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〜 祭りの太鼓 地べたの舞〜

京都うたごえ協議会に所属する和太鼓チーム・郷土芸能のサークルが集まって
≪京都うたごえ協議会・郷土部≫なる集団を作っております。
★新しい演目を覚えるための練習会
★「郷土部会」と称して、月に一度の飲み会(・・・?!)
いえいえ真面目に次のとりくみの相談もしておりますですヨ!(^^ゞ
などなど、楽しく活動しています。

うたごえ新聞京都版には、毎号
「祭りの太鼓 地べたの舞〜省さんのひとりごと〜」
という連載のコーナーも持っていて、
和太鼓サークルだけでなく、合唱サークルの人にも
う〜〜む・・・ためになる!
と好評をいただいておりますです!ハイ(^_^)v

そんな私たちのとりくみの情報を
チョコっとずつですが
ご紹介していきたいと思います。

ヨロシク!(^_-)-☆


今年も、囃して、たたいて、盛り上がろう!
久々復活!郷土部お楽しみ企画!

〜『水口囃子』練習会〜

2009年6月29日(日)午後1時〜午後5時
うたと芸能のセンター
(京都市西京区桂千代原町・コープ桂2F)

日本のうたごえ祭典inおきなわに向けて
沖縄に行く人も行かない人も
みんなで沖縄モードに!
カンカラ三線づくりもあるかもヨ!

参加費用…うたごえ協議会会員1,000円/会員外1,500円

☆彡うたごえ協議会の会員になると、
参加費の会員割引があります。。。
(^_-)-☆

終了しました〜
ご参加ありがとうございました!

■参加のお申し込み、お問い合わせは・・・京都うたごえ協議会事務局
電話&FAX.075−811−7851
またはE-mailで
京都うたごえ協議会まで


祭りの太鼓 地べたの舞〜省さんのひとりごと〜

『省さんのひとりごと』はうたごえ新聞京都版に毎月好評連載中です!

≪バックナンバーより≫

2004年1月号〜音色〜

 

水口囃子を再度習う機会があった。主に締めの地を打ってみた。「ツクテンツクテン、ツクテン」だ。「テンツク」になってしまう。同じことなのに何かが違う。「同じことですよ」こともなげに言われる。やっぱりおなじことだ。違うような気もする。「ツ」は、太鼓の皮に這わすようにする。なるほど「ツ」だ。リズムだけでは、理解できない部分だ。「これだけわかるだけでも十分だ。」そんな気分になってしまった。

大太鼓を初めて打った時のことを思い出した。力んで打ち込むとそれなりの音は出たが、はじき返された。リズムにならないのだ。「押してだめなら引いてみな」そう言われた気になってしまった。大太鼓にもたれかかるように抱きしめた。ふと包み込まれるような安心感が芽生えた。でも、その日の結果は、太鼓と自分のせめぎ合うようなリズムになった。これに合わせて、苦痛に満ちた苦笑いで締めの地を打ち上げた人を、今でも尊敬している。そのうちに大太鼓と、お友達になった気でいる。

もっと締め太鼓とお友達にならなければならないのかも知れない。自分自身が人見知りをしてしまうせいか、初めての楽器との初対面の印象は、どちらにとっても悪いようだ。篠笛の時もそうだった。三人で習いに行って、その日一日で音の出なかったのは、自分一人だった。音が出るようになって、その音色に疲れた心がずいぶん癒された。音色にこだわるようになった。息を細心の注意を払って細く長く吹き込むようになった。篠笛が自分の付属品のようになって来た。

三味線の音にも、惹かれていた。ペンペンと鳴っていると心が和んでいたことを思い出した。叔母が何本か持っていた。「ちょっと貸して」と言って、失敬してきた。篠笛とは疎遠になった。久しぶりに吹くと音が乱れていた。

日本の楽器には、そんな使う人との関係が、常に問われているような気がする。また、このようなことも楽しいと思える。

水口囃子は、いまだ覚えきれずにいる。そして少し「ホッと」している。覚えきる楽しみは、またもや次回になった。

 

2003年12月号〜シイタケとマツタケ〜

 

シイタケのいいのが大量に手に入った。生なので旨いうちに早く食べてしまいたい。素焼きにポン酢、バター焼きにてんぷら、どれも、旨かった。肉厚でシイタケと思えない。「マツタケ並みだ!」

「シマッター」。

ここでふと思った。シイタケとマツタケは、同じきのこだ。でも、質の違うものだ。味も違う、歯ごたえも、香りも違う。シイタケには、シイタケの旨さがあり、良さがある。マツタケにも、マツタケの良さがある。同じ食べ物である。質の違うものをたとえ値段が高いからといってほめ言葉のたとえに使うことは筋違いだ。

