CAPSULE Vについて


この芝居は5人の登場人物からなっています。
それをカプセル1、カプセル2、、、、と呼んでいて、主人公はカプセル5のキャラクターです。
それぞれがそれぞれの世界観をもっていて、それが混同しあった世界で主人公は自分を探すというお話です。

元々この話は「試験管ベイビー」の話を書こう! と思い立ったのがはじまりで、
そのベイビーが自分から試験管のガラスをぶち破るくらいポジティブな話を書こうと思ったんです。
そこでカプセルって事を考えたんですね。
よく考えれば試験管ベイビーにとってのガラスって、僕らにもある訳です。
言葉の壁、肌の色の壁、心の壁、自分の世界観の壁。
ガラスのように見えないけれど、確かにそれは僕らを囲み、時に苦しめます。
それに気付いた時、自分を限り無く透明化して、その世界に溶け込む事で逃げようとしている自分に、 気付いたんです。
僕らはカプセルの中。そのカプセルがネットワーク状につながり、生きている訳です。
そのカプセルのつながりの中で、僕らは自我を保とうと考えている訳です。
逆に言うならば他者の目が集まる事で、見えない壁が成立するんじゃないんでしょうか。
それぞれの人々にはそれぞれの世界がある訳ですから、お互いを尊重しようという考えもあるわけですね。

加えて僕は「世界の滅亡」も描きたかったんです。
僕は不謹慎ながら「世界滅んでくれねーかな」と思った事があります。
楽になれるのにな、と。
それは、イコ−ル、「オレの世界壊れてくれねえのかな?」という願望であると思いました。
その考えに至った時に完全にこの話は出来上がりました。

僕らは自分の世界を持っている。
そしてその世界がネットワークのようにつながり社会を構成している。
でも、僕らが欲しいのは、そうじゃなくて、自分の手でつかめるものだ。
僕らは他人を見て自分を作ろうとするけど、
僕らはこうしてここにいるわけだから。
カプセルに囲まれてここにいる訳だから、
その実感は感じてるのに、感じられないから。
1999年に地球が滅びなかったように、
放っておいても僕らの世界は壊れない。
僕らは保存され続ける。
時にその世界は僕らを殺そうとする。
それは辛い、苦しい。
なら、拳突き出して、ぶっ壊そうぜ!

ぶっちゃけて言うと谷屋演じる主人公以外の登場人物は誰でもよかったんです。
ただ、その自分の世界を確立し、没頭してる人間であればよかったんです。
どっちかって言うと、もう4人ともぶっとんだ話にしたかったんです。
だから役者さんに合わせて作り直しながら、 一応、物語の中心が主人公の自分探しの為、主人公に関連のある人々に無理矢理つなげました。
でも、社会ってそうだと思うんですよ。
たいしてつながってもない癖に自分に他人を関係させようとする。
誰かを自分につなげて自分の存在を確認する。
そうすれば落ち着く。それが壁を、カプセルを形成する。それは人間の真理だと思うんですよ。 共感願望って言うかね。 そんな主人公を作りたかったんですね。
もう、とにかく話がぶっとんでくるんで、理解速度を超えていきます。 そのスピードの早さに圧倒された人も多いと思いますね。 よくわからない内にラストを迎えるって言うか。
でも、大事な事は、主人公が前に踏み出す事だと思って作りました。
とにかく脳髄にしみ込むような演技を! と考えていました。

稽古中は5人の役者ととにかくあれこれ考えましたね。 カプセル演技と言う演技手法をどうやったら上手く使えるか。 どうやってメッセージを伝えるか。
多分あの役者達だからこそできた芝居ですね。 他の人がやれば、また違ったものになったと思います。
ちなみに、5人の衣装の色でもある、黄、緑、赤、青はヒーローものではなく、 DNA配列のモデルからとっています。

冒頭とラストにある
「僕は何でも知っている。、、、、、、、、、、、、、 でも、僕は自分が誰だか知らない。ここが何処だかわからない。何故ここにいるのかもわからない。」 の下りは僕のこの芝居における最大のメッセージですね。
カプセルを割って外に出た主人公は目も見えず、息も絶え絶え。
しかし、そんな彼に聞こえるのは海の音。
ずっと液体に入っていたのに、いままでその水に殺されそうになっていたのに、
海は優しく、寂しく、主人公の体を通り過ぎます。
海ってのは人間を大陸に包み込むカプセルです。
やっぱり、僕はカプセルを壊して生きて行くしかないんだな。
歩いていくしかないんだな。
僕を見ている君に出会う為に。

僕的にはその後彼がどうなったかなんてどうでもいいんですね。
気になりますけどね。
あいたければカプセル6のあなたが、カプセルを割ってあいにいって下さい。
きっと彼は今でも体を引きずって歩いているはずです。

反省点も凄く多いんですが、もう一度やりたい作品ですね。

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