病的船団について


この作品を書いた時は、とても心が痛みました。
これを発表していいのか?
罪深い行為ではないか? と。

実は、僕の知り合いに精神的に疲れてしまった人がいました。
それがこの作品の発端です。
とにかく、心の病に関係するような芝居を考えようと思い、それから多くの文献との闘いが始まりました。
読んだ事もないような専門的なものから、ホームページの書き込みまで、ありとあらゆる資料を読みあさりました。

正直にいうと、最大の難関は「心の病なんて、ダークすぎて、芝居のテーマに取り上げにくい」という僕自身の偏見でした。
これが消えるまで、なかなか筆も進まず、まさに難航しました。

でも、ふと気付いたんです。
心の病って、俺にもあてはまるジャン。
俺だってウツになったり、暴れたくなったり、おかしくなったりする時あるよって。
きっとこれは、もっと身近で、
大切な事は病を否定する事や肯定する事じゃなくて、それを乗り越えて行くパワーみたいなモノが描きたいんだ! と。
だからコメディも忘れず、楽しめるものにする事にしました。
ていうか、世の中には、ダークなものをダークに描く作品が多すぎて、余計に偏見が強くなる気がする。
「ビョーキで苦しいから、分ってよ。誰か助けてよ!」
そんなクソみたいな作品はやめにしました。

僕は一度頭をフラットに戻して考え直しました。

何で病気なんだろう?
別におかしい人間でもいいジャン! 
何で病人になるんだろう?
迷惑かけてないジャン!
ていうか、ビョーキの境界線て何?
俺等の社会? 人間関係? 
それって単なる人間のカテゴライズじゃん。。

癖のある病人達が集まって合同治療する話にしよう。
場所は何処? 病院? だめ、普通過ぎる。
うん、船だ! 荒波をこえ、そこで生活をする登場人物達! これだ!!
逃げられない、自由だけど、逃亡不可能で、お互いが必然的に助け合わなくてはならない隔離去れた状況。あ、それって、俺等の住んでる今だ。
そうか、僕らは自分を押さえながら、矛盾を感じながら生きている。
病気なのに、正常な様に。正常なのに病気なように。
この説明出来ない、僕らという悩みの生命体は病気としか言い様がない。

そんな感じで病的船団の設定は決まりました。
海というのは、僕らの住む社会そのもので、船っていうのは、僕らの住んでいる街そのもので、
そこで生きている登場人物達は、僕らそのものなんだ。

よくよく考えれば僕の作品には海が良く出てくる。
夢判断によると、海や波は、複雑な人間関係の不安を指すらしい。なるほど。

ちなみに、主人公のカッケル君は僕、水本剛、ほぼそのものです。
だから、この役を谷屋ではなく、室田憲子に振った時、正直不安でした。
こいつに俺の気持ちがわかるんかい! と。
けど、実際には、おそろしく繊細で深くて弱い彼女だからこそ演じる事が出来たと思います。
他の9人の役者も抜群のバランスで、ひとり一人のキャラクターもとても愛らしかった。
演出面でも、10人の役者が一切はけずに、様々な部屋の中、街の風景をつくり出す事に成功しました。
いや、これは地味に凄い手法を使ってますよ。Baku-団マスク凄すぎ!

伊丹想流私塾の1年間の集大成ですから、気合い入れました。
恐れず行動したかいあって、大好評でした。実際の精神科のお医者さんにも誉めて頂いて、ちょっと一安心です。

僕はこの芝居を、「生きて行こうとする力=リビドー」を押し出したエンターテイメント、
「リビドーテイメント」と名付けました。
この作品は僕に多くの答えをくれました。
どんな話でも、誰でも、生きて行こうとする姿は美しく、力強い。
これからも、僕の「リビドーテイメント」は続いて行くでしょう。

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