分の本質を問われて考え行動していくように思うんだけど。そのドキュメントを観て、今できることの感謝と、なにか事にあたる時、夢に向かって勇気を持ちチャレンジする気持ちこそ一番大事だと再認識させられたよ。 もちろん、新しい事をはじめたり、今までと違った生方をはじめるには当然リスクがともなうよね。しかし、それを乗り越える勇気を持ち、挑戦しなければ今以上の何をも生み出すことはできないのだとスペシャル・オリンピックスのアスリートたちから実感させられたねー。 このスペシャルオリンピックスの精神というのは、選手宣誓にもあったけど、「私に勝たせてください。もし勝てなくても、頑張る勇気を与えてください」。つまりそれぞれの選手の、その目標または自分の可能性に向かって勇気を持って挑戦して、途中であきらめずにゴールまで、とにかくベストを尽くすということ。 健常者とくらべて、なんら変わらぬ、いやそれ以上のそのハングリーなそして自分の未知なる可能性に向かってアクセルをふかし続ける。彼らに心から拍手とさらなる挑戦を応援する次第である。やっぱり、人間、楽しんだもの勝ち!やりたいことやったもの勝ち!(他人に迷惑をかけずにね。)だぜ。 そして、私が尊敬するスカッシュの全国大会チャンピオンの覇者。「「佐藤(佐藤幹雄)先生」。 これからの選手の発達促進なる技術的な育成のみならず、生徒にチャレンジ精神や勇気を培いつつも、目的達成の喜び、生きる喜びを多くのスカッシュ愛好者と共感、共有している人生の達人&現役チャレンジャーである。しかもスペシャルオリンピックの活動を彷彿するようなベトナムと日本文化の架け橋的ボランティア活動にも精力的な恐るべし元気印。佐藤先生。。。。。。。。。。そのチャレンジ精神とバイタリティー。さすがでごじゃりんす。 Return 炎のメモリアル」メッチャ!おすすめですの巻 ♪あなたの光で私を照らしてほしい行くべき道を見失わないようにあなたが去った後も輝く光を残して行き続ける勇気を与えてほしい。 Return どんな風が吹こうとも 明日には明日の風が吹き、 その風は今日とは違うはず。 ひとつとして同じ風はなく、 ひとつとして同じ一日はない。 ただひとつ変わらないことは、 明日も風の中に立つということ。 追い風でも向かい風でも、その中に身を置くということ。 薫る秋風に身を緩めつつ. なぜか心惹かれゆく、 追えば追うほど似せてくる 夏の頃を思い出す… ... 通り過ぎる秋風に、さからう素振りもみせず吹かれ乱れるコスモスの姿は、 今日もイキイキと風の中に立っている。 どんな環境にいようと、どんな出来事が起ころうとそして、どんな風が吹こうとも!? より高い志をもってその風の中の変化に、人生の変化に、臨みたいものだ。 Return 美しい人?の巻 世の中を見渡すと、そこには「キレイなもの」や「キレイな人」、「キレイな言葉」が満ち溢れているにしても。「美しいもの」や「美しい人」、「美しい言葉」は僅かみたいだなー。と感じるこの頃。で、思うに美しさとは、「美しい行為」(育てるという行為)「美しい心」「美しい言葉」であって、人が感動するのは「美しいこと」に対してで、「キレイなこと!?」に対してでなないと思うんですね。 でもって、芸術の秋な昨今だけど、芸術も、上手い絵を描けば芸術家という訳ではなく、「生き方が美しいか」という事が問題なんじゃないかな。そして、日本には「心のオシャレ」という言葉があるけど、「心と外見」を分けて考えるような日本人のオシャレというのは、本来可笑しいぜっ。 某人気雑誌の依頼原稿をカフェにて一心不乱に集中して書きながら、その作業の一休みで、美しい行為!などを脳裏いっぱいかすめまくって?回想していた夕暮れ、だったけど、にぎやかに来店した女性グループの雑談から、ふっ、と目覚めれば、そんなが記憶が残像したんですねーーー。そんな想いが残ったんだ。 で、そんな想いもつかの間、舌の根も乾かないうちに? 