郷土芸能の中でも、人をたとえるのに「プロ並みだ」という言葉をよく聞く。人格と切り離された技能だけが取り立ててもてはやされる時代だからかもしれない。技能だけを取り立てて比べるのならば適切だろう。しかし、プロとアマは質が違うし物が違う。確かに共通項はある。とても似ているのでついつい混同してしまう。違いを確認しておかないと思わぬ失敗をしてしまう。

優劣を問うているのではない。学びの方向性や、表現方法や、取り組み方の違いだ。アマでは、芸能以外に仕事を持ち、その日常生活の中で芸能を心の糧にしたり、時には癒され慰められ、勇気づけられたりする。芸能を創作してしまうことさえある。つまり、日常生活の中で自前の芸能をはぐくみそだて、それをまわりで見ている者や聞いている者と共に楽しむのだ。演奏者と観客が同列なのだ。昔の郷土芸能の世界には、そんな集団の文化と生活があったように思う。

郷土芸能が現代において、少しづつであるのかもしれないが浸透してきているのには、そんな文化や集団に対する憧れがあるのかも知れない。私達が持っていると思っている文化は、私たちを強くもしないかりそめのものにしか過ぎないと感じているからかもしれない。より人間らしい生活を郷土芸能の中から嗅ぎ取って、それを求めているからかもしれない。

郷土芸能を習い、共に楽しむことは、何か未来に向けて豊かなものを実らせていくような気がする。

 

 

2003年8月号〜文化〜


 沖縄の料理店で奇妙な三線に出会った。胴の部分が空き缶で出来ているのだ。粗末な木の竿が付き、弦が三本張ってあった。演奏の仕方は、三線と同じだ。訳を聞くと、戦後のカンカラ三線を舞台に上げ、今もなお一つの楽器として、楽しめる沖縄の人々に敬服。物のない時代に沖縄の人々が楽しんだ楽器だという。

 ご存知のように、沖縄は、第二次世界大戦で唯一、日本の領土の中で地上戦が行われた所だ。直径40センチ高さ1メートル以上の戦艦の砲弾や、爆弾が雨あられと降り注ぎ、全島を焼き尽くし、破壊され尽くされた所だ。ほとんどの建物は、戦後建てられたものだと言う。

 そんな折、米軍キャンプから拾ってきた空き缶と、パラシュートの糸を張り、即席の三線を作り、苦しい中みんなで楽しんだと聞きました。

 どのような苦境の中でも、音楽を忘れなかった沖縄の人々の地についた文化に、生きることに対する粘り強さと、おおらかさに胸を打たれました。また、自前の音楽や文化を持つことの強さ、したたかさに舌を巻いた思いです。その強さは、音楽を理屈ではなくただ楽しみ、自分たちを表現するものであり、生活の一部と位置づけてきたからだと思えてくるのです。また、それを聞いて楽しみ、参加して楽しむ大勢の人々がいたのだと思います。

 今、私を覆っている不安定感や強さの下に隠れた弱さ、借り物の主体性と感じるものは、何だろうと考えてしまう。もっと確かなものを携えて、未来を切り開いていく力が欲しい。人として生きていくために必要なものを身につけないまま大人になってしまった。そう。そう思っているのは、私だけだろうか。

 沖縄の音楽や郷土芸能の中には、私たちの育ちの中で身につけずに今日まで生きて来てしまった文化の骨のようなものがあるように思うのです。

 今からでも遅くはないと思います。より人間らしく生きるため、沖縄に学びたいと思います。

 カンカラ三線を舞台に上げ、今もなお一つの楽器として、楽しめる沖縄の人々に敬意。どんな音痴でも、中に入れてくれそうに思います。

 

2003年4月号〜梅の花〜

 今年に入り、日差しが幾分明るくなり感じ始めた頃、梅のつぼみがふくらむのに気が付いた。気温は、まだまだ寒く、まだ冬のままだった。しばらくすると梅の香りがあたりいちめんにおってくるようになった。自分の感覚では、まだまだ冬であり、奇妙な感じである。梅の花は、気温ではなく、どうも日照時間でふくらむようだ。
 
畑や田んぼは、荒おこしも済み、春への準備も完了している。農家の庭先には、いろいろな植木が植えてあり、木の芽やその花の蕾が農作業の準備を示す合図になっているとしたら、農家というものは、気持ちの上で随分優雅な仕事に思えてくる。もちろん、都会暮らしの人間にとっての単なる憧れにしかすぎないだろうが、はるかに文化的で豊かな世界と写ってしまう。
 
人間にとっての仕事の中に文化的なものがなくなってしまえば、そこには、発展も創造もなく活気もなくなってしまうと思う。今の日本の中で効率が追求され、結果ばかり求められる先には、あまり幸せでない世界が広がっていってしまうように思うのは、自分だけだろうか。
 ただ、うれしいのは、まだまだ少ないのですが、そこかしこで、自前の文化を大切にしたいと思う人が増え、手をつなぎ始めたことです。梅の蕾のように、花が咲き、文化の香りをあたり一面に薫らせてくれるような日本になってくれればと思う。(省)

 


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