原稿を書き終えた安堵からか、カフェ近くのお気に入りのショップにて、洋服を衝動買いをして・・・。「あっー、気分いいぃーって(^_-)-☆!!??」ハッピー!!な現在の私、私、美しさの定義にして、まだまだ、外見として、おしゃれに依存しているかも。 う〜〜ん、これからは、もっと美しい行為、! をしなきゃねー。 Return あなたが、私が、全てが変化して行く。。 休日、私の出身地、仙台の広瀬川のほとりで、静かに時の流れを感じていた。 幾種類もの鳥の鳴き声。岸辺に小さく波打つ音。空高く飛ぶ飛行機のジェット音。 水面を飛び跳ねる魚。遠くでは少年野球の子供達の声。釣り人達の会話。 すぐ後ろで車が通りすぎる。犬の散歩をする人同士の挨拶。マラソン人の地を蹴る音。 冷たい風が強く吹き始め草木の揺れる音。 波打ち際には釣り糸が絡まる木の枝。このゴミも河の水面が上がれば見えなくなる。 あなたにはこの他にも聞こえる音、見えてくる物がありますか? 僕には感性豊かなあなたの笑顔が見えて来ました。 この世に存在する全ての物や、人的または自然が作り出す音には、全てに意味がある。 僕が存在する意味はいったいなんだろう。 あなたが存在する意味はいったいなんなんだろう。 生きているとすれ違いもある、想い違いもある、お互いに心の傷もあるだろう。 でもそんな全ても包み込んで生きていこう。 喜びの扉を押し続けることをあきらめずに生きてゆこう そして、あなたが、私が。。 全てが変化してゆく。。。 Return プロこそアマチュア精神!?の巻 音楽でもアナウンサーでも、ライターでも、スポーツでも全ての分野でプロになる事は大きな夢ではないでしょうか。ということで、私の好きな言葉はプロ! なぜこの言葉が好き?かというと。そこには「華やかな世界が待っている」ような気がするから。自分の才能を思う存分発揮して仕事をこなして行く。そして有名になる。あこがれるよね。いいですねー。(^_^)v で、「プロ!」なんだけど、プロである以上、自分のスタイルを持っていなければ本物ではないと思う。自分流の考え方や仕事の進め方、ほかの誰も持っていない独自の技術やテイストといったものかな。だって、自分独自のものをひとつも持っていない人の代わりはいくらでもいるからね。でもって、アマチュアとして才能があるのに、プロになれない人たちがいる。?? 独自のテイストがあるのにプロになれない人達がいる?これはどうしてか?ということなんだけど。 以前、あるテレビ番組で、有名なカメラマンに「アマチュアで優秀な人が、どうしてプロになるとダメになるのだろう」という質問をしていましたが、それに対して「そりゃそうだよ。だってアマチュアは良い作品を作る事だけを考えていれば良いけど、プロは注文で作るんだから」とそのカメラマンは話していました。 なるほどね。たとえば、デザイナーを例にとると、デザイナーはまずディレクターの注文を受けます。ディレクターはクライアント(スポンサー)の注文を受けます。ディレクターは「板ばさみ」の状態になります。なぜならクライアントにとっては、「ただ商品が売れれば良い」というのがあって、デザイナーの「個性」や「作品の良し悪し」などは考えてはくれないからです。 そんなことからして、プロ!?になるにはまず、この自分を理解してくれないクライアントの気持を、理解出来る人でなければならないと思います。ではもしプロになって、ディレクターの注文に応えられるような作品を創れるようになったら、素晴らしい事だろうか? あるデザイナーは、プロになって10年ほど同じ様な内容の仕事ばかりをやっている内に、自分本来のやりたい事が出来なくなってしまった!と言って、デザイナーを辞めてしまい。あるコピーライターは、若い時には詩や脚本などを書いていたけど、長い間仕事をしている内に、詩も脚本も書けなくなってしまった。というケースがある。 一流のプロというのは、注文に従いながらも自分の個性を発揮しています。つまり、かなり「強い個性」を持っている人たちなのです。「注文」によって自分の個性的な部分を、何度も削り落とされても、それでも個性が輝いています。 そして、一流のプロは仕事で自分個性と合わないものを要求されても、必ずどこかに個性を入れている。 また、仕事以外に、ビジネスなしで、自分の能力を提供する。つまり「アマチュア精神を大切にすること。」で、プロのたくましさを持ちながらも、アマチュアの繊細さや純粋さを持ち続け、自分本来の能力、才能をもっと、もっと、開花している。 で、結論は「プロであること」は「アマチュアであること」に支えられてはじめて成り立つんです。 ... (違うかな?俺はそう思うんだけどね。) って〜〜なわけで、当サイト常連の皆様、仕事には慣れて来たけれど、個性を失くしてしまうことのないように。ねっ。さらに、仕事で個性的な部分を削り落とされても、それでも個性が出るように工夫するよう努力しましょうね!!!を、目標に、来週もがんばってなりー。 えっ?がんばっている?? じゃー、ファイトー!(^_-)-☆だねっー。(^_^)v Return プロとは仕事を好きになった人?&プロとしての責任!?の巻 またまた、私の大好きな、言葉、「プロ!?」についてなんだけど、たとえば、「スポーツを取ったら何も残りません」とプロのスポーツ選手がTVで言うのを聞いて、その選手に対して、仕事人間でかわいそうと思う人はまずいない(?)と思います。それなのにどうして会社で“仕事が人生”の場合には仕事人間でかわいそう?と言われる場合が多いのか? 俺はそれは、その人が、そういう発言をする人がプロとして仕事をしていない人じゃないかと思うんだ。 とりわけ、プロ!を語るにおいて「スキル(技術)を磨き上げた人物」とイコールでとらえられることがある。しかし本当のプロとは、「自分のエネルギー源を発見し、それに打ち込むことが楽しくてしかたがないという存在である」と感じてる。つまり「仕事を好きと考えるか、義務と考えるかでは、毎日が天と地ほど違う」となるわけ。よって、プロという天職は初めからあるのではなく、結果なのだと思います。「プロとは仕事を好きになった人」のこと、その行動が職務が楽しくてしょうがない人! じゃないのかな?(賛否両論でしょうけど、そこんとこは) で、話は変わるけど、子供3人をプロゴルファーに育てあげた宮里優さんの話が、最近の新聞に紹介されていました。「礼儀やマナーが基本」「プロは究極的には人格の勝負」「知性と教養が状況判断では、ものを言う」「ものを考える習慣が大切」という内容だった。なるほど、「一流のゴルファーは一流の社会人に通ずる」ですね。 そこで、彼のプロとしての定義からインスピレーションするにあたり、一般にアマチュアとプロの差は、「お金をもらうかどうか」がその基準になっているだけど近年、いわゆる「お金をもらっているプロ」たちの、それに対する意識の低さには目を覆うものがある。教養や人格を疑うものがあると感じたんどすね。 飲酒をしてバスやトラックを運転するプロの運転手とかさ、子どもたちに猥褻行為を行うプロの教師。はたまた大企業や一流官庁でも、とうていプロとは思えないプロたちの不祥事は、ほとんど驚かなくなったほど日常化してきているけど、そんな責任感のない人たちは「プロ!」じゃない、と感じるぜっ。もちろんそんなプロばかりではなく、大半はリッパなプロであることは百も承知だ。しかし、そんな不祥事な人たちを見るにけ、プロとは「本当にお金をもらう人」とだけ定義していいのか、という疑問は残るね。 ちなみに広辞苑には「プロとは!」“専門家。職業としてそれを行う人”となっているんだけど。 (今、チェックしました、ヒマ ですねー。私も。。^_^; 笑) しかし、プロの定義として、専門家、お金という判断基準だけでなく、「責任感」、その職業のみならず、社会に対しての道徳、モラルに対しての責任感!という基準を設けたらどうだろう? 競争社会のジャングルで生き残るのは、特徴あるもの、変化に機敏なものだけ。しかし変化の中にも変わらないもの、変えてはいけないものがあります。その中に「責任感」があるのではないかと感じるんだ。 言い換えればプロとして、その各人が「自己肯定感を自己満足しないように戒める」ことがプロである続けるために必要なんじゃないかなー。と思うのでありマッスルね。 Return 余裕?考え方次第ですよー、人生!?の巻 人を愛すことは自分を愛すことだと思う。誰かを受け入れたり許したりするのは優しさだけでは難しい。 自分に余裕ができて初めて人を思いやれる 余裕?余裕ねー。 一般的にどんな人間でも、自分たちがとても忙しいと思っている傾向にあると俺は思うんだ。たまに、やることがないという暇人もいますが、その人々に心の余裕があるかと聞くと、まったく違うんですね。そういう人たちは、暇だから悩んでいる、何か自分を忙しくしてくれるものを探し求めている、結局そういうことで精神的に忙しくなり、自己観察はまったくしようとしない。 でもさ、本当に我々は忙しいのだろうか。一般的には、仕事を上手に早くできる人がいるならば、その人は忙しいと焦らないだろうと思うんだ。家事も、すごく上手な人であるならば、テキパキ要領よくこなす。何であれ「上手」といえる人にとっては、どんな仕事でも焦ることなく余裕を持って早く済ませることができると思う。人間には暇がないのではなく、日常茶飯事のことで常に混乱していて精神的に落ちつかないだけ。何事についても「巧みな人」になりなさいと言う釈迦尊の言葉がある。そうなったならば、忙しい、暇がない、心の余裕がまったくないと悩むことにはならないと思う。 人生はただのテスト。ただのテストにすぎない。自分の人生を深刻にとらえ過ぎちゃダメ! 未来のことを考えることも大事だろうけど、しかし、今いる場所で幸せになろう。先のこと?そんなことわからない。今、今、この瞬間ですよ。幸せは。人生を来るべき本番の「リハーサル」のように生きている人って多いみたいだけど。そんなのちがう!俺達には今しかない。不安は、将来起こるかもしれないことにくよくよすることで生まれる。 そんなのちがう! この瞬間を大切に余裕を持って生きよう。 むづかしい? 考え方次第ですよー。人生。 Return 俺って、どんな人?(自分からのQ&A)の巻 本日地下鉄で俺の真向かいに座っていた20代らしきかつ厚化粧の女性が、化粧をしながらサンドウィッチをつまんでいる・・・。これが愉快でさ。一口かじっちゃ〜、1塗り〜、1塗りしちゃ〜、−かじり・・・。ハム・1塗り。・1塗り、ハム・・・ハム・ハム・1塗り・ハム・1塗り・・・1塗り・1塗り・1塗り・1塗り・・・おっー。キレイになったじゃん〜☆ やるではないか、ブラジル人!(^_-)-☆ の巻 少し前に発表された米化粧品会社AVON(エイボン)の調査によると、外見を一番気にする女性はブラジル人女性なんだって。世界24カ国の女性計2万1000人を調べたもので、外見を良くしようと努力していると回答したブラジル人は、世界の平均67%に対し、なんと86%に達したという。 Ho Ho Ho! Merry Christmas ! 雪雲の隙間より輝く光よ・・・。 凍てつく寒さに凍りつく月よ。 なぜ、そんなに優しいのだろう? なぜ、そんなに美しいのだろう? きらきら光るイルミネーション それ以上に きらきら光ってる あなたの瞳 Merry Christmas ♪♪ その起源から 2000年以上受け継がれ 今 僕たちに こうして夢を 与えてくれる。 君も僕も 人により 場所により 少しずつ形を変えても 一番大切なことは 最初から変わらない。 一番大切なことは これから始まる。 そして それは いつも あたたかい 夢から 今年は2005回目のクリスマス。 一番大切なことに向って。。 Merry Christmas! |